HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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昔のジャズファンは...
2018/07/15

ジャズの本で、ちょっと読みたかったのを思い出して、アマゾンの古本を注文しようとしたら、大したものでもないのに、定価の3倍ほどで売られている。
馬鹿らしくなって注文を止めた。
今度神保町にでも行ったときに探そう。

それで、ぼやっと考えていたのだが、昔のジャズファンはジャズのレコードも好きだったが、本も好きな人が多かったような気がする。
だからジャズ喫茶などでも本を読んでいる人が結構いた。
ジャズに関する本だけでなく、文学書なども読んでいたのだ。

それが一挙に変化した時期があって、それは学園紛争が激しくなってからである。
一応、本は本だが、漫画の少年マガジンなどを読むようになった。
それからかなあ、ジャズ喫茶そのものが衰退方向に向かったのは。

本と関係があったのだろうか?
と、考えてしまって、一日終わった。

また猫
2018/07/12

また猫の話。

写真をご覧頂きたい。
我が家の猫のブルも 今は椅子にも自分で乗れないほど足腰が弱ったが、ちょっと前はこんなに強かった。
網戸をよじ登っていたのだから。
たくましい姿であった。

このブルを一昨日の朝、玄関前を散歩させていたところ近所のおばさんがやって来て、よぼよぼ歩いている猫を「あらまあ」と見ながら、「私はね、前のチビちゃんを思い出すのよ」と。

「チビ」とは今から20年前に死んだ猫で、22歳まで生きた、それは強い猫であった。
「おたくの陽ちゃんがね、何歳だったか、ウチに遊びに来た時に、チビが一緒について来たの。ついて来たのは良いのだけれど、玄関から一緒に家に入るというので、ネコは駄目だと言って締め出したの。そうしたら家に入れろと怒って、リビングに廻り網戸をよじ登って大騒ぎしたのよ」
「へー」
「それが、いまも爪の後が網戸に付いていてね、夏になってキズを見ると、いつもチビちゃんを思い出すの」

チビはこの界隈を縄張りにしていて、朝ご飯が終わると、我が家を出て近所廻りをするらしく、人の家に入れてもらいご褒美を頂いて、次々と回ることにしていたようで、食べ過ぎでお腹が地面に付くほどであった。
チビの傍若無人の振る舞いは、チビが死んだ後に近所の方々から報告を受けて分かった。
それが近所の家で寝ていても、夜、私などが外に向かって「チビ!寝るよ、帰っておいで」という声を聞き付けると、チビは大急ぎで池田家に帰って行く姿ががオカシイと言われたのである。

色々、飼い主の知らない事も多々あったが、この近所は昭和42年前後に住み着いた人たちばかりで、比較的、近所の愛が感じられた時代であったのだ。
いまは初代の人は数人しか残っていおらず、また私たちの2代目になって相当土地の区分も小さくなり、挨拶もしない人達が増えた。

昔の良い時代の話であるが、そんなことがあったらしい。


ウチの猫
2018/07/10

ウチの猫は17歳にもなり身体能力が劣った。。
以前は椅子から大型の冷蔵庫の上まで飛び上るほどの能力であったが、その椅子にも上がれなくなった。
といっても、登る努力はしていて、前足を椅子に掛け、後ろ足で必死に床をかいている。
その姿は誠に健気である。
それでも3回のうち1回は諦める、そして、なんとかしてくれと人の顔をじっと見つめている。

そうなると私が、彼の後ろ脚を持ち上げてあげるのだが、ここの所、それが頻繁になってきて、今日など私の顔も見ず、そのままの姿勢で当然のように待っている。
身体障害者を助けるのは当たり前だという態度が実に気持ちが良い。
人間もそうでないとね。

EDDIE HAZELL “IN CONCERT”
2018/07/09

EDDIE HAZELL “IN CONCERT” Eden Records LP-1 (USA)

ちょっと珍しい男性ボーカル・アルバム。
私の大好きなアルバムでもあるが、男性ボーカルなので無理強いはしない。
このアルバムは、屋根の上のバイオリン弾きの主題歌サンライズ・サンセットがまず素敵な歌とギターに感心する。
彼は、ニューヨークやワシントンのどこかのクラブ専属の歌手&ギタープレイヤーとして、またギターの教師として結構忙しくしていたらしい。
私がこのレコードを購入したのは、思い出してみると調度どこかのレコード屋に新入荷で入ってきた物を ジャケを見て衝動買いしたからである。
録音の年月日が書かれていないのだが、記憶から言うと多分1979年から82年の間であろう。

当時、日本では全くの無名だった。
それが2000年になってからクラブ・ミュージックが流行ったときにもう一枚のアルバムのボサノバ曲が受けて、そっちの方が高値で取引されたので、ついでにこれも売られたのだ。
それがクラブ・ブームの終焉と共にこの人の音楽も忘れ去られたようである。
ある意味、落ち着いて聴けるというものである。

このアルバムを聴かれたい。
都会的な洗練されたギターと歌で、聴く程に好きになるアルバムで、この人の上手さが伝わってくる。
当初から、通の間のみで、ちょっとだけ知られた存在だった。
かれは、レコードアルバムを4枚ほどリリースしたであろうか、しかし、そのご80年代の中頃から、身体の具合が悪くなり、音楽を中断せざるを得ない事が実に残念であった。

さて、当アルバム、不思議なレコードで、ジャズとポップの中間辺りの音楽であろうか。1曲目の「Jada」次の「The Shadow of your Smile」そのまた次の「Manha de Carnival」のあたりに来ると、なぜか「Sunrise Sunset」が始まりそうな気がするのだ。
そして期待通りに 盤をひっくり返したあとに、曲が始まるわけ。
それはそれは感動してしまう。って、それは私だけの理想というか勝手な想像であるけれど、この曲がまた雰囲気抜群で、ここに作品のピークが来て、これでレコードを聴くのはお終いにする事もあるほど、お気に入りなのだ。
後続の曲はもう聴かないと言うわけではない、雰囲気によって、そのまま終わりにする日もあるという事。

いつも名盤ばかり聴かれている方には不満かもしれない。
2・3分ばかりの小品であるが、しかし、小品こそ通の神髄である。 私はこのアルバムが本当に好きで、いまでも年に数回必ず棚から引っ張り出して聴く。
オーディオが良ければ、男性ボーカルは最高である。

7月は
2018/07/08

暑くなってきた。
少し休みましょう。


 
 7月は 脳を休めて 水のんで


久しぶりに歌舞伎町猫に会えた
2018/07/07

家内が、あなたの日記によく出てきた歌舞伎町の裏の遊歩道に住んでいるという野良猫の「サキちゃん」に会ってみたいというので、案内して店からとぼとぼ歩いて行った。

夕方だったが、なんと以前の姿勢のまま、ちゃんと座っていた。
一年ぶりだったのに。
キリッとした姿勢もそのままで可愛いものである。

サキちゃんの、一年経っても元気な姿を見られて、いいもんだね。

Billie Holiday - At JATP
2018/07/06

BILLIE HOLIDAY “ AT JAZZ AT THE PHILHARMONIC” CLEF MG C-169 (USA)
10inch

さても名盤の登場である。
こんな名盤かつ珍盤で綺麗なモノはそうそう出てくるものではなく、かつて我が国のレコクターにおいては、その頃の日本で編集された盤を入手する以外には無かったのである。
それがこんな10インチ盤の綺麗な物など望むべくもなく、傷だらけの盤でも大喜びであったのだ。
まあ、あまり昔の話をしても意味はない。

ここに収録された曲は8曲。
A面の最初の2曲、Body and Soul, Strange Fruits 近年は1945年2月11日となっており、Howard McGhee, Willie Smith, Illinois Jacquetなどメンバーも良く、音質も大変良好である。
Body and Soulは彼女のいつもの得意曲であり、Strange Fruitsにいたっては彼女の代表曲であり、ライブ演奏で歌に入る前に咳払いまでも録音されているのは、マニアにとってはたまらない魅力である。
観衆の拍手やノリも素晴らしい。
同様のメンツで3・4曲目のTravelin Light, He’s Funny that way,もありがたい。1946年10月7日の録音。
B面の4曲は1946年6月3日録音カーネギーホールの録音である。当初はこれらの録音はすべて1946年4月22日のカーネギーホールかと言われていたが、意外にもそうでも無かった。しかし、B面にはレスターヤングの参加もあり興味がそそられる。ただし。テナーサックスがイリノイとレスターの2人がいるので、どっちがどっちかちょっと判断付かぬところがあるので、そのあたりはリスナーの耳のお任せする。

とにかく、これは彼女の作品中、白眉であると断言する。
バックのメンバーのサウンドも申し分ない。
10インチ盤のイコライジングを合わせて聴いた時の音は鳥肌が立つ。
彼女は堂々としており、それが伝わってくる。彼女は歌っている時の感情というか、レコードを通しても、様々な感情がもろに伝わってくる珍しい人だと思う。
それらの中で、この作品ほど堂々たる印象を与える作品も珍しい。

更に言えば、このカヴァーの絵を見られたい。
ベッドに投げ出された電話の受話器、脱ぎ捨てられたジャケット、うつ伏した女性の裸身が、悲しみに打ちひしがれた様子がこれでもかと表現された、ストンマーチンの力作でもある。
彼女は若いころ、白い電話が憧れだったという、長いコードを付けてベットの中でも話ができるように。まさに彼女の憧れの生活がそのままである。
しかし、本人はベッドで楽しそうに話をしているわけではなく、悲しみに暮れている....。

このジャケットにしてこの歌あり。
悲しみや憎しみの感情の波の中で漂っていたのであろう彼女の歌は、私たちに希望さえ想起させる、この宗教的でさえある見事な歌なのである。



大騒ぎのマスコミ
2018/07/05

テレビで、2・3日前、サッカー日本代表が決勝トーナメントに出場だと、大騒ぎ。
どこのチャンネルも大騒ぎ。テレビも見たくないほどどこも同じニュースの繰り返しで一日中。

これは、まるで大東亜戦争の頃の、「大本営発表」と何も変わらない。
つくづく思うに、日本はすべて「フィーバー」である。
報道もフィーバーさせることが目的であるし、芸能でも、ファッションでも、商品販売でも、その手法はすべてフィーバーである。

そこを脱却しないと日本に民主主義はないぞ。
冷静さを保つことが民主主義の根本なのだ。

家族
2018/07/04

自宅周辺の商店街を歩いていると、オレオレ詐欺に騙されないように!というチラシが至る所に貼られている。
テレビでもくどいようにキャンペーンが張られている。
だが依然、金をかすめ盗られる事件は無くならないようである。

先日、家内が録画してあった映画を見ていたら、面白い場面があった、
残念ながらHDの容量が少なくなったので、録画を消してしまってタイトルを思い出さないので勘弁してもらう。

映画の話というのは。
身内のだれかが警察に捕まり、保釈金が2,500ドル必要になった。
そのことを母親に電話し、金が必要だから今すぐ払ってくれと懇願する場面である。
その時の母親の態度、「そのような重要な話を電話でするものではない。とにかく家に帰ってきて話し会うものだ」というような場面であった。

そこに大変な事が含まれているのではないかと考えさせられたのだ。

日本のジジ・ババが簡単にオレオレ詐欺に引っかかるのはそこが問題なのである。
家庭とは何か?

重要な話ならばこそ、電話で済ます話ではない!と一喝するところが、実は、
ジジババに課せられた重要な仕事ではなかろうか。

日本のオレオレオなどの詐欺が収まらない理由を思うと、お金の事を簡単に考えている昭和に生きた人々の間抜けな金銭感覚が透けて見える。
更に、家族とはいったい何んだったのかと、考えさせられる。
日本の親は金を払うのが親の仕事だと思っている所があり、愚かな事だと知っていながら、それに甘んじている。
まあ、ジジ・ババなど、若い衆にとって単なる金蔓であるのだから、まあそんなところか。

払いたものは、払えばよいのさ。
あの世には持って行けないんだから、せめて社会の中で金回ればが良いさ。


そこで川柳
  

  「腰据わらぬ ジジババありて オレオレあり」



味覚が.....
2018/07/02

今日、掛りつけの胃腸科の先生の所に行った。
それで、味覚障害で困っていると訴えた。

先生の答えは、「味覚障害に効く薬は無いんです。それはね、池田さんが今までの食べ物の味の記憶をたどり、記憶と口にしたものの味を結び付けてゆく作業なんですよ。それが回復なんです。だからクスリはないんです」。
「じゃ、今までの私の人生の味覚の歴史を辿るということですか?」。

と、なんと遠大な計画なのであろうかと考えてしまった。
しかし、気が遠くなるような話ではあるが、ある意味何やら楽しい行為でもある。
私の人生は私の味覚。
しかも、ここまで来て尚面倒というか、まあ今更ではあるが、己の味の歴史を辿るという事は、人生のものを辿ることに他ならない。


やる気になるなあ。

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