HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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Ginette Neveu(ジネット・ヌヴー)のレコード
2024/08/24

(一昨日の続き)

Ginette Neveu “Brahms concerto pour violon” Pathe COLH80(France)

イダ・ヘンデル同様、ジネット・ヌヴーもまた稀有な天才であった。
一昨日の日記にも書いた通り、何度でも書きたいのだが、1935年のヴィエニャフスキ国際コンクールで15歳の1位がヌヴーで、7歳で7位がイダ・ヘンデル。
もし、年齢が逆であったら、順位も逆であったであろう天才たちである。
ただ、彼女もまた非常にレコーディングが少ない、なぜなら1919年生まれというレコード吹き込みの機会が少ない世代であるばかりではなく、1949年エール・フランスの当時の芸能人ご用達と言われるロッキード・コンステレーションで事故のため亡くなってしまったからである。
従って、レコードは40年代のSP起こしか、放送音源に限るのである。
しかし、50年代にはLPとして発売されており、現在、その価値は計り知れないものがある。
これらのLPのオリジナル盤は音質と言い、体裁と言い、素晴しい出来栄えである。
彼女の傑作はプーランクのソナタと言われているが、もう一つブラームスの協奏曲も負けず劣らず最高の作品である。
彼女のブラームスは2枚知られていて、46年と48年が存在するが、48年の方は何度も再発されているので、聴くのは容易であろう。
ここにあるのは、46年の方で、His masters voiceから78回転シェラック5枚組として発売されたものであるが、60−1年頃にフランスのPathe(パテ)社のCOLH80番として、LP化されたもので非常に貴重な盤なのである。

一言で言うなれば、音が非常に深い!

左側がPathe盤。
右側が1948年の演奏が復刻されたもので、これは独Acanta(40.23.314)、仏、独、日で81〜82年頃に発売されたが、どれがオリジナルと騒ぐ理由はない。ドイツ盤が若干音が良いと思うが、どれも音質的には止むを得ない感じではある。

tv朝日で
2024/08/23

昨日の朝、テレビ朝日の番組の中で、玉川とかいう社員が、気分が盛り上がる音楽は何が良いかという話の中で、
「行進曲がいいなあ、その後で人を殺すのだからどうしようもないが」という事を言っていた。

軍は行進曲を聴いたら人を殺すのか?

左翼マスコミは困ったものだ、

クラシック・名盤、Ida Haendel(イダ・ヘンデル)のレコードの事。
2024/08/22

Ida Haendel “Recital” Melodiya D-07287/8 (ソ連)

こんな珍しいレコードが入るとは! 長い事商売をしていると、こんな良い事に出会うものだ。
まず、イダ・ヘンデルの事、1928年ポーランド生まれ、どの本やネットにも同じ事が書かれているのであろうが、ちょっと経歴をなぞる。
世の中には天才と言われる人がいる、100人に一人の天才ばかりの中にあって、そのまた1万分の1の天才と言われる人。彼女も幼児の頃から天才と言われ、5才にして有名曲をものにしており、7才の時1935年に第一回ヘンリク・ヴィエニャフスキ・国際コンクールで7位になる。
因みにこの時1位はジネット・ヌヴーで、2位はダヴィド・オイストラフであったが、1位のヌヴーは15才、2位のオイストラフは25才であったが、オイストラフは1位になったヌヴーを大絶賛している。
天才はある時、固まって世の中に出現するのである。神の如し。
彼女はユダヤ人であったが、災難を上手くかわす事が出来たのであるが、それでも、演奏活動に於て多分に政治的にも利用されることなどあったらしい。

演奏はシベリウスやブラームスなどに高評価があるが、若い頃の演奏はSPから始まり、その記録はモノラル盤で再発されている。また彼女の録音嫌いは有名で、もっとも脂の乗り切った60−80年代の録音が見当たらないのが悔やまれる。

今回のアルバムは1956年?でロシアで録音したものである。演奏に招かれた際、録音したものらしい。
この再発盤はごく偶に見かける事がある、といっても数年に一度という確率であり、それでも何万円もするので、再発でもメロディア盤は余程珍しいのであろう。
ラベルはブルー・トーチ(青ラベルに松明)と言われる非常に古いオリジナルでモスクワの工場である。ちなみにレニングラードの工場からもプレスされておりクリーム色のラベルであって、社名はAkkopa(英語名Acord)と印刷されている。往々にして2度目のプレスと言われるのだが、工場の違いだけでどちらが古いかという確証はない。因みに音質は若干異なるが、好みの問題が大きいと思っていい。

私は同盤で3回ほど見たことがあるのだが、ジャケットは皆異なっている、それはいわゆる共通ジャケと呼ばれるものであって、便宜上付けたジャケットに過ぎない。

この作品で貴重な曲が2曲ある。A−1がバッハのソナタChaconne.、 B-2がシューベルトのAve Mariaで、どちらも一度は聴くべき名演であって、シャコンヌは変幻自在の迫力、アベマリアにいたっては美と情念の迫力が迸る。
演奏はモノラル時代なので、古今名盤の範疇に入る。
特にモノ針で、大型スピーカーで聴いた時の印象は恐るべきものがある。
一生の内に一度は聴きたいアルバムである。

米不足
2024/08/21

今日、スーパーで米を買おうと思い出掛けたが、売っていなかった。
ウチの方で、成城石井、東急百貨店、等々どこにも米がない。
長男夫婦に訊いたら、ラーメンなどを食べているとの事、我が家もあと2合。

どうして?
何か事件でもあったか?

夏季休暇
2024/08/20

八月二十六日から九月一日までを夏季休暇とさせていただきます。
よろしくお願い致します。

CDセール
2024/08/19

店内のCDのみセール

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ジャズの名盤多数あり。

八月はやっぱり戦争
2024/08/18

やっぱり八月は戦争の事を書いておこう。

満州について。
満州については、NHKやマスコミでは、日本の侵略として、宣伝している。
しかし、それはちょっと違っているので、その認識を。

そもそも満州はロシアが植民地にしていたのである。
日露戦争において日本が勝利したわけで、その結果、帝政ロシアから継承したものであり、清朝政府がそれを承認したものである。
この経緯は明らかであって、日本が悪いというべきではない。
当時は、欧米列強はアジア・アフリカに膨大な植民地を持っているのが当たり前であったのである。
日本だけを悪者にするような見方は間違っている。

その後の戦争拡大と戦略の失敗は責められるものであるが、反戦の論点で論ずるべきではない。
マスコミには中韓に毒された考えの人が多くいる。反戦と言って喜ぶのは中韓である。
戦えない日本は中韓に都合が良いからで、やりたい放題になった。

ただ、関東軍の独善で進んだ結果の失敗は、軍部の失敗と共に、戦後裁かれることが無かった事が非常に悔やまれる。
ついでに、天皇の戦争責任がまったくうやむやになった事も私は不思議でならない。
神とされた総帥が仕掛けた戦争であって、総帥は負けた責任がある。
神が、その騙した責任はでかい。
それに戦争を煽ったのは、朝日、毎日などである。
戦争に加担したのは主婦たちである。女が突き進むと社会は止める事が出来ない。

もう一つ言えば、天皇や総理大臣が、その戦争責任を外国に謝罪するのも間違っており、するなら国民に対し、謝罪するものである。

地震速報
2024/08/17

一週間ほど前の事だったか。
夕方、新宿にいたのだが、スマホの地震速報が鳴った。
ちょうど周囲にいた人たちも一斉に鳴った。

それで、すぐに自宅の近くの人に電話を掛けたのだが、まったく繋がらなかった。その後もしばらく繋がる事がなかった。

スマホはダメだな。
いざという時には無力なんだな。

見た映画
2024/08/16

今日は映画「にがい米」「危険な関係」「浅草姉妹」「くちびるに歌を」を見て、疲れた。

「にがい米」はずっと見たかったイタリア映画で、見る事が出来てすごく嬉しかった。
49年のシルバーナ・マンガーノの美しさも惚れた。
なにより当時のイタリアにおける季節労働による米作りのダイナミックさと、日本との違いも理解できた、ある意味貴重な鑑賞であった。

「危険な関係」はジャズをふんだんに使った名画、59年のジャンヌ・モローの退廃なる迫力ある女の演技に惚れ惚れした。
やっぱりジャズは良いね。

「浅草姉妹」は60年の、こまどり姉妹の人気にあやかって作られた娯楽映画で筋書きは時代劇そのもの。こまどり姉妹はかつて山谷に住んで流しをしていた子供時代そのものを踏襲し、流しの歌手の役、立派に役を果たしていた。
流行歌がヒットすると映画会社はそれにアヤかった映画を作るものだが、当然そのファン層に合った水準の映画を作るものである。従って、出来不出来を云々するものではない。
そういう意味では舟木一夫などは相当の良い作品に仕上がっていたというべきか。

「くちびるに歌を」は2015年の映画、見ていたら主演が新垣結衣だった。まだ若い女が、ちょっと世を拗ねた、なげやりな音楽の先生の感じがよく出ていた。最後の方で、ベートーベンの悲愴を弾く所など感動した。
しかし、言うなれば誰が見ても感動するような上手い作りの映画で、特に製作者が大満足の映画であろうか。

やっぱり重要な事は、「映画とは娯楽」であって、堅苦しく見るものではない。
そういう意味ではジャズと同じような芸術かなあ。

戦前の歌謡曲
2024/08/15

8月は戦争。だが戦時下も良いが戦前の状況を色々な本を読んで考えているうちに、当時の流行歌はどうだったかと思いついてしまって、私が知っている古い唄の中から1,2点取り上げてみたい。

その曲はまず「酒は涙か溜息か」。
昭和6年発売の、古賀政男の不朽の名作で大ヒットし当時、蓄音機の普及台数の4倍、すなわち80万枚も売ったというから尋常ではないヒット数。
昭和6年(1931)は満州事変勃発、世の中は戦争に浮かれており、ある者は満蒙開拓団に希望をいだき、胸を膨らませていた。
しかし、心の片隅で不安をいだく者もいたのであろうか。
「酒は涙か溜息か、心のうさの捨てどころ」
「遠いえにしのかの人に、夜毎の夢の切なさよ」
1番がたった2行、2番もたった2行の短い唄ながら。人々の心に響いたのであろうか。
歌ったのは藤山一郎で、以後日本歌謡界のキングとして懐メロ番組には必ず出場し君臨する。
以来、戦後何十年と人気を保ち続けた歌である。

そうそう、人気を保ち続けた歌と言えば「船頭小唄」がある、こちらは大正12年(1923)にレコード発売し大ヒットしたのであるが、この時はラジオのヒットが大きかったようだ。
ヒットしている最中の9月関東大震災が起こり、悲しい歌詞や曲の感じから余計にヒットしたと言われている。
だが、この歌はその後、50年代に森繁久彌の歌で大ヒットし、さらにその後も多くの歌手によって歌い継がれているのである。寂しい唄なのにね。
「おれは河原の枯れすすき、同じお前も枯れすすき、どうせ二人はこの世では、花の咲かない枯れすすき。死ぬも生きるも、ねえお前、水の流れに何かわろう......」
私の死んだ母がこの歌を好きで、テレビの懐メロでも「たまらんね」と、嬉しそうに見ていた。

このような戦前の歌がずっと懐メロ番組で出ていたのだが、最近は歌謡番組も消え、古い歌、いや60年代の歌も消えつつある。
もったいないことである。
そう言えば、坂本九の「上を向いて歩こう」も日本ではほとんど聴かなくなったが、アメリカ等では、まだ歌い続けられていて、ヒットもしているから不思議である。

酒は涙か溜息か
https://www.youtube.com/watch?v=nbukMOU5L88

船頭小唄
https://www.youtube.com/watch?v=NrP1aShVHeE&t=25s

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