HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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新入荷リスト
2025/01/14

明日ではありますが一月十五日(水)に新入荷リストを更新予定です。
よろしくお願い致します。

外人の免税もいい加減に......
2025/01/14

外人の客の中には免税が当然とばかりにパスポートを出そうとする人たちが,今尚結構な数おります。
どうも、日本国では外人はすべて免税だと思っているようだ。

しかし、観光客に免税は免税店だけであるのが普通の考え方であるが、税を免除してでも外人に来て欲しいのだ。政府はよほど国に自信がなかったのだろう。
日本のように工業も衰え、韓国や中国に抜かれてしまい貧乏になってしまった国は、貧すれば鈍する。
外人に税のサービスが素晴らしい事だと考えている政府である。

しかし、巷で消費税を免税するショップなど外国にはない。見た事がない。なぜなら集金システムとして最高のシステムであるから。
相当の税収が見込まれるのに。

金がないなら、観光客から取れ!
空港税もたくさん取れ!

Johannna Martzy 無伴奏バイオリン・ソナタ全集
2025/01/14

Johanna Martzy “無伴奏ヴィオリン・ソナタ/パルティータ全曲“ (Gland slam)
(日本)
仲良しが、こんなレコード、聴かなくなったと渡されたクラシック名盤。
ずっしりと重い、1955年録音 ヨハンナ・マルツィの作品である。

この全集は、最初55年に英国コロンビアで発売された。日本では日本コロンビアから、まず2枚だけ発売されたのが、雑誌・レコード芸術で村田武雄のケチョンケチョンの酷評が影響し、続いて岡俊雄の酷評もあり、売れなかったため、コンプリートに至ることはなかった。
兎に角なぜか、マルツィは何を出しても日本では受けることが無かった。
メンデルスゾーンの協奏曲も志島栄八郎の酷評にもあっている。
要は、けなされた音楽家は徹底的に貶める風潮に合ったのだろう。評論家は恐ろしい人達である。

しかし、グレン・グールドがマルツィのバッハのソナタが好きだと言った事が広がり、急速に彼女の評価は高まった。
天才だけが知る天才なのである。

彼女は1924年ルーマニアの小都市で生まれ、6歳で頭角を現し、7歳でフランツ・リスト音楽院のイエーネ・フバイに弟子入り、その後順調に才能を伸ばし、ハンガリ−で結婚もし音楽活動をしていたのだが、ハンガリーが44年にドイツに制圧され、夫婦で脱出を試みるもオーストリアに捕まり、そのまま46年まで抑留。夫婦はその後離婚。
終戦後はスイスに移住、二度目の結婚をする。興味深い話があって、その夫がストラディヴァリウスを当時の12万スイス・フランで入手、プレゼントすると、気に入らなかったらしい。その後、楽器がどうなったか不明。
60年代後半は体調不良から演奏活動もなく、79年に夫が無くなると、その4か月後に彼女も54歳で亡くなった。
ここまで、ほとんどの部分、解説から拝借した。何しろ私の知識など半分も無く、更に、日本盤でこれほどしっかりして、追記する事のない解説も珍しく、やりようが無かったからである。是非、買って読んで、聴いて、頂きたい。

この作品は、しかし、英国原盤は往年の名盤、非常に高額でマニア垂涎盤となった。入手は至って困難。
それが、その3枚組のLPを、日本で、何と近年6枚組の高音質盤として日本で発売したので、ちょっと驚く。それはまるで12インチ・シングルを6枚聴くのである。
内周における歪を排除した結果であろう。重量盤のなんともすごいLPであろうか。
乗せ換えにちょっと疲れるが。

演奏は、従来の名人たちに比較すると、劇的な盛り上がりを作っていない、穏やかな印象がある、バッハの解釈は演奏者によって非常に異なると言われるが、彼女はドイツが好きでもないだろうし、彼女の美意識で演奏したものであろう。聴いていると、感動して、泣きそうになってしまった。
グールドが絶賛した事もわかろうと言うもの。
しかし、日本でも良いレコードの制作が出来るのだと感心した。


(売れてしまいました)

夫婦とも、78歳
2025/01/13

私は78歳になった。なれた。
これほど頑張れるとは思っていなかった。
家内とよくここまで来たものだと、互いに感慨深い物がある。

家内は、「私はお母さまの歳を超えた、お母さまは76で亡くなったから可哀想でした」と大好きな母親の優しさや闘病の辛さを語り、しみじみと思いにしたっていた。せめて母親の亡くなった歳を超えたから、親孝行だよ、と話した。

身内では、虚弱で有名な私だが、なんとかここまで生きて来た。
ありがたいことである。



昨日のジョージ・アダムスで
2025/01/12

昨日のジョージ・アダムスのレコードの中のA面の1曲目と2曲目がダントツと言いながら、曲名を紹介していなかったので、書いておかないと。

1曲目 Intentions
2曲目 Send in the clown

それで、その Send in the clown が抜群に素敵なのだ。
この曲はそれほど古いスタンダードではなく、70年代になってちょこちょこ歌われ出したて、シナトラが「シナトラ・イズ・バック」の中で歌ってから、ジュディ・コリンズなども歌っている、難曲である。

しかし、私はジョージ・アダムスのバラードがダントツに大好きである。
凄いんだもの。

ところで、このレコードが発売されたのは80年の年明け早々。
それを、Sarah Vaughanの関係者が聴いたかどうか、確かめる術はないが、聴いたとしておこう。
それを彼女も気合が入ったのではなかろうか。
彼女のSend in the clownもまた、ジャズ・ボーカルの頂点の歌手として称賛に値する、出来なのである。
ぜひとも聴いてほしい1枚である。
この曲の2大、名演と言っておく。なにしろ二人の音楽の実力がよーくわかるのである。



GEORGE ADAMS “PARADISE SPACE SHUTTLE”
2025/01/11

GEORGE ADAMS “PARADISE SPACE SHUTTLE” TIMELESS SJP 127 (Holland)

このアルバムを最初に聴いたのは、渋谷のジャズ喫茶メリージェーンであった。
1979年録音となっているから1980年の頃であろうか、店に入ったらちょうど新入荷の、このアルバムの冒頭が流れるところで、テナー・サックスのあまりの流暢さにビックリして、「このレコード何ですか?」と聞いた。
そうしたら、ジョージ・アダムスだと。
彼の作品はもっとフリーなのにと、驚くと同時に大好きになった。

かつて、名人が数いるジャズのテナー・サックス奏者の中に、これほどの流暢なプレイヤーはいたであろうか。
テナー・サックスはコールマン・ホーキンスが30年代にリード楽器としてのスタイルを確立し、テナーの父とよばれ、ベン・ウエブスターなど初め、別の系統と思われるレスター・ヤングでさえ、みなホーキンスの弟子となるわけで、その後に、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンまでも、言ってみれば、全て弟子と言う事になる。
その弟子たちの中で、ここまで流暢な弟子はいなかったのである。
しかし、彼だけは、別格で、ありとあらゆるテクニックがあり、考えられるだけの音色がある。
音域も広く、そういう人の事を「高い方から、低い方まで」と言うのだが、彼は更に上り方も下がり方も、方法は一つではない。
フリージャズ・スタイルと思えば、ハードバップの様式も散見される。
変幻自在である。

70年から80年にかけてDon PullenなどとTimelessレコードに沢山の作品を残すが、どれも優秀である。
しかし、当アルバムには、なぜか相棒のPullenはいない、いないが、こんなすごい作品が出来上がった。
今、聴いても感心する。特にA−1、2の曲が凄い、こんなすごいバラードはちょっとない。柔らくて、硬くて、大らかで、ヒステリックで、聴いている方が どないせい ちゅうねん。

かれは、90年になる頃、制作の噂を聞かなくなった。そうしていたら、エイズで死んだという噂が流れてきた。世の中がエイズに対する恐怖に打ちのめされていた時の話。
なんでも、周囲の人間が逃げ出したのだが、看病を続け、最後を看取ったのは日本人女性だという噂を聞いた。
そして彼女は、世界一の彼のサックスを抱いて街の闇に中に消えた。


(売れてしまいました)

映画「PERFECT DAYS」から思い出して
2025/01/10

88才の私の親友は、死ぬまで新宿に固執していたのだが、それも叶わず群馬県太田市の施設に送られた。
最後は体調が悪く呼吸も苦しくなり動けなくなった。
自力で生活したいと言って働いていたのだが、ついに収入は途絶え、新宿区の薦めもあり、やむ無く生活保護を受けた。生活保護の収入では、都心には該当施設はなく、収容してくれる施設も限られるという事であった。
ついに本人も納得して送られて行った。

それで、私たちは相談し、新宿区を通して面会を申し込んだ所、施設から親族以外面会お断りと返事が来て、区の担当者もびっくりしていた。サトさんは身内がいないので、新宿に居る我々数人だけが身内代わりであると思っていたのだが、施設のあっけらかんとした対応の冷たさになす術もなし。
きっと、酷い待遇を他人に知られたたく無いのかねー、等と嫌味をいったりしたのだが、最早これまで。
という事で、彼とは永遠の別れとなった感が強い。

役所広司の映画「PERFECT DAYS」をAMAZONN・PRIMEで見た。
その映画がまさに、私の親友の生き様そのものでびっくりしてしまった。

映画の通り、ここ10年ほど、彼もまた掃除が仕事であった。自殺者がでて階段が血だらけになっていると、ビルのオーナーから電話が来て「みんなやりたがらないからサトさんやってよ」、と懇願されると、かれは出かけて行って、血の匂いにもめげず綺麗に仕上げるのであった。
故に近所の多くの住民に愛され、おばあちゃんから家の直しも頼まれ、それはそれは地域の大切な友人であった。
ジャズ、シャンソン、タンゴ、ラテン等広いジャンルに造詣が深く、本も読んでいて、唐十郎氏や美輪明宏さんとの会話も語ってくれた。

映画に出て来る、アパート、風呂屋、などそっくりでビックリしてしまった。
映画と違う所は、サトさんには身内がいなかった事。そして肺の疾患が広がり、自分で収入を得る事が出来なかった事。

苦労続きの人生だったから、最後くらいは、楽をさせてあげたい。


映画を見て、なんだか、サトさんの事を思い出してしまった。
私が甲斐性ないばっかりに、ごめんよ.....

ヒトメタニューモウイルス
2025/01/09

幼児に感染確率の高い、ヒトメタニューモウイルス呼吸器感染症が、中国で感染拡大。
と、ここの所テレビニュースで何度もやっている。

そもそも入国緩和した現政権は、一体何を考えているのか?
これから春節らしいが、ここで入国を止めて頂きたいものである。

コロナの時にもあったでしょ、コロナ持って来て感染を広げ、入院して、日本でうつされたと言っていた事。
勘弁してよ

ジャズってさ、
2025/01/08

かつてジャズを取り巻く状況というものは基本的に黒人の音楽として捉えられていた。
だが環境はちょっと歪というか、不思議な状態であって、演奏する側は黒人であるが、それに影響された白人が入り込んで来て、レコードで儲けたのは白人、人気になるのも白人、評論家は白人、ジャズ系の本・雑誌の発行も白人。

やがて、徐々に、音楽家は白人が増え、日本人なども増え、一方の黒人は減少して行った。
そして百年も経てば変化は当たり前、現代、ほとんどのジャズメンは白人や黄色人。
そして、新しいジャズ演奏家達の間においては、アメリカからヨーロッパへと舞台が移っているような状況になった。

別に文句を言っているわけではない、時代の趨勢だもの。
クラシック音楽が基礎にある人たちが、立派な音楽を聴かせてくれるんだもの、文句などあるはずもない。
立派な音楽を聴かせていただいて文句などない。
そして皆んな、ジャズが好きな人達がやっているよね。いいかもね。

ずっと以前、誰が言ったか、美輪明宏が言っていたような記憶があるのだが.....。
ソ連から来られたバレリーナに「あなたの国と日本と、比較するとバレリーナはどのように違いますか?」と、そうしたら彼女はあっさり「私の国は、やるべき人がやります。日本人は好きな人がやっています」と。
負けたと思ったと。
これね、ジャズの世界でも言えるんだよね。

ハンバーガー
2025/01/07

デパ地下にハンバーガー・ショップが出店していたので、家内とひとつづつ買って帰った。まあまあだねと食べながら、急に思い出して、「昔、銀座三越に日本初のマクドナルドが出店した時、会社の友達、5・6人で食べに行ったよね」という話になった。

美味しかったね、と言いながら、どのように美味しかったかという事については、二人とも全く何も記憶がない。
それまで、ハンバーガーなるものを食べた事がなかったので、美味しかったのであろう、という結論に達した。


当時の私たちの会社は東急航空という海外旅行専門の会社であった。
まだ週休2日という概念はなく、土曜日が半ドンであったので、ランチや喫茶店に行ったり、昼間に仲良しとの友情を育む方法が残されて時代であった。
マクドナルドの日本出店は、それはそれは大変な衝撃で、事件でもあった。

私などは土曜日まで待ってから出かけたのである。
だが、待てずに開店当日に行こうと考えた人もいた。
そんな一人に、わが社の同僚のエミちゃんの、友人がいた。その友人の話。分かり難いね。
勤務先が銀座だったので、遅刻覚悟でハンバーガーを食べに行ったのは良かったのだが、テレビ取材に捕まってしまい、意気揚々と食レポを語ってしまったら、それが翌日にニュースで流され、会社の上司の知る所となってしまった。
遅刻して、平気でハンバーガーを食べているとは不埒なヤツとなり、解雇されてしまった、という。
今だったらどうなんでしょう?

命がけのハンバーガーであった。


新婚時代は電車に乗るにも譲り合っていたのに、あれから40年、
スーパーの買い物のお金の支払い、譲り合い。

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