HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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映画「嵐を呼ぶ男」
2022/07/26

NHK・BSで、石原裕次郎の映画代表作「嵐を呼ぶ男」を見た。
若い頃から何度も見たのだが、この映画は何度見ても面白い。

まず、北原三枝の足の長い事、それに洋服が似合う事と言ったら、ファッション・ショーに出ているかのようなモード最先端の服を着ても、外人女優に引けを取らないほど素敵であった。
映画の中でチャーリーという敵役のドラマーは、当時のジャズ・ボーカリストの笈田敏夫というのも面白い。本物のヤクザのような顔つきだが、確か昔の私の記憶では、この方はヤクザと一緒にユスリをやっていたりして刑務所に入った経験があるはずである。本物のヤクザだったんだ、今だったらNHKの紅白にも出られない。昔は、良い時代だったんだ。
裕次郎のドラムの音は、当時の人気ドラマーの白木である。
それに私の好きな芦川いずみが若くて純朴そうで可愛い事といったら。

ところで劇中で話を作って行く役が、ジャズ評論家なのである。
これが調子の良いヤツで、あっちに転がり、こっちに転がりと言う嫌な男。

見ている内に、これって、そのまま、日本のジャズ評論家だ、と思い至ったのである。
評論家などという商売はまともな人間がいるはずも無い。
それはそうだ、他人の作品をケナしていれば、成り立つわけで、演っている方はヘイコラするものだ。
評論家なんて、とんでもない人間だもの。
ジャズのマニアの中にはそんな評論家に憧れて、なりたい人が沢山いるらしいね、ダメだよそんなのになったら。
って、別に評論家に恨みは無いんだけど。

そうそう話を戻して。
この映画が封切ってすぐに大ヒット、日活の裏方さんたちが、これで給料の遅配が無くなる、会社が潰れないで済むと、ホッとしていたという裏話もある。
裕ちゃんのお陰で日活は息を吹き返したのだ、いやそれだけでなく、映画界全体にも波及効果があって、映画産業は上昇したのだ。


こんな事を書いていいのかどうか?
2022/07/23

ここ2か月ほど、私の口の中に歯肉炎が出来ては消えしていて、頻繁に掛かりつけの歯科医の世話になっていたのだが、あまりに辛いので、抜歯を依頼した所、先生から「池田さんのような放射線治療した患者さんは、抜歯は出来ないと思いますよ、是非一度癌の手術をした大学病院に相談に行って下さい」と言う事で、大学病院に伺うと「抜歯は無理で、しない方向で治療して行って下さい」だと。
非常に暗い気持になった。

上顎洞癌になれば、癌の切除、放射線70グレイ、抗がん剤、と目いっぱいの治療を薦められる、そこで治療中の副作用は説明を受けるが、その後、何年も後の副作用についての説明は少ない。
今の医者は、患者が一日でも長生き出来る事が最大の目的・喜びであると断定しており、その後の生活の為の身体の手当の憂鬱さについては、生きているから我慢せよと、苦痛が無視されているのが現状である。
私は、治療後の希望に満ちた生活を夢見ていたから、そこまで、考えが及ばなかったのである。

今の私には幾つかの身体のダメージが残った。
頭皮のかゆみ・ふけ。
皮膚も弱くなり蚊に刺されただけでグジュグジュとなる。
放射線による緑内障。
鼻の中の粘膜が消失した事によるハナが出てこず中に溜まってしまうので朝晩、生理食塩水で鼻の中を洗浄する。
虫歯や口内炎、歯肉炎、口の渇きがある。誤嚥などもある。
すぐに風邪を引くなど免疫が弱くなった。
その他、鬱になりそうな精神的なダメージから立ち直れない。
様々な問題を抱え、めげそうになりながら治療を続けているのである。寝る前にはいくつもの手当をして、かなりの時間を費やす事になる。
通院は欠かせず、他の病気が出た時など、週に5回も病院通いをすることもある。
現在の保険制度の中で目いっぱい利用させて頂いていて、とても文句など言えない。

サイバーナイフという放射線照射の技術が上がったからと喜んで治療を受けたのだが、結局は決して夢の治療方法でもなかったのである。
勿論、私より更なる苦労している患者はおおい。
それでも言う、私は大学病院の治療のために、ずっと、ずっと苦しんで行くのだ。

先日、偶然ラジオで聴いた、理化学研究所が新治療で頚頭癌患者を募集していると。もし、私が今、癌が見つかったなら、すぐに飛んでいき、私も利用して下さいと、叫ぶところである。
放射線や抗がん剤など、毒物を使った治療が最良の治療などと言わなくても良い時が、訪れる事を望むものである。
毒物は所詮毒なのである。
それからもっと言えば、一日でも長生きすることを、治療の最終目的にしないでいただきたい。

コロナ特効薬の不認可
2022/07/21

昨日、塩野義製薬のコロナのクスリ「ゾコーバ」は不認可。
多くの医師たちが、これで助かると頼みにしていたのが、あてが外れてガッカリムードになったようである。
そもそもアメリカから押し付けられたクスリは無条件で認可、日本の製薬会社には高飛車と正に植民地の傀儡たちが揃っている日本の薬事審議会は尊敬に値しない。
日本人を軽く見て、死ねば良いとしか、思っていない最低の人間の集まりである。せっかく法律を変えて緊急事態の認可のための道を国会で作ったではないか。ああ、なんという愚か者たちの集まりか、厚労省は反省せよ。

妊婦には使用できないとか、不認可ありきであった。
どんなクスリだって妊婦に簡単に使うものか。

最も期待された体内のウイルス量を下げる効果が認められたにも関わらず、不認可とはなんともいかがわしい組織であるかという証明となった。
それになにも言合わない首相も、もはや終わっている。

彼らの名前と住所をネットに晒して仕舞いたいほどの怒りが湧いてくる。

名曲 On a slow boat to China 
2022/07/20

店にちょうど、2枚のアルバムが入荷していたので、聴き比べてみた。名曲「スローボート・トゥ・チャイナ」である。その2枚のアルバムとは、
Ted Brown “ Free Wheeling” Vanguard VRS-8515 (USA)
Phil Woods “Woodlore” Prestige 7018 (USA)
いつぞや、大田区のジャズ喫茶「スローボート」が誕生した時、来店したマスターに命名の理由を尋ねた際の事である。
その場に居合わせた3人、常連と我々で各々予測したアルバム名を上げてしまったのだが、それが全員一致せず、結局マスターがテッド・ブラウンだというので、皆そのセンスに納得したのであった。
というわけで、その時に上げられた作品が2枚揃ったのである。もう一枚は私の上げたパーカーの一枚なのだが、ここには無かったので省くことにした。
という訳で、まずテッド・ブラウン。
このアルバムはウォーン・マーシュとテッドのコンビにアートペッパーが加わった演奏であり、曲によってはフィーチャーされる人が変わるのであるが、この曲だけはテッドのワンホーンであるので、テッドのテナー演奏がたっぷり堪能できる。
テッドの演奏はおおらかな雰囲気であり、大海原にたゆたう小舟を想像させられる。ゆったりした心持で聴くことができる。
しかも、トリスターノ派の上品で高水準のスローボートが、まさに海を行くのである。

そして、フィル・ウッズのスローボート。
ジョン・ウィリアムスのピアノ等とワンホーンである。
バン・ゲルダーの録音でもあり、音質は至って元気漲るパワフルである、しかも24歳と若く、年代も1955年であり、パーカーのスローボートをも連想させるような見事なビバップがある。
観客をもグイグイ引っ張っていってしまうような力強いスローボートである。白い波を立てて海を行く感じか。これも私の大好きなウッズの、気持ちよいアルトである。この時代のウッズの音は張りがあってマクリーンにも負けぬ。

思えば二人ともトリスターノに学んではいるが、ウッズがパーカー=ビバップにより傾倒したところが、Prestigeレコードの作品として、またサウンドも、より合致してハードバップの作品となった。

しかし、こうして原盤を同時に聴けるとはなんと贅沢三昧か。
有難い事である。

猛暑到来
2022/07/19

猛烈な雨の後は、猛暑です。
仕事も休みながら.....

  七月は 脳を休めて 水飲んで


JOHNNY HODGES ”CASTLE ROCK”
2022/07/16

JOHNNY HODGES ”CASTLE ROCK” NORGRAN MGN 1048 (USA)

長い間ホッジスの人気盤であった。
この作品は、1951年にホッジスが長年勤めてきたエリントン楽団を辞めた頃の作品である。
どうも噂によると、お前ならイケルと、ノーマン・グランツがそそのかしたというのである、さもありなん。
勿論、音楽家の多くは功成り名を遂げると、いつかは俺もバンドを持ちたいと考えるのは当然である。
グランツと契約し、第一作が当作品という事になる。
しかも、メンバーの良い所も連れて出てしまったのであるから、エリントンにとって、それは、それは大ピンチであった。
しかし、そこは御大、ホッジスの成功を祈って送り出したのだそうだ。
偉人は心の持ち方がちょっと違うのである。

独立したとは言え、そこはそれ、エリントン・サウンドからきっぱり別れた訳でもなく、ノ−マン・グランツもまたエリントン・サウンド路線で良しとしたのであるから、そのままの音楽スタイルであった。
トロンボーンのレーレンス・ブラウンなどそのままであるから余計、エリントン・サウンドでもある。
テナーのアル・シアーズもまた然り。
幸いな事に、当CASTLE ROCKというジャンプ曲がヒットし、幸先の良いスタートを切ったのである。

もちろん、多くのサックス奏者の尊敬を集めたところの、長いビブラート, 美しい音色で長く引っ張る音色、滑るような滑らかな音の流れは圧倒的であり、マニアの心を裏切る事はない。

所で、彼のあだ名は二つある。ラビットとジープ。
Rabbitについては若い時に警官と駆けっこをして勝ったからだとか、BLTサンドウイッチを齧る姿がウサギのようだったか、色々ある。
Jeepはエリントンが付けて、Jeepと付く曲もあるのだが、理由は出てこなかった。

いづれにせよ、かれはジャズ、スイング、R&Bの間を漂って、尚最高のビック・バンド・ミュ−ジシャンとしてジャズのアルトの歴史的な第一人者であった。

彼の最後にも触れなければなるまい、彼は治療に行った歯科医で心臓発作だか麻酔のためだったか、亡くなってしまったのである。
残念至極。

On the road again
2022/07/13

今朝、5時前に目が覚めてトイレに行ったのだが、そのまま眠れなくなって、階下に降りてテレビを付けた。
ちょうど音楽番組でWillie Nelson(ウイリー・ネルソン)の On the road again.が始まるところ。
好きな曲なので、早朝から大音量にしてしまった。

彼の長年使い込んで穴が開いてしまったようなギターも、そんな「Road」という言葉にぴったりで、感動してしまったのであった。
彼の歌い方も独特のものがあって、Road again の again という所の,鼻にかかってキュッと上がる所の風情が何とも言えない、如何ともしがたい人生観が凝縮しているのである。

またロードに行こう。
ロードが待ちきれない。
私の人生は友情と音楽を演奏する事。
知らない街に行こう。

という歌詞である
が、アメリカの広大な国ゆえの、気が遠くなるような走行距離の長いロードは、我々日本人には想像し難いものがある。

Roadは勿論道、芸人の旅に他ならぬ。
来る日も来る日もバスに乗り、街に着いて夜ステージをこなし、終われば酒を飲む、寝る間もなくまた翌日にはバスに乗る。そうやって年のほとんどを過す。家庭などあって無いような旅。
家族にも、もっと家にいてくれと言われても、また出たくなる。
観客の歓声が忘れられぬ、生活のためのお金も入る、友情も厚い、毎日演っていれば音楽の質も向上する。
そんな芸人の歌なのであった。

私は己の人生と重なるよ。


https://www.youtube.com/watch?v=YYVMiNftKlQ

安部首相
2022/07/12

安部さんの暗殺の事で、ハワイの友人からショックだとラインが来たので、久しぶりに声でも聞こうと電話した。

話の中で、
2016年、安部さんはじめ政治家仲間が奥さん連れでハワイ島に来た。
旦那さんたちはマウナラニでゴルフをしたのだが、奥さんたちは「ハワイのコーヒー園に行きたい」と言うので、誰かが案内して、友人のコーヒー畑を見に来たらしい。
それで帰りにコーヒーを買ってくれた。
突然だったので、家族が驚いてしまった、という話になった。

だから、余計に悲しい事件だった、という事であった。





大腸内視鏡検査
2022/07/10

腰椎圧迫骨折の治療中なのだから、行きたくなかったのだが以前より予約してあったので、どうにでもなれと言う投げやりな気持ちで大腸内視鏡検査に行った。

この検査は、検査の数日前から食事やクスリなど注意があり、前日からはほぼ絶食状態、当日は2リットルの水薬を飲まされ、当日の検査は腸の中に空気を入れられ、まことに苦痛な検査で、しかも私は大きなポリープがあった。
さて、検査が終わった後はしばらく休ませていただくのだが、帰りがけの看護師さんの説明によると、ポリープを切除したので、これから一週間食事は制限付きである、との事であった。
お粥、素うどん、食パン、じゃがいも、豆腐等々、検査の前のような消化の良い食事を、すでに6日。薄味でもあり、ただ口に入れるだけのわびしさ。コーヒー、紅茶も禁止。

ここの所、私は一体何をしているのか。
本当にイライラした毎日をすごしている。
これではイカン!

そういえば、先週の事を思えば、私は5か所の病院に行った。
ほぼ毎日、日によっては2か所行ったのである。
これも、癌の後遺症とその治療に加え、圧迫骨折、検査によるものである。
病院は行くだけで大変疲れるものであって、毎日通うとなるとそれは疲労困憊、精神的なストレスは計り知れない。
実に残念な人生じゃな。

DJANGO REIHARDT “LE DERNIER MESSAGE DE DJANGO”
2022/07/09

DJANGO REIHARDT “LE DERNIER MESSAGE DE DJANGO”BARCLAY 84076 (FRANCE) 10inch

私の好きな10インチ・アルバム。
A面冒頭のNaugesのシャンソンの風情がヒタヒタと押し寄せる。この曲は彼の作曲でもあり、第二次大戦時のフランスの第二の国歌とも言われ国民にも親しまれた曲だけに、アルバムの冒頭を飾るのに不足はない。
2曲目からスイングしたNight and day から情緒あるInsensiblement、そしてBlues for Ike.
Ikeとは私の事か? なにせ子供の頃から私はイケちゃんだから。それは置いといて、B面のBrazil,September song と、どれを聴いても心が和む。
レコードは、大概は片面だけしか聴かないものだが、両面ともひっくり返して、ひっくり返して3回は聴きいてしまう。

当盤は、フランスではバークレイ・レーベルでも出され、米国ではクレフ・レーベルで発売された。
ジャケットのデザインはどちらもデビット・ストーン・マーチン(David Stone Martin)の絵である。
盤質については、若干音質が異なるのでどちらも興味深いのである。
どうも、ノーマン・グランツの持ち込み企画だったようだが、それならばとジャケットは米国のを使い、両国でそれぞれ発売となったようである。

さて、アルバムの話、
当アルバムはジャンゴに取って初のLPアルバムであり、また人生最後の録音でもある。
なぜなら、かれは1910年生まれなので、成人してもレコードの発売はすべて78回転盤だけになってしまう。それをLPアルバムの製作に至った事の素晴らしさは言うに及ばぬ。
そして1953年3月に当アルバムは録音されたのである。
彼のそれまでの作品に比べ、モダンなジャズに一歩踏み込んでいる事が分かる。
大物は違うのである。
これからレコード産業の新時代の中で更なる躍進が望まれていたにも拘らず、彼は同年5月家の近くで突然倒れ帰らぬ人になったのである。
なんと不幸な出来事。
しかし、私はあえて言おう、なんと幸運な音楽人生かと。

彼は、フランスいたからこそ初期のジャズに触れる事が出来、それが彼の心の琴線に触れ、手の火傷もありながら、音楽才能を大いに伸ばした事は間違いなく、ステファン・グラッペリという僚友も得、その後は逆に米国のギタリストの指標ともなったのである。
このアルバムは偉大なフランスの、いや世界のジャズ・ギタリストの大変な貴重盤なのである。

録音メンバーは当時若手の有望株であったMaurice Vander や Pierre Michelotとのカルテットである。
そのサウンドは33回転LPに相応しく近代的な音であり、モダンで洗練されたナイス・モダンジャズ・アルバムの発表であった。
曲調は、あえてシンプルな音の運びにした所が余計に心を打つ。
こういう状況を私なりに思うと、訳もなく感動してしまうのである。

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