HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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緊急速報メール
2020/05/03

一昨日の朝、突然スマホの緊急速報の通知がけたたましい音で鳴り響いた。
これは大地震かと、大急ぎで見れば、なんという事はなくて神奈川県知事からの外出自粛要請だった。

ビービーと大音量で鳴らさなくても良かったんじゃない?
知事の目立ちたがり屋の心を満足させるために、市民を巻き込まないで下さい。

心臓が止まる程ビックリしたよ。

WES MONTGOMERY “ROAD SONG” A&M/CTI
2020/05/02

WES MONTGOMERY “ROAD SONG” A&M/CTI SP 3012 (USA)

珍しいプロモ盤(Promotional-copy)で、ラベルも白いラベルに印刷した物である。
1967年のA Day In The Lifeから始まったCTI3部作、第2弾のDown Here On The Groundにもモノ盤があるが、この第3弾Road Songは1968年、時代も時代なのでモノラルはないのであろう。いや、ひょっとしてラジオ・ステーション用にモノラルが存在する可能性はあるのが私は見たことがない。
当アルバムはもちろんVan Gelderの刻印はある。もちろん良い音質である。
ジャケット写真もなかなかの芸術作品である。
この作品が彼のラスト・アルバムとなった。
CTIの3作、いやVERVE後期の66年California Dreamingあたりから、マニアにはウエスはポップに落ちただの、商業主義に走ったと非常に不評であったが、今になって聴けば、立派なジャズ作品である。
レコード自体、レコード会社の意思による商業なのだから何をかいわんや。
若いころの作品も良いが、後期の作品も捨てがたい魅力あるアルバムばかりである。

思わずしんみりと聞き入ってしまった。
タイトル曲のRoad Songについては、アイラ・ギトラーのライナーにこんな事が。
「すべてのジャズのミュージシャンはRoadをわかっている。成功した者達は最もよく知っている。多くの聴衆を満足させるために、たくさん旅行しなければならない...」。
ウエスはそういう大物の一人になった証拠である。
そしてこの作品が彼の最後の作品とは...。

最後まで聴いてしまった私であるが、B面2曲目の「Grren leaves of summer」を聴くと、胸が騒ぐ。
1960年のジョン・ウエイン主演の映画「アラモ」の主題歌で、当時は日本の映画音楽ブームにも便乗し大変なヒットとなりなぜか作曲者のディミトリ・ティオムキンという無名だっが人の名前まで広く知られてしまった。
ラジオのリクエスト番組でも常に人気の上位で、それは大したものであった。
A time to be reaping
A time to be sowing…………。
と、命を捧げる兵士が故郷に思いを馳せる歌で、荘厳な気持ちにさせる歌である。
彼もまた銃を持たないまでも、音楽を通して国に身を捧げたのである。

ところで、高校生の私なども学校をサボって見に行った。アメリカ兵の命をも国に捧げた正義に甚く感動したものであるが、GHQのアメリカ賞賛戦略に踊らされていた少年の一人であった事が、今となっては悔やまれる。
今更それはどうでも良い事だ、と思っていたのだが....
アメリカの中にあっても、比較的冷静なはずの報道がコロナ騒ぎで「リメンバー・パール・ハーバー」を持ち出すのだから、これからはこちらも負けてはいられないな。

(売れてしまいました)

ちょっと前のニュース、ニューヨークから
2020/05/01

ニューヨークの友人から

今朝8時にスーパーマーケットに行った。、
コロナウイルスの関係なのかレジまでは長い長い行列だった。
いくらアメリカと言えど、まさか「ピーナツバター」の買い占めなんてありえないと思っていたら、隣の白人のお兄ちゃん、しっかり買い込んでおりました。さすがアメリカ。
という話である。


ところ変われば人変わるという通り、さすがアメリカである。
感心した。

コロナの話だけど
2020/04/30

もう、コロナで首相官邸が悪いとか、自民党の二階氏が悪いとか、今更何も言う気もない。

しかし、芸能人の岡江久美子が亡くなった事がショックだった。
志村けんの時は、こう言っては本当に失礼なのだが、毎晩クラブ、ガールズバーに通い、ヘビースモーカーであっただけに、「うーん、やっぱり」という感が強かった。
しかし、彼女のケースは乳がんの放射線が終わったばかりで、そこにコロナに感染し、それがそれほど十分な治療とは思えない扱いだっただけに、保健所、厚労省によって死に至らしめたのではなかろうか。
しかも、死後ただちにどこだったかの大病院の院長だかが、がん治療は関係なかった等と心無い発言にもガッカリさせられた。

私の経験だが、癌治療の放射線で口内炎に悩んだ、その同病相哀れむというか、いつも待合室で会う乳がんの女性が、放射線のせいか口内炎に悩んで、どうしたら良いかと相談を受けた事もある。
経験者から言うと、決して無関係ではない。

この時に癌にかかったのが不運と一言で片付けないでいただきたかった。

現場の医療関係者が必死に頑張っているだけに惜しい。

ねこ影
2020/04/29

朝、台所の明かりを付けたら、棚のドアに猫の影が映っていた。
思わず振り返ったが、そこに猫はいなかった。

良く考えたら紙袋が置いてあった。

チャーリーパーカー
2020/04/28

暇なので、地元の公園に行った。
そうしたら先客が......

なんとベンチに、チャーリー・パーカーがいた。

営業案内
2020/04/15

引続き、連休過ぎまで「閉店」させていただきます。

(但し、郵便物や荷物の受け取りなどで、留守番がいる事もあります。
買物として入店は不可能ですが、取置きレコードのピックアップには対応可能です。
また、その場合は事前に電話で確認を頂ければ間違いないと思います。)


よろしくお願い致します。
皆さまもコロナなどに心も負けないで。

GRANHAM COLLIER “SONGS FOR MY FATHER”
2020/04/13

GRANHAM COLLIER “SONGS FOR MY FATHER” FONTANA 6309 006 (UK)

今日の新入荷。かつて私が好きでよく聴いたイギリスの新しいジャズの傑作。
グラハム・コリアは67年にDEEP DARK BLUE CENTRE (DERAM DML/SML 1005)でレコードデビューを果たす。
この作品はそれなりに評価を受け、彼の実力が認められた。その会社DERAM(デラム)66年からDECCAの子会社でスタートし、67年はMIKE WESTBROOKがロックとジャズが混ざった新しい音楽として注目を浴び、その後70年までの短期間の内にJOHN SURMANやMICHAEL GIBBSが次々と作品を発表し、レーベル名と共にニュージャズマニアの話題をさらった感があった。
なぜならアメリカでのジャズがコルトレーンの死と共にパッとしなくなった事、ヨーロッパにおけるロックやフリー・フォームの運動が活発化した事が揚げられる。
まさに本家アメリカ・ジャズ危うしである。
この頃のイギリスの音楽はビートルズやローリングストーンズなど世界のロックの中心地でもあったせいか、その影響はまずミュージシャンの大量出現となった。
その人材は当然、ジャズにも流れ込む事になる。
早い話がジャズがロックに食われる勢い、言ってみれば新主流派と言えば言えるジャズメンが五万といた感じである。MICHAEL GARRICK、NORMA WINSTONE、IAN CARR、NEIL ARDLEYなど幾らでも出てくる。
更にフリージャズにおいては、Evan Parker / Derek Bailey がINCUSから - The Topographyを発表し、その他TONY OXLEY JOHN STEVENSなどイギリス・フリージャズは世界の頂点にも立ったのである。

しかし、なぜか潮流というものは一度に集中して起こる事象、止めても止まらないのである。
ここまで、前段が長かったが、その中にあってイギリス・ジャズを代表する名作なのである。

彼の作品はこのあたりの作品群にトドメをさす。なぜならその後はちょっと小難しいと言うか、上品と言うか、現代音楽よりになった感があり、やっぱり白人はとどのつまりはクラシック界に「私はこんなに立派になりました」と見せたいのか? と思ってしまうのは私だけか。モトエ

この作品のタイトル、SONGS FOR MY FATHERとなっていれば、あのホレス・シルバーのアルバムと関係あるのかと一生懸命に聴き直したが、取り立て関係がある訳では無い。
音楽は全体が、新主流的である。
ある意味コルトレーンのようでもあり、ある意味ウエイン・ショーターがいた頃のハービー・ハンコックのブルーノートでの作品のようでもある。
しかも力強さにおいて決してアメリカ勢に負けていない所も面白い。
もっと聴いて行けば、その後のギル・エヴァンスのビリー・ハーパーのようでもある。
正に名曲、Priestessの前身といった、ギルとも音楽性が行ったり来たりした感じもあり、非常に時代が進んでいた様子も伺える。
新しいジャズの動きの代表として、また、前衛と言いながら心地よさを失わない作品として、聴くほどに興奮してしまう作品である。

NELLIE LUTCHER “OUR NEW NELLIE”
2020/04/12

NELLIE LUTCHER “OUR NEW NELLIE” LIBERTY LRP 3014 (USA)

ちょっと珍しいボーカル作。
大写しの顔のジャケットで一瞬Billie Holidayかと思ってしまったが、迫力が美に勝る!大迫力である。

ネリー・ラッチャーと読むんだったけ?
私も相当なジジイだが流石にこの人の事は詳しくない、なにしろ1910年代の生まれでヒット作を連発したのが戦時中だったから、私などは「戦争を知らない子供達」なのだから。
といっても、昔の事の方が今の音楽業界より詳しいので、ちょっと書きたくなった。

このアルバムは1956年吹き込みなのだが、ほとんど売れることはなかったようだ、すなわち既に歌手としての盛りが過ぎていたという事である。
しかし、しかしながら、スタンダードを歌えば往年の歌唱力は見事で、「Someone to watch over me」「Nearness of you」「Sunny side of the street」など、大歌手の貫禄は見せるし、じっくり歌って聞かせる。
それにバックは一流所がずらっと並び、Red Norvo, Barney Kessel, Buddy Collette, Red Mitchell, またLibertyレーベルだけあってトランペットのBuddy Childerも参加しているのがちょっと嬉しい。

私は往年の歌手の唄を聴くのが好きで、ついつい目が行ってしまう、いや耳が行ってしまうのか?
やはり歌も人生が掛かったしみじみした哀愁があるし、力強さも最近の歌手の3倍くらいあるし、歌手に美人が要求されなかった時代だけに歌は上手い。
といいながら、2回も聴いてしまった。

市川秀男 “ある休日”
2020/04/10

市川秀男 “ある休日” ROYAL RECORDS RS-1114 (JAPAN)

1970年、彼の初リーダー作。
私は、これはピアノ・トリオ作かと思込んで聴き始めたら、サックスなども出て来てびっくりした。
だが、ほぼピアノ・トリオと言っていい位の雰囲気でまとめ上げた良い感じのアルバムであった。

そもそもこのロイヤル・レコードとは個人的に聞かない会社だと思って調べたら、歌謡曲専門のレーベルであって、それがなぜジャズのアルバムを作ってしまったのかと、興味津々になったがヒット作が無かった、という以外それ以上は不明であった。
不思議な会社であるが、ただ会社を調べていたら、なぜか一枚だけ私が所有している盤に見覚えがあって「椿まみ」という歌手の「月の世界でランデブー」という69年の月面着陸に便乗したようなEPであった。こんな歌謡曲のEPがウチにあるなんて、びっくりしたなあもう。それどころではなくて、椿まみさんのEPが全部で3枚もあったのは我ながら本当にビックリ。モトエ

歌謡曲専門レーベルというくらいだから、作風としてはビートルズの曲などややポプッス調の感じはある。
昔はイージーリスニングと言った。
しかし、「Here's That Rainy Day」やキースの「Sunday Morning」などジャズの演奏のうまさも堪能できるし、当時流行ったオーティス・レディング「I've been loving you too long」など、立派なソウル感でアレンジの才能も感じさせる、個人的に非常に気に入った作品である。
A面の冒頭からいい感じのジャズである。

私が東京に出て来て、新宿のジャズ喫茶に入り浸るようになった時、昼間から生演奏をやっている「タロウ」という店があって、それにジョージ大塚トリオが出演していたのだが、そのピアノが市川であった。
ジャズのハートをしっかり持っていたのか、他にはない良い演奏をするグループであった。昭和40年代の話である。
ただ、この作品はジョージ大塚トリオ時代の吹き込みなのだが、その時のトリオがいないのが惜しい。

彼の味わいは、良くあるようなパウエル風のピアノともちょっと違う、それだけ新しく現れた人だったのだろう。だが、ウイントン・ケリーを聴いてきたというだけあって、モダン・ジャズのハートがきっちり出来ている。
また若い時に作曲家志望だっただけにアレンジの能力も高い。
その内に、彼の作風が「セミ・フリー」と呼ばれるようにややフリー・ジャズ寄りに行ったりもする器用さもみせるが、この時はジャズの本道である。
テーマもきちんとして、ソロも 曲の持っている味わいを変えない良さがある。
久しぶりに気持ち良いジャズを聴いた。

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