DJANGO REIHARDT “LE DERNIER MESSAGE DE DJANGO” | - 2022/07/09
- DJANGO REIHARDT “LE DERNIER MESSAGE DE DJANGO”BARCLAY 84076 (FRANCE) 10inch
私の好きな10インチ・アルバム。 A面冒頭のNaugesのシャンソンの風情がヒタヒタと押し寄せる。この曲は彼の作曲でもあり、第二次大戦時のフランスの第二の国歌とも言われ国民にも親しまれた曲だけに、アルバムの冒頭を飾るのに不足はない。 2曲目からスイングしたNight and day から情緒あるInsensiblement、そしてBlues for Ike. Ikeとは私の事か? なにせ子供の頃から私はイケちゃんだから。それは置いといて、B面のBrazil,September song と、どれを聴いても心が和む。 レコードは、大概は片面だけしか聴かないものだが、両面ともひっくり返して、ひっくり返して3回は聴きいてしまう。
当盤は、フランスではバークレイ・レーベルでも出され、米国ではクレフ・レーベルで発売された。 ジャケットのデザインはどちらもデビット・ストーン・マーチン(David Stone Martin)の絵である。 盤質については、若干音質が異なるのでどちらも興味深いのである。 どうも、ノーマン・グランツの持ち込み企画だったようだが、それならばとジャケットは米国のを使い、両国でそれぞれ発売となったようである。
さて、アルバムの話、 当アルバムはジャンゴに取って初のLPアルバムであり、また人生最後の録音でもある。 なぜなら、かれは1910年生まれなので、成人してもレコードの発売はすべて78回転盤だけになってしまう。それをLPアルバムの製作に至った事の素晴らしさは言うに及ばぬ。 そして1953年3月に当アルバムは録音されたのである。 彼のそれまでの作品に比べ、モダンなジャズに一歩踏み込んでいる事が分かる。 大物は違うのである。 これからレコード産業の新時代の中で更なる躍進が望まれていたにも拘らず、彼は同年5月家の近くで突然倒れ帰らぬ人になったのである。 なんと不幸な出来事。 しかし、私はあえて言おう、なんと幸運な音楽人生かと。
彼は、フランスいたからこそ初期のジャズに触れる事が出来、それが彼の心の琴線に触れ、手の火傷もありながら、音楽才能を大いに伸ばした事は間違いなく、ステファン・グラッペリという僚友も得、その後は逆に米国のギタリストの指標ともなったのである。 このアルバムは偉大なフランスの、いや世界のジャズ・ギタリストの大変な貴重盤なのである。
録音メンバーは当時若手の有望株であったMaurice Vander や Pierre Michelotとのカルテットである。 そのサウンドは33回転LPに相応しく近代的な音であり、モダンで洗練されたナイス・モダンジャズ・アルバムの発表であった。 曲調は、あえてシンプルな音の運びにした所が余計に心を打つ。 こういう状況を私なりに思うと、訳もなく感動してしまうのである。
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