HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 久々の散歩 | - 2022/05/13
- 今年始めた散歩も、3月に風邪を引いてから何となく億劫になってしまい。
しばらく行かなくなってしまった。 三日坊主というのだろう。 今朝は、家内に「すこしでも歩きないよ」と言われて、渋々出かけたのである。
川っぷちの辺りもすっかり季節は変わっていて、緑が濃くなってきている。 畑の作物も育っている。 ジャガイモの花も、食物のイメージとは違ってなかなかの綺麗さである。
少し行くと、桑の木にたわわに実が着いていた。 写真に撮っていると、犬を連れたおばさんがやって来て「これ、何ですか」と訊かれたので「桑の実です」と答えたら「これが桑の実ですか」と感心していた。 そばを歩きながら「もう少ししたら熟してきますから食べられますよ」 「そのうちに食べてみます」 犬が面倒くさそうに、早く行こうと急かしているので、そこで別れた。
また、散歩を始めようかな
|
|
| 横浜ついでに 不二家 | - 2022/05/09
- 伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」の向かい側には菓子屋の不二家がある。
結構、多くの客が入ってゆく。
なんでも、大正時代から続く不二家の一号店だという。 地元でかなり愛されているんだなあ。
|
|
| 横浜ジャズの跡 No.2 | - 2022/05/08
- そのまま帰るのも勿体ないので、伊勢佐木町通りと並行した一本裏の道を散歩する、ここは昔地元では「親不孝通り」と呼ばれた通りで今も風俗、飲み屋街になっている。昼間だから歩けたのかな?
外国語もあちこちから聞こえて来る、いや、なかなかの飲み屋街の強力な風情である。
それから本題に戻る。ちょっと車に乗って元町に向かう。 元町など街のスケールも小さく、駐車場も少ないので、休日には行くものでないと言われるのであるが、我々は元町の狭い道を横切って、ちょっと坂に上る、そこにあったのは「クリフサイド」という店である。 駐車場があったので、勝手に止めて中に入ると、営業している様子は見えないが、ちょうど人がいたので尋ねると、今は貸しスタジオになっているようで、すでに営業はしていないのであった。 だが廊下など到る所にかつての写真がかざってあり、写真が欲しくなってしまうなあ。
ここは木造のダンスホ−ルとして戦後の1946年に開業し、一時は200人のダンサーを抱え、多くのジャズマンが出入りした、東京にも負けない立派な音楽とダンスの聖地であった。 帰ろうと、ふと入り口辺りを眺めていると、南里文雄の写真が椅子に立てかけてあり、その前にはトランペットがそっと置かれていた。 彼がよほど大切にされた人なのだという事が伝わってくる。 ここのフロアは「トランペット・フロア」と呼ばれ、それは南里に因んだネーミングだという。 控え室には南里の専門の部屋があったという噂も聴いた。 絶頂期には各界の大物、石原裕次郎も見かけたという話もある。 このまま、立派な木造建築が保つ事が出来るのか、心配してしまった。 言ってみれば、ジャズ喫茶のちぐさ どころの話ではない、戦後からのジャズとダンスの楽しいエンターテイメントの歴史館なのである。 どうか残ってくれと願った。
胸を熱くしながら帰路に着いた。
|
|
| FRANK ROSOLINO “KENTON PRESENTS JAZZ" | - 2022/05/06
- FRANK ROSOLINO “KENTON PRESENTS JAZZ, FRANK ROSOLINO” CAPITOL H6507 (USA)
10インチ・アルバム
トロンボーンが主役のアルバムで飽きずに最後まで聴く事が出来る盤は一体いくつあるのか? そうそう、ないのであるが、そんな中にあって、これは立派な力作なのである。 トロンボーンのような音の茫洋とした低音楽器はどうしたって地味なのである。
このケントン・プレゼント・シリーズはかつて人気盤揃いで、BILL HOLMAN, BOBO COOPER, CLAUDE WILLIAMSON等、ウエスト・コースト・ジャズの王道として、音楽内容の水準の高さにもマニアの尊敬が集まったものであるが、なぜかは知らぬか、最近ちょっと人気はニューヨーク地区に譲る所があり、若干押され気味な感は否めない。ジジイは寂しいぞ。
ところで、ジャケットを見ると、トロンボーンを横座りのまま、天に突き上げているのは、いかにもラテンの国から来た男で、俺はビックだと大いに威張った姿は、日本の芸能マスコミに見つかると叩かれそうだな。 その通りジャズ・トロンボーンの大物でイタリア系のアメリカ人である。 ラテン系と言っても、ウエスト・コースト系ではラテン調の曲がないのかい?と聴かれれば、そこはそれ、ラテンの血というやつで、ちゃんと用意があるのだ。 B面1曲目の「ベサメ・ムーチョ」 実はこのアルバムの主役であり、真骨頂であるのである。 ベサメ・ムーチョと言っても、ムード系ではなく、まさにクラブ・ジャズのど真中。 コロナ感染も真っ最中に今更クラブジャズもないが、いやいや捨てた物ではない、ブームが去った今こそ入手のチャンス。 チキチキの8ビートから始まり、4ビートになりちょっと落ち着いてから、8ビートになって終わるという絵に描いたようなぴったりの調子である。 もう10年の前か... あの頃、イタリアの有名DJのニコラ・コンテさんが来店して、何かないかと言うので、これを棚から取り出して見せると、探していたレコードだと、大喜びであった。 そばにいたDJ達も、このアルバムがこんなにカッコ良かったのかと驚いていた。 あれから、10年ついこの間のような思い出話である。 他の曲はどうか? ハイハイ、A面から上品さと上手さが織りなすウエスト・コーストの好演奏が悪いはずはなく、何処を聴いても楽しめる。 その中で、ちょっとB−1は特に趣向が変わって良いと、オジサンは言いたいのである。
そうそう、メンバーはマックス・ベネットやチャーリー・マリアーノといった西軍の代表メンバーであり、特にマリアーノのプレイは溌剌として気持ち良く聴く事ができる。 最近はあまり、見かける事が無くなった通好みのアルバムである。
|
|
| DUKE ELLINGTON “THE POPULAR ELLINGTON” | - 2022/05/05
- DUKE ELLINGTON “THE POPULAR ELLINGTON” RCA VICTOR LSP-3576 (USA)
今回はステレオ盤のオリジナルである。 黒ラベルになんと初期のDynagroove付、深溝あり。 この時代になるとステレオ盤も急速に音質が向上し、しかも聴き易くなっていて、落ち着いて鑑賞にたえる音になった。50年代から続くこの時代も凄い変革があって、モノラルレコードからステレオレコードに代わり各社競って、高音質を目指していた、しかもマニアだけが喜ぶのでなく、普遍性のある音質で誰もが認める音であるから苦労は大変であったろう。 オーディオの話はオイトイテ。
アルバムの副題に「これがエリントンのエッセンス」と有るのだから、ここには1966年、アメリカ音楽の歴史・アメリカのジャズの集大成でもあり、彼が行きついた音楽の自信作なのだ。 本人はもちろん、RCAビクターにおいても当作品は余程の自信作だったに違いない。 面白い事に5月9,10,11日の録音であるが、なんとこのすぐ後、14日に東京の厚生年金会館で演奏を行ったという、日本の客にも絶頂の時を知る 実にグット・タイミングの演奏であったのだ。
ジャケットは、楽団員を後ろの雛壇に控え横にピアノを置き、ちょっと踊りのポーズを取った。 思えばかつて「スマイリー小原」もこういう感じで踊りながら楽団「スカイライナーズ」の指揮を取って、テレビの歌謡番組の聴衆に受けたと同時に、世のバカ真面目な親父達にはふざけた野郎だと憤りを買ったのだ。 そういう話ではなくて。モトエ
興奮を抑えつつアルバムを聴こう、冒頭、お馴染みの「Take the A train」を! イントロのピアノが長い。コレが延々と引っ張る、観客はワクワクしながら待つ、いつかいつかと待つ。 エリントンのA列車の中で、最もイントロが長いのではないか。 これでもかと待たせた挙句に、ドカンとテーマに入った瞬間に観衆の心も爆発。 ジャケットの本人ではないが、踊りだしたい気分。 誰もが、ステレオの前に行って、ボリュウムのメモリを、1つまた2つと大きくする。 これぞ、環境が許す限り大きくして聴きたいアルバムである。 曲は軽快に進行し、マッシブなサウンドでエリントンのエリントンたる一曲を聴いただけで、もうお腹一杯、ここで再度リピートしても良いのだが、今日は日記を書く上で、次の曲「I got it bad」に進むと、いきなり我らがホッジスの大きくフィーチャーされた曲で、とろけるようなクリーミーな音色に痺れてしまう。 「Mood indigo」も美しいハーモニー! ジミー・ハミルトンのクラリネットも素敵。 聴けば、どの曲もちゃんと誰かがフィーチャーされて、それに応え最高のサウンドを聴かせるメンバーがいる。 この作品は、かつてはエリントンの入門的一枚だった。 しかし、果たして入門者だけのためのジャズであったか? いやいや決して、そんな事ではなくて、このアルバムはジャズを聴いて、聴いて、聴きまくった人達が、アメリカにおいて起こった音楽がどういうものだったかと、もう一度初心者の心に戻り真摯に聴き進んだ時こそ、この作品の良さや、エリントンが言いたかったジャズ、そして黒人が築いたジャズがやっと解るのだと、最近思うようになった。
エリントンのレコード音楽は見事なまでの構成と凝ったアレンジと他の追随を許さぬ断トツの優雅さがある。 彼の音楽は個々であり、かつ集団であり、正にこの後発展を遂げるフリージャズの見本にすら成り得るのである。 この凄さは一体どこから来るのか。 内外の多くの評論家が色々絶賛するけれど、みんな合っていそうで、みんな違っていそうな、しかも、それも含めてエリントンの音楽であって、この神秘、この時代の先取り感の凄さは一体何だったか、と考えると眠れなくなってしまう。
|
|
| テーブル | - 2022/04/28
- 我が家の40年前のテーブル。
北海道、道東に住む仲良しがもらってくれると言う事になり、大喜びで配送業者に運送費を確認すると、色々条件が付けられていて、佐川の別会社が受けてくれると言うが、実際は現物を見てからと大体見積もりを訊いたら9万円だった、それでは無理と諦めた。
一度は私がクルマで運ぶ事も考えたが、いかんせん遠いわなあ。 やはり物に執着するのはイカン、という事か。
|
|
| 皿 | - 2022/04/20
- 我が家でしばらく重宝している8寸皿。
よく考えたら、ミスタードーナツの景品で、セットで5枚ある。
これが朝な夕なに最も使用頻度が高いとはトホホな気もする。
お客様には出せないにしても、それにして、大きさといい、ガラといい、結構気に入っている。 見栄を張らない年齢だ、しょうがない。
|
|
| テーブル | - 2022/04/18
- 我が家の古いテーブル。
老人の二人暮らしには、幅80センチ、長さ180センチで、ちと大きすぎると言う事になり、捨てる事になった。 だが、結構風格はあるし、もったいない。 だれか欲しい人はいないものかと当たったが、ついにもらってくれる人がいなかった。
今月いっぱいで粗大ごみだな。 40年前に注文で家具屋に作ってもらったテーブル。
ゴミになると思うといかにも惜しい。 だれか拾ってくれる人はいないか。 ウチのライトバンに入りそうなので、運ぶことも可能ならやってあげたい。
|
|
| スピーカー | - 2022/04/17
- 物置を整理していたら、なんとスピーカー・ユニットが出てきた。
PW−125 ウーファー TW−25 ツイーター 思い出した、これは三菱ダイアトーン 2S−305に入っていた珍しいモノである。 そういえば、随分前の事になるが、使っていた2S-305が不調だからと調整してもらった時、まだ三菱・郡山工場があって製造もしていたと思うのだが、余分に一セット買っておこうと思い立って、買い求めたものだった。 ダイアトーン2S−305は戦後、日本でもオーディオ機器を国産で作ろうという事になり、NHKと三菱が共同開発した見事な工作のスピーカーで、当時、NHKがJBLと比較検討会を催し,JBLに勝ったという伝説もある。それで、あちこちのスタジオでも使われた物である。 ちょうどカートリッジはデンオンがDL−103を作ったのも同時期の事である。
三菱と言えばちょっと有名なフルレンジのP−610があるが、それより全然作りがしっかりして重量もあり、格の違いを見せつけるような見事な工作。 ツイーターもずっしりしていて綺麗で驚いたのだが、それもそのはず一度も使ってないのだから当然である。 私はスピーカー・ユニットは後ろ姿が良くないものは使わない事に決めているのだが、両方とも素敵な姿であった。 ウーファーの周囲のスポンジが劣化していたが、直せば問題はなさそうである。
さてどうしたものか..... 箱に入れて使うか、それとも..... 面倒くさいなあ。
|
|
  
|