HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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朝の散歩で
2022/03/03

毎日の散歩は、天気の良い日には欠かさず行うようにしている。
散歩を通して色々知り合いも出来た。

まず、豆柴のマメちゃん。
人懐こくて、気が付くと走って来てくれる。
それから黒い豆柴のアズキちゃん。
顔馴染みになったので、擦ってくれと身体ごとぶつかって来る。

猫はまだ、私の顔は覚えたらしいが、近距離に来る事はない。

知合いと言っても、犬だけだな。

円相場
2022/03/02

ヨーロッパ圏で戦争が始まって、私は円が高くなるのかと思っていた。

すでに一週間たったが、円が意外に上がっていない。
ドルだって,アメリカが戦争しそうな塩梅なのだ。
そうなると、世界で最も安定していそうな通貨は円という事になるが、どうも、世界ではそうでもないらしいなあ。


要するに、世界は既に日本など相手にしていないという事なのだ。
円は世界の中心のいくつかの信用される通貨から、外れていたという事である。

円安、円安と、円安ばかり目指しているから、威厳が無くなったんだね。


PACO DE LUCIA “FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”
2022/03/01

PACO DE LUCIA/ AL DIMEOLA/ McLAUGHLIN “FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO” CBS/SONY
25AP2,035  (JAPAN)

アメリカ盤オリジナルではなく、これは日本盤である。
だが、どうしても書いておきたい、それは こんなにも良いアルバムを放って置けなかったから。
レコードにはSampleのシールが裏に貼ってあり、ジャケットの中にジャケ写真の小さいのが入っていたので、なんだかちょっと嬉しかった。

1980年の師走、ギターの名手3人が揃った名盤である。
演奏を聴くと、このアルバムはパコの為に作ったようなものである。
A面の「Mediterranean Sundance」は、圧倒的に凄い。
感心している内にどんどん演奏は進み、あっけに取られている内に終わってしまった。もちろん次の曲のマクラフリンとアル・ディメオラも良い、が、A−1の演奏は え? え? となって、もう一度針を乗せる。
そして、又乗せる。という事を繰り返してしまうのだ。
猛烈なスピードで弾いているのに、それが鬱陶しくない。
スペインの哀愁がそこはかと漂い、みんなは只管パコを持ち上げているのである。
私は只々、感心、感動、唸ってしまうだけ。
勿論、他の二人だって悪いはずがない。パコが目立つだけである。

パコのギターは良い。
Pedro Iturraldeと共演したFlamenco-Jazz(Saba)では、20歳になったかならないかの青年であるが、音楽はスペイン系だがはっきりとした見事なジャズを聴く事が出来る。
この時のアルバムはジャズ・イン・ザ・ワールドというシリーズであり、世界の音楽とジャズの融合が主眼であったのだが、そのシリーズの中でも代表的な作品となったのである。イトゥラルデのテナーも抜群で、言うも言われぬ哀愁のある好演奏であった。

しかし、このスーパー・ギター・トリオ。
良い演奏である。
それに、日本盤も音が良い。

Sentimental Journey
2022/02/28

家でレコード聴いていて、ふと昔の事を思い出してしまった。
子供のころ親戚のお姉さんが歌っていた歌。

1950年代の話であろうと思うのだが、センチメンタル・ジャニー、それからテネシー・ワルツ。

それで棚を漁ってみたら出てきた、出て来た。
まず、Doris Day(ドリス・デイ)が歌っていたセンチメンタル・ジャーニーはネコロンビアの10インチ盤でThe hot canariesというアルバムに収録されているものである。
もちろん1945年頃の全米大ヒット曲なのだからSP盤が初出なのだが、この10インチが何番目のプレスかは、最早当時の若手どころではなくガキだった私には分かるはずもない。
しかし、聴いているとDoris Dayの声は若くて妙に哀愁があって可愛い、一生懸命に歌っているのが良く分かる。
大好きだな この曲。
だから、その後のJackie McLeanのセンチメタル・ジャーニーも好きなんだわさ。
10インチ盤の次の曲がPeggy LeeのLet's do itであったので、そのまま聴いてしまった。

私はそのまま勢いづいて、今度はPatti PageのTennessee waltzのアルバムを取り出す。

テネシーワルツは1950年になってからのヒット曲でこれも全米一位か?Mercuryからタイトルもそのままに10インチ盤で発売になっている。
この頃はジャズもポップスも一緒って感じが良い。
50年は日本でも活気が出てきた時代なのか、ヒットを狙って江利チエミも日本語で歌って、日本の社会も盛り上がった。
私のこのレコードは針飛びがあったのが残念であったが、なんとか楽しめた。

思うに、戦後から1950年のポップスの代表曲はこの2曲だったような気がする。もう一曲Dinahがあったが、これは戦前から引っ張って、引き続き歌われた曲であったし、男歌なので今一つ広がりには欠けたかな?

兎に角、ドリス・デイとパティ・ペイジそれからペギー・リーの歌は支持を集めたのであった、と子供心に覚えがある。
それは圧倒的であったし、もう一つ意外にも歌が情緒的という事なのだが、強さ一点張りのアメリカ人にも、センチな曲調が好まれているという安心感でもあった。

アメリカが進駐してきて、文化も徐々にアメリカに慣らされてゆく第一歩だった。
凄いよね、私などガキの内からアメリカ民主主義に洗脳されたのだから。


福寿草
2022/02/27

庭に福寿草が咲いた。
もうすぐ春。


ウクライナの春はいつ来る。
しかし、今回のロシアのウクライナ侵略を見て、私たち日本人にとって大変参考になる事がある。
大国のエゴには勝てない事。
国連さえ、ロシアなど拒否権=大戦戦勝国に文句は付けられない事。
イランやイラクは徹底的にやっつけられるが、大国の悪事は見て見ぬふり。
また、周辺国は誰一人助けに来ないという事実。

遠吠えを繰り返すバイデン大統領をテレビで見るばかり。
そもそも、米国民主党がウクライナにすり寄ったのが、今回の侵略のはじまりと考えられなくもない。米国が一番悪いとも言える。
ロシアにしたらきっかけを米国が作り、侵攻したら、米国はなにもしない。
ロシアを手助けしただけとも見る事が出来る。
世界は各国の利益だけ。
ウクライナは見殺しか?

日本でもアメリカが守ってくれるなどとボケていると、中国や北朝鮮の侵略に結局は一人で立ち向かう事しか方法は無いのである。
安全保障条約など絵に描いた餅。
自分の国は自分で守る。
そんな事は、元より 人間の歴史の中の決まり事なのである。


ロシア - 野蛮国
2022/02/26

スズメ、メジロ、ロシア、野蛮国.......

野蛮国は本当だったんだね。

テレビドラマ「路」
2022/02/25

録画してあった、日台共同制作のドラマ「路」を見た。
新幹線の試運転の場面のところで、家内が急に思い出したように「私ね、中学生の時、新幹線の試運転に乗ったんだ!」。
「え?」
「たしか、中学2年だったと思う。お父様はすでに退職していたのですが、国鉄の関係で呼んでくださったんですよね」
「それは凄いね」
という話で盛り上がった。

新幹線はオリンピックの前の年に開通したのだから、その2・3年前の事である。

家内は小学生の時に、「特急つばめ」の展望車にも乗っているし、なんだか、凄い贅沢な経験をしてきている。
彼女の「あんたと結婚して損した」という理由も、分からないわけでは無い。

まあ、それも人生という事で。

ニャンニャンの日
2022/02/24

一昨日は2022年2月22日なので、数字の並びが良いからとニャンニャンの日と言われたらしい。

それで、知り合いから写真が送られてきた。
都内の電車のしゃない。
すべてチュールの写真だったらしい。

人間とは
2022/02/22

ヒーラーをやっている私の従弟が言っているのだが、人間とは、肉体 魂 意識 で成り立つ、これこそが三位一体という。

私はそれに、更に言いたい、人間の行動とは感情で成るのである。

そうやって考えると、我は音楽に親しみ、慰められ、人生の糧となっていることが良く解る。
レコードを聴くことはその実践に他ならない。
生きている喜び、生きがいでもある。

2022/02/20

 私はオープンカーを運転している、横に知り合いらしい若者が乗っている。
だれかに追いかけられているような感じである。
横の若者の言うがままに進んで行くと、なんだか秋葉原のような電気街のような街に入っていく。
そこでは、多くの人が声を上げながら、元気に勢いよく働いている。
「そこ通りますよ」。
「道を空けて下さいよ」。
「これは、どうですか?」
おばさんは客に「今お茶を入れますからね」。
などと掛け声が気持ちよくて、つい車を置いて、街の中を歩く。

電気部品をいっぱい売っているビルがあって、眺めていて、ふと、ビルの横手に廻ると、そこには大きな駅の待合室に入るような階段がある。
不思議な事に、非常に多くの人がその階段を下りてゆく。
人々はウールのコートなどを着ていて立派な身なりをしていた。
上から見ると、階段を下りたところにカウンターがあって、そこで、何やらの飲み物を買っているようだ。あるいは券でもらっているようだ。
私ももらおうとしたが、ごった返していて手が届かず、そのまま人の流れで右周りに進んでしまった。
すると、また大きな階段は右に下りて行くのだが、なぜか人々が急に少なくなっているような気がして、あたりを見回す。
もう一度、右に廻って階段を下りたところで、いたはずの人々は 急に人数が減っていくことに気が付いた、それは人の体が黒い煤のようになって徐々に消えて行くのであって、最初の方は倒れた身体の背中のあたりが黒くもやもやしている。奥の方は、黒い泡立った煤のようなものだけになっていて、土砂の上ですべてが消えて行くのであった。
 気が付いた私は、急いで階段を上って戻ろうとしたのだが、館内放送があって「逆には戻れません」とゆったりと音が流れている。
他には私のように戻る人は誰もおらず、それでも私は必死にあがいていると、急に階段が土の急斜面に変わってしまった。私はそばにあった尖った石を拾い、土を削ってスタンスを作り、手のホールドも2か所作り、そこにしがみついていた。どれほど時間が経ったのだろうか、やがて斜面は緩やかな階段に戻ったので、私はカウンターのフロアに戻った。
そこでカフェのようなテーブルとイスがあったので、壁側の椅子に寄りかかって座り、辺りを観察していると、そこに立派な身なりの紳士がやって来て、私の横に座る。奥さんらしき上品な女性がにこにこしながら男性に飲み物を渡しながら、一緒にいた女性たちと談笑しながら進んでいってしまった。
私は、紳士に「みなさん死ぬために来たんですか?」と思い切って尋ねる。
「そうですよ、そのための場所ですよ」
「怖くないんですか」
「いつかは死ぬんですよ、死は怖くはありません」

いったいどういう事なのかと考えてしまうと、突然、隣の紳士の体が硬直した、見ると、顔の半分が壁の中に消えて行くではないか、私は「死んではだめ、死んではだめ」と繰り返してその人にすがった。
しかし、すでに何も話さない体になっていた。
必死にそこから逃げなくては行けないと、走り出そうとするが、うまく行かない。
なす術はないのかと諦めかけた時、目が覚めた。

私の手はもちろん、顔が冷たくなっていて、ひょっとしたらあのまま死の世界に行くところだったのかと、しばらく落ち着かなかった。
それにしてもはっきり記憶があって、今でも気持ちが悪い。
お迎えかな。

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