HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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軍事郵便
2018/10/18

家の片付けをしていたら、棚の中から出て来た、こんな手紙。
戦時中、家内の父親がフィリピンから家族に出した手紙。

内容は戦時中ゆえに大したことも書けず、元気でいる事を願ったものだが、それはともかく、軍事郵便とハンコを押し、検閲済となっている物々しさ。
いや、こういう戦争はいやだな。


黒い猫
2018/10/17

朝食でよく人の椅子を取ってしまう黒い猫。

さ、誰がお皿のご飯を食べてしまったのでしょう。
目を細めて、さあ、知らないね。



JACKIE McLEAN/JOHN JENKINS “ALTO MADNESS”
2018/10/16

JACKIE McLEAN/JOHN JENKINS “ALTO MADNESS” PRESTIGE 7114 (USA)

なんというレア盤であろうか!
私がコレクターであった頃、なぜかついに入手が叶わなかった逸品である。
なぜならば傷だらけなものが多く、良好な状態のオリジナル盤には、ほとんどお目にかからなかったからである。
確かに店を始めてからも、あまり入手した事はない。

このアルバムのジャケットを見ていると、アルト・サックスが二本、向かい合わせに書かれている。
まるで墨の勢いのままに書いたようである。それが左右対称にしてあり、実に西洋美術の美を感じさせ、そこにALTO MADNESSと二段にちょっと斜めにして書いたところが、見事なデザイン力である。
色合いも紫で塗ってある。紫とは高貴な色であり、また相反する下品さも含む色である、それらを含めMADNESSすなわち狂気とは良くぞ言った。
紫の色合いが一枚一枚微妙に違う事が多く、その辺りが実に興味深いものがあるのだが、いづれのジャケットもコーティングと調和して、深さが滲み出ていて、見れば見るほど欲しくなってしまう。

なるほどアルト・マドネスと良くぞタイトルにしたものだと感心するのである。

さて、音楽はマクリーンとジェンキンスというパ−カ−の弟子たちによる共演。
裏のライナーにはパーカー・メソッドの乱舞だと。
誠にもって、その通りの演奏が繰り広げられる。
パ−カ−の後のジャズはちょっと聴き易い方向に行ってしまったけど、俺たち二人でパ−カ−の音楽を思いっきり演奏しようじゃないかという気構えが伝わる。
聴けば、本当のハードバップ・マニアでなければ感動しない、良い時代のジャズが繰り広げられるのである。
私はマクリーンが好きだけど、その中にあって特に好きな一枚である。
これを聴いていると、幸せな気持ちになる。

完璧なハード・バップが聴ける作品である。

通販リスト
2018/10/16

通販リスト、アップいたしました

金子 兜太
2018/10/13

下の階のコンビニーに行ったら、私と同じようなジイジが、買い物をしていた。
その頭にちょこんと乗った帽子のつばに「アベ政治をゆるさない」と書かれたバッヂが。
気合が入った方なのだろう、エライ!

それで、そういえば数日前に金子 兜太のどうでもいい話を書いたせいか 何故か日記の素材としてスイッチが入ってしまった。パチン!。
数年前に民主党の国会議員が規則に反して国会の場に持ち込んで顰蹙を買ったのだが、そのポスター「アベ政治を許さない」は、もうあっちこっちに貼られ、テレビにも出され、これほど有名になったポスターもない。
このポスターを書いた人が俳人の金子兜太である。
その話をテレビで見た時は、アベの何を許さないのか?明確に表せない標語を書いてしまった金子兜太がこれ程のサヨクかと驚いたものだ。
なんでも、澤地久枝の依頼により、それならばと書いたという。
面白いオヤジだ。

あの俳句だけの親父がね、って、この人は凄い頭脳の持ち主なんだ。
俳人というより哲学者、思想家といっても良いひとであるのだが、そういう人が、こういう雰囲気だけのポスターを作ってしまったのがね......
人生いろいろだな。
これもまた、ありかね。

J R MONTEROSE “ THE MESSAGE”
2018/10/12

J R MONTEROSE “ THE MESSAGE” JARO JAM 5004 (USA)

ジャケット写真を見ていると、彼のこめかみの辺りの滲んだ汗が光って、それがオリジナルのコーティング・ジャケットの艶と相俟って、更に、彼の角刈り頭で何とも言えない風格になった。
かつてアメリカから届いたオリジナル盤を眺めながら、何度も何度も感動したものである。

しかし、JARO(Jaro International)とはまた厄介なレーベルである。
なんでも英国「TOP RANK」の傍系で1959年から1960年の間だけ、レーベル活動したようだが、全部で8枚しかリリースはなく、大体はエキゾチックな音楽を売り物にしたのでろうか。
しかし、ジャズに関してはKENNY DORHAMのこれまたレア物が一枚あり、これらジャズの2枚はなんといっても幻の名盤の中でも、更に「超」の付く幻であるのは不思議である。

また、彼のアルバムはどれも幻の名盤のトップ・クラスの作品ばかりで、56年のJ R Monterose(BlueNote 1536), 64年のIn Action(Studio 4)そしてこの作品の3枚とも風格のある作品で、再発盤、日本盤やCDはいっぱい出てくるが、オリジナルとなると どれも大変な入手困難なものである。

さてJRさんであるが、本名、Frank Anthony Peter Vincent Monterose Jrという、長すぎる名前を端折ってというか端折りすぎて、J R Monteroseとした。なんだかJとRを離すかくっつけるか妙に気になって書きにくい、ヘンなネーミングである。音楽もなかなかの立派な人達と仕事をした割には、その後本道の人とはなっていないようで、どうもへそ曲がりであったか、または、それほど運が巡って来なかったのか、と考えられるのだが、どうも作品の出し方などを考えると、これは本人の性格が音楽人生をそうさせたのかと思える。
したがって、米国のみならず、ヨーロッパでもクラブなどでちょこちょこ仕事をしていた。
クラブなどの狭い場所での演奏が好きだったのではないか。

当アルバムの大きな特徴であるが、まず大名演奏が2曲あるのだが、これが並外れて凄いこと。
A面の Violets For Your Furs
B面の I Remember Clifford
見事な情緒のバラード・プレイで、スミレの方は、コルトレーンの方かこちらか、人気が二分されたほどであった。
クリフォードの方は、トランペットでなくサックスでのプレイとして人気になったものである。
その他の曲は、コルトレーンやロリンズの影響下にあることがはっきりとしており、曲により音質までコルトレーンに近かったり、ロリンズに近かったりするところがあっったり、ロリンズに影響されたコルトレーンに似ていたりして、中々面白い。
それにちょっと本人の面白いニュアンスのサウンドなんだよなあ。

何年たっても、どうしても欲しい一枚だな。

ハルズ散歩の続きというか...
2018/10/09

昨日のハルズ散歩の続きというか、町田の話で、友人が旧国鉄(JR)の原町田駅の辺りを歩いていた時に、「ここ、ここ、ここに昔米軍機が墜落したんだよ」って。
「えっ、町田にも墜落したのか?」。
なぜなら、我が家の比較的近所も戦後、相当数の米軍機が墜落しているのだが、昭和52年の江田の母親と3歳・1歳の坊やの三人が亡くなった墜落は、涙を誘う悲しい話で、地元だけに関係者が知り合いに居たりして、今なお、時々会話に出てくる。
何しろ坊やは墜落翌日大火傷により亡くなったのだが、母親には治療の妨げになると、死が知らされる事無く、結局4年後に母親もあの世に旅立ったという悲しい結末であった。ドラマにもなったんだよな。

モトエ。
町田の墜落は知らなかった。友人の話で悲惨さは聞いたんだけど、日記に書こうとすると詳細が必要なので町田のホームページで探して話を加減したのよ、ゴメン。
昭和39年、横浜線旧原町田駅300メートルの商店街に米軍機クルセイダーが故障によりきりもみ状態で墜落。
ちょうど桜の花も咲こうとする日曜日、客で混雑していた商店街に大地も裂けよとばかりに米軍機が墜落。一瞬の内に4棟が吹き飛び、機体の破片・土砂が半径50メートルの範囲で襲い20数軒の家屋を全半壊、死者4名、重軽傷者32名という惨事になったという。友人は高校を卒業したばかりなのか良く覚えていた。

街のど真ん中に墜落するのも凄いなあ。

さて横浜においてどの程度の米軍機事故があったかという事に興味が湧いて来てしまい、今度は神奈川県のホームページから引用する。昭和27年から平成19年までのデータながら全214件。
墜落62件、不時着54件。被害の大きな事故は37件。
数が多いなあ沖縄だけじゃないだろう。横浜だって負けてないぞ!沖縄は被害者、被害者と騒ぐけど、俺たちは騒いでないもんね。

暇で町田あたりに.....
2018/10/08

今日は病院に行ってから仕事に参る予定であった。
だが、仕入部長からメールで、手伝いが来ることになったから、出社に及ばずという事になった。
ないがしろにされた訳。マア、イイカ。

こういう時に限って、いつも時間の掛かる病院の待ち時間も、予定より早く呼び出しがかかり、あっという間に治療も済む。
予定になく暇だがね。
そういう時の友達、近所のジイジを呼び出し、近くの小田急線の鶴川という所にコーヒー専門店があるからと、二人で車で出かける。
二人の考えている道順の好みが結構違っている事に驚きながら、ともかく到着。
そうしたら、なんと火・水は休みだと。
面目立たず。

それで、町田にでも行こうかという話になり、目標設定変更。
駅近くに駐車し、昔の町田と大いに変わってしまっているので、ここは何があったの、なかったの、進駐軍の飛行機墜落現場まで見に行ったりして、大いに盛り上がる。

結局まあ、私もそれほど街情報に詳しくはないので、先日行ったジャズ喫茶「ノイズ」に行く。
ジョルナという若者しか入らない、いや、入れない雰囲気のショッピング・ビルにあるのだが、何しろここは、ピチピチしたギャルばかりで、オジサン目のやり場に困る。
いや、コマラナイ。

店は堅苦しくない店で良かったねと満足、二人でまったりとコーヒーを頂いて帰ってきた。
昔を偲ぶ街歩きが楽しかった。

ERIC DOLPHY “OUTWARD BOUND” ESQUIRE
2018/10/06

ERIC DOLPHY “OUTWARD BOUND” ESQUIRE 32-123 (UK)

エリック・ドルフィーのPrestige/NewJazzの名盤8236番の同一スタンパー仕様の英国プレスである。
盤に若干スレはあるものの、音質に影響は少ないので、安心できる。
ドルフィーのEsquireでの別ジャケ・アルバムは殆ど出てくることがなく、珍しい。
マニア必見のレア盤である。

このジャケットは何と言っても、文字と写真の組合せが素晴らしい。
オリジナル盤のシュールレアリズム初期の頃のような前衛絵画も悪くないが、英国盤の文字の組合せは粋である。
画面の上下一杯にはめ込んだドルフィーがフルートを吹いている写真もなかなかよろしい。
良いテイストである。

このアルバムは1960年4月本人名義で、彼らしい音楽が確立してからの、真っ直ぐな作品第一号である。
トランペットがFreddie Hubbard, という所も、新しい彼らの時代が押し寄せて来ているのが良く分かる。
Freddie Hubbard,とは後のOut to lunch(BlueNote)でも共演しており、ドルフィーに負けない音楽性を示した当たり、見事な大物感を感じさせるものである。
60年の次の作品は、6月にKen McIntyreとの共演があり、8月のカルテットのOut There(New Jazz 8252)となる。
12月にFar Cry(NewJazz8270),をリリースし、この辺りから怒涛の音楽活動が開始されるのであるがほとんどがミンガス、コルトレーンなど他人のお手伝いである。
リーダー作となると、61年7月のAt The Five Spot(NewJazz8260)の辺りであって、なぜか、あまりにリーダー作がすくない、ちゃんとしたレーベルといってもPrestigeになってしまうが、この2・3年がいずれも彼の代表作となっている。
そういう意味でも、大事な作品である。

BENNY BAILEY “QUINTET"
2018/10/05

BENNY BAILEY “QUINTET Feat BERNT ROSENGREN” SONET SXP 2515 (SWEDEN)
45回転 7インチ・レコード

今回の入荷は大変珍しいモノ盤のEPである。厳密にはEPでは無く7インチという、ヨーロッパのコレクターに言い直しをされる事も多々ある。
シングル盤では無い理由は、片面の演奏時間もかなり長く、アメリカにおけるシングル・カットとは異なるからで更にジャケットも付いているのである。
ヨーロッパのEP文化の面白いところである。ジャケットもコーティング剥がれもなく綺麗である。

さて、ベニー・ベイリーが1950年前後であると思われるが、ライオネル・ハンプトン楽団の一員としてヨーロッパツアーに参加し、楽団がスエーデンに行った際、彼は突如残留を決意。
以来、ヨーロッパにおけるビックバンドの重要なトランペットの地位を確立し、一時期のクインシー楽団、クラーク・ボランド楽団などで活躍したのである。
特記したいところはクインシーによる「Meets the benny Bailey」という曲まで頂戴したこと。
クインシーはスエーデンにおいて当時大人気であり、記者会見が行われ、記者からの質問でこの曲に触れベニー・ベイリーなどになぜ会わなければならないのか、とやや小馬鹿にした言い方をされ、君たちは何もわかっていないと席を蹴ったという話を現地で聴いた事があるほど、アメリカの才能が国外に出てしまう事を惜しんだ。一説によると恋に落ちたからだという話である。
また、当店の常連の中に、ファンがいて彼の調査によると、クラーク・ボランド楽団における膨大なコレクションの中でベニー・ベイリーは皆勤賞であるという事を発見した。
ただディスコグラフィーに一枚載っているが見つからないという話であったが、それは私が探したところ、番号も与えられ発売予定であったが、残念ながら発売に居たらなかった物であった。

という話は置いといて
このEPは彼がスエーデンにて録音を、56年からそれこそ毎年一枚づつ作ったものの一環である。
これは59年の傑作で、名手ベルント・ローゼングレンとの2管クインテットである。
なにしろ、A面のSonny Boyの出来が素晴らしい。ピーッとなる独特のサウンドが気持ち良い所にローゼングレンのテナーもバリッとして気持ちが良い、実にジャズらしい曲である。

ベニーベイリーは、BeBopからのジャズメンであるが、楽団の演奏が長いだけに、ある意味中間派でもあり、とても近代ジャズとも合うとは思えないが、その後のモードのプレイヤーとも十分に渡り合っており、なお素晴らしいプレイを見せているところが、私は甚く感心するのである。

ぜひ、チャンスがあったら、聴いて頂きたいと切にお願いする処である。

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