HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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映画OST「危険な曲がり角」EP
2024/02/27

Stan Getz, Coleman Hawkins, Dizzy Gillespie…. “Les Tricheurs”
Barclay 74 024 (EP) France

1959年。映画が一番面白かった頃の映画「危険な曲がり角」のオリジナル・サウンドトラック。
しかもEPオンリーという貴重さ。それにしても珍しい。
こんな錚々たるメンツならLPにしても良かったのにと勝手に思ったが、今更何を言わんか。

録音は1958年5月1日、パリで行ったとある、よくぞこれだけのジャズメンが集まったものだ。
多分、ジャケットにノーマン・グランツの名前が見えるし、ちょうどJATPの演奏旅行の途中であろうと思われる。

メンバーを書き出すと、Stan Getz, Coleman Hawkins, Dizzy Gillespie, Roy Eldridge, Oscar Peterson,Herb Ellis, Gus Johnsson, Ray Brown.と一流揃い。
演奏は勿論文句ない出来。

曲は4曲入り。
A1. Les Tricheurs
ゲッツ、ピーターソンがフィーチャーされている。
A2. Clo’s blues
ホーキンスをフィーチャー
B1. Phil’s tune
ロイ・エルドリッジをフィーチャー
B2. Mic’s jump
ガレスピーをフィーチャー

という具合に、テーマごとに雰囲気を変えて有って、興味深い。
映画は当時の青春の蹉跌。
ヌーベルバーグの時代はフランスではジャズが映画に使われ、非常に高い効果を上げた。
ジャズのフアンとしてはとても嬉しい事である。
無駄話だが、ジャズの本家のアメリカではジャズを使って高評価を受けた映画が見当たらない。
きっとアメリカの映画関係者はジャズを軽く見ていたんだろうなあ。

フランスの映画におけるジャズの作品を今更ながら見て行くと、猛烈な勢いだったことがわかる。
当時のフランス人は本当にジャズが好きだったんだなあ。

通販リストの更新
2024/02/26

本日、通販リストの更新いたしました。


よろしくお願い致します。

CHARLIE HADEN “CLOSENESS”
2024/02/24

CHARLIE HADEN “CLOSENESS” HORIZON SP710 (USA)

録音は大体76年の4月に行われている。それは、収録の4曲をそれぞれ、Ornette Coleman, Keith Jarrett, Alice Coltrane, そしてPaul Motianとデュエット形式で、一曲づつ相手も違えば録音日も異なるのである。
この作品は彼の音楽性のすべてが注入され、美意識から政治思想まですべてが表現された力作であり、大傑作であると私は断言する。

この作品は71年の例の赤旗をたなびかせたジャケットの左翼思想丸出しのLiberation Music Orchestra (Impulse)の続編として、彼は構想を練っていたようだが、かつてのメンバーのスケジュールや居住地等で最早それは不可能で、デュエットでどうかという話になった。それで当時、もっとも彼が音楽的にも信頼を寄せている4人に絞り作品は作られていった。彼の音楽美と言う点における最も卓越した4人、かつ信頼している4人が選ばれたのである。

作品は最後まで聴き入る事が出来る。というか両面聴かないといけない作品である。
だがしかし 最後のポール・モチアンとの一曲は、バックに銃声が鳴っており、訳ありげな歌だのあり、人の叫び声ありで、わざわざ遠くに聴こえるような音にしてあるものの、その心は激しく、余りにも切ない。
それで、英文のライナーを読んでいると、なんだか71年のポルトガルで彼の不当な逮捕劇があった事などが書かれていて、これは読んだもの正誤の自信がないので翻訳書など探すと、児山紀芳氏のライナーに記載があった。思えば児山さんて結構真面目だったんだね。
日本語と併せて読むと、71年ニューポートジャズフェスティバルの欧州ツアーの一環としてポルトガルでの国際ジャズ祭に出演する為に、妻の病気など無理を押してやむを得ず赴いた。
さて、当時ポルトガルも欧州列強同様多くの植民地を世界中に持っていたのだが、戦後徐々に各国が手放なす中にあってポルトガルは頑強だった。すでに手放してしまった各国が良い子ぶって非難轟轟の中、アンゴラ、モザンビーク、ポルトガル領ギニアなど植民支配を続け、ついにこれらの国で猛烈な独立運動が起きる。しかし、当時の政府は民族独立運動を武器で徹底的に抑込む。悪い国だ。これを考えると日本など、中韓から恨まれる所など一つもない。モトエ。
演奏を始めようとした時、ヘイデンは観衆に向かって「この音楽をMPLAなどアフリかの黒人民族解放戦線に捧げる」とスピーチ、後ろにいたデューイ・レッドマンも、エド・ブラックウエルも同調し、拳を突き上げたとある。
それが秘密警察の目に留まり、翌日出国時にかれは拘束されてしまう。
しかし、そこからがアメリカ国家の凄い所で、ちゃんと名前も書かれていて、アメリカ大使館文化広報局局長ジェームス・コーンリーがポルトガルに抗議し、かろうじて釈放されアメリカ大使館で一夜を明かしたあと、出国できたのである。
ところが、軍事政府のポルトガルは報道管制をしき、表沙汰になる事はなかった。

という71年の経験を経て、この作品を作ろうとしている76年になっても、まだ独立運動は続いていた。
彼はここに第一作目のリベレイション・ミュージックでの主張を込め、またアンゴラ解放戦線とポルガル軍との戦闘の模様を入れたのである。
当時、最も美しい音楽と共に、流れて来る「音」は、植民地からの独立の命を懸けた戦い、自由を獲得する戦いこその尊さであり、これぞ「美」の真髄であると彼は言いたいのである。
これぞ自由であり、真の民主主義は勝ち取るもの。
訳もなく反戦・反戦などと平和な国でたわごとをいっている若者に聴かせたいものだ。うん。

先日、来店した外人が甚く感心され、この日本盤の方を購入して行かれた。

QUINCY JONES “HOME AGAIN”
2024/02/24

QUINCY JONES “HOME AGAIN" METRONOME MLP 15010 (SWEDEN)
今回はステレオ盤

クインシーと言えば、ジャズメン等という肩書はとうの昔に捨て去り、あのメジャーのマーキュリーの副社長に上り詰め、更にポップスの世界で大活躍、マイケル・ジャケソン等大スターと仕事をし、世界のクインシ−になってしまった。

さて、このアルバムの録音された、あの頃に戻ろう。1958年、満を持してスエーデンに渡ったクインシーは、音楽活動に没頭。数々の演奏、録音と多忙を極め、そして当アルバムの発表。
ジャケ写はストックホルム・コンサート・ホールの正面玄関での写真である。

このアルバムは特に優れた作品であると、私は保障する。
メンツは全員スエーデン陣であり、楽団はHarry Arnoldから借りた事になるが、Ake Persson, Arne Domnerus, Bengt Halbergなど同国のトップクラスが勢揃い。
通常、ビッグバンド・アルバムは聴けば元気いっぱいに、音がこれでもかと流れて来る。所がこの作品、キラビやかと思えば、いたって大人しく、ガツンと来たかと思えば、ソフトな小編成かと思わせる音色、これぞ緩急自在の音楽で、作者が非常に精神的にも充実していたのであろうと推測できる。
この中のA−2「Midnight sun never set」はアルトサックスのドムネラスの音色で、ビックバンド嫌いの方々でも、一度聴いたら忘れられない上品さ。夏のスエーデンならではのタイトルで、白夜に人々が楽しみ、そして去る夏を惜しむ風景が偲ばれる。
B−3「Meet Benny Bailey」などは、ベニー・ベイリー好きな方々なら感動なくして聴く事は出来まい。
なにしろ、この作品がリリースされ演奏会が開かれた時に、この曲のタイトルは一体なんだと現地の記者に聞かれた時、彼は我々の気持ちなど全く理解してないと怒って記者会見の席を立ったという話もあるほどの、思い入れだったらしい。即ち、ベニー・ベイリーを失ったのはアメリカに取って損失だという意味で、当時のアメリカの楽団のリーダー達から渡欧を惜しむ声が高かったのだ。下らない質問などするなと。

スエーデンに渡り、音楽家として尊敬もされ、クインシー本人も一時は永住を覚悟した事もあるので、スェーデンに滞在した事は彼の音楽人生に取って非常に有意義であった。
という当時に想いを馳せながら、このアルバムを聴くと、あの時代への郷愁が沸々と湧き上がる。素晴しき50年代のモダン・ジャズの時代よ。
ため息が出てしまうような音楽もあるのだ。

今朝の病院ラジオ
2024/02/23

今日、朝ごはんを食べながらNHK番組「病院ラジオ」を見た。
広島の原爆病院という名前にも驚いた。原爆投下直後から被爆者の治療に取り組んで来た話も初めて聞いた。
癌や白血病などの患者さんを多く受け入れている病院であった。
それぞれの患者のお話が身に摘まされる。
闘病中の高校生に「今何がしたいですか」と聞くと「ともだちと並んで歩きたい」と答えた所で、ああ、ほんの小さな幸せいが、いや幸せと呼べないような普通の事がどれほど大切なのであろうか。
思わず泣けた。

この番組の話を、広島のテレビ局で働いていた友人に送ったら、返事が来た。
感動したので掲載することに。

「今朝のテレビ、私もみました。
病院建物は数年前、全面改築をしたので、今は爆風でゆがんだ鉄格子のオブジェしか当時の面影は、残っていません。
入院中の被爆者を慰問するため、すずらんを届けるCAさんや、山百合を届ける児童、美容師の整髪奉仕とかでよく取材しました。
番組でも千羽鶴を折る患者が登場して、その中で、12歳で白血病で亡くなった佐々木禎子さんのエピソードを紹介していました。
彼女もここに入院していましたが、当時の主治医が杉並に住んでいて、カルテと赤や白の薬包紙で折った小さな鶴を見せてもらったことがあります。
多くの被爆者が、白血病を発症したこともあり、番組でも同じ病気の患者が紹介されていました。
健康が一番だと考えさせられる番組でした。」

(佐々木禎子さんは原爆の子の像のモデルになった少女で、写真の鶴は禎子さんが実際に薬の紙で折った鶴だそうです)

というお話でした。

お金はレコード引換券
2024/02/22

千円札を手に持ったお客様がいう事には
「これってレコード引換券なんですよ」。


誠にもって
ありがとうございます。

会話禁止
2024/02/21

ここの所、かなりの数のジャズ喫茶は「会話禁止」になっているらしい。
おしゃべりの私は、もう訪れる事は不可能だ。

中学生の時に授業中に喋ったら、教師から「妾の子」と言われた程だから、そのまま大人になっても、無言ではいられない性格になった。
今は無き渋谷のメアリージェーンは会社から1分の至近距離という理由だけで、よく通ったがいつも喋っていたので、店員さんから注意をされたが、めげることなく喋ってばかりいた。
なんで我慢して聴くのか、私はジャズ喫茶に憧れない。
聞きたいレコードは己で買えば良いし、だからコレクターになった。

なんで喫茶店なのに会話禁止だと怒っていたら、知り合いがジャズの店などまだ良いよと、クラシックの名曲喫茶という所は、もっと厳しいぞと。
なにしろ入り口から入っていったら足音がうるさいだの、注文の声が大きいだの、それは大した威張りようだと。
お前など立ちどころに追い返されるに決まっているという事であった。

今は昔の物語。

という訳で,今でも無言の店には行けないのだ。


句読点ハラスメント
2024/02/20

なんでもかんでもハラスメントと言うのがあるけれど、「マルハラ」というのが一番驚いた。

文章の終わりの句読点「。」が怖いと。
まんじゅう怖いと同じかと思った。

「。」を見ると威圧感があると。
そうか、点が怖いのか。
そのうちに日本語が怖いとか、文字が怖いとか、言い出しそうだな。

いっそうの事、日本語をやめるか、英語にしたらいいんじゃない?
いや、英語も最後に「.」があるなあ。

不適切にもほどがある
2024/02/19

知り合いにラインで面白いから見なさい、と勧められて見たテレビドラマ。
宮藤官九郎の面白さ。
ここの所、かなりの人気注目ナンバーワンらしい。
昭和から現代にタイム・スリップした男の話。
セクハラ、パワハラ、いくらでもハラスメントが出て来る所が面白い。

だが、見ているうちに、これって今の不適切発言だの何だのと大騒ぎになる今の世の中そのものだなあ、と思いいたる。
昭和から、わざわざ時空を超えてまで来てもらわなくても、現代の年齢差がそのまんまじゃん。

私の事を述べると。
差し当たり昭和からタイムスリップしてきたジジイそのもの。
聴いている音楽は昭和の時代のそのままの原盤主義、オーディオは1950年代から変わっていない。
正確も頑固で今も生き抜くダメ親父、時代が進めど己は何事にもめげず、不逞な若者がいれば体力差も気にせず怒鳴りつける、昭和の親父は何も変わらない。
発言も外観も世間体のため、少しは考えて変えてはいるけど、中身はおんなじ。
77歳だが今でも労働時間ははるかに若い人の労働時間より長い。
働いた分だけ自分の給料になると思い込んでいる。
息子達には前時代と言われている。

今の世の中、徹底的に時代のそぐわない人たちを追い落とす。
年寄りだから、まあいいか、とはならないようで、わずかでも絶対に許さない。
全く画一的な、外観上社会から見てほんの少しの個性だけが認められ、云いたいことも言えない、日本人自らが、失われた日本人を作り出して行くことに汲々としているように、私は見える。

TBSテレビの喝で干された張本勲さんなんかの事件は、年寄りの発言ー対ー現代人、との衝突でもある。
いちいち、そういう発言は許さんとネットの中傷発言が後を絶たない。
ただの一般人の発言だけでなく、有名人からの発言がそれを後押しする怖さは只事ではない。
かつての、伝統と呼ばれた画一的な地域・農村社会が、そのままの精神構造で、一見モダンで正義のフリをして日本中に広まる。

昭和より、現代の方が恐ろしい。

鼻の洗浄
2024/02/18

私は鼻の中に癌が出来て、手術で内部をえぐり取られてしまった。
そのせいで鼻汁が出て来なくなった。

鼻の中という構造は実に素晴らしいシステムで、埃や花粉やゴミなど不要の物質を粘膜が外に掃きだす事になっているのだが、私の場合は粘膜が無くなってしまったせいで、それらが、蓄積されてしまう。
したがって毎日、朝晩、鼻の中を掃除する必要に迫られている。

その道具はハナクリンという。
サーレという粉薬で生理食塩水をお湯で作り、シュポシュポするのである。
私には欠くことが出来ない衛生用品である。
これは副鼻腔炎などの鼻づまりの方にも推奨したい優れもの。
今の時期の花粉症にも良さそうである。

先日、お客様と話をしていたら、なんとこの会社の社員の方だった。
なんだか理由は無いが嬉しいものだ。
その偶然に驚いた。
長生きはするものだ。


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