HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
スミレ | - 2019/03/27
- 庭を眺めていると、スミレの花が咲いている。
春だね。
去年もこうしてスミレが咲いたのを見ていた。 あれからもう一年。 なんだかんだと、生きている。
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我が家の猫 | - 2019/03/26
- 我が家の、白黒の猫オーラ。
歳を取ってきたので甘やかしてしまったせいか、朝食はもちろんの事、我々の食事の時には、テーブルの上に手を伸ばしてくる。 それだけなら良いが、テーブルの淵に置いた皿の中にまで手を突っ込んでくる。
毎朝の時は、猫に根負けしてバターを切って口の中に入れて上げるのが習慣になってしまった。 そして家内は塩分は猫の身体に悪かろうと、無塩バターを専用に買ってくる。 これで良いのだろうかと思いつつも、ねだられると、つい口に押し込んでしまう。
何しろ、テーブルの淵に顎を乗せて来て、じっと見つめられると、勢いに負けてしまうのである。
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LONNIE JOHNSON with ELMER SNOWDEN “BLUES & BALLADS” | - 2019/03/22
- LONNIE JOHNSON with ELMER SNOWDEN “BLUES & BALLADS”
BLUESVILLE 1011 (USA)
ブルースのアルバムであって、ジャズではない。 近年ブルース・レコードの価格高騰は目を見張るべきものがあって、もう私の手に負えなくなってきた。 その中にあってPRESTIGE系ブルース・レーベルBLUESVILLEはLP時代の1960年頃からのリリースなので、まだ若干安目でもある。 BLUESVILLEの良い所はジャケットの写真が素晴らしく、それはコーティングが施されているのだが、他のブルースのレコード、即ちコーティングの有る無し、だけを見てもコーティングがあることにより重厚感が出て、なんだか心に響くものがある。
今回はジャケットのカッコよさだけを書こう。 特に私が好きなジャケットが今回の写真。 1960年に録音されたもので、道端でロニー・ジョンソンとエルマー・スノーデンがギターケースを抱えたまま、抱き合っているものである。 場所がまさに道端。 道路なのであろうが、私はどうしても道路とは言いたくない「道端」と言わしていただく。 2人のブルースマンがどこかの町に行ったら、林の茂っている道端で出会った。「おお、なつかしいじゃん」、「うん、演奏しようか」と抱き合っている図である。 上手いこと作ったものである。 私などのジャズ〜ブルースが好きなマニアには人生の裏側が見えるような気がして、自然と感動が湧いてしまうのである、涙なくして見る事ができない。
この作品は二人共、年齢が60歳くらいの時である。 流石に洗練度があって、良いよね。 ジャケを見れば内容が分かると言う作品でもある、味が出ていて。
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ART BLAKEY “LES LIAISONS DANGEREUSES 1960” | - 2019/03/20
- ART BLAKEY “LES LIAISONS DANGEREUSES 1960” FONTANA 680.203ML (FRANCE)
フランス映画「危険な関係」のオリジナル・サントラ盤にしてジャズの代表的名盤である。 このアルバムは世界中で大ヒットしたので、多くの再発盤、EPなどが出回りそれなりに人気も継続している。 だが、今回のオリジナル盤の風格はいかんともし難いものがある。
演奏はART BLAKEY, LEE MORGAN,BARNEY WILEN,BOBBY TIMMONS,JIMMY MERRITTという、素晴らしいメンバー。 バルネは22歳、リーモーガンは21歳という若い二人の天才のサウンドが聴けるのもこの作品ならではのご馳走である。 要はジャズ・メッセンジャーにバルネが参加したという珍盤でもある。
ジャケットの裏を見ていると、当時のフランスの映画ヌーベルバーグのオンパレード 「死刑台のエレベーター」、「殺される」、「彼奴を殺せ」、などの映画のサントラの宣伝が掲載されている。 それらをみているだけで私は興奮してしまう。 不思議な事にそれら3枚とも10インチ盤であって、この危険な関係だけが12インチLPという所が面白い。 それだけに捨てる曲が無かったのであろう。
演奏は人気の「No Problem」に尽きるが、この曲を2度演奏していて、B面の方が高速になっていて、これがクラブ・シーンで若者に大騒ぎになった。 確かに聴いてみると、バリッとしていて惚れ惚れしてしまう素晴らしい演奏。 ブレイキーのアメリカの黒人ジャズがいかにフランスで人気になり、更に映画音楽としても引っ張りだこ。 こんな現象の凄さは今となっては夢のような話でもある。
つくづく思う。 50〜60年代の映画など、今や忘れ去られている。 その中にあって、「死刑台のエレベーター」や「殺(や)られる」や「彼奴(きゃつ)を殺せ」また「大人は判ってくれない」「勝手にしやがれ」などの映画は今なお、若者の映画ファンを惹き付けている。 そんな映画のサントラも今なお十分に手応えのある音楽やジャズであったりする。 フランスの輝きに満ちた時代の証明でもある。
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鍼灸院で | - 2019/03/19
- 今朝は、鍼灸院に行って治療。
治療中に鍼灸の経絡という概念はいつどのようにして生まれたのか質問してみた。 先生は重い口で説明された。
まず「黄帝内経(こうていないけい)」という中国最古の医学書と呼ばれる本が編纂されていて、そこから色々な治療法が更に進み現在のような鍼灸治療が産まれたと。 その本は、誰かが研究成果を記したものではなく、過去に有った様々な治癒した事柄を集めただけの結果であるらしい。 どういう事かと訊くと、先生の話によると昔人間は森の中に暮らしていた、森には落雷や自然発火その他の理由で火災が起きた、その中から逃げまどったりした際、ある人は、腕に火傷を負ったら胃腸の病気が治ってしまった。ある人は足に火傷を負ったら腕の傷みが取れた。それならば焼けた石をツボに当てたとか、石を尖らせて皮膚に差した、等々と言う事柄が積み重なり経絡を発見され、古代中国に文字があったおかげで膨大な記録が残って行った。 その記録を拾い、更に試す人が出てきて、云々...という経験の話を拾い集めたのが「黄帝内経」という本であると。 実際、誰が書いたのかは分からず、時代も不明で4000〜2500年前とも言われているのだが、いまでは前漢時代であろうと考えられていて、実は原本も不明である。 そのおかげで中国の医学は、鍼灸更に漢方薬と進化を遂げた。 因みにリンパの流れから考えられたマッサージは西洋の流れである。
しかし、現代西洋医学中心の医学界において、経絡の科学的根拠を西洋医学は示せという。 例えば解剖して繋がりを説明するとか、証明する事実が全く出て来ないので、どうしようもない。 現代医学の中では消えて行く運命にあるのだそうだ。
私は足に針をしてもらいながら五十肩の腕が上がるのを実感しながら、これが科学的に証明できないとはどういう事であろうかと考えていた。
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CURTIS FULLER SOUTH AMERICAN COOKIN”THE BOSSA NOVA” | - 2019/03/18
- CURTIS FULLER SOUTH AMERICAN COOKIN”THE BOSSA NOVA”
COLUMBIA FPX 226 (FRANCE)
見た事の無いレコードだなあと、ジャケットを眺めていたら、あれまあ、米国EPIC原盤のSOUTH AMERICAN COOKINのフランス盤であった。 ジャケットにはメンバーがCURTIS FULLER QUINTETなのだが、下の方にFeaturing ZOOT SIMSと大書きしてあり、タイトルはもちろんSOUTH AMERICA COOKIN’となっており、わざわざその下にTHE BOSSA NOVAとなっているところが南米を意識してあるところがミソである。
さて、この盤を良く見ると スタンパーが、A面がXEM 54867-2A、B面が XEM54858-2Aとなっているところを見ると、原盤のスタンパーを送って作ったものと考えられ、我々の表現で言えば2A/2Aである。 音質の良さは原盤スタンパー使用によるものか。 いいねえ。 ジャケット写真はピアノのハンマーを接写したものか。 カラフルで中々の洒落た味わいである。
今更演奏の話も何であるが、一応サラッと言おう。 61年アメリカ国家の威信をかけた宣伝隊による南米演奏旅行の記録である。 いや違う、帰国してからすぐに作られたアルバムである。 世界中の人々がアメリカに憧れたあの頃、映画、ファッション、音楽と全て一番であったアメリカであり、その音楽を聞かせに行ったのだが、実はブラジルの場合はちょっと様子が変わっていて、ジャズメン本人たちは、ちょうどリオで起きたボサノヴァを聴きに毎晩出歩き、その音楽を盗む、いや吸収に勤しんでいたと言う話である。その結果の作品であり、大変意味が深い作品なのである。 この作品のラストのZOOTがフィーチャーされた「枯葉」の演奏は、その後のZootにおける演奏「SOLO FOR ZOOT」=「Cookin」の演奏の原点とも言える好演奏で、非常に興味深いものがある。 原盤で聴ければそれに越した事はないが、こういうアルバムも面白いものがある。
いやいや、それにしても長生きはするものである。 こんなレコードを始めて見られたのであるから。 フランスのコロンビアからこんな素敵なレコードがリリースされていようとは。 オジサン驚いた。
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BEVERLY KENNY “COME SWING WITH ME” | - 2019/03/16
- BEVERLY KENNY “COME SWING WITH ME” ROOST LP2212 (USA)
美人ジャケのナイス・アルバム。 歌手本人が写っていて、これほどの素敵な美人のジャケットも珍しい。 美人というだけでなく、ちょっと憂いが出ている表情は、また何とも言えない。 綱にすがった所は、まるで「あたしを捨てないで」と迫ったような、 芸能人にしてはバサッと切った短い髪の毛がワイルドな、というか地味な感じにもなっている。 まあ、美人だから何でも、似合ってステキという所か。
彼女の歌を良く聴いていると、一瞬ブロッサム・ディアリーのような感じを受ける。 しかし、ブロッサムに通ずる可愛らしさがあるという事であって、歌は大変爽やかな歌い方である。 その声は、実に魅力的である。 何よりも彼女の歌はあまり知らない曲でも、彼女が歌うと、あたかも知っている曲のように思えてくるから不思議な才能を持っているものである。 であるから、レコードの棚のボーカル物を聴こうとすると、なんとなく無意識に手が伸びてしまうのである。
彼女は54・5年の頃に、トミードーシーに認められ、その後有名ミュージシャンのバンドで歌ったりしていたし、56年から60年頃までの間にROOSTに3枚DECCAに3枚合計6枚も吹き込んでいるのは、レコード会社の期待の大きさが読んで取れる。 彼女は鬱気質だったという事であるが、そんな鬱の感じが歌に影響して、更にいい感じになっていたのは凄い事でもある。 いつも言っているのだが、良いジャズ歌手にはアマチュア・ライクな感じも重要な点でもある。 それに、更に可愛らしさ、サラッとしたセクシーさ、しかも、しっかり感を持った珍しい歌手であった。
ジャケット写真のポートレイトの美しさ、声の良さが混ざっている良いアルバムである。 私も欲しい一枚である。
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be-bop | - 2019/03/10
- ある人が 「jazzが面白く無くなったのはディジー・ガレスピーのせいである」と息巻いていた。
それを聞いて以来、さて どうしたものかと私は考えてしまった。 確かに1945年頃 彼が始めたトランペット・スタイルはサックスやピアノにもすっかり影響を与え、世の中のジャズは、いやアメリカのジャズはほとんど、一挙に近代的で新しい音楽がスイングスタイルに取って代わり、大いに聴かれ 論じらる事になった。 更にBEBOPの影響はクールだの、なんだのと、次のスタイルの元にもなり、その変化のスピードは急激に早まった。 踊る音楽は、聴く音楽という芸術性を身につけてしまった。 楽しかったジャズは、しかめ面をした若者が通ぶった顔をして聴く音楽になった。 荒々しく、情熱的な音楽は一挙に時代遅れの音楽になったのである。
では、もしBEBOPが起こらなければスイングジャズは安泰であったのか? というとそれも危うくて、きっとソウル・ミュージックやポップな音楽や、ロックンロールが取って変わったかもしれず、そもそもジャズ自体がどうなったかもわからなかったのである。
思うに、そもそもマニアは時と場合により 置いて行かれるものである。 しかし、それは 決して悲劇的なことでもない。 好きなミュージシャンが芸術家として認識される事は悪いことではない、マニアとしては自慢ではないか。 そう思えば 過ぎて行く時代は 決して無駄ではない。 記録と言う意味に置いて、残す事が出来るのは、「マニアにだけ許された」行為である。
さて、やっぱりBEBOPは気の利いた、一段と凄さを感じさせる音楽であり、評論家達も目を白黒させる音楽、黒人達の芸術性の高さに世界の人々が目を向ける音楽になったのだ。 白人たちが黒人のジャズを盗んで、成功者となったとしても。 1964年の公民権法の前に、黒人たちの音楽が世界を席巻した大きな運動ともいえる。 これは非常に大きな功績であった。
であるからして、あまりガレスピーを責めないでね。
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免許 | - 2019/03/07
- クルマの免許。
受け取りに行ったら、何とゴールドになっていた。 いやいや、思えば免許を取って最初だけゴールドであったが、その後、ずっとゴールドとは縁がなく、このまま人生を終えるのかと思っていたのだが... 何となく嬉しいものである。
そういえば、ゴールドになろうと思ったわけではなく、警察に捕まらないような運転をしようと心掛けていたのだが、そう思うと運転は相当慎重になるもので、運転中の携帯電話の使用、スピード違反、信号無視、一時停止など気を付けていたのでその賜物であろうか。
良かった良かった
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ビルの玄関 | - 2019/03/03
- ここのビルの入り口。
壁も床も赤い石で作った、今となってはあまり見られない豪華な作りである。
それが年と共に艶も無くなったので、去年のビルの理事会の際、少し光る様にしてくれと申し上げておいた。 そうしたら、なんと、床に磨きをかけたらしく光っていた。
そういえば20年前には、こんな感じで光っていた。 石は光ると風格が出る。
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