HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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岡田拓郎さん来店
2020/12/28

岡田拓郎さん来店
彼は以前も書いたけれど、「森は生きている」のバンドを率いていたシンガーソング・ライター。

今日、久しぶりに来店してくれた。
彼がどこかに書いた話。
「僕は音楽があったから、それまでよりいろいろな思考のチャンネルを持てるようになったと思ってます。音楽には工芸品みたいな実用性はないかもしれませんし、社会的に期待される機能もないかもしれません。音楽にどんな力があるのかといえば、正直、何の力もないように思えなくもない。けれども今、改めて自分の人生を振り返ると、人間を人間たらしめる思考の選択が音楽によって広がったなとは思います。」

若いのにエライよなあ。




Merry Christmas
2020/12/26

swingin' godzilla ! さんという知り合いのブログをよく見ているのだが、今回の内容が山下達郎の〈クリスマス・イブ〉EP。

思わず、刺激され、私も吊られて今回のクリスマスで聴いたレコード。

山下達郎のクリスマス・イブは勿論。
RUN-DMCの Christmas In Hollis、これが最近の好みである。カッコいいんだもの。
勿論、Jan JohanssonのJazz pa svensk(Megafon)はじっくり聴いた。

そうそう、いつも聴いていたBing CrosbyとDavid BowieとのLittle Drummer BoyのEPが見つからなくて大騒ぎで探したが、ついぞ出てこなかった。売ってしまったのかね。記憶が全くない残念じゃ。
人生の中で重要な一枚なのに、トホホ。


DEXTER GORDON “DADDY PLAYS THE HORN
2020/12/23

DEXTER GORDON “DADDY PLAYS THE HORN” BETHLEHEM BCP 36 (USA)

原盤は大変珍しい。
しかし、今回はちょっと変わった意味で珍品であって、それは写真に見られるようなジャケット。

なんと、ジャケットの空白部分にうまい具合に、赤い文字でDEXTER GORDONと2段書きで印刷されているものである。
これを再発と片付けてしまうのはいかにも芸がない。
なぜならばこれも又オリジナルなのであるから。

同社には何枚かのジャケット違いのオリジナル盤が存在する。
多分、売れ残ったアルバムの上に、シルクスクリーンのように只インクを乗せただけの印刷を施し店頭での客の目を引こうとしたのではなかろうか。
こういう策はJ&K、SOM MOST, CHARLIE MARIANOなどのアルバムに見たことがある。
しかし現在、こられのジャケットには殆どお目にかかる事はない。その一つの理由はこれらの印刷はアルコールで拭くとサッと色が落ちてしまう。従って販売上、ひと手間加える事によってオリジナルとして売りやすい方向に行ってしまったと考えられる。

今となっては、こういう物の方が却って面白みがあると言うもので、特に当アルバムの文字の入れ方のセンスが素晴らしく、どこかソソられるのである。
まあ、これもレコード・ファンの楽しみという事で。

DECCAの事
2020/12/21

本を読んでいたらデッカに関する事が出ていた。
1914年ポータブル蓄音機を作っていたバーネット・サミュエル&サンズという会社が、戦地に赴く兵士に向けて新しいモデルの蓄音機を開発、今までの10倍良い音がするとの触れ込みで、ギリシャ語で10を表すダーカから、デッカというネーミングにした。すると、たちまち大ヒットしたという。
1929年証券会社の経営者エドワード・ルイズが会社を買収、レコード会社の経営に乗り出した。
デッカには創業時から録音技師など優秀な技術者が集まっていたのだが、第二次大戦の末期には全可聴周波数、ffrrと名付けたハイファイ録音方式で業界最先端であった。
LP時代にはEMIを尻目にいち早くLP発売に着手。
ステレオ録音に至っては54年頃には研究着手、55年にはバイロイト音楽祭のカイルベルト指揮のライブ演奏の録音をしたのである。
実際には1957年ウエストレックス社が二つのステレオ・チャネンルを一本の溝に入れる事に成功すると、同時期に開発していたロンドンデッカやコロンビアが相次ぎステレオレコードのデモンストレーションに加わる。58年にアメリカで市販用ステレオレコードが発売に至った。
という事らしい。

コロナ騒ぎで思う事。
2020/12/20

思えば、ここ一年政府または県のやってきたことは、大した政策が無かったと思う。
自粛を求めたのも、大人しく右へ倣えの国民性が良い方向に向かい、感染は快方に向かった。
そこに打ち出した政策がGOTOキャンペーン、フィーバーし易い国民は踊らされ旅行旅行で大騒ぎ、あっという間に感染拡大、今度は自粛だと。
なんだか情けない。

新宿のこの辺りの料理屋も、徐々に忘年会の予約も入っていて上向きになりかけていたのに、今回の騒ぎで全て予約が消えたという。
何もしなければ、何もしてくれさえしなければ、少しずつ客が戻って来ていたのに、と皆さん政府の政策を嘆く。
そもそもGOTOでそれ、旅行に行け!と国民を急激に移動させるのはいかがなものであったか?
外に出るな!行け!出るな!その内に又行け!と言われるのかね。
菅総理は完全にコクミンの支持を失った。

せめて、消費税を無税にしてくれれば、これが一番の政策と思うのだが。

KENNY DREW “THE IDEATION OF KENNY DREW”
2020/12/19

KENNY DREW “THE IDEATION OF KENNY DREW” NORGRAN MGN-29 (USA)
10inch

珍しい10インチアルバムで、初期のケニー・ドリューのトリオ演奏が聴ける。
ドリューは、1950年ころからいくつかのバンドでプレイし、録音にも付き合っていて、53年には初レコーディングもして22歳でデビューした。タイトルがNew Faces-New Sounds(Blue Note BLP 5023)と期待される新人であった事は言うまでも無い。中々の好調な音楽人生のスタートである。
それに続く録音が53年のThe Modernity Of Kenny Drew (Norgran-1002)という12インチのアルバムという事になるのだが、今回紹介する当アルバムが54年の録音ながら先に10インチとして世に出たものであり、その後12インチ盤のThe Modernityに編集で入れられたと言うややこしい作品である。
従って、当アルバムの方がまとまった演奏として聴けることは間違いない。
この頃の演奏等を、当然の如くというか若いからという理由か、我が国の評論家は一様に「若く未熟」という表現で片付けるのだが、ちゃんとオリジナル盤で聴けば決して未熟などと呼ばれる筋合いではない事がわかる。
それは知る人ぞのみ知るという事にしておこう。

ジャケットはDavid Stone-Martinのデザインによるもので鳥と言うか七面鳥と言おうかデフォルメ感のある面白い絵柄であるが、珍しい盤故、あまりお目にかかる事がない。
演奏はLawrence Marable等とのトリオで、当時の多くのピアニストがそうであったようにパウエル・ライクな演奏が聴ける。
50年代のジャズ・レコード好きには受ける事間違いない。

さて、この後1955年 Jazz-Westレーベル、1956年 Riverside(12-224)等々続き、それからちょっと置いて1960年 Blue Note BLP 4059の名盤Undercurrentと順調であり、かなりの録音にも参加していたのだが、新天地を求めたと言うのかヨーロッパに移住し、以来米国での録音は途絶えた。
我が国の評論家の方はヨーロッパに行ったヤツはダメなヤツと申していたのだが、決してそうでは無かった事を付け加えておきたい。
彼は、アメリカのジャズの聴衆の多くを失ったが、その分ヨーロッパで広い支持層を集め、また 狭いニューヨークよりも、国を跨ぎ多種な状況で働き、また学習する時間が増えたのである。
その結果、しばらく途絶えていた録音が再開され、1973年 SteepleChaseにて当時新鋭の Niels-Henning Orsted Pedersenとの DUOが高評価で、それに続き1974年のDark Beautyからトントン拍子に進むのである。
Steeple Chaseの作品はそんな新しい彼の姿を見る事が出来る。

当アルバムに話を戻そう、
今回入荷した盤は残念ながら傷が目立つ、しかし、チリチリの音はしても原音はしっかり聴こえてくる。
モノラル針で聴くならば更に改善され、また、私の確認によればイコライザーがAESカーブであり、アンプ等で調整可能ならば見事な音質となる事を保証する。

猫の漫画
2020/12/17

下高井戸のコーヒー2-3のママさんの作品
我が家の猫をモデルにして書いて下さった。

見られると思います。
 タイトル「レコードの魔法」。

https://www.naitourieko.net/
https://www.naitourieko.net/blog


また、新刊の詩画集も販売しております。
(タイトル:とてちてた)
心が落ち着きます。



BILLY USSELTON “HIS FIRST ALBUM”
2020/12/13

BILLY USSELTON “HIS FIRST ALBUM” KAPP KL-1051 (USA)


大変珍しいアルバムである。
かつては白人ジャズにおける幻の名盤でもあった。

ビリー・ウッセルトンはほとんど名前を知られることは無い、マニアの間で僅かに記憶に留まっているに過ぎない。
作品も1957年に作られた当アルバム一枚のみである。

彼の名前が知られるのは、LES BROWN楽団に長く在籍していた事くらいである。
レス・ブラウン楽団にはズート・シムスなどもいた事がある、上手さと綺麗なサウンドを誇る白人バンドでそれなりに人気のある一流バンドであった。
それに長くいられると言う事は実力があったということでもある。

聴いて思うのは、音質がちょっとアート・ペッパーに似ていて、サラッとした清潔感のある音色で、親しみ易い演奏である。
丁寧な仕事ぶりに嬉しい気持ちになる、良いアルバムであった。

2020/12/11

おじいちゃん、おばあちゃんが孫をかわいがるのは、きっと自分の子供を育てた時の事を今になって、ああしてあげれば良かった、こうしてあげれば良かった、という反省の念があるからだね。

RUSS PROCOPE “THE PERSUASIVE SAX OFRUSS PROCOPE”
2020/12/10

RUSS PROCOPE “THE PERSUASIVE SAX OFRUSS PROCOPE” DOT DLP 3010 (USA)

ちょっと珍しいレコードが入荷。
それはエリントン楽団を長年支え続けて来たアルト・サックス奏者のラッセル・プロコープ(Russell Procope)なのである。
しかし、このアルバムのどこにもRUSSELLという文字は見つからず、RUSSとのみ書かれているだけで、
当初、私もこの事に大いに悩み、これは別人かとも思ったのである。
なぜなら演奏の曲目にエリントニアンを示すような演奏がなく、それのみならずポップス調の曲もあり、音質は彼かと思いながらRUSSELLとは言い難かったのである。
後日、ディスコグラフィーを調べて見た所、RUSSELLとして記載されていた。
きっと、エリントンとの契約上名乗ることが出来なかったのであるか、それとも演奏の雰囲気が異なるので、RUSSとしたのであろうか、その辺りは不明である。

さて、この演奏は彼のアルトのサウンドが並々ならぬ腕前であり、曲の雰囲気の作り方も並外れた実力者で有ることが理解出来る。
甘くささやくような、また聴く人の気持ちを高めるような素晴らしいサウンドに感心するのである。

このジャケットの裏のラーナーを読んでいたら、こんな事が。
「偉大なエリントン楽団と共に、彼はMood Indigoを1000回にも及ぶ回数演奏した。
しかし彼は常に、シカゴのレイク・ショア・ドライブ近くの静かなレコーディング・スタジオにおいて、午前5時45分の朝の柔らかな光の中で演奏するようであった」と。

そう、一度たりとも手を抜いた事がないと。
確かにその通りで彼の甘いサウンドの中に、彼の演奏は真面目な雰囲気を醸し出しているのである。
同じ楽団の中に、ホッジスというこれまた超の付くエリート中のエリートがいたお陰で、人気の点で一歩譲るものであるが、長く在籍し楽団に貢献してあまりある彼の音楽人生、たった一枚のリーダー作なのである。

やや、ポップス調の曲が多いが、アルト・サックスの良い音で聴くことが出来る、大変良いアルバムなのである。

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