HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
饅頭 | - 2021/06/16
- 甘い物の話のついで。
饅頭と言えばここ新宿ではなんといっても「花園饅頭」で「日本一高い日本一うまい」というキャッチコピーが有名である。いや、味も一流である。 埼玉には「美味い!美味すぎる!」というCMでその名を轟かせている十万石饅頭があって、県民に親しまれていて、学校給食など誰かが美味いと言えば、必ずまた誰かが美味すぎる、と言う約束事が出来てしまった、いやCMの方が売れ過ぎた感がある名菓がある。
しかし、何と言っても、東京では「塩瀬」が有名だが、その塩瀬の事。
中国は北宋の時代、林和靖(りんなせい)と呼ばれた思想家・詩人がいた。妻子をもたず「梅を妻とし、鶴が子である」として笑っていた。その言葉が特に有名になった。 江戸時代においては、日本では非常に人気であったらしい。 今は、どうでも良い詩人に入った感はある。私もほぼ読んだことはないが日本人の梅好きがこの人の影響だと聞いた事がある。で、日本から来た龍山禅師が宋から帰国する際、林和靖の孫娘がついて来た。その娘の名を林浄因と言った。 日本に来てから姓を塩瀬と改め饅頭を作った。 これが大当たり、各時代の天皇・将軍にも重宝されたのである。 「塩瀬」の饅頭のルーツで、其の後奈良から東京に来てしまったので、我々も食することが出来る。ホントか作り話か分からないが、良い話である。
まあ、妻子を持たない林和靖に孫娘がいた云々は、それはそれでまあ良いかという所である。
美味すぎる 饅頭怖い 食べてしまえ
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また 甘い物 | - 2021/06/15
- 近くの新宿ペペ(西武新宿駅)にクリスピー・ド−ナツあったと仕入部長が買って来た。
いやドーナツは美味しいね。 私は、ドーナツが大好きだ。 コーヒーを飲みながら、ドーナツを食べればこんな幸せな事はない。 夕べに死すとも可なり、と言ったところか。
ドーナツの 穴の不思議や 覗くべし
食すれば 穴も消えたり ドーナツの
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猫の手 | - 2021/06/14
- 家内から写真付きのラインが来て、「これ何でしょう?」
なんだ?と思っていたら、次のラインが来た。 「よく見たらブルちゃん(飼い猫)の足でした、可愛いでしょ」 だって。
私は忙しいんだから。ホントに!
でも、ハウスから手を出して寝ていたんだね。
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セブンイレブンの「栗まんじゅう」 | - 2021/06/12
- 最近、ちょっとヤミツキの物。
セブンイレブンで買う「栗まんじゅう」。 裏を見ると製造者「米屋」となっている。なるほど羊羹の米屋。 栗まんじゅうは、中に栗が1個まるまる入っていて、その周りを白あんで包んである。 白あんのふわふわ感と栗のしっかり感が絶妙で、誠に美味なり。 最近は、私も甘い物には気を付けないと胃酸が出て来てしまうので、年寄りには大きさもちょうと良い。
私は昔から米屋の羊羹が好きで、近所の菓子屋で買って食べていた、まだそれほど高級では無かった頃の事なので、買ってきて本でも読みながらムシャムシャしていると、あっという間に一本食べてしまっていた。
しかし甘党の私、血糖値も徐々に上がってきており、かかりつけ医からは糖尿病の予備の予備軍と言われていて、控える様に注意を受けている。 そろそろ甘い物は止めなければいけないが、何しろ甘い物を止める事は実は断酒より大変だと言われる通り、しばらく買う事が止まらなさそうである。
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本「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」 | - 2021/06/10
- 沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち。
と言う本を常連さんに勧められて読んだのだが、何しろその人生の凄まじさに唖然茫然とするしかないのである。
沖縄のかつての特飲街と呼ばれていた街と、そこに経営する者、やくざな者、住む者、売られる者、買う者と人が蠢く。 また、警察側や街を浄化する側の、押しつけがましい一方的な正義のやり口にイラっとさせられる。
しかし、一体いつの話かと思いながら、のめり込んでしまい、あっという間に読んでしまった。
いや、何もいえない。
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思えば... | - 2021/06/06
- 1938年、アメリカではジャズの演奏が行われ、斬新でリズミックでノリノリな曲で、観客が湧いている頃。
日本では太平洋戦争も近づき、「海ゆかば」など歌っていたのか?それとも「酒は涙か溜息か」でも歌っていたのか。
思えば、あんな国と戦争などしてはいけなかった。
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SING SING SING の話の続き | - 2021/06/05
- SING SING SING の続き
前日 私が家に帰ってこの曲を聴いたものの深夜でもあり、音量も上げられず満足出来なかった、それで今日の出勤前に再度聴いたのである。 大音量で。いやいや、ぶったまげた!凄い演奏であった。
英文のライナーには詳細な記載があるが、あまり英語の理解力があるとも言えない我が身を嘆きながら、少々記してみる。 1938年1月16日、クラシックの殿堂カーネギーホールでついにジャズ・コンサートは行われた。 チケットはとうに売り切れであったが、残りのチケットを求め非常に寒い日であったにもかかわらず、居ても立っても居られないファンが詰めかけた。 主催者側も苦慮しステージの端の方に椅子をセットする等し、すこしでも客を入れる努力をした。
さて、コンサート開催にあたってグッドマンも力を入れており、同業者すなわちカウント・ベイシーとデューク・エリントン楽団にも出演を依頼した。 ベイシーは参加したが、エリントンは断った、それは自分がこの後出演する野望があったからである。 しかし、メンバーのジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイ、クーティ・ウイリアムスを貸したのである。 彼らの演奏の素晴らしさはしっかり聴くことが出来る。 オジサンはどの演奏を聴いても感動するので一々書くことは止める。 ただ一つの例外SING SING SINGの話だけは書こう。
この曲はドラムのタンタンタタン、の迫力は既に述べた。しかし、演奏中ちょっと面白い事が起きている。 演奏が長い事も既に書いた。しかし、長すぎる。 もう終わりという雰囲気が2度ある、一度目はまだ始まったばかりであり、ソロ廻しが一通り終わったので、拍手をいただいたので、ちょっと静かさが一瞬あるだけで、これは 当然演奏は続くものであると感じる、またはSPレコードの面を変えるための空白かもしれぬ。 実際この演奏は50年になってから録音したものが見つかったので,原盤としてはSPはない。 しかし、終わりに近づく時があって、終わりだなあと思った瞬間ジェス・ステイシーのピアノがここから満を持したように始まる。 すると観客がどよめく。 解説を読んで分かったのだが、グッドマンもエンディングに持って行ったらしいのだが、ジェス・ステイシーの意志で突然ソロが始まり、グッドマンがエンディングの挨拶のマイクを取ろうとした瞬間であったので、驚いたグッドマンを見た観衆が笑ったのだという。 それで、俄然ハッスルした演奏がまたもや始まったというのだ。 いやいや、ロックのライブでクスリが聴いているギターリストが乗りが過ぎてエンディングに出来ず、またチャッ・チャッ・チャと始まってしまう感じと同じと言えば同じであって、観客に取って最高のプレゼントであることは間違いない。
こんなコンサートに行った人たちが羨ましい。 レコードは、“CARNEGIE HALL” COLUMBIA SL -160 という2枚組のボックスセットである。 綺麗な物があったら私も欲しい。
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sings sing sing | - 2021/06/03
- 帰宅の運転中、カーラジオから聞こえて来たのは、ベニー・グッドマンのSING SING SING。
思わず手が伸びてしまうボリュームのツマミ。大音量で聴くとちょっと不良になった気持ち。
この曲の演奏時間は結構長い、首都高3号線から東名高速を相当な距離を走っている間、ずーっと聴けた。 いや、良い音楽だった。 ドラムのソロから始まる、タンタンタタンタ タタンタタンタン(合ってるのかな?)、ジーンクルーパのドラム、これで一篇に心を掴まえられる。 そこからタッツータ、タッツータとトロンボーンが実にカッコ良い。 それからクラリネットが入ったりして、一通りソロ廻しをして、途中で終わったかのようになって、客の拍手も入り、そこから又続きが行われる。 私も一緒になって歌う「シング、シング、シング、シング、エッブリバディー、シング、シング....」。 店主もノリノリ! 38年のカーネギー・ホールの演奏であった。 こういう演奏は時代を越えて無条件に感動する。
帰宅後、矢も楯もたまらずカーネギー・ホールのレコードを引っ張り出し何年かぶりに聴いた。寝ていた猫が起き出して、うるさいと鳴いている。 猫よ許せ!オレは 今夜は30年代の狂乱のスイング・ジャズに狂ったのだ。
夜も遅いので、大音量に出来ないのが残念であった。
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更衣 | - 2021/06/02
- 暑かったと思えば、また寒くなりを繰り返し、長袖も手放せない。
そうは言えども、徐々に夏は近づく。
更衣 ホワイトジーンズ アイスコーヒー 生ビール ジャズはパットメセニーに 更衣
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神は風のごとく | - 2021/05/28
- CSテレビの映画を何となく見ていたら「風を捕まえた少年」というアフリカが舞台の映画をやっていた。
貧しい少年が学校の図書館の本や雑誌を頼りに風車を作り、ポンプで水をくみ上げると言う快挙を成し遂げ、乾季にもトウモロコシを作れるようになったという中々感動させる話。 終わりに「神は風のごとく、すべてのものに触れる」と出た。
良い言葉だねえ。 間違いない。オジサンは全くその通りだと思った。
神は平等に人に接してくれる、風のように。 但し、風に触れたくない者は家に閉じもり、風に当たらない人生を選んでいる訳だ。
一方 風に吹かれる方と言えば、こんな考えもある。 気に入らぬ 風もあろうに 柳かな (仙香j
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