HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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お客と芸人
2025/01/31

客に批判されて、「じゃ、お前がやってみろよ」と言った芸人がいた。
それを見た、ある芸人が言った。
客を馬鹿にしている芸人は、客から馬鹿にされていることに気づいていない、と。

そのとおり。
ジャズメンにも言えるんだよ。

淡谷のり子
2025/01/30

昔の歌手の中で、淡谷のり子は好きだ。

ある、番組に出演した時、司会者が「日本のブルースの女王」と紹介した。
即座に淡谷のり子が反応した。
「あたしのはブルースじゃないわよ、あれは唄の題名よ!」。
流石である。
いいねえ。

ほかのテレビ番組で何かの話しをしていた。
「あたしね演歌って嫌いなの、演歌歌手って、貧乏くさい唄を歌って、それで一番お金があるじゃないですか」
その通り。

ジャズの廃盤屋など..........
2025/01/29

私は時々、こんな人生で良いのかと、落ち込む事があった。
うなだれて考えている内に、1千万人いる東京で、ジャズの専門店などやっているのは、一体何人いるのだろうかと考えると、数人しかいない事に気が付き、元気が出て来るのであった。

開店して最初のうちは、お客に「お宅も、こんな商売はアレでしょ、あっちの世界の人なんでしょ?」などとあからさまに普通の人間では無いような言い方をされた事もある。
いきなり来て、自分のコレクション自慢をしている「こんなレコードをもっているか?あんなレコードがあるか?」と絡んでくる客もいたが、長くやっている内に、そんな不躾な客もいなくなってくる。

良い客が残るのだと思った。
こうして25年。

有難い事だと、つくづく思う。

ウーバー
2025/01/28

最近、新宿の街をクルマで走っていると、ウーバーが随分、減った事に気が付いた。
コロナの収束と共に、ウーバーを利用する客が減ったのだろう。
ある意味、良い事である。
何しろ、道交法など無い物のように、我が物顔で走り回る自転車が危なくて仕方が無かったからである。
本当に、怖かった。

それに、ガード下の浮浪者たちと一緒になって寝起きしているウーバーのお兄さんたちも見なくてすむ。
食品を運ぶ人が、浮浪者と一緒に飲んでいる姿は、あまり清潔とは言い難い物がある。

ご自分で食べに行くのが良いんじゃない?

フジtv
2025/01/27

フジテレビの不始末でCM辞退続出。

CMで思うのだが....
ギャンブル、酒、たばこ、おもちゃなど子供に悪影響を及ぼすコマーシャルは良くないと言われているのだが、無くなったのはタバコのCMだけである。

ギャンブルなど膨大な数が流される。
ビールなど次々と流される、小さくお酒は20歳からと書かれているのだが、見えるか見えないか分からないのが実態。
高校生の飲酒も馬鹿にならないらしい。

折角なのだから、ギャンブル、酒類、など、この際止めてもらいたい。

私の青春
2025/01/26

トイレに起き、もう一度寝ようと取敢えずラジコの音楽番組を聴いていたのだが、乗って来て余計に目が覚めてしまった。
番組では次々と映画音楽やポップスが流れて来て、昔の自分が懐かしくて聴き入った。

それで、己の10代の青春はどうであったか、と考えて込んでしまった。
なぜなら、私の10代は何か思い出したくなるような素晴しい出来事が無かったから。

高校時代、クラブ活動もしなかったし、汽車通学でもあり当時のJRの前身の国鉄でも1時間か2時間に一本しかないわけで、帰宅部として授業終了と共に学校を出る。
ガールフレンドはおろか、つるむ友人もいなかった。楽しそうな級友がまぶしかった。
私は卒業後は家業の材木屋になるつもりであったので、毎日学校では淡々と過ごし、まるで受験を控えた優等生のようだが、勉強などあまりせず、どちらかと言えば目的もない生徒だった。
ただみんなとちょっと違う所は、私には読書とか、ラジオでポップスを聞くという趣味と、学校のある街で一軒しかない映画館に時々やってくる洋画を見るという趣味があった事くらいである。

当然の事ながら、周囲にはポップスを聴く子などおらず、音楽の話題で友人との接点もなかったので、かなり孤独だった。
高校を卒業すると逃げるように東京に出た。
卒業と同時に同級生とは疎遠になった。
その代わり東京で音楽好きな友人も出来て、それで少しは気が楽になった。

学校というところは、つくづく残酷な場だと思ったのだった。
まあ、良い青春では無かったなあ。

ところが、その高校時代にあらゆる意味においてしっかり学習!し、そして、人生の役に立つようにしていった人たちもいるのだ。残念に思わないわけではない。

私は、好きでない学科を勉強する事が苦痛な質であった。好きな本を読んで、好きな音楽のレコードの学習をして、およそ世間の出世などという事とは縁遠い人生であったが、最後は好きなレコード屋になったが、これも水の流れるような不思議な流れであった、人生とは分からないものである。ある意味、幸せな人生になった。

通販リスト
2025/01/24

明日、1月25日 通販リストの更新をいたします。

よろしくお願い致します。

寒い
2025/01/23

寒い、寒いとこぼしているのだが、ふと、思い出した。

それは北欧での事。
寒い雪もちらつくような昼間、街を歩いていると、なんと戸外に乳母車に入った赤ちゃんをほっぽりだしている。
私は驚いて辺りをキョロキョロ眺め渡すも、誰もいない。
困ったぞ、と思って立ち止まっていると、上の方から女の声がして何やら怒鳴っている、言葉が分からないそぶりをすると、英語で、ドン・タッチと怒鳴る。
「何故、ここに赤ちゃんがいるのか」と訊くと、「それで良いから行ってくれ」というので、帰って来た。

後で、人に訊くと、それはこの辺りでは昔から当り前の事で、赤ちゃんを寒さに馴らす為の訓練だと。
驚いたね、あれには。

この名、生まれは、変えられぬ
2025/01/22

長七郎江戸日記、見ていたらうまい事を言っていた。

 この名、生まれは、変えられぬ。
 しかし、生き方は選ぶことが出来る。


美空ひばり
2025/01/21

そう言えば、年末に美空ひばりの不死鳥コンサートをテレビで見た。
渾身の力を振り絞ったライブであった。
これほどの声、これほどの歌の上手いプロ中のプロは今後出ることはあるまい。

しかし、楽曲はほとんどが最低のレベルの曲ばかりで、非常に悲しい。
シングル盤が300枚以上あるにも関わらず、考えてみれば、良い唄と思えるのは、「悲しい酒」「リンゴ追分」「港町十三番地」「東京キッド」「悲しき口笛」くらいではなかろうか。
あれだけの優秀な、日本を代表する歌手が、なんとも悲しい事である。

子供の頃から芸能世界に身を置いたから、取り巻きがヤクザだけ、結婚もヤクザ任せ、兄弟もヤクザ、芸能界だからと言えばそれまでだが、それにしても大人になってからの歌に良い曲がない。
最高の歌手が最低の唄を歌って金をもうけていたのだと思うと残念だ。
人間、教育・学習は大切だとつくづく思う。

私は、美空ひばりを思うとダイナ・ワシントンを思い出してしまう。
それは、ダイナ・ワシントンが酒浸りでショーが始まるとウイスキーをダースで楽屋に運び込み、そのまま楽屋で寝泊りし、酒浸りになっていき、そうやって晩年になって行くと、相当、声質が落ちて来るのだが、下り坂に来た時に、声が美空ひばりに似て所があるので、面白いなあ、と思っているのだ。
どちらも、すごい歌手だなあ、と思うのであるが、ダイナのほうが結婚を8回もして、良い悪いはともかく、自由に己の道を突っ走り、良い唄を残した所などダイナは偉いなあ。
それからシャンソンのエディット・ピアフなどは葬儀の日、自然発生的に国葬のようになり、雪崩を打って人が押し寄せ、弔意を示し閉めたレストランや商店など数知れないという。
今でも彼女の歌は大切に思われているらしい。


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