HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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お彼岸だが
2024/09/19

お彼岸だがまだ暑い。


  信号を 横浜線行く 彼岸かな

満月
2024/09/18

午後から雨になり、これはダメだと諦めていたのだが、夜は雨が上がっていたので、仕事帰りに夜空を見れば、雲の間に間に満月が。

一瞬、雲と霞の間に月が見えた。

新宿のビルの上に出た月も悪くない。

映画「エアガール」
2024/09/18

今日見た映画は「エアガール」。2021年のテレビ朝日のテレビドラマらしい。
日本航空という名前の以前、戦後すぐに日本の空をアメリカから取り戻そうと旅客営業を始めた人たちの戦いの物語で、決してスチュワーデス物語ではない。
航空会社の発足とスッチーの第一期生の健闘ぶりが感動的な語である。
飛行機好きの私は、喜んで見た。


そこで興味深いシーンがあった。
まず白洲次郎について。戦後日本の為に活躍し、マーッカーサーにノーと言った男、などと持ち上げられた人物だが、ここでは傀儡政府の欲の皮の突っ張った男として描かれている。
従来、白洲次郎の人物像は白洲正子が作家を雇って、でっち上げた人間像であることが解ってきており、また戦後のGHQの文書が調べられるようになり、吉田茂と共に傀儡政権のとんでもない人物という事が解って来た。

それから、アメリカ人パイロットが日本航空関係者に上から目線で怒鳴るシーンがあって、「ジャップ」という言葉が何度も出て来るのだが、字幕は「お前たち」とややトーンが下がる。
TV朝日はアメリカに遠慮するんだな。

当初、飛行機技術に関してアメリカ側のパイロットと整備士が全てやっており、絶対に技術を教えないので、日本航空側が悔しがるシーンがあった。
実は白人の国は技術は簡単に教える事はしない。日本人のように中韓になんでも教えてしまうようなお人好しではない。
アフガニスタン終結の際、米軍が飛行機などすべて置いて撤退したのだが、アフガン側は操縦はおろか、整備のイロハも教えられていなかったという。
今も昔も白人変わらない!

という事など考えさせられ、更に面白い!
しかし、見て憶えるのは昔から日本人の得意技! 就職して上司が教えてくれない、などと文句を言う社員など不要!

交通事故
2024/09/17

今日は新宿に行く途中で、交通事故になったばかりの車両二台を見た。
交通事故は後を絶たない。

そういえば、この間センターライン処では無く、中央分離帯を乗り越えて突進してきた飲酒のトラックに衝突されて、亡くなった人がいた。実に不運で可哀想な話であった。
でも、言ってはいけないし、言うべきではないのだが、あの映像が何度もテレビで流れる度に、私は、あの車が右車線ではなく、左車線を走っていたら、事故に巻き込まれる事はなかったのではないか、と思う。
最近、国道において、右車線すなわち追い越し車線を走っている車がほとんどである。もう一度、基本に戻って左車線が走行車線であると認識しよう、と思った。

もう一つ、広い道路を青信号で渡った小学生の一団が、老人の信号無視のクルマに轢かれた事件もあった。
私はいつも歩行者信号が青に変わってもすぐに動かない事にしている、横から来ているクルマが止まったら歩き出すようにしている。
信号をよく見て渡ろうではなく、青になったら、クルマが止まるのを確認してから渉るのだ、と教えてほしい。これはヨーロッパの人に教えられた。

新車だけでなく、中古車にも自動ブルーキを安価に装着可能な方法を国交省が考えるべきだね。
国民の安全をリードするのが公務員、威張るばかりじゃダメだな。

とにかく安全は自分で確保。他人に任せてはいけない。

セーラー服
2024/09/16

我が家は、夫婦とも77才で、この前は「セブンティ・セブン・サンセット・ストリップ」など昔のアメリカのTVドラマの歌を歌ったりしていたのだが、なぜ、話の流れがどこでその流れになったのか全く理解できていない。

今日も、高校の制服の話になって女子高生の制服、特にセーラー服はいつ頃からあるかと、いう話になった。
さっそくネットで調べると、1920年頃京都の平安高校が最初だとか、いや山脇学園が最初だとか、色々本家の話が出て来た。
いづれにせよ関東大震災前後の時期の事であるらしい。

ん!
ちょっと待てよ、お義母様は、関東震災の時に山脇学園に通っていたはず。
それに制服姿の写真をどこかで見たよね!と2人で顔を見合わせた。
殆どの写真は断捨離で捨ててしまったが、ひょっとしてあるかも知れないと棚の写真を探すと、山脇学園に通っていた時の制服姿の写真が一枚だけ出て来た。
ただ、写真が正面向きで無い事と、この時の年齢が定かでないので、はっきりした事がいえないが、日本の最初期ではないが、初期のセーラー服である。
写真も古いので、ディテールははっきりしない所もある。

2024/09/15

外人さんが来られて試聴の希望のレコードが「浅川マキ」であったので、ジャパニーズ・シンガーでノット・ジャズだと、説明していたら、「アイ・ノウ!2枚持っている」という。
それで、私も浅川マキは嫌いじゃないので、一緒にシミジミと聴いていたら、2曲目の曲が「ふしあせという猫」であった。

そういえば、我が家の黒猫は20年生きたが幸せだったのか?と考えなおしてしまった。
今度 猫を買ったら、うちもきっと不幸せという名前をつけるのか?

数日前、どういう操作でそうなったか分からないのだが、私が猫と散歩している動画が「ライン」にアップされてしまった。
数人の方から、見ましたよ、と返事が来て初めて気が付いた。
今更、死んでしまった猫の動画を見てもらっても、申し訳ない。
大いに恥じた。

という、どうでも良い猫の話。
その動画をここに載せたいのだが、今度は方法がわからない。

通販リスト更新
2024/09/15

本日、通販リストの更新いたしました。
内容が充実しております。

アゲハ蝶の幼虫
2024/09/13

庭の端に柑橘の小さな木がある。
植えたものではなく鳥の糞が落ちて、自然に成っている木である。
植木屋さんは、邪魔だし、植えたものでは無いから切りましょう、と言うのだが、私はどうしても切れない理由がある。
それほ50センチのほどしかない木にも、毎年決まった家族なのかしらないが、アゲハが来て、小さな葉に幼虫が年に2回ほど葉を食べているから。

なんだか一生懸命に生きている、葉の数が少ないので餌として十分とは言えないのだが、健気である。
また毎年、庭にアゲハが飛んで来てくれるのが嬉しい。


(幼虫の写真です。イモムシなど嫌いな方は見ないようにお願いいたします。)

J.R Monterose “In Action”
2024/09/12

J.R Monterose “In Action” Studio 4 (USA)

非常にレアな一枚であるが、そもそもJ.Rは高い音楽性の割に製作に恵まれていないと言うか、何んと言うか、レコードの数が少ない。
主なところはBlue Note 1536,  The Message Jaro5004,  In Amsterdam Paradiso HSM502に,このStudio4盤の4枚がメジャーの作品と言えるのだが、Blue Note以外はメジャーかと問われると答えに窮する。
だが彼は廃盤マニアの世界においては緒一流といおうか、どれもが超弩級のアルバムばかり、JaroレーベルやStudio4レーベルは幻の名盤として確固たる地位を築いているので、マニア的には憧れで許されようか。

70年代には徐々に実力が評価され数枚の作品があるのだが、それでも全部合わせても少ない方の部類にはいる。なにしろディスコグラフィは1ページで収まる。
まあ、言ってみれば玄人好みのテナー奏者であろうが、内容はサウンドの素晴らしさ、ムードあるバラードの素晴らしさは超一流の仲間である。

以前、アムステルダムの仲良しとJRの話になって、1969年にクラブ・パラディソで聴いた演奏は、かつて聴いた多くのライブの中で随一の演奏会だったと言っていたのだから、その実力は世界のトップクラスだったのだろう。その内容はイン・アムステルダムで聴く事は可能である。

という事で、このアルバム。
このジャケットの裏のライナーによると63年アイオア州シダーラピッズのクラブTendser Trapにて、オーナーのジョー・アボディリーと意気投合し、2週間の予定であったが、このレコーディングの後彼らは10カ月関係が続いたとある。従ってちょこちょこ一緒に演っていたのであろう。
当アルバムのレコーディングはこのクラブでのものだと言っている人も散見されるが、この時のレコーディングはフレッシュサウンドから発売されていて1963年である。
このアルバムのレコーディングは1964年イリノイ州ロックアイランドのスタジオ4にて録音したものである。
シダーラピズからロックアイランドまでクルマで150キロくらいであろうか、それほど遠くはない。
プレスの数は200から300枚との説がある。
販売ルートに乗せるつもりがなかったものとされている。
70年代当時、我々がこのアルバムを入手出来たのは、アメリカのレコードディーラーがこのレコードが入った箱を見つけたか売り注文があったか、仲間数人で分け、それをオークションにて販売したものと認識している。
故に、私も百ドル以上の金額で購入したのである。
Jaroの方は150ドルは支払った。
Bluenoteの方は80ドルくらいだった記憶がある。

という事であるが、廃盤マニアの私はどうしても廃盤中心の話になってしまうなあ。
イカン!

写真が少し曲がってしまったようだ。

ギーゼキングのモーツアルト、ピアノ・ソロ全集
2024/09/10

Walter Gieseking Mozart:Oeuvres Completes Pour Piano Solo
Columbia FCX311〜321 (France)

これもモノラル名盤である。
1953〜4年録音で、フランス・コロムビアから発売された11枚組の箱入りの原盤である。当時にありがちなSPからの復刻ではない。また、分売が先でもない。
非常にレアなので、あまり見ることがない。だが当時アメリカのAngelからも発売されており、その後、数年ごとにドイツ、日本などでも再発されているので、昔からのマニアでその内容を知らないクラシック・ファンはいないであろう。

最近は、モーツアルトのピアノ全集を多くの有名音楽家が続々と録音するようになり、日本の内田光子など世界でも有名になってしまった。しかし、50年代33回転レコードが出てばかりの当時、贅沢品と言われた頃にこのアルバムは絶対的な価値があり、これの他には、56年に録音されたLili Kraus(リリ・クラウス)の全集以外にはなく、双璧と言われた。
とくにギーゼキングの方はモーツアルトのスタンダードとまで呼ばれたのである。

演奏は、彼は楽譜に忠実にという哲学から、新即物主義を打ち出していった人である。
従ってムードに流されることもないので、なるほどスタンダードかと納得できる。
非常に勉強にもなる作品集である。
ボックスはLPが11枚が入っているだけあって、分厚く、がっしりした作りで、24ページに渉る良い印刷のフランス語の分厚い冊子が付いている。
音は当時のモノラルであって、いたって重厚な音質である。
私は生きている内に、ギーゼキングのオリジナル盤の音を聴くことなどないと思っていたのだが、ついに聴くことが出来た。

試聴は長時間かかったが、実に素晴らしい体験であった。
長生きはするものだ。

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