HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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RUSS PROCOPE “THE PERSUASIVE SAX OFRUSS PROCOPE”
2020/12/10

RUSS PROCOPE “THE PERSUASIVE SAX OFRUSS PROCOPE” DOT DLP 3010 (USA)

ちょっと珍しいレコードが入荷。
それはエリントン楽団を長年支え続けて来たアルト・サックス奏者のラッセル・プロコープ(Russell Procope)なのである。
しかし、このアルバムのどこにもRUSSELLという文字は見つからず、RUSSとのみ書かれているだけで、
当初、私もこの事に大いに悩み、これは別人かとも思ったのである。
なぜなら演奏の曲目にエリントニアンを示すような演奏がなく、それのみならずポップス調の曲もあり、音質は彼かと思いながらRUSSELLとは言い難かったのである。
後日、ディスコグラフィーを調べて見た所、RUSSELLとして記載されていた。
きっと、エリントンとの契約上名乗ることが出来なかったのであるか、それとも演奏の雰囲気が異なるので、RUSSとしたのであろうか、その辺りは不明である。

さて、この演奏は彼のアルトのサウンドが並々ならぬ腕前であり、曲の雰囲気の作り方も並外れた実力者で有ることが理解出来る。
甘くささやくような、また聴く人の気持ちを高めるような素晴らしいサウンドに感心するのである。

このジャケットの裏のラーナーを読んでいたら、こんな事が。
「偉大なエリントン楽団と共に、彼はMood Indigoを1000回にも及ぶ回数演奏した。
しかし彼は常に、シカゴのレイク・ショア・ドライブ近くの静かなレコーディング・スタジオにおいて、午前5時45分の朝の柔らかな光の中で演奏するようであった」と。

そう、一度たりとも手を抜いた事がないと。
確かにその通りで彼の甘いサウンドの中に、彼の演奏は真面目な雰囲気を醸し出しているのである。
同じ楽団の中に、ホッジスというこれまた超の付くエリート中のエリートがいたお陰で、人気の点で一歩譲るものであるが、長く在籍し楽団に貢献してあまりある彼の音楽人生、たった一枚のリーダー作なのである。

やや、ポップス調の曲が多いが、アルト・サックスの良い音で聴くことが出来る、大変良いアルバムなのである。

万歩計で
2020/12/06

万歩計の数が最近気になって、今夜も家に帰って見たら900歩だった。
これではイカンと遅い夕食の後、隣の駅まで歩いた。
いくつになっても努力が必要な大変な世の中である。

歩いてゆくと、マンション・ビルの間に真っ赤な流れ星がスーッと消えた。
こんな大きな流れ星は久しぶりだと思って歩き始めたら、ネズミが私の前を横断して行った。
何となく、良い事がありそうな気がする。

菅総理
2020/12/03

今の総理になって以来ずっと、どうしてもイメージが重なってしまうのである。
菅さんと小渕さん。

何がこれほど重なるのか?
私自身も分からないが雰囲気が、漂うって来るものが、この二人少なくとも何か近いものがある。

何だろうね。

THELONIOUS MONK “IN TOKYO 1-2”
2020/12/02

THELONIOUS MONK “IN TOKYO 1” 日本コロムビア PSS-46  (日本)
THELONIOUS MONK “IN TOKYO 2”日本コロムビア PSS-47  (日本)

今回のアルバムは2枚組。
1963年5月21日 サンケイ・ホールに於て行われたコンサートの模様である。
初っ端の観客のどよめきが聴ける。
来日を待ち望んでいたファンの興奮が伝わり、それを聞いた私もとても嬉しい。
このコンサートの場にいた人たちの喜びは、いか程であったであろうか。
日本でモンクのコンサートが開かれた事の素晴らしさが心に沁みるのである。
その後 数年後にも来日しているのだが、一度目は格別である。

この時の来日は5月9日から各地で演奏会が開かれこのサンケイ・ホールで3日間演奏され、録音が最終日であった。
更にその記録が2枚のレコードになって発売されたものの、よほど売れなかったのか、私などなかなか見つけられず、マニア同志の噂では発売中止になった等と話に尾ひれが付き、ますます入手困難となった。
しばらくして再発盤で我慢をしていたレア盤なのである。
また、23日にはTBSのスタジオでビデオ撮りも行われた。
日本のファンには十分なサービスであった。
アルバムの裏には、福田一郎、岩浪洋三、油井正一、イソノテルオ、などそれぞれの感想が綴られていて興味を引く。
このコンサートにおける演奏が良いとか悪いとか、一生懸命に書き綴っている方々は多いが、そんな事はどうでも良い。
日本に於て、40年代後半から50年代ジャズの変革の時代を作り上げたジャイアンツの一人が60年の早い内に日本に来た事の記録だけで十分かつ誇らしい事件であった。
これ以上の喜びはない!
日本人のジャズファンとしてこの意味が分からなければ、「チコちゃんに叱られる」では無いが「ボーッと生きてんじゃねーよ!」である。

CURTIS FULLER -TOMMY FLANAGAN “JAZZ…IT’S MAGIC ! ”
2020/12/01

CURTIS FULLER -TOMMY FLANAGAN “JAZZ…IT’S MAGIC ! ” REGENT MG 6055 (USA)

ハードバップのナイス・アルバムである、ジャケットのカッコよさも考えると、実に良いアルバムである。
ジャケット・デザインは、なぜか女性の薄着を纏った写真と一瞬ジャズか?と思わせるものと、頭部を布で隠すという宗教的さと水着というアンバランスさ等が不思議で、ジャズとマジックとの関係性がこのタイトルになり、意表を突くと発想になったであろうか。
かつて、レコード屋の壁にこの光り輝くコーティングの美しいジャケ写を見つけた時に、大いに戸惑ったのである。
兎に角 面白いジャケットである。

演奏はCurtis FullerとSonny Redd(as)との2管をトミフラとGeorge Tucker(b)とLouis Hayes(d)が支える気持ちの良い演奏である。
良くぞRegentレーベルでこんなカッコ良いジャズ作品が作られたものである。
もちろんVan Gelder録音という点も見逃せない。
といっても、後ろ盾がSavoyレーベルである事が大きく、裏ジャケにコンプリート・ディスコグラフィーとカタログの請求はSavoy Record Co.,Incに請求されたしと書かれている。
また、この直ぐ後には、これらのアルバムはSavoyから再発されたのである。
それだけにRegent盤は貴重である。

音楽の事。特に書きたかった事は、A面の演奏の良さであるが、その中でも3曲目のMy One and Only Love.。
落ち着いたムードが漂い心休まる。
57年のモダン・ジャズ全盛時の良心的な最高な演奏としておく。

さて、ここから本文になる。当アルバムはリーダーがCurtis Fullerとされている。
確かに、私も値段を付けるためにデータを入力するのだがジャケットを眺めているとリーダーが分からないし、何となくジャケ写の一番上にCurtis Fullerと書かれている、また冒頭に針を下ろすと雰囲気が彼と認めても間違いなさそう雰囲気である。
しかし、しつこいオジサンはしみじみ裏のライナーを読んでみた。
作者のAlan Stein曰く。
「リーダーはデトロイト出身の27歳のトミー・フラナガンである」と。
なんだ、トミフラだったんじゃん。
いつからフラーにすり替わったのだろうね。
じっくりレコードを聴いて納得した。

万歩計
2020/11/30

数日前の事、引出から出て来た万歩計。
早速、腰のベルトにセットしてみた。

腰の軍刀にすがりつき♪
と軽く鼻歌もついて出る、っていつの世代か俺も...
モトエ。

それで、一日歩いた結果は
626歩であった。

もうすぐに死ぬな、これではいかん。

交通事故が増えた
2020/11/29

ここの所、よく交通事故を見る。
一昨日は東名高速・東京出口付近で3台が接触したであろう。ばらばらに飛び散っていた。中には高級車が一台。

その数日前には東名下り青葉インター近くで、トラックなど3?台、工事で一車線に合流する地点での事故であった。

更に10日ほど前、首都高大橋ジャンクションから山手トンネルに合流地点で6-7台の玉突きで挟まれた3台は前方が潰れて互いにめり込んで繋がっていた。余りの惨さに心が痛んだ。

その他にも、2回ほど事故渋滞に遭遇している。

東名の工事が始まり渋滞が頻繁に起こるようになってから余計に、運転マナーも悪くなった。
年末が近づいたせいもあろうか?2車線マタギの車線変更も普通にやっているし、無理矢理に頭を入れる合流、車線変更を何度も繰り返しをしてくるクルマも増え、2回ハザードを出せば何でも許されるような風潮である。
高速道路の合流は気付かぬ振りして入れさせないクルマも目立つ。

自分さえよければ何でも許されるのであろうか。
一体何がどうなっているのか?焦っているのか?

珍しいクラシックのアルバムの事
2020/11/28

ベートーベン 交響曲第9番「合唱付」指揮フルトベングラー ベルリン・フィルハーモニー
ブルーノ・キッテル合唱団創立40周年記念演奏会
ティルラ・ブリーム(ソプラノ)
エリーザベト・ヘンゲン(アルト)

今となってはLPはじめCDも何度も再発され、聴く手段はいくらでもある。
しかし、オリジナルと言われるメロディア盤のプレスされた当時の物はまず聴くことが出来まい。
それは気が遠くなるほどの珍しさなのである。
何故それほど貴重かつ珍しいのかという話を、専門外ながらちょっとだけ。

第2時世界大戦中、1942年3月22日か24日、常任指揮者としてベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会である。
当時、これらの演奏会はナチスのドイツ文化政策管理下にあり、ラジオ放送などで国内外に利用していた。
1945年5月ソ連軍がベルリンになだれ込みこれら録音テープを接収、66年になってソ連メロディアにてプレス発売とされているものであるが、どうも54年くらいからプレスがあり数年ごとにプレスは進み、今、私が聴いているのは61年盤である。
ついでに言うと、最初期54年の物はカーブが異なっていて、調整して聴くと流石に素晴らしいが、当アルバムはRIAAカーブに直っていて、これはこれで大変結構な音質である。
66年のプレスは やや音質が落ちる。しかし、66年の物でさえ大変に珍しいものである事は言うまでもない。
現在の再発盤は所詮54年盤からの盤起こしで、まあそれなりというところである。

噂によると、フルトベングラーは多くの音楽家たちがドイツから脱出して行く中、国内に留まり演奏を続け、降伏ぎりぎりの45年2月、ウィーンフィル定期演奏会後にスイスへ亡命、10分でも遅ければ捕まっていたと言うギリギリの亡命であった。ヒトラーは彼がお気に入りで何としても離したくない、しかし高官のヒムラーにより逮捕状も出ていたと言う。
しかし、解放後45年5月今度はナチス協力を問われ演奏禁止。
47年非ナチ裁判で無罪となった。

一方、テープを持ち帰ったと言うソ連だが、噂によるとテープだけでなく録音機材全て、技術者も一緒に連れ帰ったという話もある。
それだけに、当アルバムもその当時の技術が生きていたという話である。

オーディオ的な興味から言えば、当時ドイツのみが軍事用に開発していた長時間録音が可能なワイヤーテープと、録音能力が優れたコンデンサー式マイクが可能にした録音であった。
45年、我が国いやアメリカでさえ大した音では無かったのであるが、当アルバムを聴いて当時のドイツのサウンドに驚いてしまった。
友人が貸してくれると言うので有難くお借りして聴かせていただいた。ついでに売っても良いよと言われたのだが、さてどうしたものか?その金額も半端ではない。

RAY BRYANT “CON ALMA”
2020/11/27

RAY BRYANT “CON ALMA” COLUMBIA CL 1633 ( USA)  
裏ジャケの余白部分にDemonstrationと大きなスタンプが押されている、オリジナルである。
今日は先のlittle Susieと併せて2枚分を一日分にして書く、いや賛美してしまおう。
何故なら昔はこの2枚が好きで、私は聴く時には一緒に連続して聴くことにしていたからで、それにEpicレーベルのトリオ(Gubano Chanto)も加えるのが常道であった。欲張りだからね。
それもファンキーな味わいという面において抜群の出来である。
ジャズは何と言っても、ノリの良いファンキーな演奏が良い、これぞジャズである。
PRESTIGEのTRIOやSIGNATUREのPLAYSも持っていたが、そちらはまた違う上品な雰囲気を味わいたい時に引っ張り出すアルバムであった。

しかし状態の良いモノラル盤が二枚も一遍に入荷するのも珍しい。
何か良い事でもありそうな気配である。
当Con Alma盤は例によってB面に音のザラツキがあるが、すべてのアルバムがそういう事なので文句は言えない。ステレオ盤には問題がないのだがモノラル盤だけに現れるのはスタンパーに問題があったに違いない。
但し、重針圧のカートリッジではあまり気になる事もない。という事は当時、多少の傷やプレスミスなど販売上問題となる事は無かったのである。
ここに昔のモノラル盤の面白さがある。

さて曲の事「Con Alma」。.
何と言ってもタイトルになった曲であるからして誰が聴いても一級品である。
作曲者本人のガレスピーも 他の演奏家も大体もう少しゆっくり目のテンポでしかも哀愁を込めて演奏するが、ここでは、ラテンタッチでやや速めのスピードで、ノリと哀愁を天秤に掛けたとしても、どちらにも落ちない見事さは、並みの演奏家ではない。
とにかく、Micky Rokerのドラムが派手にやらずにずっと曲のイメージを支え続けているという素晴らしい働き。
うーん、良い曲だ。一曲聴いて既に十分!一曲あれば名盤
この一曲の為に購入して欲しいアルバムなのである。

しかし人生を振り返って考えるに、こういった作品等、言って見れば立ち上がりの良いサウンドのアルバムを聴いて来られて、本当に私は幸せ者だった。

RAY BRYANT“LITTLE SUSIE”
2020/11/27

RAY BRYANT“LITTLE SUSIE”CLUMBIA CL 1449 (USA)

かつてのジャズ・ファンの多くはレイ・ブライアントが好きであると私は思い込んでいる、ジャズ喫茶でもよく掛かったし、ジャズとしてはポピュラーなピアニストであるので。

さてまず冒頭はLittle Susie。
彼はかなりジャズ・プレイヤーとしては良い道を歩いて来ていて、マイルスやロリンズとの共演もし、Carmen McRaeとは57年に共演し、あの名作のAfter Glow( Decca)も残し、歌心のあるピアニストとしても印象に残った。
その後、60年までには名トリオ作を2枚続けて発表し、日本でのトリオ人気は高い。
60年後半からはクラブ系として聴いて踊れるジャズとして少し若い層の人気は高い。

それで、このアルバムに戻りジャケットを見ると、写真には彼の娘を膝に乗せて二人でにっこり笑った幸せいっぱいなショット。
ジャズにおける子供の写真って意外に良いもので、幾多の名盤が存在するのはご存知の通り。
見ている私も嬉しくなる、良い写真である。

さて聴いてみよう。
A面冒頭、「Little Susie」、タイトル曲が冒頭に出て来る。
ノリが抜群、こちらも思わず手を叩いて店主もノリノリ。
エンターテイメントの能力の高さは十分に発揮している。
オマケに、これは彼のオリジナル曲。作曲能力も高い。
このアルバムの出来は最高で、当時本国でシングル・ヒットを飛ばした事もある傑作である。
聴いているとA−2,A−3と曲目は異なっても、雰囲気とノリがそのまま継続し、つい終わらないで欲しいと願うリスナーの気持ちが分かっているかのような演奏で、実に心が解放されるのである。
B面はバラード調のしっとり感ある曲目になっていて、こちらもまたリスナーを楽しませる。

このアルバムのように何たって、即ち軽妙、しかも良い演奏、そういうジャズって意外に少ないものだよ。

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