HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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秋は寂しい
2024/11/25

秋も深まり、寒い日は夕暮れもよけい早く感じる。
午後4時半には、薄暗くなる。
秋の夕べは寂しい。

  水道の 滴下かなし 秋の夕暮れ



 

通販リスト更新
2024/11/24

11月25日に通販リストの更新行います。
よろしくお願いいたします。

JOE MOONEY “THE GTRETNESS OF JOE MOONEY"
2024/11/23

JOE MOONEY “THE GTRETNESS OF JOE MOONEY" COLUMBIA CL 2186 (USA)

1950年頃から活動していた、アメリカの男性ヴォーカルの1964年のアルバム。
アルバムはなかなかの作品で、なにげない風情に感心して後ろのライナーを読んでいて、更に興味が湧いた。

ライナーの作者が余程ジョー・ムーニーのファンなのか、書き出しから気合が感じられる。
「準備はいいか?聞け!と、14年間ジョーを好きになる事は共有することであり、喜びである、更に、弟子になるのである。また、業界で大成功を収めたいなどと考えた等ありません。彼がオルガンの前に座り歌う時、トップテンにランクインすることなど考えていません。彼は詩人で、夢想家のミュージシャンです。
彼は声から思えるように、笑顔、温かさ、ウイットに富んだ、小柄な男。だが、ユーモアから想像できない苦しい人生なのだ。25年前に視力を失い、1943年には交通事故で18カ月の入院生活を送った。
それでも彼の人生は喜びに満ちている。ジミー・バン・ヒューゼンもシナトラもジョーの演奏を何度も聴いています。」
と、大絶賛。
という事は1939年頃に視力を失ったのだが、頑張っている様子に、思わず応援!

確かに、ちょっと鼻声で、粋で、決して押しつけがましくない歌は、レコードが終わると、また針を載せたくなる。いい感じである。

ところで、この人のレコードは数すくないのだが、一枚目はOn the rocks(Decca)と言い美女が片手のグラスを持っていて、どうもそれがオンザロックと掛けているらしい、中々セクシー・ジャケ。
二枚目のLush Life(Atlantic)は、女性の横たわった後ろ姿で、これまたセクシー・ジャケという可笑しさ。
三枚目が当作品でありセクシーとは言えない、大企業なので真面目なジャケなんだなあ。
セクシージャケの話をするつもりではなかったんだが.....

(写真)1枚目当作品、2枚目On the rocks、3枚目Lush Life.

レコード
2024/11/22

私がかつて沢山のレコードを持っていたのは、たったひとつの理由「もっと聴きたい」という思いにつきる。
これだけ集めたから、もういいとか、もう沢山とか考えた事は一度も無かった。

もっと聴きたい、もっと聴きたいと、心に響く音楽を聴き、良い音を聴き、心にやすらぎがあり、また、ジャケット・デザインに美しさを見つける喜びであった。
更には学習意欲でもあって、子供の頃から勉強嫌いの私が、たったひとつ学習意欲に燃えたのもレコードだった。
人生初めての「知識欲」であった。

レコードが好きだったんだ。
その挙句が、レコード屋の親父になった。ジャズ喫茶の親父は尊敬されるけど、レコード屋の親父は嫌われると、当時に言われていたので分かっていたが、私はレコード屋になった。
その結果、ジャズ喫茶の親父以上にさらに多くのレコードを聴く事ができたし、評論家とは全く逆の聴き方になった。
要は音楽家に意地悪な評論をしなくなったし、もしろ販売する側として、たった一枚だけ入荷したレコードを売るために、その美点を見つける聴き方になった。なにもそこまでしなくてもと思いながら、私個人の能力の開発のような感じになった、それが、本当に良かったと思っている。

お客様には尊敬はされないが、仲良くしてもらえるしね。
ネットの評判は悪いらしいけど。

映画で
2024/11/21

映画をたくさん観た結果、アメリカ映画を観ていて翻訳に違和感がある。

訳し方が、妙に日本的というのか、日本の若者に迎合しすぎるのか、まるで日本のドラマを見ているような感じである。
日本語の言葉使いも悪い。

アメリカの映画を観ることの一つに、アメリカ人の生活を垣間見る楽しさ、思想的、社会性、人間関係の面白さがあるのだが、それが、訳し方一つで白けてしまう。
時に、アメリカの韻を踏む言い方も、訳が困難な時は横に英文を小さく書くとか、あるのではないか?とも思う。

と、言うものの台詞の半分も分からない私は、字幕がないと非常に困る。

戸田奈津子さんという名翻訳家が現われて以来、増々意訳、異訳が多くなった。
出来れば、日本の若者語を多用することなく、綺麗な言葉使いにしていただきたい。マイルドヤンキーだけが、洋画を見るわけではない。
そうでないと、アメリカ人は世界一下品な下等民族だと思い込んでしまう。
そうかもしれないが一応儀礼的にも悪くしないようにしないとね。

だが、欧州や他国物などには何とも言える立場にない。
残念。




CLIFF JORDAN “CLIFF CRAFT
2024/11/20

CLIFF JORDAN “CLIFF CRAFT” BLUE NOTE 1582 (USA)

ジャケットのデザインはオリジナルでこその、得も知れぬブルーノートの良さが出た作品である。
クリフ・ジョーダン本名クリフォード、は非常に素晴らしい、ハード・バッパーであって、暗さがあって、元気で、まさに味わいがハード・バップそのものであった。

彼は1931年生まれであるから、ちょうど1957年前後の年と言うモダンジャズの絶頂期に照準を合わせて生まれて来たような人である。しかも、高校の同級生がジョニー・グリフィン、ジョン・ギルモア、ジョン・ジェンキンスがいて街で一緒に演奏していたというのだから、ジャズの申し子といっても嘘ではない。
彼はソニー・ロリンズの影響を感じさせるテナー・プレイヤーで、メロディアスで温かみのある流れの演奏者である。

A面は彼の作曲によるもので、A−1のLaconia(ラコニア)は彼のミドルネームである。
この出だしが私は大好きで、アート・ファーマーとの風情により、結局クリフ・ジョーダンのファンになった一曲であって、(モトエ)...
そのままエキサイティングだが洗練ある演奏は、いかにも当時のハード・バップで、ここには最早ファンキーな感じはなく、新しいジャズが来た事が理解できる。
B面はスタンダード曲の演奏で、B1がConfirmationでここでは、よりロリンズ風で低い方から高い方まで伸びる素敵な演奏を聴かせる。ジョージ・タッカーのベースラインも気持ちが良い。
2曲目はエリントンのSophisticated Lady、やや遠慮がちに可愛らしい演奏で、クリフ・ジョーダンの人間性がでたような素敵な演奏である。

不思議な事に、かつてクリフ・ジョーダンはあまり重要視される事もなく、スイング・ジャーナル等でもあまり目立つ記事は無かった、しかし、我々世代のブルーノート・フアンにとって、彼は欠く事の出来ない重要なテナー・プレイヤーであった。

ところで時々聞かれる、CLIFF CRAFTとはどういう意味になるか、考えたが単に「クリフの技術」とするのか、「崖っぷちの技術」とするのか、ちょっと分からぬ。まあ、語呂合わせでいい事にする。

私もブルーノートのオリジナル盤の蒐集に夢中になっていたのだが、入手は困難であった。
私の友人は75年頃結婚したのだが、新婚旅行を西海岸に決め、一日を当時レオン・レビットというオークション・ディーラーの自宅訪問に決めていて、行ったのはいいが、いきなりの訪問は失礼だと叱られ、それでもこれが欲しいと2・3枚のブルーノート盤を書いた紙を見せると、渋々、倉庫からこのレコードなどを持ってきて、普通は150ドルで売れるのだが、大サービスだと100ドルづつで売ってくれたそうだ。けんもほろろの対応にがっかりして帰国した。今の値段にしたら相当の価格であったが、とにかく我々はレコードに飢えていた。
私は私で結局、アメリカのメール・オークションで結構な価格で入手した。
給料つぎ込んで、レコードを買っていたんだなあ。
今更だが、妻に詫びる。

昨日のアンプの続き (マランツ8B)
2024/11/19

実は、半年前に「EL34」を4本セットで購入していたのだが、風邪から病気になり調子が悪く、身体が悪ければ心も悪く、そのまま箱も空けていなかった。
昨日の「6L6GC」の交換で気分が盛り上がり、つぃでにやってしまおうと思い立った。
アンプは、「マランツ 8B」。

今まで付けていたEL34も結構古い物だったのだが、掃除のし過ぎでプリントが剥がれてしまって、テレフンケンだと思っていたが、もう、忘れてしまった。
詳しいマニアは中の形で分かるようだが、私は無理。

それで、購入した真空管を見ると確かにGEだが、made in britaine と書かれている、GEがブリテン? 半年前の事を修理屋に訊けば、OEMでムラードが作っていた時代のものだそうで、ちう事は古い、また非常に珍しく、1962年製でしかも新品だという。
それならば間違いない、年度も分かっている新品は珍しい。

期待して付け替えてみると、シャキッと目覚めたような素晴らしさ。
ああ、やっぱりなあ、と大いに感心した。

しかし、相方の「マランツ・セブン」は製造が15,000番台の程度の良いものだが、期待してドンドン、最初期のオリジナル・パーツに換装した結果、非常に上品になった。なったは良いがジャズにはちと上品すぎる。
あとは、自分で真空管を試してくれ、と言われているのだが、遅々として進んでいない。
なにしろ「セブン」は「12AX7」が6本も使っている。
その最初の3本を替えて行って様子を見るのだ、だが、付け替えて音が落ち着くまで暫く鳴らしてみて、また同じような作業をやって、とやっていると、一週間もかかって気が遠くなってしまう。それにある程度、古くて良い物など3本揃って出る事など、まれで、まして6本など出る事は、もう考えられない。
レアな初期物ももっているのだが、なぜか各社一本づつである。ステレオになりにくい。
一度、松下電器のがあったので、試した事があるが、合格点を上げられる良さだが、やっぱり音質は中庸かなとなってしまったのである。

モトエ
それで、マッキンのC−11と組み合わせたら、きめ細かくて、音楽として非常に良い出来だった。文句なかった。
だけど、マニアとしてはマランツはマランツ同志、マッキンはマッキン同志、でないと気持ちが悪い。
しばらく、マッキン11と30の組合せを楽しむ事にした。

どうしたもんか.........

真空管(アンプ MC-30用)
2024/11/18

知合いのアンプの修理屋さんから、こんな真空管があるからと送って来た。

マッキントシュのパワーアンプ「MC240」または「MC30」に付ける「6L6GC」。
かなり古いもので大きくRCAとプリントがあるが、印刷は少し薄くなっている。

240に付けるか、30に付けるか迷ったので、まず現行の確認で聴き比べで、ジャズは30がやや元気があったので、30に装着と。

結果は、音のクッキリ感が出て、メリハリが付いた。
力強さ出て、ピアノのノリが違う、ベースもゴリっと感も感じじられる。
数時間はそのままで聴くべきだが、気を良くして、トップの12AX7を、長年仕舞ってあったムラードの初期物がペアであったので付けると、更に良い感じで、興奮した。
今回は珍しく、いい感じである。

プリアンプを「C−11」にして「MC30」との組み合わせで暫くは行く事になった。

真空管を替えていると、時々、良い音になってはいるのだが、上品になってしまって、クラシックには良いけれど、ジャズにはちょっと物足りない事もあるので、個人的に良い品物だけを絶賛するわけではない。
だけど音は良くなっているわけで、どうにもこうにも、言いようがない。

(写真、MC30 X 2台 並べると芸術的でもあり、マッキンのトランスは大きくて迫力があるので、見栄えがする)

お昼は
2024/11/17

私は仕事休みで無理矢理家内をランチに誘い、クルマで10分ほどの所にあるショッピング・センターのアピタへ行く。

ピザ屋で一枚づつ食べて、2・3軒隣にある、私の本当の狙いの先は、そうミスター・ドーナツ!

新商品のこんなドーナツが。
食べてしまった。

Bー29って知ってますか
2024/11/16

先の戦争の話、
B-29がやってきて大空襲(虐殺)があった。その事に関して、戦後は日本が悪かったからだと、ただただ、殴られっ放しの戦争体験として語られて来た。
それで、その事に関して私は調べたが、どれも日本の戦闘機などは役立たず、となっていた。

しかし、信用できる作家の城山三郎の本の中に、B-29を撃墜した人が登場する。
もっと調べる気になって、少しばかり本を調べたりしていると、おやっと思う面白い事が起きた。

その勇敢な人の名前が当店のお客様と同じ苗字だったので、尋ねてみたら、なんと、倉本十三という父上だったのである。

話によると父上はB-29を6機撃墜していた。
知る人ぞ知る英雄であった。
自宅には多くの戦記物の作家、雑誌記者など、出版関係者たちが来ていたらしい。
その中で、城山三郎さんは静かで上品で、非常に立派な紳士だった印象を語ってくれた。
城山さんの本には、勇ましい戦いぶりではなく、その後の人生の生き方などを書かれている。

B-29は当時世界最高の4発の大型爆撃機であり、プロペラ機でありながら高度1万メートルを飛ぶ。しかし、実際の爆撃では8千メートルくらいに下げてから投下しても、爆弾は目標から大きく外れてしまう。結局3千メートルの高度まで下がってから落とすことになる。日本の迎撃機は3千メートルくらいしか上昇できないが、それに付け込んで攻撃するのだそうだが、B-29は隙がなく、後部にも射手が構えていて撃って来る、その弾丸をかわしながらの撃墜で攻撃のチャンスを狙って撃墜、もしくは撃破したという、並外れた運動神経もあろうが、夜目が利いたためでもあった、と本人は話していたようだ。

B-29の撃墜は「飛燕」「屠龍」などの機種が知られているが、父上は「月光」に乗っていた。

B-29は少しくらい弾が当たってもビクともしないらしいが、大戦中に日本が撃墜したB-29は485機といわれる。因みにB-29の出撃は延べ3万回以上となっている。 負け戦の、少ない兵力、乏しい機材でよくぞ戦っていたものである。日本人は偉いと思う。

しかし、敵の弾丸をよけながら、と簡単に言うけれど、弾丸をよけるとは如何なる状況か。死の恐怖を抑えて尚、命を懸けて挑むその精神たるや、今の我々には及びもつかぬ。

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