HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
ダンボール | - 2024/06/26
- 以前、買い付けの出張で外国に行った時、ダンボール箱を常に探していた。
何箱も必要なので、基本的に現地調達なのだが、さて、英語でダンボールを何と言うか? また、次に必要なガム・テープを何と言うか?
しばらく、単にボックスとかテープとか言っていたのだが、困る事もあった。 それで、次に行くときに覚えて行こうと思いながら、案の定、しっかり忘れていて、また苦労するのであった。
其の内に、調べて分かったのだ。 ダンボールは英語でCardboard(カードボード)もしくはcorrugated board(コルゲイテット・ボード)と言う。
ガムテープはduct tape(ダクト・テープ)と言う。
では、なぜダンボールになったのかと言うと、確証はないが、段々になったボールだという事らしい。 ガムテープは食べるガムのような粘る物としてガムにしたようである。 一度、外人にガムテープと言ったら、分かってくれたことがあったから満更嘘でもなさそうだ。
急に 変んな事を思い出したものだ。
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スター | - 2024/06/25
- 綾瀬はるかは大スターで一度も苦労なんかしたことなどなかろう、と思っていたら、広島の友人が、「彼女もデビュー後は苦労したんですよ、あだ名がおっぱい姉ちゃん等と言われたりして、それなりに人気でしたけど」という事である。彼女が広島出身だけに詳しい。
芸人はみな、それなりに苦労するんだね。
ジャズ・ボーカルのスター達もみな夫々、苦労を伴う歩みがあったのである。 ペギー・リーはベニー・グッドマンの所で、ジョー・スタッフォードはトミー・ドーシー楽団で、サラ・ボーンはアール・ハインズの所で、エラ・フィッツジェラルドはチック・ウエッブ楽団で、ドリス・デイはレス・ブラウン楽団で、ダイナ・ワシントンはライオネル・ハンプトン楽団で泣きながら一流になっていった。 スタン・ケントン楽団にはアニタ・オディやジューン・クリスティにクリス・コナーという花形を次々と抱えた。 楽団の中では、あらゆるいじめに堪え、舞台では刺身の褄の扱いにも耐え、徐々に実力を蓄えて登って行くのであった。 フランク・シナトラなどはトミー・ドーシーから独立する際、今後の収入の三分の一をドーシーに、また収入の1割をドーシーのマネージャーに支払う法外な契約をさせられたのである。 だがシナトラは別れる方を選択したのである。 まあ、ドーシーは悪い事は悪いのだが、それだけ実力を解っていたということでもある。
ジャズを聴くことは、ジャズを通して人生を学ぶこと。 そうすると余計に楽しくなる。
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Bistro | - 2024/06/24
- 先日、オードリー・モリスのレコードでタイトルにBistroという言葉が出てきて、ビストロという店とはどういうものかとイメージが湧かなくて、どうも困ってしまった。
いや、何となくはわかると思うのだが、さてどう説明するのか、と思ってしまった。
それで、本を読んでいたら、ロンドンのPub(パブ)、ニューヨークのSaloon(サルーン)、パリのBistro(ビストロ)が同じような雰囲気だと書いてあった。 ウイーンのカフェも同じような雰囲気だったとか。
なんだか、ちょっと西洋文化には憧れてしまうなあ。 だからと言う訳ではないが、やっぱりジャズが好きになってしまった人生だもの。
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通販リスト更新 | - 2024/06/24
- 明日 25日 通販リストの更新をいたします。
よろしくお願いいたします
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ヤマトさん | - 2024/06/22
- 暫く前の話。
夕方、荷物の発送の必要が生じて、ヤマトの営業所へ走っていった所、営業所が消えていた。 それで、ヤマトのお兄さんに確認したら、この辺りの営業所はほとんど閉めてしまったという事であった。
それ以来、ヤマトの配送のクルマは駐車場に入れて、そこから台車で配送している。 雨の日や、暑い日は、とても大変そうである。
佐川急便は、営業所など以前のまま存在しているのに、ヤマトだけが衰退しているようで、なんだかなあ、と心配してしまった。
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SPレコードの事 | - 2024/06/21
- ちょっと面白い話を見つけた。
戦時中40年〜46年の間、レコードの主要原料であるシェラックの供給源を日本が握っていた。 そのために世界的にシェラックが不足していて、アメリカでも混ぜ物が増えボール紙等も使用され、非常に品質が悪くなった。 従って非常に壊れやすくなった。 混ぜ物が表面に現れるレコードにも遭遇した、という事である。
こう考えると、シェラックの原産はインドや南アジアと聞いていたので、成程と言う感じになる。 だがシェラックは日本軍が確保したのであろうが、国内の物資が少ない故にレコード盤以外に使用されてしまったようだ。 或いは、現地で敵国に横流しされたかもしれない。
アメリカが戦時中、シェラック・レコードが壊れやすいので、ビニール・レコードの製造に切り替えて行ったのには、こういう理由も一つあったのであろうか。 腑に落ちる話でもある。
それで、注意があって、こういうシェラック・レコードは軽く掃除する以外は決して濡らさないようにしよう。という事である。 また、SPレコードは最後までRIAAカーブにはならなかったという事である。
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ラプソディー・イン・ブルー | - 2024/06/20
- ジャズっぽい名前の曲で、「ラプソディー・イン・ブルー」という曲がある。
作曲者は幾多のジャズ・ボーカルのスタンダードとなった名曲を世に送ったジョージ・ガーシュウィンで1924年の事である。 「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズとクラシックを融合したシンフォニック・ジャズと、どの本でも、ネットの中にも、そう書かれている。
以来、クラシック音楽の世界において、定番となり、これでもかと言うほどたくさんの楽譜が売られている。 もちろんクラシック・ファンにも好まれ、よく聴かれるようである。 しかし、ガーシュインの作曲にもかかわらず、ジャズ・ファンはというと、まず聴く人がいない。 いや、ジャズのマニアと自認する人は全くといって良い程 聴く事がない。 ある意味、毛嫌いされているとも言える。
昔、ジャズ仲間の一人が言った、「ジャズをちょっと取り入れたので、ジャズを聴かない上流の人達が、さも理解がありそうな感じで、満足そうに聴き入っている姿が想像できるのが許せん」。 要するにジャズという言葉を入れるなと言う事であった。 かく言う私も、好んで聴く事はない。
ジャズ・ファンが聴かない、ジャズの名曲。不思議な曲である。
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Teddi King "Miss Teddi King" | - 2024/06/17
- Teddi King “Storyville Presents Miss Teddi King” Storyville LP314 (USA)
黄色地に黒の点描画のような女性の横顔が印象的なジャケ写である。 その製作意図は分からないが、ある意味印象的で妙に気になるデザインでもある。
1955年の10インチ・アルバムで、裏のライナーを読んでみると、こんな事が書かれてある。 「歌手が成長するための方法で一番は、優れたミュージシャンとの交流である事は間違い事実である。この点において彼女は短いキャリアの中でも非常に幸運であった。ジョージ・シアリングは最初にテディに彼の最大の才能の恩恵を与えた。ボストンで無名だった彼女を見出し、国内有数のジャズグループの一員に加えた。彼女の音楽的才能と素晴らしい音感の組合せで完璧主義のシアリングと共に理想的なボーカリストとなった。」と。 きっと、その通りであろう。英文のライナーは読むと良い事があるなあ。
ストリービル・レーベルにおいて2枚目のアルバムであるが、Jimmy Jones(ピアノ)、Jo Jones(ドラム)、Milt Hinton(ベース)のトリオはボーカルに取って完璧で、そこにトランペットのRuby Braff(ルビー・ブラフ)がムード一杯の音色で陰影を付けると、そこには風情あるボーカル・アルバムのパラダイスが産まれるのである。
彼女の声は、女性らしい大人しめで優しい、言い含めるような歌は聴くと自然に聞き入ってしまう。そんな感じは、きっとジョージ・シアリングの教育であろうか。聴いていて、実に好ましいのである。
その後彼女は、トントン拍子にRCAに移り小ヒットもあり、意外に作品数は多い。 廃盤としての人気は初期のStoryvilleレーベルの3枚が圧倒的であるが、いつの時代もそれなりに充実している。 仕事にも恵まれていたようだが、1977年SLE(全身性エリテマトーデス)という難病で48才で亡くなっている。
好事魔が多しとでも言おうか、残念な事であった。
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Audrey Morris “ Bistro Ballads” | - 2024/06/16
- Audrey Morris “ Bistro Ballads”X LXA-1028 (USA)
1956年のアルバムで超レア・アルバムである。 RCAのサブ・レーベル“X”で発売されたもので、私はかつて、日本ではほとんどお目にかかった事は無い。 彼女のピアノの弾き語りで、淡々と音を紡いでいる感じで、すぐ耳のそばで歌っているかのような錯覚に陥るサウンドには心が持って行かれる。 ベースにはJohnny Pate(ジョニー・ペイト)が参加してより音楽の質を高めている。 タイトル通りバラードの素敵な歌ばかりである、ジャズ・バラードのスペシャリストと呼ばれた片鱗を垣間見る事が出来る、バラード大傑作。 その後、Bethlehemから同年すぐに The Voice Of Audrey Morrisを発表する。これはMarty Paichのアレンジでナイス・アルバムである。 その後、彼女のレコーディングは途絶える。 噂によると、住んでいたシカゴではクラブが多く、ファンもいて仕事には事欠かなかったようで、レコード会社を付き合うのを好まなかった、という事であるが、あながち嘘でもなさそうである。
日本のファンに鳴りを潜めていたのが、85年、突如新録アルバムが発表され大いに驚かせた。 それも自費制作のFancy Faire RecordsからAfterthoughtsというアルバムで、弾き語りで、時にサックスも入ると言う趣向で、ファンに大好評であったが、既に廃盤である。
“Bistro Ballads”は、彼女のデビュー・アルバムで、結局、全盛期に作られた最高傑作という事になろうか。 ジョニー・ペイトはベース奏者というだけでなく、当時音楽ディレクターとしても有能で、シカゴのジャズ・シーンの立役者でもあった。
シカゴの良い時代に出来た傑作である。
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新入荷リスト | - 2024/06/15
- 本日六月十五日(土)に新入荷リストを更新いたしました
よろしくお願い致します。
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