HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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年を取ると言う事は....
2017/12/29

札幌のKさん、最近は身体の具合が悪いからとレコードの注文も無かった。
そんな時に連絡するのもレコード屋として図々しいなあ、と思いご無沙汰していた所、年末に喪中のはがきが届き、7月に亡くなったと。
なんともショックで、知らない事とは言え葬儀にも行かない我が非礼を詫びた。
奥様から「これからも不安や寂しさは続くと思いますが、家族で力を合わせ乗り越えていきたい...」と気丈な、かつ美しい文字の手紙を受け取り、私はなんとも言えぬ悲しみを感じた。
私よりずっと若くまだ10代のお子様もいらっしゃる。

一方、汝窯青磁の陶芸家、島田先生も、年末なので久しぶりに電話すると奥様が出て、2年前に亡くなったと。
これも非礼を詫びると、「個展を楽しみにしていたので、先生の作品作りの環境はそのままにしてある」と言われた。深い愛情を感じ、こちらも悲しくなった
私は景気が悪いのを理由に、ご無沙汰をしてしまった。
なんとも申し訳なく、また我が不人情はどうしようもない。

しかし、周囲の人が毎年少なくなって行く。
年を取るのはいやだねえ。
さよならだけが人生か....

YOUは何しに日本へ!
2017/12/28

8月に放映された「YOUは何しに日本へ!」。
先日、なんと続編の撮影が行われた。

あの時の外人STEVEさんが、再度レコードを買いに来て、また大貫妙子のライブに行き、そこで面会を果たしたいという本人の希望が叶うかという計画であると。

前回、かれのツイッターに日本人の方々から、あの時のあのレコードをなぜ買わなかったのか?とかこれを買った方がよかったとか、色々サジェスションがあったらしく、本人もそれならばもう一度ハルズに行き、買ってなかったレコードを購入したいと、戻ってきたものである。
それも突然。

やらせの無い番組らしく、大変な撮影であった。
という事で、私も撮影に駆り出された。

しかも、例によって放映されるかどうか知らない。
放映が決まった際には、またここに掲載する。


管球王国の取材の事
2017/12/27

先日は管球王国の取材でステレオサウンド社に出かけた。
今回は、ある曲の78回転SP、同じ曲の10インチ盤、同じ曲の12インチ盤の聴き比べであった。
準備された装置に、イコライザーカーブ可変のEMTフォノイコライザーを使用させていただいた。

曲はマイルスのDear old Stockholm
同じく スタンゲッツによるDear old Stockholm
チャーリーパーカーのAu Privave
バドパウエルのTempus Fugue-it
チャーリーパーカーのLover man
など、ジャズ・マニアには有名すぎるほど有名な曲ばかりであるが、一般的にはどう映るかは私にも分からぬ。

それにしても今回のトライによって、SP、10インチのカーヴを合わせた聴くことの重要性と音の良さがはっきりと認識できた事は、大変な収穫であった。
また、往々にしてSPが最も音がいいからSP、SPと声を大きくして騒ぐ人もおられるが、そうではなくて、10インチには10インチの完成された音が、また12インチ化された時には、音楽として時代に合わせた、聴き易い音作りになっていることを認識させられた。
それなりに、その時代に合った音を作っていた事の凄さを理解した。
簡単そうで実は非常な名人芸であった。
いや、当時の仕事人は並外れたマニアだった。
分かっていたのだが、改めて評論家も交えて、試聴した事は非常に重要な事であった。

我々にも勉強になった一日であった。

ドラマ陸王
2017/12/24

テレビドラマはほとんど見ることがないが、なぜか初回を見てしまったために、ずっと見ることになってしまったドラマ「陸王」。
ちょうど家内が旅行でいなかったので、一人で夕食を食べようとテレビを付けたのがいけなかった。初回を見てしまって以来、最終編まで見るはめになった。
話の筋から何かが引っかかるところがあったからで、うちのお客様に元埼玉銀行の方がいて、ドラマの銀行員とその人がダブってしまった事、そして、更に、もう一人のお客様が行田の出身だという。
更に更に、ちょっと前に鴻巣市の友人がわざわざ届けて下さったお菓子。
これぞ、私が以前日記に書いた、あの十万石まんじゅう。

それが劇中に出てきて寺尾聡が「なんだこんな饅頭なんか」という場面。
お陰で陸王という饅頭を売り出した所、午前中で完売の大騒ぎだという。
私も美味しい饅頭を頂いた。
CMのうまい、うますぎるが県内のみ超有名で、子供が給食で「うまい」というと、必ず誰かが「うますぎる」と返す、という事になっているらしい。

それでもう、こちらも盛り上がってしまった
きっと3回ほどで終わるような気がしていたのだが、なんだかんだと、話を引っ張るものだから最後の方は、私の息も絶え絶え。
やっと本日最終回。
島谷君じゃなかった、陸王を履いた茂木君も優勝してめでたしめでたし。
思わず応援に力が入ってしまった。
しかし、なんだなあ、 3回で終わっていれば、大名作になっていたものを....。

  風が語り掛けます、うまい、うますぎる、十万石饅頭。
   (https://www.youtube.com/watch?v=fMYQYO7bvrc




ユズ
2017/12/23

我が家の庭に柚子(ユズ)がたわわに実っている。
庭木なので花柚子といい小粒である。

所が、塀の外側に一つだけなぜか大粒の通常の実がなっている。
家内が、その実を冬至の22日に採ってお風呂に入ろうと計画していたが、案の定、22日の朝見たら消えていた。
通行人も、ちょうど歩いていると、手が届く場所に成っていたので、その日まで持つかなあと考えていたようなのだが、惜しかった。
まあ、人生そんなものである。
とはいえ、欲しい人がいてくれたのも幸せというものである。

小さいのを5・6個採り、冬至の一日遅れで柚子湯につかった。


  医者通い 一日遅れの 柚子湯かな

お墓の話で
2017/12/20

今朝のHNKでお墓の話をしていた。
私など死んだら野となれ山となれの心境でいるので、その辺りに捨ててもらいたい、お墓などいらないので、どうでもよいと思いながら見ていた。

面白かったのは、せっかくお墓を買ってあっても、その墓に入れない人がいるという話。
要は本人は決めたものの、亡くなってしまうとその事を誰も知っている人がいなくて、周りの人が仕方なくどこかに決めて入れてしまう。
なんの意味もなかったというケースがあるらしい。

それを見ていて、私たちの商売も似たようなものだなあ、と可笑しくなった。
生前はあるレコードショップと仲良くしていて、一緒に食事をしていたり話し合っていたとしても、亡くなってしまうと、決定権は遺族や親せきに移るわけで、どこか適当なショップに売ってしまう。
という話。

死人に口なし。
本人にとって都合の悪い事もそうだが、重要な事であっても死人に口なし。
まあ、人生はそんなものである。


ELMO HOPE “HERE’S HOPE”
2017/12/19

ELMO HOPE “HERE’S HOPE” CELEBRITY LP#209 (USA)

さても、さても レア盤である、これぞ幻の名盤。

かつて本物など一度も見た事はなかった、そんな頃アメリカの再発盤が入ってきて、大騒ぎで購入したものの、冴えない音で、大いにがっかりしてすぐに売り飛ばしてしまった。
しかし、こうして改めてオリジナル盤を聴いてみると、出来が違っていてグイグイ来る演奏に脱帽、大いに満足である。何年振りであろうか?

エルモ・ホ−プという人のアルバムもコレクターに取って大変厄介な人である。
なにしろほとんどが幻の名盤と言っても良いほどのレア盤。
まず、53年初レコーディングの NEW FACE NEW SOUND (BLUE NOTE 5029)はトリオ名盤、
続く54年同社のQUINTET(5044)は脚立のジャケでなんとヴァン・ゲルダーの愛犬が一緒に写っているのも価値は上がる。
55年のMEDITATION(7010)はPrestigeに移動して、非常に珍盤で水色の上品なジャケである。
同じく55年HOPE MEETS FOSTER(7021)は、かつてセカンドのジャケットであっても大変な高額盤
次の56年INFORMAL JAZZ(7043)は、収録の「ポルカ・ドット・ムーンビームス」などはこの曲の大傑作の呼び声高く、めったに出ない上に大変な相場である。
と、ここまでデビュー作から順に並べただけで、とんでもない金額である。
というマニア垂涎、幻の名盤のジャズメン代表でもある。
初心者には縁のない、マニアのための作品群なのである。
という話は置いといて、この作品。
61年の録音というのだが日にちは不明で、同じ時にもう一枚作っていてこちらはBEACON(401)というレーベルから出されている、しかし、社名の書き方が違っているだけで、ジャケットの体裁はほぼ同じで、かつてはどちらが再発だのどうのと大いにコレクターを迷わせた。
さて、作品はメリハリあるコロコロとした音の運びで、また実にパリっとした良い音で、名盤・廃盤としていささかも落ちる事はない。
面白い事に演奏時間が短い。10インチにでもしようと思ったかのような、或いは一つのアルバムにしようとしていたのを、お金を出した人が二人いて、途中喧嘩別れになり、2枚になってしまったのであろうか?
興味深いところである。
さて3・4分の曲が片面3曲づつなのであるが、その内容たるや、聴けば大好きになってしまう高水準の出来である。
まあ、演奏時間が短いという事はミゾの間隔が広い訳で、音の良いのも頷ける。
再発盤とは違って、コーティングもあり、渋さもあり、いかにも廃盤然としていて、私も欲しくなってしまった。


横浜市のゴミ
2017/12/18

横浜に移って今もなんとなく憂鬱になることが、ゴミの分別。
かつて、ゴミ分別のリーダーと自負していた東京都の主婦層から、横浜はなんでも燃やしてしまう後進国と馬鹿にされていた時期もあったが、なぜかその後は逆転し、東京都が非常に緩やかになって実に生活しやすくなった。
しかし、馬鹿にされていた横浜が奮起したのかどうか知らないが、今や猛烈に面倒な街になった。
オマケに清掃員が中を開けて見るという暴挙にも出た。

その中にあって、もっとも分かりにくいのが「プラ」の扱い。
プラとはプラスチックの事かと思うので、プラスチックならなんでも一緒に捨てて良いのかと思いきや、どうも違うらしい。
それで、回覧板のゴミの概念を見ると、なんとちゃんと書かれていて「プラ」とは協賛金を払っている業者が「プラ」マークを付けられるもので、その商品群を指すものであって、それ以外は「プラ」ではないと。
プラスチックであっても「プラ」ではないこれいかに!
という話で異なる種類であるらしい。
不思議な概念である。
ただし、発砲スチロールなどはプラで出せとなっている。
うーん。

また、プラに貼った値札のタグを離さにゃと思い、せっせと剥がしていたら、家内に、その値札はプラよと言われよく見たらプラマークが印刷されている。

オジサンもう何がなんだか分からない。

SLIDE HAMPTON “THE FABULOUS”
2017/12/17

SLIDE HAMPTON “THE FABULOUS” EMI/PATHE C062-10156 (FRANCE)

このアルバムは二つとない出来映えである。
メンツを見ると、当人、ヨアヒム・キューン、ペデルセン、フィリー・ジョー。
この中から誰が抜けてもこうはならなかった素晴らしい人選である。
出来るべくして出来上がった傑作である。
今日のジャズの聴き方、そのどれにも違う事なく迎えられるはずで、クラブジャズ、レアグルーブ、前衛好き、ハードッバップ好きなど、だれが聴いても感心するはずである。

いつも言うのだが、彼はアメリカにいた頃も悪くなく、しっかりと聴けばなるほどと頷く好演奏であるが、どちらかといえば、一歩引いた印象も無い訳では無い。
と言っても、芸の経歴は輝かしいのだから、リーダー的な人達からは認められていたのだ。
それがだ、ここからが大切なところなのだが、1968年Woody Herman楽団で渡欧した事がきっかけで、そのまま残り、77年まで滞在する。
この時期こそ彼の音楽人生を大きく変えたと言って良い。
渡欧中の作品群を改めて見てみよう。
69年 当作品 the fabulous。
71年 Umea Big Band In Montreux。
71年 B & S 。
72年 Life Music (Carosello Italy)
72年 Jazz a Confronto no. 18 (Horo Italy)
74年 Slide Hampton Big Band  (Supraphon Czecho)
その他、MPS等にも多くの演奏を残しているが、何しろ欧州滞在の出発点のこの大成功が大きかった。
その勢いは続き、スエーデンでは非常に評価は高かったようで彼も意気が上がった。
UMEA BIG BANDを聞けば納得できる、実に信じがたいアレンジと演奏の連続で、聴いていて血沸き肉躍る演奏である。
ニューヨークで培ったジャズ・スピリッツと欧州の音楽家達の卓越したテクニックが出会った時、彼には己の音楽の表現の枠が広がった事にさぞワクワクした事であろう。
彼の音楽アレンジ能力がここに開花した。

これらの一群の作品に共通しているのは、スイング感、サウンドの凝り方は当然として、なによりスピード感というか新しいノリの良さが、前衛的な音楽までも飲み込んで、グングンと進む様は聴けば聴くほど圧巻である。
その下を支えるフィリー・ジョーのアーシーなドラミングが又絶妙。

正に伝説=FABULOUSで、例えれば、王者の凱旋を見るが如き勢いは、揺るぎない芸術性を保ち続けている。
長い間ジャズを聴いた幸せ感を感じるところである。

この時期のフランスのPATHE(パテ)レーベルは不思議にソソられる作品ばかりである。


ネットで偶然に出てきた
2017/12/16

ネットで偶然に出てきた音楽関係者らしい方の書き込み。
安芸光男さんという方でその内容。

内容はこんな感じ。
私たちはまずなにより、「日本は──」とことばにして言うだけで、いくぶん心地の悪い、落ち着かない感覚におそわれる。これはきわめて不自然なことなのだが、しかし実際そうなのである。このことは先の戦争の忌まわしい記憶からばかりでなく、......。
という内容。


さて。
私たちはという所にひっかかる。
なぜかというと、「私たちは」この方が言うほど、日本に誇りが無い訳でもなく、反日でもないから。
この場合は「私は」という言い方に変えていただきたい。或いは「私とその周囲の人は」に。
この方はきっと反日の方なのだろうと思うのだが、しかし、私たちという言い方で、日本を愛する日本人が存在しないかのような表現を平気ですることに驚いた。

大変だね、反日の方は。
でもまあ、人それぞれだなあ。

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