HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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老人の数
2025/09/04

日本の高齢者の人口が異常なる多さ。
100歳以上がなんと10万人近いという。
以前は100歳等珍しく、金さん銀さんが100歳でテレビで大騒ぎしていたくらいである。

ネットでよく人間の寿命定年制を導入しろ、などという乱暴な書き込みも目にするが。本音で語るとあながち、冗談でも済まされない。

私も、間もなく80歳になるが、人生の命の定年制を作ってもらっても良いかなと、思わないわけでは無い。
社会に迷惑は掛けられないもの。

だけど、老人の為に犠牲になっていると言う若者の意見を見ると、それも違うんじゃないかとも思う。
大して働きもせず、大して税金も払いもしない若者もまた問題。
で、年齢的に、上下どちらも問題なんだな。

我々、ちょっとばかりの年金をいただくために、収入を抑えた仕事をしていたりするのだが、働いて、年金も給料もたくさんいただければ、社会に対して、さらなる貢献ができる。

そもそもNHKが昔から長生きは素晴らしいと、長寿の医学知識ばかり煽ってきたのだが、結果、半病人ばかりになった。
それって本当に良かったのかなあ。

ブルータス
2025/09/03

以前、アメリカのブルーノート・レコードの社長「ドン・ワズ」さんが来店した話を書いたのだが、その記事がブルータスに掲載されたと送られて来た。

でも、1ページの中のほんの片隅の記事だった。
まあ、ありがたい。

シェケラート
2025/09/03

イタリアン・コーヒーのセガフレード。
隣にいた人が、カクテルのようなものを飲んでいたので、思わずわしも注文してしまった。
冷たくて、実に美味しい、コーヒーカクテル。
アルコールは含まれていない。

でも、ちょっとカウンターで昼からカクテルを飲んでいるようで、カッコいい。

夫源病
2025/09/02

ネットの女性の書込みから。
円満夫婦であったのに、夫が定年退職。
自宅で一日中、一緒にいられるウチに、とうとう血尿が出たと。

そうだ、そうだ、と同意する書込みが膨大。
私も家内に夫源病と言う単語を教えられた。
一方亭主の方はそれが、全く気付かないか、理解出来ないらしい。

亭主元気で留守が良いと、40年も前から言われていたが どうも本当のようだ

今日から通常営業
2025/09/01

夏休みをいただき、ゆっくり休養出来た、と言いたいところであるが、私はお盆明けレコードの入った箱を3個ほど運んだだけで、腰痛になりコルセットをして休んでいたのである。

車も他人に乗せてもらって、やっと生きていた。

なんとも情けない。

ちょっと面白いyoutube
2025/08/31

見つけた、面白い左翼団体の話。
興味がある方にはどうぞ



https://www.youtube.com/watch?v=uzuRN_t5wl0

snickers
2025/08/30

孫が来るからコンビニで「スニッカーズ」を買っておいた。
家内に、そんな物を食べさすんじゃない!
と怒られた

ソーラーパネル
2025/08/29

ネットで、ソーラーパネルが山を覆い尽くした写真が出て来て、皆さん 自然破壊とか嘆いている。
でも、それって原発反対がうまく政治家達に利用された結果である。
原発反対でソーラー歓迎していなかった?
でも、ソーラーが沢山設置されるとソーラー反対、そもそも、ソーラーは昼間の晴れている時だけで、夜間は発電量が少なくて役立たず。
そしてみんなが歓迎した電気自動車の普及が進み さらに電気が必要となった今、火力発電が最も重要な方法なんだけど、良いの?…

昨日の続きから、727.....
2025/08/27

昨日書いた、和泉雅子の映画で、何か忘れていないかと、ずっと考えていて、ふと思い出した。
それは映画「大空に完敗」、あれ、完敗は私の人生だった。モトエ
「大空に乾杯」
主演は吉永小百合だが、和泉雅子も頑張っている。

あの映画は日本の空の運輸において、60年代を代表する映画でもあって、なぜならボーイング727が日本の空をジェット機が飛び始めた時で、「727」は国民にとって大変なラッキーな数字なのであった。
映画の中でも「夢のジェット機セブン・トゥ・セブン」と歌われた、「そこは青い空だった」の歌の方もヒットしたのだ。

戦後、日本の旅行ブームの幕開けでもあり、当時、北海道や九州から来ていた友人たちは727に乗って帰るんだと胸を張っていたから、長野県生まれの私など北海道出身者が非常に羨ましかった。

という昔ばなし


「そこは青い空だった」歌を貼り付けてみたものの、アドレスが長すぎて、画面が崩れてしまった。
残念

和泉雅子
2025/08/26

私と同い年だと思っていたら、学年は一個下だった。
亡くなっていたんだね。

60年代前半に、「非行少女」で主演を務め一躍ファンの注目を集めた。
その後、日活の青春映画の常連となり、日活の3人娘とも呼ばれた。
私もいくつも観たのだが、非行少女は勿論だが、どれが代表作か言えない程の数になっているのだが、舟木一夫との「絶唱」、山内賢との「二人の銀座」が印象深く、とくに山内賢とのデュエットは大ヒットした。
とにかく、可愛かった。若かった頃は!

同じ日活の石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲「銀座の恋の物語」とともに大いにカラオケでも歌われた。
しかし、銀座の恋の物語の方は、会社上司と歌わされるので、女子社員からは「銀恋」はもう沢山だと、大いに不評にもなった。

話が、昔の会社事情になってしまった。


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