今更であるが、当店のポリシー | - 2016/12/10
- 「僕達はPOPSを聞いて心がときめいたり、JAZZを聞いて胸が疼いたりして、 大人になった。
今もその時の気持ちは変わっていない。 HAL'Sはそんな不良中年の溜まり場になりたい。」 その英訳。 「We grew up, listening to pop and listening to jazz. The pop music made our hearts flutter, and the jazz made our souls ache. We grew up, yes, but our feelings didn't change... Hal's: where the middle-aged baddies hang out! 」
さて。 という事で英訳をしてくれたのが、友人の臼居であった。 当時、臼居は日本人ながら珍しく「外人記者クラブ」の会長をしていた優秀なジャーナリストであった。 不良中年などいう英語は無いからなと笑いながら作ってくれた。 彼とは、地元青葉台の焼き鳥屋での仲間で かつ自転車仲間であった。 なぜか毎週土曜日、夜11時過ぎに焼き鳥屋の閉店時間になると現われて、そこから仲間が5・6人で1時過ぎまで、話をして解散する。日曜日の朝は焼き鳥屋の夫婦も一緒に自転車を持ち寄って、近くでサイクリングという流れであった。 臼井はジャーナリストでも政治の同時通訳もした事がある高い英語能力を活かし、AP通信などいくつかのアメリカのマスコミで記者をやり、最後のほうはマグローヒルにいたと思う。 専門が軍事で、せっせと自衛隊の取材に通っていたのだが、日本のマスコミの軍事と外交の認識が世界水準において極めて幼いという話や、朝日やNHKの愛国心の欠如を憂い、日本記者クラブの閉鎖性に怒っていた、一匹オオカミのすごい人だった。 ワシントンポストが反日で日本を馬鹿にしていて、それなのに朝日新聞がその言いなりだとも怒っていた。
土曜日の閉店後の焼き鳥屋は、いつも何かと戦っている彼の、居心地の良い居場所だったのだと思う。 ちょっと早めに来てしまい隣の席の男と議論にでもなれば、最後は言い合いになり、相手を屈服させるまで手を抜かない、政治・防衛論は専門なので負ける事はない。我々も、頃合いを見計らって仲裁に入ったり、或いは気に食わない客の時は、逃げ帰る様にけし掛けたり、それは我々もその時の気分で 気を使っていたのである。
その臼居とも私は自分の店の独立で、なかなか会えなくなり、彼もまた年齢から退任し、暇になってしまいガックリきて昼間から酒を飲む様になってしまったらしい。 また焼き鳥屋も家の都合で店を畳む事になり、よけい彼の居場所が無くなり、あまり面白くなかったようである。 他の仲間はなにかと連絡を取り合ってはいたようだが、やがて身体を壊して亡くなってしまった。 残念で仕方がない。 友達甲斐の無い七ても、申し訳ない気持ちになる。
サイクリングコースの見える土手に、彼のお墓があるらしい。 その内に 墓参りに行こうと思う。
その時には オイラもじきに あの世行き! ブルースだな、って。あは。
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