HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

新入荷リストの更新
2026/07/24

お世話になっております。
七月二十五日(土)に新入荷リストを更新予定です。
何卒よろしくお願い致します。

続きのような.....
2026/07/24

昨日の続きが止められない。
それで、ロックン・ロールの第一号と言われる2500万枚のビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」。
歌詞はというと。
One, Two, Three O’clock, Four O’clock rock
Five, Six, Seven O’clock, Eight O’clock rock
Nine, Ten, Eleven O’clock, Twelve O’clock rock
We’re gonna rock around the clock tonight
1,2,3時,4時にロック
5,6,7時,8時もロック
訳して日本語にすると、なにも面白くない、しかし、英語で歌えると無茶苦茶楽しい。語呂合わせが楽しい。英語はいいですね、と昔思った。

それで、つい60年の大ヒット、「ビキニのお嬢さん」ブライアン・ハイランドの曲 。歌詞はこんな感じで、当時私は英語で歌えませんでした。
Itsy Bitsy Teeny Weeny Yellow Polka Dot Bikini
「Itsy Bitsy」小ちゃいという子供っぽい言い方で、「Teeny Weeny」もとってもちっちゃいという意味。ちっちゃいちゃっちゃい黄色の水玉のビキニという事になりますが、日本語にすると全く面白くない。
しかし、英語は韻を踏むというか、語呂合わせというか、人を乗せるのがうまいよね。

というたわいもない歌の詩の話。
ついでに、「恋の片道切符」の詩の事に行こうとしているので、自重しました。Choo-choo train chuggin' down the trackという文句。

そうそう、結婚するとき、妻はこういう歌を英語でスラスラ歌えたので驚いたのでした。

アメリカンポップスの時代
2026/07/22

ちょっと前に書いた、アメリカンポップスの話で、60年代が明けてから、音楽シーンは実に重要な時期なので、私が知っている事、または経験上知っている事を書いておこうと思う。
まず、1973年の映画「アメリカン・グラフィティ」にその辺りの音楽はかなりうまく選択されているので、それがすべての感じではあるので、今更の感はないわけではないが。あの映画で面白いのはたった10年前の出来事がノスタルジアでもって作られている所かな。10年ひと昔だけど、アメリカの若者はは流行が速いからね。
映画で、冒頭に流れてくるrock around the clockは1955年の2000万枚のヒット曲で、このあたりからティーンエージャーが音楽産業のターゲットになったのである。
それが徐々に発展し、60年からティーエージャーがなくては音楽産業が成り立たないといった様相を示すのである。いいねー。

61年から良い曲が揃う。
悲しき街角(Dell Shannon)、Sherry(Four seasons)、Johnny Angel(Shelly Fabres)、I cant stop loving you(Ray Charles), など、いい感じの曲が出現してくる。
63年は真っ只中と言う感じ。
Hey Paul (Paul & Paula), I will follow him(Little Peggy March), Its my party(Lesley Gore), Blue Velvet(Bobby Vinton) etc.
1964年になると、アメリカ音楽界が一変して、ビートルズが圧倒する。お金がイギリスに流れてゆく。そうそうアメリカで最初に彼ら権利を取ったのがVeeJayレーベルというのもおかしいよね。
I want to hold your hand
She loves you
Cant buy me love
が、大ヒットで順番にビルボード一位。
あっけに取られ、最早これまで!とあきらめた時、そこに割り込んで一位になった曲がある。
それは我らがジャズの大先輩、Louis Armstrong が放った「Hello Dolly」、いやいや、アメリカの事とは言いながら、気分が良かったのである。ジャズの親父のサッチモがだ。
だがそれも、つかの間、あっと言う間にビートルズは悠々とヒット曲を出す。
Love me do
A hard day night
と、これまた一位連発。
しかし、再びしかし、それを止めた男、それはDean Martinの「Everybody loves somebody」.
落ち着いた男の歌が一位になってアメリカのプライドを守ったのである。
若者が負けたアメリカのプライドを親父たちが取り戻したなんて。
1965年 ここからアメリカも頑張るのである。
依然としてビートルズ人気は大きいものの、その間に入って、アメリカ音楽の面白さを広めた人たちは。The Surpremes(シュープリームス)、Four Tops(フォートップス)などの黒人R&Bの歌手たち,しばらく続くビートルズの中にあって、まさかR&Bが一位になってきたのである。今度は黒人の音楽がビートルズに立ち向かうのも不思議だね。白人よどうよ。
私などは、この後からすっかりR&Bファンになったのである。
各国のセメギあいは続いたのである。

音楽として、じつに興味深い時期である。

しちがつですね
2026/07/18


七月は
 脳を休めて
  水飲んで

Albert Ayler "Ghosts"
2026/07/18

Albert Ayler "Ghosts" Debut DEB-144 (Denmark)

デンマークのオリジナル盤。ラベルは黒地にdebutと書かれたものである。
非常に珍しい盤である。

かれは米国人であるが、ヨーロッパがホームタウン的な感じがある。
デビューしたのがスエーデンで、その後一度アメリカに戻り、ESPなどに録音してから、またコペンハーゲンで演奏活動をしていた。

イマジネーションが満ち満ちているのがよくわかる。
個人的にも大好きな作品である。

DEBUTの3枚の中で、もっとも変哲もないジャケットである。
しかし、GHOSTのタイトルの文字は安いスリラー映画のようで、黒地に彼の演奏中の写真を紫で抜くとは、そのイージーさが実に好きである。
それこそフリージャズの真骨頂。私にお気に入りと言わず何といおう。

こちらの作品はドン・チェリー、ゲイリー・ピーコック、サニー・マレーとフリージャズの重鎮となるべき人達がすでに顔を揃えている。恐るべき人脈である。
ジャズの自由、フリージャズの道は着々と切り開かれて行ったのである。

120,000円

ジャスト・ジャズ
2026/07/17

今日来られた、外人のお客様。
奥さんが日本のジャズが欲しいとおっしゃる。
まあ、ここの所、外人さんは必ず、そうおっしゃる。

他にも良いジャズがありますと、私がいうと、奥さんは、
ジャスト・ジャズは好きじゃないの、と。
じゃ、日本のジャズは良いのかと聞くと、そうだと。

なるほどね、そういうことね。

50年代からポピュラーミュージック
2026/07/16

1950年代にアメリカ南部で誕生した初期ロックン・ロール。
1955年前後わずか2・3年の間、ロカビリーも流行し、日本では、その流行が押し寄せ、平尾昌晃、ミッキー・カーチスがいて、60年ちょっとまで続いた。
ローックン・ロールは黒人のR&Bから派生したもので。ロカビリーは白人主体のカントリーウエスタンが主体となっていたのだが、音楽だけでは分かりにくいので、そのミュージシャンによって分けていたのかな。
ロカビリーの方がやや暴力的な所が白人の気質があって、ファッションもリーゼントヘアに革ジャンのスタイルも特徴。
1960年前から63年頃まで ロックン・ロールなどがより洗練されたというか、ヌルくなったというか、アメリカン・ポップス(POPS)が出来上がって来て、当時シクスティーとか「ティンエージャー」と呼ばれた時代の音楽で、全盛はわずか3−5年の間だが、日本では結構続いていて、歌詞和製ポップス・ソングも流行した。中尾ミエ、伊東ゆかりなどがその代表であろうか。
頑張ったもののビートルズには勝てなかった。
私はPOPS派なので、これが残念だった。
1964年にビートルズ時代がやってきて、アメリカンポップスはあっという間に衰退し、ビートルス一辺倒。
日本でも十代の女の子達が猛烈に押し、アメリカやイギリスに負けるな!が合言葉になり、わたしも当時女の子の付き添いで映画を5回以上も突き合わされたが、映画館には男子など誰もいなかった。ビートルズ・ブックなるイギリスの専門誌を抱えた女の子が舞台に上がってしまうほどであった。結果として、当時、ラジオのヒットチャートでもベストテンはすべてビートルズになったことがあり、DJが「ビートルズばかり掛ける事になってしまうので、ほかの曲を掛けます」と言っていたほどであった。当時から押し活はあったのだ。しかし、女子だけが喜んでいたビートルズが、なぜ今、男が喜んでいるのか、当時を知る私としては不思議である。
音楽業界においては、ビートルズの流行を決して歓迎してはいなかったのであるが、せいぜい、湯川れい子さんくらいであった。
それでも勢いは止められず。66年ビートルズ来日で絶頂。
実は、その前のベンチャーズの大流行があり、65年来日などもあり、グループサウンズが出現、十代の高校生中心にエレキギター大流行。高校ではエレキ禁止令も出された。ある意味では平和な時代なのに、PTAが何を気に入らなかったのか、今でも、当時のジジババの考え方が理解できない、実に気に食わない。今更私が怒っても。

ビートルズに続きローリングストーンズが人気で追いかけ、イギリスがPOPS界の主流になっていく。

思えば、あの頃はクラシック以外は不良の音楽だったのだな。
いいねえ! 不良結構!

1970年代はアメリカの巻き返しも見られ、ロックの時代になる。
イーグルスのホテル・カリフォルニアは70年代最高傑作と言われたこともあり、イギリス嫌いの若者には非常に支持された。
以後、イギリスとアメリカ混在のロックの時代は続くが、ロックとPOPSも混然一体となる。
日本では1970年代以降はフォークやロック、ニューミュージックが台頭し、1990年頃からは「J-POP」時代。急激に国内の歌謡曲が人気があがりJ-POP一辺倒となっていて、外国音楽の人気はやや低迷しているようだ。
まあ、日本語の方が分かりやすいよね。
2000年代になり、優しさを求められる社会に合わせたせいか、荒々しいロックより、ややポップス調が優勢かと思われる。

と、駆け足で書いたので、ちょっといかがわしい点も無きにしも非ずだが、まあいいか。
現在のラップやヒップホップなどは私にはわからない。

米国のレコード会社の事で
2026/07/15

カラービニール盤で知られるファンタジー・レコードの事。

当初、デイブ・ブル-ベックはお人好しというのか、ファンタジーと契約していたが、株式の50パーセントを所有していると信じていたらしい。しかし後に、自分の録音の50パーセントをもらえるという事に気が付き、やがてコロンビアと契約し直した。多分、少し取り分が増えたのかも知れない。そうでもないと思うが。

その後のファンタジーが面白いのは、企業買収である。
プレスティッジ・レコード(1971年)、リバーサイド(1972年)、マイルストーン(1972年)を買収した。
スタックス・レコード(1977年)、コンテンポラリー(1984年)、パブロ(1986年)、グッド・タイム・ジャズ(1984年)、スペシャリティ(1991年)他、数社に及び、飛ぶ鳥を落とす勢いとはこの事。

私などはprestigeレコードを購入すると、ラベルにfantasyと書かれていて、非常にガッカリしたものである。Riversideも同様であった。
買収されなかったのはBlue Noteくらいではなかったかと言いたいところだが、そのBlue noteは買収されていて、リバティ・レコード、ユナイテッド・アーティスツ・レコードの傘下に入り、結果はユニバーサル ミュージック所有で、傘下のキャピトルの一員となっている。

アメリカの音楽産業も悲しい酒だ。

モトエ。ファンタジーはコンコード・レコードと合併したといっても吸収されたのかな?。

通販リスト更新
2026/07/14

お世話になっております。
明日の七月十五日(水)に新入荷リストを更新予定です。
いつもギリギリお知らせでスミマセン。何卒よろしくお願い致します。

レーベル名
2026/07/13

今は昔、1960年代の初めからずーっと、アメリカンポップスが日本の若者の一部に流行していた頃、私もまた一晩中、ラジオに噛り付いて聴いていた頃。
ラジオのDJで有名だった人は湯川れい子、星加ルミ子やナッチャン・チャコチャンなどがいた。ほかにラジオ関西の電話リクエスト略して電リクなど聴いていた。

それで、番組の終わりに使用したレコードのレーベル名を読み上げることになっていたらしいんだ。
それが、私はたまらく好きで、綺麗な声でスラスラと読み上げる、そのリズムに聴き入った。
例えば、コロンビア、キャピトル、リバティー、ABCパラマウント、デッカ、ステーツサイド、マーキュリー、フィリップス、RCA、MGM、エピック………..等々。その会社名を聞くだけでも心が躍った。アメリカに行った気持ちになっていた。
レコードが好きだったんだなあ。
しかし、さらっと出たけれど、ステーツサイドなんてレーベルは今は聞かないよね。

ただ、思えば今、私が仕事にしているジャズ・レーベル、例えばブルーノート、プレステイジ、リバーサイド、などの名前は聞いた事がなかった。
まあ、ジャンルが違うという事で。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001