HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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HOWARD McGHEE “DUSTY BLUE”
2016/12/17

HOWARD McGHEE “DUSTY BLUE” BETHLEHEM BCP6055(Stereo) (USA)

素敵なアルバムの入荷で嬉しいが、今回のアルバムはかなりの傷・スレがあってちょっと残念。という事で、少しだけノイズも出てしまう。
したがって、それほど積極的にオススメはしない。
しかし、その割にはノイズが目立たないのが救われる。
ステレオ盤はなぜか録音も上等なのである。

しかし、聴いていると、これほどの心にすーっと溶け込んでくるアルバムもない。
どうせ暇でもある事だし、何度も聴いてしまった。
彼のトランペットの音色は聴き易いのですっと入ってくる、だが、聴き易い音楽は他にいくらでもある。
しかし、彼のようにこの人は良い人だなあと思い、身体の中に点滴のように落ちて来て心休まる音楽はそうそうない。
いいなあ。

このジャケットを眺めていると、髪の毛はなるべく伸ばし、きっちっと整えている。
お洒落はヘアスタイルからという通りであり、きっとグリスのビンが5・6個も家にあったのではないか。
彼が如何にヒップなジャズメンであったか良く分かる。
スーツはやや細身で深い紺系、ネクタイも青い色のやや地味目できちっと結んでいる。
なるほどタイトル通り「ダスティー・ブルー」という渋い色合いなのだ。
お洒落なファッションには負けるなあ。
きっと大変モテたにちがいない。
そのダンディーな彼もまた、当時のビ・バッパー同様、クスリとの縁は切れる事がなく苦労は絶えなかった。
せっかくの才能に恵まれ、パーカー等とビバップの牽引役の音楽人生であったが、50年代になり一時中断。
その55年に復活しベツレヘムにThe Return of Howard McGhee、つづけて56年にLife Is Just A Bowl Of Cherriesと風情にある作品を発表し、そして60年にこのベツレヘム・レーベルを代表する当作品を発表するのである。
この頃は体調も安定していたのか、61年コンテンポラリにMaggie's Back in Town、63年UAにNobody Knows When you're Down and Outという一度聴いたら病み付きになるような力作を次々とリリースしていた。
ある意味最も良い時期でもある。
この間、クスリを扱った作品「The Connection」も手掛けたのは、なかなか興味深いところである。
その後はまた一時引っ込み、70年代からは音楽の先生などをやっていたようだ。
クスリで苦労したとしても、これだけの立派な作品を残せたのであるから、音楽家としては成功例であると言える、ドド・マーマローサなどに比較すれば、圧倒的に幸せな人生でもある。
パーカーなどは34・5歳の時に亡くなってしまっているわけでもある。

ここでも、テーマの部分もさらっと演って、これで良いんだという、達観した感じが伝わる名人芸が嬉しい。
しかし、ムーディーな夜の音楽としても超一流の出来である。

ZOOT SIMSのお兄さんRAY
2016/12/15

LES BROWN "ALL STARS” CAPITOL T659 (USA)

例のレコードの静電気を除去するブラシを作っている万木さんが来店。
この方、仕事熱心な一方で、ジャズも好きでかつ熱烈なズート・シムスのファン。
それでジャズ関係の有力者を動かして遂に念願のファン・クラブを結成したという。
死んでからファン・クラブってライブの先行予約もサインも配る特典も無いしどうなのよ、という意地悪な私の質問にも穏やかな笑顔で「好きだから、まあいいじゃないですか」とやんわりと返してくる。
笑顔が素敵な、なかなかのビジネスマンである。

その彼が、店内の棚の中から取り出して説明してくれたのが、このアルバムである。
そこの中央に写っている人こそがZOOTのお兄さん「RAY SIMS」であると。
よく見ると、両手をポケットに突っこんで立っている彼の顔はZOOTによく似ている、写真を間違えて掲載したのかと思ってしまいそうなソックリさん。
まあ、似ていれば確かに兄弟で間違いなさそうである。
そのRAYの写真が載ったレコードは どうもこれ一枚しかないらしい。
成程 貴重なアルバムである。
こんなものが店にあったとは、なんという幸運。
嬉しくなってしまって、しばらく聴いた。

そういえばレス・ブラウンのレコードなど最近はあまり探す人もいなくなったが、かつてはビッグバンド
・ジャズのファンに結構な人気であった。
メンバーはDAVE PELL、 BOB GORDON、 DON FAGERQUIST、 JACK MONTEROSEなど西海岸の主要メンバーが参加していて、 もちろん曲によってZOOT SIMSもいるという立派な楽団の演奏。
お兄さんのトロンボーンも中心的な役割も与えられ、長いソロもあり相当な芸達者で、大きくフィーチャーされている。
また一曲、歌も披露するという念の入れ方。
立派な作品であった。

いや、そっくりな風貌におどろいた。

更に驚いた事に、記憶にあったなあと店内を探していたら、なんと同じレコードのEP3枚組も出て来た。
なんという事でしょう!




(写真、左から2人目がレイ・シムスで顔が弟に大変似ている))

KENNY BURRELL and others “ALL DAY LONG”
2016/12/13

VA“ALL DAY LONG”  SQUIRE 32-107 (UK)

いやいや、珍品である。
原盤は米国PRESTIGE 7081。
そのヴァン・ゲルダー スタンパーを使用して英国ESQUIREレーベルで作成したのもである。
英国の盤は材質が良いらしく、音質も申し分ない。
だが、それは材質なのか或いは、電圧が230ボルトから来ることなのであろうか、と考えをめぐらすのだが、自分の中でも決め手はない。
それでも、音質は良いと定評がある。

今回、私が気に入ったのは、そのジャケット。
見た瞬間、これは英国盤のものの、更にジャケ違いかと思ってしまい大騒ぎ、以前の売買したデータと写真を探したら何の事はなくて、ALL MORNING LONG とデザインの傾向が似ていただけだった。
ALL MORNING LONG は 太陽が昇っているので、半円であり。
こちらのALL DAY LONGの方は昼なので、太陽が上っていて丸なのであった。
結構イージーな発想にオジサン絶句。
太陽を若干左に寄せてあるのが、アイディアか?
しかし、良いわ。!

面白いなあ。
レコードの趣味は止められない。


参考写真(左がALL DAY LONG、 右がALL MORNING LONG)

BENNY CARTER “SWINGIN’ THE 20s”
2016/12/12

BENNY CARTER “SWINGIN’ THE 20s” CONTEMPORARY M3561 (USA)

日記に書こうと思っていると、書く前に売れてしまったりしてなぜかタイミングが合わなかった。
それで今回は早く日記に掲載してしまおう。

このアルバムはそれほどのレア盤ではない。しかし人生の法則で、慌てて探すとなると中々出て来ない物である。
ましてオリジナル盤である。
このアルバムは58年にベニー・カーターのワンホーン作品として吹き込まれた中間派〜モダン作。相棒のアールハインズを選んだのも実に興味深い、なぜなら、彼は自分ではモダンジャズだと断言しているのだが、我々から見るとモダン前夜のピアニストであり、そういう雰囲気が、ここでは得も知れぬ雰囲気を漂わせている。
ナイスチョイスである。
ベースのリロイ・ヴィネガーとドラムのシェリー・マンは当レーベルの常任リズムセクションであり、全く以てこれ以上のメンバーは望む事は出来ない見事な布陣である。

ジャケットを眺めていて、気がついた。
タイトルが「スイングする20年代」という。そして、20年代を現わす事件の数々がここにタイトルの続けられるのである。事件とジャズメンの名前が上手く結合してあって、ちょっと面白い。
そのまま書き写すが、裏面にその事が A note on the coverとして説明が有るので、更に少しだけ記す。
今更ではあろうが、流れとして書かざるを得ない。
 WALL STREET LAYS AN EGG
29年のウォール街における株の大暴落で世界大恐慌になった経済的な大事件で、ジャズエイジと呼ばれた狂乱の20年代の、正に終焉で、その後暗黒の30年代を迎える事になる。LAYS AN EGGとは大失敗の意味で、当時の新聞の見出しがこういう表現を作ったものだと。
 LINDY FLIES ATLANTIC
ノンフィクション「翼よあれがパリの灯だ」は私も読んでかつ映画も観た。27年にリンドバーグがニューヨークからパリを33時間余で飛行しパリと全米で人々が熱狂した、その後は航空機の開発が加速することになる、アメリカの航空史上画期的な事件で、その後子供誘拐事件など世間を騒がせた。(仕入部長談)リンディーの名前は更に広まり、当時の特徴的な飛んだり跳ねたりするダンスをリンディーホップという、らしい、ハー。
 HOOVER ELECT
フーバーダムかと思ってみていたら、electionの事だと書いてあった、28年フーバー大統領就任である。フーバ−ダムはもちろん彼の名前から取った
 BABE RUTH HITS 60th HOMER
これは野球好きな日本人には親しみあるニュースで、27年にベーブ・ルースはホームラン60本を打ったという。技術的な革新もない20年代にホームラン60本は感心する。但し、アメリカには近年73本という記録がある。

という20年代を代表するニュースで、演奏する彼等もまたその中に一緒に書かれているセンセーショナルな出来事になっている。という上手い仕掛けである。
その狂乱の20年代は言ってみれば大バブルであって、バブルの時こそ、音楽も、曲も最高の物が出来上がった事は間違いない。
その頃の音楽をベニー・カーター先生が、優雅さを消す事なく演奏して見せた、又曲により彼はトランペットも吹いている。
演奏者それぞれの持ち味が出た良いアルバムである。

山形の酒屋
2016/12/11

新宿西口の地下広場イベントコーナーにおいて、山形県の物産と観光展が開催されている。
そこに、ちょっとだけ知り合いの酒田発酵という酒屋が出店しているので、見に行った。
今回は、どぶろくの販売だけに特化しているが、そのどぶろく、は優秀なできなので、好きな人には是非おすすめしたい。

店の名前は「木川屋」というのだが、会社名は「酒田醗酵」という

そこに甘酒も売られていたので、私は甘酒を購入。
この甘酒はきちんとした物、近頃の甘酒か砂糖水だか よく分からないものと比較すると、本格的なもので安心して飲める。
訊けば「酒米」を削って、しかもその酵母だけで作ったと言う。正に酒作りと同じように丁寧につくったものだ。
従って雑味の少ない上品な味わいになる。

私は小学生の頃から、米一升を自分で炊き、買って来た麹と合わせ、コタツに入れたりして、自分で作って、家族に振舞って飲んでいたほどの甘酒好き。
従って若干雑味はあるいかにも家庭的な甘酒であった。
いまは自分で作る事が無くなったので、購入しているのだが、本当に良い物はあまりお目にかかる事は無い。
しかし、ここの甘酒だけは期待を裏切る事がなく、私の大好物なのである。

どっちも好きな人、こだわりのマニアにおすすめしたい。
12月15日まで開催

また、山形の良い酒などが購入出来る通販もある。
下記のアドレスで検索すれば、バブルの頃何万円で売買されていた驚くような有名酒が、定価で入手できる。

http://www.kigawaya.com/

今更であるが、当店のポリシー
2016/12/10

「僕達はPOPSを聞いて心がときめいたり、JAZZを聞いて胸が疼いたりして、 大人になった。
今もその時の気持ちは変わっていない。
HAL'Sはそんな不良中年の溜まり場になりたい。」
その英訳。
「We grew up, listening to pop and listening to jazz.
The pop music made our hearts flutter, and the jazz made our souls ache.
We grew up, yes, but our feelings didn't change... 
Hal's: where the middle-aged baddies hang out! 」

さて。 という事で英訳をしてくれたのが、友人の臼居であった。
当時、臼居は日本人ながら珍しく「外人記者クラブ」の会長をしていた優秀なジャーナリストであった。
不良中年などいう英語は無いからなと笑いながら作ってくれた。
彼とは、地元青葉台の焼き鳥屋での仲間で かつ自転車仲間であった。
なぜか毎週土曜日、夜11時過ぎに焼き鳥屋の閉店時間になると現われて、そこから仲間が5・6人で1時過ぎまで、話をして解散する。日曜日の朝は焼き鳥屋の夫婦も一緒に自転車を持ち寄って、近くでサイクリングという流れであった。
臼井はジャーナリストでも政治の同時通訳もした事がある高い英語能力を活かし、AP通信などいくつかのアメリカのマスコミで記者をやり、最後のほうはマグローヒルにいたと思う。
専門が軍事で、せっせと自衛隊の取材に通っていたのだが、日本のマスコミの軍事と外交の認識が世界水準において極めて幼いという話や、朝日やNHKの愛国心の欠如を憂い、日本記者クラブの閉鎖性に怒っていた、一匹オオカミのすごい人だった。
ワシントンポストが反日で日本を馬鹿にしていて、それなのに朝日新聞がその言いなりだとも怒っていた。

土曜日の閉店後の焼き鳥屋は、いつも何かと戦っている彼の、居心地の良い居場所だったのだと思う。
ちょっと早めに来てしまい隣の席の男と議論にでもなれば、最後は言い合いになり、相手を屈服させるまで手を抜かない、政治・防衛論は専門なので負ける事はない。我々も、頃合いを見計らって仲裁に入ったり、或いは気に食わない客の時は、逃げ帰る様にけし掛けたり、それは我々もその時の気分で 気を使っていたのである。

その臼居とも私は自分の店の独立で、なかなか会えなくなり、彼もまた年齢から退任し、暇になってしまいガックリきて昼間から酒を飲む様になってしまったらしい。
また焼き鳥屋も家の都合で店を畳む事になり、よけい彼の居場所が無くなり、あまり面白くなかったようである。
他の仲間はなにかと連絡を取り合ってはいたようだが、やがて身体を壊して亡くなってしまった。
残念で仕方がない。
友達甲斐の無い七ても、申し訳ない気持ちになる。

サイクリングコースの見える土手に、彼のお墓があるらしい。
その内に 墓参りに行こうと思う。

その時には オイラもじきに あの世行き!
ブルースだな、って。あは。

DIZZY GILLESPIE “AT THE FRENCH RIVIERA”
2016/12/09

DIZZY GILLESPIE “AT THE FRENCH RIVIERA” PHILIPS B 08167L

ガレスピーは南仏の夕日をバックに海辺で寛いでいる、実にブルジョア的な憎い一枚である。

この作品は、クラブジャズのブームで結構DJに買われた一枚である。
最近は落ち着いて、普通のマニアに探されるようになった。
一段落である。

ガレスピーの作品中、私の最も好きなアルバムで、何しろノリが素晴らしい。
新しい音楽の息吹が感じられる作品だったのである。
最初に見た時は、フランスで、しかもリビエラとなんと軽薄なタイトルだと少々ムッとしたのだが、聴けばそんな戯言など吹っ飛ぶ、見事な音の運びにオジサンびっくり仰天だったのだ。
ガレスピーはビ・バップの人なのに、歴史の中に埋もれる事なく息は長く、しかもラテンやヨーロッパの新しい音楽をも吸収し次々と新作を打ち出していていた凄い人なのだが、日本の我々は、エンターテイメントに特化してしまった駄目な人であり、又 大統領選挙にも出たとか、すっかりボードビルの親父のような扱いになっていた。
所が、音楽を聴けば、ラテン・ジャズでも見事な事。
特にこの作品は1962年、Jazz Festival D'Antibes Juan-Les-Pinsとなっているのでコートダジュールでのジャズフェスにおいてのライブである。
ジャケットの後ろを見ると、ボサノヴァの注釈がBOSSAとNOVAの意味が「新しいウエーブ」とつけ加えられていて、ソフトでスインギング・サンバのリズムだと説明されている。
1962年と言う年にボサノヴァに詳しい方ならば、オッと思うに違いない。それはゲッツ・ジルベルトのレコードが全米でヒットしたのが63年。以来まったりした音楽がボサノヴァだと広まるのであるが、その前年に、実のノリの良いこの作品を発表したのであるから凄かった。
まあ、ヒットするしないはどうでもよくて、音楽の良し悪しとは無関係である。
一曲目の「Chags de saudade」はブラジルで起こった最初のボサノヴァの有名曲なのである。
そして、ジャズ・ボッサの作品として見事な演奏を披露した。
勿論、その音楽を手助けしたのは、Lalo Schifrinではあるけれど、彼等がジャズの伝統に留まる事なく、新しい音楽性を世間に示したのである。
この一曲でぶっ飛んだ。
しかも、ジャズを決して逸脱しないプライドには脱帽する。

そう思いながら改めて聴くと、ボサノヴァ、キューバ、ラテンとアメリカ大陸の音楽すべてが表されているのだ。
ガレスピーは近代ジャズの誕生から始まり、時代と共に駆け抜け、しかも、第一線にいた凄いジャズ親父だったなあ。
我々はその偉大さに、ちっとも気が付かなかった。


今朝の新宿
2016/12/08

今日は耳鼻科が休みなので、病院通いの合間を縫って猫を探しに散歩。
いつもの場所に、いつものように、寝ている。
声を欠けると面倒くさそうに半分だけ眼を開ける。
バイバイと言うと、また寝た。

朝早く、テレビをつければ、テレビ朝日、TBSと例によって、韓国の大統領のニュースばかり。
韓国の事など興味は無いし、うんざりしてほかも見てみれば、日テレ、フジもなぜか韓国の大統領ニュース。
いつから日本は韓国のことばかり報道し、市民もまたそんなものを見なくてはならないのかと。
テレビ局の人間はこれほど韓国系の人ばかりなのかと怒って、テレビ東京にしたら、朝から韓流ドラマ。
ムカっとして、弱小のTOKYO MX TVというのにしたら、ここもコメンテーターが韓国人。
ガクッ!

昨年の今頃はノーベル賞のニュースなどで画面が賑わっていたのだが、ノーベル賞の受賞のない韓国に遠慮して流さないのだろうか?と要らぬ勘繰りもでる。
いつから日本は韓国領になったのだろう。

おまけに最近のテレビは韓国とオカマばかりが出てくる。
いい加減にしろ!
仏の顔も三度まで、というだろうが。

今日もダイソン、つながりでもないが
2016/12/07

一昨日の日記に、ダイソンの掃除機の事を「買う前の期待感、買った後のガッカリ感」等と悪口を書いてしまった。
それで、思い出したのだが、以前勤務していた旅行会社の時の話。

随分前の事なので、間違っているかもしれない。

入社2年目くらいの女子社員が社内のコンペで良いキャッチコピーを考えた。
「送ります、あなたの心に残る旅」。
これには、みんなが大いに感心し、会社のキャッチとして使われる事になった。
中々の出来だった。

ところが、なんという事かしばらく後になって、大手のJTBが同じようなキャッチを掲げてしまった。
殆どそのままという義理も人情も無い状況。
当女子社員は怒って部長に撤回を申し入れよと迫ったが、部長は大手に弱いのか、そのまま尻尾を巻いて うやむやになった。
その後、また作ればいいかと、キャッチが出来てそれが、当社の旅行は良質だと
「行く前の期待感、行った後の満足感」であったと思う。
ところが実際、海外旅行に行った客からクレームがあって、お宅のキャッチは間違っていると。
「行く前の期待感、行った後の憤り感」だと逆襲され、なぜかそれが社内でも大受けにウケてしまい、時々、自虐ネタとして社内の笑いに使われた。

そんな会社も 今はもうない。

それでしみじみ旅行会社の勢力図を考えてみるに、変動は激しく、今 飛ぶ鳥を落とす勢いのHISなども、かつては私のいた会社に海外のチケットを買いに来ていたのだった。
そういう会社の社員を上から目線で偉そうに対応していたものだが、今や、逆転も良いところで、あちらはホテル、観光産業から始まり金融、情報まで進出してしまった。
まるで、世界一のカード会社アメリカン・エクスプレスの旅行会社からの成長を見るような勢いである。

会社の経営というものの恐ろしさである。
大手になったら、時代を読んで行かないとね。
いや、意外にそればかりでもなくて、沢山仕入して、約束通りにしっかり売るという事の繰り返しが出来ていれば、失敗はしないはずである。
駄目な会社はその商売の基本ができていないのだろう。

掃除機
2016/12/06

ダイソンの事で思い出した。

知合いがダイソンの掃除機が重いし騒音が大きいと面倒になって、ルンバというか自動掃除機を購入したと。
最初期のモデルが出た頃の事。
家に持って帰り、掃除をさせた所、猫が猛烈に怒り、掃除機を追い回している内に、ついに攻撃を始め、ちょろっと出ていた小さな羽根のように付けてあるセンサーにかじりつき、思いっきり引きちぎってしまった。
それで、そのルンバは一回限りで仕舞われてしまったと。

猫の勝利であったらしい。


しかし、最近のは結構良いらしいね。
私も買おうかな。

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