HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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私のコレクション
2018/07/27

死刑台のエレベーター(Ascenseur pour l'échafaud) Fontana 660,213MR.
Miles Davis, Barney Wilen, Rene Urtreger,  Pierre Michelot, Kenny Clarke.
フランス 10インチ版 57年録音 オリジナル

今回は入荷で話ではなく、私の宝物の紹介。 
レコードとして珍しい方ではあるが、すごい珍盤というわけではない。
マイルスが映画フィルムを何度も何度も見ながら即興で録音したと言われる力作である。
フランス国とマイルスに置ける歴史的名盤という点においてトップクラスである。
しかし、よく見ていただくとサインがある。
このレコードは仕入部長がフランス人のコレクターから買ってきたものである。
ちょっとこれ見てよと、ジャケットを見せられた瞬間、私の中に旋律が走った。
なぜなら、主演女優のジャンヌ・モロー、主演男優のモーリス・ルネ、そしてなんと監督のルイ・マルのサインが一枚のジャケットに書かれていたからである。
私は仕入れしたものを、客よりも先に自分が入手する事を戒めていたし、仕入部長もまた渋った。しかし、これだけは我慢ならず、定価で購入させていただいた。
仕入部長の話によると、なんでもその方は、ジャンヌ・モローとルイ・マルのサインがあるからといったものの、もう一人はわからないと言ったらしい。
だが、映画好きなら、モーリス・ルネの名前くらいすぐに出てこない手はないが、しかし、時代が変わったのである、1983年に亡くなった俳優の名前など、フランス人でも知らなくとも不思議ではない。ルイ・マルは歴史的監督でもありジャンヌ・モローは今でもタバコを吸っていながら テレビの画面では健在なのだから知らぬ人はいない。

というわけで、私の一番好きな映画の関係者のサインが3人いちどに揃ったアルバムが手に入るとは思いもよらなかったのである。
ジャズのレコード・コレクターを長年続けていてよかった。
3つのサインの一番上が“Maurice Ronet”(モーリス・ルネ)、左側がJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)、下が“Louis Malle”当時弱冠25歳の監督である。

映画の封切は 1958年1月、サントラ盤のこのレコードも同時期に発売されているので、きっとオープニング・パーティーか何かの時にサインをいただいたものであろうか?
そうでもなければ三人は揃うものではない。

奇跡のアルバムである。
時々、棚から出しては眺めている。
映画のラストの、暗室の中で印画紙に二人の姿が浮かび上がってくるシーンを思い出しながら。

しかし、私もやっぱりコレクターだね。

光線治療器
2018/07/26

先日、テレビ番組の「家について行っていいですか?」を見ていたら、電位治療器がおいてあって、主人がよく機械に掛かっていると話していた。
我が家にも同様な機械があって妻はほぼ毎日やっている。電子治療器とか電気治療器で、ヘルストロンと言えばかなりの方々が「ああ、あれね」というに違いない。
説明書にもある通り、即効性はなく、なんとなく不調の人が掛かる機械である。私も掛かっているが、これは、つくづく健康な人が掛かると良いのだろうと思っている。

しかし、私が良いというのは、それではなく、「コウケントウ」と言う光線治療器である。
これは、かなり広範囲の病気に効果があるとされ、ガンにも効果があると作った会社も勿論、私もまた信じている。
光線とは太陽光線の力を利用したもので、それを2本のカーボンを電球のフィラメントのように接触させ、光を発生する。
戦前にドイツで発明されたものだが、新興の宗教とは関係がない。
しかし、私は「お光様」と言っている、実に原始宗教的でもある。(笑)
使用方法は、自分ではカーボンの選択はできず治療院で選んでもらう事になり、病気によって各種のカーボンの組合せが必要になる。

抗がん剤、放射線治療で痛めつけられた副作用に悩む方々には、良いのではなかろうかと思うのである。
私は暇にまかせて、この光線を当てているのだが、足の裏に当てると とても気持ち良くスーと寝てしまう。

中々、良い治療器である。

時代劇で
2018/07/22

暇な私は、一日中時代劇を見ていることが多い。
それで、剣客商売など好きなのだが、大岡越前も気に入っている。
加藤剛主演のあれ。

加藤剛は先月亡くなってしまった。
しかし、加藤剛のハンサムな事。
そういえば、誰だかがテレビで言っていたのだが、加藤剛と田村正和?だったか、とにかく良い男で、いい男というよりあまりな綺麗さに男と言えど、うっとりしてしまった、という話がある。
たしかに、大岡越前も見ていると本当に良い男である。
しかも画面の中でも善良さが伝わる。

良い役者だったなあ。


ジャズのサウンドは...
2018/07/20

最近、療養で自宅に籠っていることが多いので、レコードを沢山聴くことになってしまう。
それで、好きなものばかりとは行かなくなって何でも聴く、スイングやニューオリンズも聴くことになる。

それで、つくづく感心したのが、ハードバップ、BE・BOP以前のジャズの明るい事。

こうして考えると、BEBOPという前衛的な音楽が始まり、ハードバップという洗練されたジャズに変遷したのであるが、ハードバップのサウンドは実に内向的になったものだ、要は暗いサウンドになったのだ。
いや 単なる暗さではなく、それが哀愁や知性を加味してきて、都会の音楽、大人の音楽として支持されるようになったのだな。
すごい事だ。

ジャズって
2018/07/19

私はジャズの演奏やレコードやジャズメンの事を書いていたりするのだが、その際、素人に対して気を使うことが無い。
ジャズというジャンルは非常に 狭い範囲の人たちすなわちマニアによる所が大きいので、素人がどう考えるかなどと心配をしていない。
故に 社会で「有名」などという言葉が,マニアにとってどれほど無意味であるか承知しているつもりである。
そういう意味においてジャズって良いなあ。

ジャズのリスナーとは、日本においては 戦後は不良たちの音楽だと思われていたし、そのあとは落ちこぼれ達・ドロップアウトした人達の趣味の音楽だと思われていたところがあって、それが社会からそう思われていることが、却って自慢になってしまった。
そういった「リスナーとかマニア」には、自分たちしか理解しえない音楽という、一つの価値観になった。
故に、好きなジャズメンなど、若干の好みは優先するものではあるが、実に仲間でしか通じない表現で、何ら不満を持つものではなかったのである。

現在はCDやらダウンロードの時代に到来し、ネット上であっという間に素人評論家が闊歩し始め若干価値感が変化したとはいえ、まだまだ、古い親父たちの価値観も負けるものではない。

と言い切った所で考え直すと、やっぱりマニアにしか分からない話だなあ。

コルトレーン
2018/07/18

コルトレーンが来日コンサートで長崎に来た時の話が、YOUTUBEで見られる。
長崎のテレビ局に米国のジャーナリストが取材に来たところを、NBC長崎放送の当時のアナウンサーの話である。

サヨク・マスコミらしく反戦の話が多い所はあるが、それも長崎ゆえに止むを得ないところである。
話が聴けて非常にありがたことである。


コルトレーンの事では 米国米国と大騒ぎだが、せっかくの長期の日本ツアーだったのだからその当時の取材をきめ細かにして、演奏も完璧にリリースしたらよいのになあ。
まだ関係者も生きていると思うが...



   https://www.youtube.com/watch?v=OR2_vixNQYU


見舞いに来てくれた
2018/07/18

仲良しがお見舞いに来てくれた。
暑い中遠くから来てくれた、本当にありがたい。



   西瓜下げ 私鉄の駅に 友は立つ

新聞を止めようとして....
2018/07/16

ここ数日、玄関に新聞が置きっぱなしになっている。
郵便受けから取っては来たものの、広告も挟まったまま読みもせず、そのまま古新聞入れに溜まって行く。
今までもこんな事は、何度もある。
特別な事件でもなければ大体、新聞を読まなくなった。
テレビと変わりない内容の新聞はどうしても目が行かない、読み応えがなく手に取る気にならない。

それで、家内と新聞を止めようと話し合った。
だが、家内も一向に新聞屋さんに電話する気配もない。

まあ、そのままでもいいのだが。

思えば、義父が生きていた頃は、日経、読売、朝日、産経と取っていた。
義父も年齢からビジネスから手を引いた事、私が退社した事で、まず日経と左翼の朝日を止めた。
産経はなんでもフジサンケイ・グループを企業家たちが後押しをしようと決めたから取らないといけないと。
読売は新聞屋のおやじが集金に来る度に、大変だ大変だとこぼしていたので継続することにしていたが、おやじさんも亡くなり我が家も二つはいらないという事になり、結局おやじさんの関係で読売だけが残り 今に至る。

別にジャイアンツ・ファンでもなく、いやヤクルト・ファンであるし、そのおやじさんも亡くなったので、もう引き止める物はなにもない。

だが、ひとつも新聞が無いのも寂しい。
朝刊だけにしようかと話したりもしているが、結論は新聞は取らない事にしてある。
こうして話し合いが始まって一年。

どうしたものか?

昔のジャズファンは...
2018/07/15

ジャズの本で、ちょっと読みたかったのを思い出して、アマゾンの古本を注文しようとしたら、大したものでもないのに、定価の3倍ほどで売られている。
馬鹿らしくなって注文を止めた。
今度神保町にでも行ったときに探そう。

それで、ぼやっと考えていたのだが、昔のジャズファンはジャズのレコードも好きだったが、本も好きな人が多かったような気がする。
だからジャズ喫茶などでも本を読んでいる人が結構いた。
ジャズに関する本だけでなく、文学書なども読んでいたのだ。

それが一挙に変化した時期があって、それは学園紛争が激しくなってからである。
一応、本は本だが、漫画の少年マガジンなどを読むようになった。
それからかなあ、ジャズ喫茶そのものが衰退方向に向かったのは。

本と関係があったのだろうか?
と、考えてしまって、一日終わった。

また猫
2018/07/12

また猫の話。

写真をご覧頂きたい。
我が家の猫のブルも 今は椅子にも自分で乗れないほど足腰が弱ったが、ちょっと前はこんなに強かった。
網戸をよじ登っていたのだから。
たくましい姿であった。

このブルを一昨日の朝、玄関前を散歩させていたところ近所のおばさんがやって来て、よぼよぼ歩いている猫を「あらまあ」と見ながら、「私はね、前のチビちゃんを思い出すのよ」と。

「チビ」とは今から20年前に死んだ猫で、22歳まで生きた、それは強い猫であった。
「おたくの陽ちゃんがね、何歳だったか、ウチに遊びに来た時に、チビが一緒について来たの。ついて来たのは良いのだけれど、玄関から一緒に家に入るというので、ネコは駄目だと言って締め出したの。そうしたら家に入れろと怒って、リビングに廻り網戸をよじ登って大騒ぎしたのよ」
「へー」
「それが、いまも爪の後が網戸に付いていてね、夏になってキズを見ると、いつもチビちゃんを思い出すの」

チビはこの界隈を縄張りにしていて、朝ご飯が終わると、我が家を出て近所廻りをするらしく、人の家に入れてもらいご褒美を頂いて、次々と回ることにしていたようで、食べ過ぎでお腹が地面に付くほどであった。
チビの傍若無人の振る舞いは、チビが死んだ後に近所の方々から報告を受けて分かった。
それが近所の家で寝ていても、夜、私などが外に向かって「チビ!寝るよ、帰っておいで」という声を聞き付けると、チビは大急ぎで池田家に帰って行く姿ががオカシイと言われたのである。

色々、飼い主の知らない事も多々あったが、この近所は昭和42年前後に住み着いた人たちばかりで、比較的、近所の愛が感じられた時代であったのだ。
いまは初代の人は数人しか残っていおらず、また私たちの2代目になって相当土地の区分も小さくなり、挨拶もしない人達が増えた。

昔の良い時代の話であるが、そんなことがあったらしい。


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