HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

イエテボリの話で
2016/04/16

昨日のイエテボリの話で思い出した事。
そこでレコード屋を開いた知り合いがいる。
以前はディーラーをやっていて、よく自宅まで押し掛け、夕食も一緒に食べていた仲の良かった一人でもある。

彼が自分の才能はレコードだという事で、ショップを開いた。
開くに当たって、街のレコード屋をつぶさに歩いた。
一応 商業圏100万人ほどの規模の街であるから、そこそこショップもある。

それで、彼はそれら情報をまとめ上げ、傾向も記載したマップを作った。
マップを各店に配布し、街のショップ情報の充実に努めてた。
みんなも協力し、街のショップの営業を盛り上げようとしたのだ。
もらったマップを見ながらオジサン感心してしまった。

それを思っていると、10年も前の話だが、ディスク・ユニオンが「御茶ノ水:神保町」界隈のジャズ・マップと言うのを作り店頭に置いてサービスしていた事がある。
それでまあ良く作ったなあ、と思いながら眺めるとレコード・ショップの情報が自分の店以外は掲載されていない。
確かにジャズ・マップというだけあってジャズ喫茶は掲載されていた。
それを商売敵だとして無視する事は、それでいいのかなあと思ってしまった。
ビジネスの世界は大変だけど、相手を抹殺してしまってはビジネスの競争でもなんでもない。「日本死ね」という所と同様の精神構造というしかない。

しかし、ジャズに関する事でいえばレコード・ショップは大きな要素でもある。
お客にとっても本当の情報ではないし、またサービスでもない。
ましてレコードの商売は相乗効果が大きいはず、ちょっとだけ、大きな会社が強さを傘に着て、弱いものいじめは同じビジネスマンとして、ちょっと恥ずかしかった。

たしかに、世界のビジネスの世界の競争は厳しい、
しかし、まず同じ土俵に乗って、そこから競争するのが平等であり、ビジネスにおけるフェアな精神なのである。
エレベータは乗ったら他人が来ないようにドアを直ぐに締めてはいけないのだ。
それが世界のルールなのだ。
どうも、そこが分かっていないように気がしていた。

って、いまさら言ってもなあ、急に思い出しちゃったんだよな。

イエテボリ
2016/04/15

仕入部長が買付に行っているので、私は一人で仕事。
なんという働き者なんでしょう、私は!

ところで私は、出張に行けなくなったとは言いながら欧州各地の事は興味があるので、時々地図などを眺めている。
それでスエーデンの地図を見ていると、Geteborgという町が日本語で「ヨーテボリ」と書かれている。
私が若かった時代は「イエテボリ」だった。
イエテボリの発音は相応しくなという事で「ヨーテボリ」とされたのだろう。
確かにSASの機内表記もそのようになっている。
でも、古い私はヨーテボリに馴染めず、どこの街?という感じである。
そもそもGothenburgと表記されている場合もあり、まして世界で最も英語が堪能な国民といわれるだけあって、われわれ外国人には英語読みで「ゴッテンベルグ」などと答えてくれると、何がなんだか分からない。
オマケに東京風に、平坦な発音で正しく発音したつもりでも、イントネーションが違っているようでまず分かってもらえない。

まあ、そういう事が沢山あって、日本表記を本当はどうだ、ああだこうだと言って自慢げにしている人がいっぱいいるけれど、実に空しいという事だけは事実である。

GARY BURTON & CHICK COREA “DUET”
2016/04/14

GARY BURTON & CHICK COREA “DUET” ECM 1140 (GERMANY)

入荷したこのアルバムを久しぶりに聴いた。
なんといっても、チックコリアの曲「LA FIESTA」が光る。
感心していたら、「RETURN TO FOREVER(ECM)」も入荷して来て、それでまた「LA FIESTA」を聴いてしまう。
オジサン仕事やる気がないというか、猛烈にこの曲をもっと聴きたくなってしまった。
という事で、店内「LA FIESTA」の3つの演奏を聴いてみよう !

最初に、CHICK COREA “RETURN TO FOREVER” ECM 1022
メンバー CHICK COREA(ep), JOE FARRELL(sax), FLORA PURIM(v), STANLEY CLARKE(b), AIRTO MOREIRA(per)
演奏1972年2月2〜3日
「LA FIESTA」はB面に入っていて、Sometime agoからメドレーで突入する事になっている。
ぼやっと聴いていると、曲が変わった事に気が付かないほど一貫した流れの曲調である。
いや初めから同じような感じになっている。
しかし、スパニッシュ風の曲は圧巻である。
一曲目のReturn to foreverと、最後のLaFiestaはこのアルバムのいざないとしめくくりを行い、聴いた人に大きな満足感を与える。最後には観客はノリにノッて踊り狂ってもらおうと言う気概も感じられる。
見事な起床転結の音楽がある。
このアルバムは、70年代のジャズの幕開けと言うべき見事なクリーンヒットとなった新しいサウンドであって、今後のジャズの方向性を示し、はたまたフュージョンという爽やかだけサウンドのきっかけともなった歴史的な一枚である。
70年代の実に象徴的な一枚である。

次に店の棚から取り出したのは、
STAN GETZ “CAPTAIN MARVEL “COLUMBIA
録音 1972 3月3日
メンバー STAN GETZ, CHICK COREA(ep), STNLEY CLARKE(b), AIRTO MOREIRA(perc),TONY WILLIAMS(dm)
演奏時間8分21秒の大作。録音はなんと、ECMの「RETURN TO FOREVER」の録音のたった一か月後。
ゲッツの芸術性・音楽家としてのグループの扱い、新しいサウンドを逃さない野心、そういう意味においても、チックを誘ってゲッツの満を持しての録音となったこの意味は多きい。
フローラ・プリムは入れず、代わりにドラムのトニー・ウイリアムスを入れ、リズムをよりジャズ感を増した。
そして、その上に自分がテナーをバリバリ吹く事にした。
前回とちょっと違い、こちらの方がよりジャズの伝統として、またその一歩前進した作品として存在感はある、いや圧巻の出来映え。
音楽家としてのゲッツの能力は見事である。

最後にGARY BURTON & CHICK COREA “DUET” ECM 1140 (GERMANY)
メンバーは2人。演奏時間は10分17秒。
ジャケ写は二匹の蝶が象徴的に描かれまさに、2人のサウンドが蝶のように空間を舞った見事な演奏である。
録音は1978年10月25日、チックもこの曲を発表した72年から既に6年、何度も演奏して来た、ここで新鮮かつあたかも自然食のようなナチュラルな演奏にしたかったのではないか。
ヴィブラフォンのゲリー・バートンとの共演、どちらかと言えば冷静な作品であるが、この最後に持ってきたのが、「LA FIESTA」。
この演奏はなにより、アコースティック・ピアノによる所が大きい。
地に足の着いたサウンドになり、しかも、サウンドの優しさは聴く人の心をつかむ。グルメに飽きた人のための有機栽培の身体に良い食事とでも言おうか。
そこにヴィブラフォンの音が絡んでくると、持ち前の爽やかサウンドは健在である。
ゲリー・バートンの腕前の確かさも目立って素晴らしい。
2人の演奏はかくあるものという見本を見たようで、息の合ったプレイに感心する。
オジサン感動してしまった。

いや、もっと書きたいけど、明日の通販リストの準備があるんだ。
もうお仕舞い。
こんな忙しい日に、私は一体にをしているんだ。

CAROL SLOANE "LIVE AT 30TH STREET"
2016/04/13

CAROL SLOANE "LIVE AT 30TH STREET" COLUMBIA CL1923  (USA)

キャロル・スローン、私の好きな女性ヴォーカル・アルバムの入荷。
今回のは、プロモ盤で白ラベルなのが嬉しい、だが傷が2・3ある、あるがそれほど影響があるわけでは無い。
できればプロモ盤はぜひ聴いて頂きたい。

さて、この彼女の初録音,いや2度目か?どちらでもいいや。
1962年8月 コロンビアがある教会を入手しリノベーションしたスタジオを録音に使用した。
教会関連で録音した音は、マニアには要注意である、音が良い事が多いのだ。
裏のライナーを読むと、Friday August 31 1962 8:30PM  Columbia recording studio  207 East 30th St.
と、ここまで書いている、会社としては余程の力の入れ方だったに違いない。

この時の録音はBUCKY PIZZARELLI(バッキー・ピザレリ)カルテットがバック。
ギター・カルテットがバックとはジャズ・ボーカルには打って付け。
そこに観客を入れての録音でさぞ彼女も気分が良かったに違いない。それほどコロンビアも入れ込んでいたということである。
聴けば、新鮮さと歌の実力が垣間見える成程と頷ける好アルバム。
彼女は艶のある声なのに、さらっとしている。 かつセクシーで、すがすがしい声。
勿論 若さもある、明るさもある、そして自信に満ちている。

後期傑作「サブウェイ・トークン」の時にも書いたので、重複しても仕方ないのであまりくどくは言わないが、この頃2枚録音しただけで彼女のアルバムは、パタッと途絶える。
彼女にとってコロンビアのスタジオは楽しい場所ではなかった。いつも誰かと比べられているような気もしたし、自分が企業の商品としての扱いに反発も覚えた。コロンビアの会社の考えた方向性と食い違ってしまった。
早い話が彼女が、ショービジネスの世界にあって我がままだった、とも言える。
しかし人間、無理に良い子になろうとしてもなれない事だってある。

そのまま10年以上もスタジオから離れる事になるのだ、
勿体ないことである、しかし心配は無用、彼女の歌への想いは絶ちがたく、ローリーに住み、秘書の仕事を続けながらクラブ歌手として歌い続けていたのだ。
その結果また、花が咲く事になるのだから、人間捨てたものではない。

ジャケットを見ると、マイクを握りしめた彼女が歌っている写真である。
目を閉じて真剣に仕事をしている様子が伝わる。
可愛さもあるし、このまま続けていればきっと大歌手になれただろうと思える。
青一色のモノクロ写真で、ちょっとアイドル的でもある可愛らしいジャケットである。

A面3曲目の「Spring is here」など聴いていると、人には必ず いつか 春が来るものだと、私も思う。
良い唄だねえ。

彼女の初期のアルバムであるが、上記の理由で、あまり再発も無かったとみえ数が少ない。
ぜひ、こんな機会に聴いて頂きたい。


火事
2016/04/12

昼に新宿歌舞伎町辺りで火事だと騒いでいた。
広島の仲良しからもニュースで見たと電話をくれた。

それで夜 通って見た。
どうもゴールデン街だったようで、近づくと通行禁止と看板が立っている。
でも人が入って行くので、行かねばなるまい。
小路に入っただけで、焦げ臭いにおいが充満している。
おっと思ったが、冷静に考えるとそこは焼肉屋の裏口で、どうもその臭いらしい。
焦ってはイカン。

もう少し行くと、あったあった 現場だ。
2・3軒が焼けている。
2・3軒と言うのは、この辺りは70年も経っている小屋の連続なので、互いに寄りかかっているような状況で、裏から見ると、すでに朽ちかけているような様子。
2軒は屋根が落ちているので、はっきりしているのだが、もう一軒もまあ被害を被ったのだろう。
いつもの近所の野良猫も姿を消している。

警察や消防が沢山いてって、昼は29台来たと言っていたが、3台も来ればいっぱいになってしまうこの場所にどうやって29台入ったのか、オジサン その方が気になる。

ニュースを見ていたら、「ゴールデン街」を戦後すぐに出来た、小さな飲み屋さんと言っていた。
違うよ、1階で顔を見て、良ければ鍵を掛けて、2階に上がるという仕組みの、赤線地帯だよ。
嘘を言っちゃいかん。

賭博で...
2016/04/11

朝からバトミントンの選手の賭博の話でテレビの中は大騒ぎ。
鬼の首を取ったかのようなコメンテーターのきれいごとの話を訊いていて、ムカついてテレビを消した。

TVマスコミにおいて、以前もどこかの校長先生が女の子は子供を産めと言った発言がイカンという事件とも言えない話を事件にして騒いだ。
こういう個人を叩く時の アナウンサーやコメンテーターの奢り高ぶった態度、きれいごとをシャーシャーと言う時の態度が我慢ならない。
絶対に反論できない相手に対して、安心して叩きまくるという図式は何とかならないものか。

先日も書いたが大企業の支払った税金の少なさを叩くのがあなた方の仕事ではないのか?
それが社会におけるマスコミの正義ではなかったのか?

それをマスメディアという強大なパワーを、個人にぶつけることの恐ろしさを、あなた方は解っているのか?
分かっているからそうすんだよなあ。
これをまさに「いじめ」という。
世の中からいじめが無くならないのは、テレビがそうだから。

SARAH VAUGHAN “COPACABANA
2016/04/10

SARAH VAUGHAN “COPACABANA” PABLO 2312 125 (USA)

アメリカにおける女性ジャズ・ボーカルといえば、ビリー・ホリデーを筆頭に、ダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレーなどを挙げると、実際の所、次を白人に譲ってしまう感がある。
それほど、彼女達はジャズ・ボーカルの「代表」であり、良い時代のボーカリストすなわちイコール・ジャズであり、有無を言わせぬ圧倒的である。
オマケに何と言っても女性ボーカルは花である。
その中でも、近代に於いてはサラ・ヴォーンは紛れもないジャズ・ボーカルリストとして栄光の日々であった。
その彼女も70年代に入った所で、日本でも「ラバース・コンチェルト」が大ヒット。
来日もあり一般大衆の中に入って行き、日本から彼女への富の流入が増すとともに、ジャズのマニアからは乖離して行く事になる。
まあ、どちらでも良い話ではあるが、マニアにおいては70年からほぼ「失われた10年」でもある。
その、彼女も終わったねと言われていたのが、79年発売の一枚「I Love Brazil!」で突如復活を見せたのだ。
マニアの懐に戻って来たのは意外だった。私たちは驚いたね。

それもダサイ レコード会社と思われていたPABLO(パブロ)から。
嫌々だが購入してみると悪くない。
その後、発売になったのは当アルバムである。
同じブラジルをテーマにした、まあ2匹目のドジョウでもあるのだが、2匹目どころか、圧巻のブラジリアン。
それも堂々たる体格を思わせる力強い歌声で迫ったボサノバは見事。
いや、ボサノバはバックがやって、彼女は彼女のまま。
いや、見事な復活であった。
冒頭のタイトル曲など気持ち良いっタラありゃしない。
2曲目も十分に堪能出来る。

パブロの代表はノーマン・グランツ、流石のジャズ商人は次々と商品いや作品を世に送る。
それこそ、もういいだろう!という間もなく、傑作が連続ホームラン。
「Send in the Clowns」「Crazy and Mixed Up(枯葉)」
商売はカクある物だという見本を示したのである。
80年の幕開けの彼女の活躍には脱帽だった。
いや、感心したのなんのって。

ねこパン
2016/04/09

今日は、買って来たパンで昼食。
暇なので、寛いでタバコも吸ってしまえ。

その、食べたものは「猫パン」
たまに食べたくなって買いに行く、
可愛いでしょ。
可哀想で食べられないけど、えい! 一口でパクッ!

東新宿の「どん助」というパン屋さん。
職安通りと並行する左側の狭い路地にある。


商売
2016/04/08

時々、昔の会社の同僚などに「お前は良い時に会社を辞めたから運が良かったね」と言われたりする。
それは退職金が2倍出た時だったので、それで店を始められたからだというのだ。
その度に「そうだ、そうだ」と私は同調しているのだが、心の中では違うと思っている。

私は退職した時、次に行くべき会社があったと思っていたのだが、全くそんな事は嘘で、退職金を狙っていただけであったり、胡散臭い話であったりした。
また、かく言う私もいい気になって、ポルシェは買ってしまったし、次の仕事が決まらず、何となくお金は使ってしまったのだ。
退職金が多く出たからどうという事もなく、徐々に金は無くなり、どうしようも無くなったのである。

結局、やむ得ず店を始めたのである。
これしか選択肢が無かったので店を開いた。
不足していた操業資金は、近くにあった新宿区に相談に行った。
そこの相談員の先生の親切な教えがあり、経営者になる事の計画性、意識、働き方など学び、開業までこぎつけられた。
そういう意味では運があった。
しかし、そこからは運だけではどうにもならない。

独立してからの私は人間が変わったと、自分でも思える程頑張った。
サラリーマン生活の月の労働時間に換算すると、毎月200時間の残業は当たり前で、それを50歳過ぎてから18年続けた事になる。
それがどうという事も無く働いた。
近所のそば屋のマスター達に言わせると、ただ座っているだけの楽な仕事を言われるのだが。
しかし、一日も休むことなく働いた。
海外買付に行く前日も遅くまで店の準備をし、海外から帰ったその日は店に出て普通に働いた。
時差などまったく感じなかった。
そうやって、死ぬ気で働いて来た結果だと思っている。

だけど個人の商売ってのは、「自分の価値を世に問う」という事だと思うのだが、そこが面白い。
きっと大企業の経営者には分からないだろうな。
好きで無ければ出来ないが、やる気が無ければどうしようもない。

MUSIC FOR THE BOY FRIEND
2016/04/07

MUSIC FOR THE BOY FRIEND DECCA (USA)

今回入荷のアルバムは “He really digs Jazz” Dcca 8313.
ブルーのビキニのお姉さんが恥ずかしそうにポーズを取ったPetty Girlで、Esquireの雑誌の中のイラストで載っていた女の子の絵である、

アルバムは50年当時、雑誌「Esquire」との相乗りで作られたものである。

裏ジャケを見ると 、Petty Girlの説明と共に、Music for the boy friend というシリーズが 8313〜6まで4枚作られた事が書かれている。
これらのジャケットは、今でもたまに見かける。
その度に自分で買おうかと思いながら、ついに一枚も持っていない。
こういうのこそコレクションにすれば良かった。

しばらく店の看板にでもしておこうかな。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001