HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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BUD POWELL "THE SCENE CHANGES"
2018/05/08

BUD POWELL "THE SCENE CHANGES" BLUE NOTE 4009 (USA)

このアルバムの内容の事ではない。
今回のこのレコード自体がモデルになったという話。

この度、テクニクスが往年の名器SP10を復活するという事になり、その宣伝の為に、オーディオ雑誌「管球王国」の表紙のモデルになった。
SP−10Rがつぃに、SL1200のに続き、多くのマニアの要望を受け、5月25日に発売になるというので、今月号(2018年春号)の宣伝の写真に使うというので、ちょうど店に入荷したTHE SCENE CHANGESがよいのではないかと言う話になり、使って頂いた。

本が出来上がって来て、見比べていると、なんとなく本と一緒に保管したくなる。
写真のこれだと思うと余計に愛着が湧く。

ART BLAKEY “A NIGHT AT BIRDLAND Vol.1”
2018/05/06

ART BLAKEY “A NIGHT AT BIRDLAND Vol.1” BLUR NOTE 1521 (USA)

10年も前に一度このアルバムの事を書いたかもしれないが、入荷した一枚を聴いて、これは書かないといけないと思った。
まあ、音質の良いアルバムであった事も一因だが、この盤に作られた音質は凄い音だと思ったからである。
この作品は1954年2月のハードバップの初の録音ではないかと言われている通り、実に強烈なジャズの現状がぎっしり詰まった実にエキサイティングなアルバムである。
当初は54年に10インチ版が3枚に分かれて発売された。
56年にヴァンゲルダーのカッティングで12インチ化され2枚に分版された。
したがって音質は若干異なる。
異なると言えど、どちらも出来の良い音質で、聴く個人によって全く好みも異なるものと思う。
10インチの方はRIAAではなさそうで、まずAESと思われるが、ずっしりとした重い音で、うまくカーブを合わせられると、迫力ある当時のジャズの音が再現される。
12インチの方は、RIAAかと思えるが、今度機会が得られればイコライザーで試してみようと思っているのだが、聴感上は高域がすっと伸びて今風なサウンドにぐっと近く、一般的なオーディオで聞かれる人には、こちらの方が楽しめると思われる。
しかし、10インチ3枚のジャケットと12インチ2枚の雰囲気は相当違っているので、コレクションの総合判断としては、何も言えない。まあ、こういう記録的・歴史的な作品は両方持つのがよろしいかと。

さて、今回の12インチVolume 1であるがこの盤のA面に、10インチのVolume1の曲順通りA面からB面までを並べ、12インチB面には10インチのB面の長い演奏のA Night in Tunisiaと10インチA面の1曲Mayrehが入る。
上手い具合に司会の入りからアート・ブレイキーの話やら、迫力の演奏の感じがそっくり収められ、さらに看板のA Night in Tinisiaが収録と文句ない作りになっている。

また、司会者からトランペット・センセーションとの紹介されるクリフォード・ブラウンの音質の凄さも伝わり、彼のハードバップの開祖としての力量、マイルスのようにクールジャズを取り入れたりせず、己は黒人ミュージシャンだと主張するかのような黒人ジャズのサウンドで心意気がひしひしと伝わってくる。
多くの後進たちのその意思を残した、彼の堂々たる個性あふれる演奏である。

さらに、アート・ブレイキーのシンバルの音が、ただのチンチンではなくコンコンと聴こえる迫力である。
スピーカーに耳を近づけ上部から下部まで移動して確認すると、なんとスコーカーから聴こえている。
凄いぞ、凄いぞと一人で興奮してしまった、こんなアルバムはなかなか無い!


いや、久しぶりに興奮した。
俺はまだ熱いぜ。

(続)Violets for Your Furs
2018/05/04

Violets for Your Furs
の続きのまた続きでしょうもない話。
三具さんから聞いた話も一緒に思い出してしまうので、別に書くことにした。

三具さんが、この歌の作者のマットデニスの合った時、質問をした。
「この歌を突く言った時に、ニューヨークの真冬にいったいパンジーがあったのか?」と。鋭い質問である。
するとマットさんはちょっと考えてこう答えたそうだ。
「はい、ありました、当時米国の航空機の発達は目覚ましく、フロリダで作られたパンジーが、航空便でどんどん入荷し、街角で売られるようになり、それが市民に大いに受けた」という話。

なんと1941年、ちょうど第二次大戦の初めの頃の話である。
航空機輸送が確立し、農業においても経済性の追求が大いに図られていたと。
航空機輸送が確立するには航空機産業の発展は言うに及ばず、その周辺部すなわち自動車産業の発展とその輸送力も確立した事になり、道路網も例のアメリカ独特のカモボコ型の走り難さはあるものの、道路舗装が完備した事になる。
更に、パンジーを植え付け収穫しそれを素早く出荷する労働力も必要になるという事は、当時の奴隷制度という安価どころではなく只同然の労働力があった事は大きいものの、それだけでなく農業機械化も進んでいた事が伺える。

これがあらゆる産業にわたって同様な進歩があったわけで、軍需産業ともなれば、さらに凄い成果が見込める事になろう。
想像すると感心してしまう。

それに比較すると日本の戦時中の話を思い出す。
当時の日本の主たる輸送機関は牛車や馬車が大きな割合を占めており、戦闘機の製造の場合も、パーツごとに作る工場は異なるわけだが、その集約する輸送は牛車であったと。
それを聞いて、もはや戦争における勝敗の行く先は見えていたのである。

昨日は憲法記念日
2018/05/04

昨日3日は 憲法発布の日とされて祝日になった。
私の誕生と同年なので同い年という事になる。
文部省の教育指導要綱にでもあったのか、小学校の頃から先生に日本の憲法は平和憲法で世界に自慢できる素晴らしいものだと言われ、ずっとその気になっていた。
しかし、日本は1945年の敗戦時から1952年の間、我々は考えないようにしていたが、アメリカの占領下にあった、すなわち植民地であったわけで、その間1947年に作られた憲法は日本独自の憲法などという事は絶対にあるはずもなく、GHQの意思の元に作らされたことに間違いない。

その憲法を守るべくあらゆる組織が守ってきたのであるが、そんな憲法がはたして独立国家たる条件を満たしているのか?
自らが憲法を作らずして、独立を果たしたといえるのか?
植民地時代の憲法で70年経った今も喜んでいるような国民は、まさに植民地の人民と言わざるを得ない。

まずは、自らの意志で国づくり。

Violets for Your Furs
2018/05/03

Violets for Your Fursの歌の続。

まあ、その....、
考えてみると、私など習慣的にパンジーと言っているけれど、あの歌の中のヴァイオレットとは西洋スミレの栽培用の事である。
我々のスミレとはいったいどういう風に異なるのかと、本棚にある重たい「牧野富太郎植物図鑑」を引っ張り出して見た。
どうもスミレの本家ともいえるのは「ミヤマスミレ」で、北半球温帯から寒帯に分布するとある。学名がViola Selkrkii Purshといい、ロビンソン・クルーソーのセルカークに因んだ説もあり、カナダの原産地はカーク卿が所有した山であったと書かれてある。

ちなみにこの話は「画文集 花の絵本 佐藤達夫」という花の絵と一緒に掲載された本の中に詳しく書かれている。

さて、どうもこの紫がイメージのもとにあるらしい。
ただ、その後の栽培はヨーロッパ原産のものと交配でできた「サンシキスミレ」が主となったと考えられるが。1941年当時にサンシキスミレがアメリカにもたくさんあったかは不明である。
ひょっとした黄色の色も花束に交じっていたのかと不思議でならない。

三具さんに、どういう色だったかと確認してもらいたいが、すでに後の祭りである。

というわけで、スミレという花が日本にはたくさんあることが分かった。
好きな人にとっては日本はスミレ王国というらしい。
スミレの語源は大工の「墨入れ」から来たとも書かれていて、その奥深さに、なんとも、オジサンはいやはや、疲れてしまったのである。

庭の花 (続)
2018/05/02

ちょっと前に、成り過ぎた実をやっと全部落としたばかりなのに、もう花が咲いて驚いた。
柑橘類の花は楚々とした白い小さな花である。
写真に撮ろうと眺めていたら、あれっと思う一つがあって、なんと6弁の花びらであった。

四葉のクローバーならぬ六葉のユズか?
まあ、縁起が良いという事で。


庭の花
2018/05/01

ここの所、庭の紫蘭が一斉に咲いた。
随分前、まだ義母が生きていたころ、どこからか海老根(エビネ)と一緒に頂いて来て庭に植えたものだが、エビネは消えてしまったが、紫蘭の方は徐々に広がって、しっかり領土を築いた感がある。

春の一景色である。

暖かくなって
2018/04/30

ゴールデンウイークである。
暖かくなって良かった。

冬のうちの寒さが嘘のようである。
今頃の暖かさが一年の内で最も良い時かもしれない。
何しろ着る物が少なくなったのがありがたい。
寒い時はタイツの重ね穿きもあったりして面倒だった。


 モモヒキの チンチン遠く なりにけり
 

庭のパンジー
2018/04/29

「こう暖かくては、庭のパンジーももう終わりだから、花束にでもしようかしら」と家内が言いながら、花を切ってテーブルに持ってきた。

さっそく写真に収める。

こうなると、私の心は黙っていられない。
そう、あの歌 Violets for your furs。

I bought you violets for your furs.....
君のコートのファーにパンジーを買って付けてあげたね。
一瞬の春だったけど覚えているかい?

スミレの花束を君のファーに付けた時、僕たちは恋しているんだと気が付いた。
という恋の話。

良いねー。お洒落だね、これで恋に落ちない人はいないような、英語の歌は本当にキザだけど、そのキザが似合う。
今日はシナトラのレコードを掛けて聴いたんだ。

ところで、この歌の歌詞ほど日本語に似合わない歌もない。
なにしろファーという言葉は毛皮の事でもあるが、女性のコートの襟につける毛皮の事なのだが、そういう「つけ襟」というものはあったが、ファーという言葉が輸入されなかったらしい。
ファーはミンクだったり狐だったり、いかにも暖かそうなつけ襟で、そのいかにも暖かそうなまた豊かな感じは例えようもない。
さらにヴィオレットという花をそのまま書くか、それとも一般的な名称パンジーにするか、またはスミレとするといかにも楚々としすぎて昔の女学生っぽくなるのもいやだ。
君のファーに僕がピンで付けてあげて、それを道行く人が見て微笑んだ、などとどうしたって日本には、今でも似合わない光景である。
アメリカの恋のゴージャス感とロマンチックな様子はとてもではないが、我々には及ばない。
白人という人たちの遊びの心というか、豊かな気持ちは想像を絶する.....

日本人のスミレのイメージはというと、ちょっと詩の本が見つからなかったので、俳句の本をみて見たら、こんなのが出てきた。

   すみれ摘む さみしき性(サガ)を 知られけり  (鷹女)

なんだかあまりに自分だけではないか?
鷹女の句には、こんなのもあって
   鞦韆(シュウセン)は 漕ぐべし愛は 奪うべし 
   (ブランコの事)
などというのもあって、なんとも浅ましい。

話がどんどん違った方向に行くなあ。

しかし、まるで日本人の女とてロマチックなんて無いかのような塩梅である。    
俺たちの人種のロマチックさなんて、いかにちっちゃいか。

KENNY DREW “TALKIN’ and WALKIN’ “
2018/04/27

KENNY DREW “TALKIN’ and WALKIN’" JAZZ: WEST JWLP-4 (USA)

さても大変な珍しいアルバムである。
こんなものも久しぶりに見られて、私も幸せな気持ちになる。

多分ケニー・ドリューは晩生の人であったか、人生後半に大量に作った日本盤やスティープルチェース盤などが馴染みであろうか。そういう一般の人には信じがたい話であろうが、廃盤マニアに取ってレアなアルバムばかりで、実に厄介なミュージシャンである。

では、なにがそんなにレアかと羅列してみよう。
NEW FACE NEW SOUND BLUE NPTE 5023(10インチ) 1953年
これがデビュー作であるが、それがいきなりブルーノートの10インチとは恐れ入る。
THE MODERNITY OG K.DREW NORGRAN 1002 1953年
 これも珍品である
TALKIN and WALKIN JAZZ:WEST JWLP-4 1955年
 当アルバム
THE KENNY DREW TRIO RIVERSIDE 12-22 1956年
 マンホールの上の子供のジャケット写真もさることながら音質も凄いぞ!
更に60年ながらBLUE NOTE のUNDERCURENTという人気盤もある
等々、デビューからいきなりのレア盤攻撃である。
総額、いくらになるであろうか?と
それよりも入手可能かどうかの方が心配になる。

1970年からのコレクターであった私でも、当時から金銭的にも不可能と言われていたコレクションばかりであった。
その中で、群を抜いて珍品はこのアルバムである。
そもそもJAZZ:WESTレーベル自体が、良く分からない所があり、どのくらい売ったのか、いや、一体どのくらい「売れてない」のか見当がつかないほどと言った方が当たっているのであるから。
しかもこのアルバムは至って出来の良いハードバップで、同社の名盤テナーマンのドラムのLAWRENCE MARABLEがメンバーに出て来れば既に怪しい雰囲気が立ち上る。
ベースは西海岸で活躍していたLEROY VINNEGARでこれがズンズンとした良い味わいである。
そしてサックスだがこれが、とんと訊くことがないJOE MAINIではあるが、全く感心させられる哀愁のある見事なSAXを吹いて見せるのである。
"I'm Old Fashioned"など嬉しくなってしまう。
最近彼の記録的なアルバムが発売されたものの、あまり彼の名前を聞かないのは、きっと彼が主な仕事がスタジオ・ミュージシャンであったり、バンドのメンバーであった事が主な理由であろうか。しかし、CLIFFORD BROWNはじめ多くのアルバムに参加しているので注意すればその卓越した演奏を聴くことが出来のである。
しかし、このアルバムでの演奏がもっとも愛着を持てるのは、私が昔のコレクターなのであろうか。
ついでに言うと、64年37歳の時ロシアンルーレットで亡くなるという悲運の人でもある。
クスリの影響なども指摘されているのだが、人間とはかくも悲しい運命の元に生まれた人もいるのだ。

さて、勿論ドリュー自身の演奏も非の打ちどころがない。
パウエル派といえど、すでに洗練度は増しているのである。

さて、重要な話。
恐ろしく音質が良い。
こんな良いアルバムはそうそう無い。

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