HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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鼠の子
2018/10/25

朝、猫と庭を歩いていると猫が何やら見つけたと大騒ぎ。
見ると、鼠の子が死んでいる。

きっとカラスか何かが捕まえて咥えてくる途中で落としてしまったのだろうか。
なんとも迷惑な話である。
仕方なしに猫をどかし、可愛い小さな体をシャベルですくって袋にポイ。

神の救いを。
ああ。

オルトフォンのカートリッジ
2018/10/23

以前から一度使って見たかったカートリッジ。
オルトフォンの「デンマークス・ラジオ」というの。

やっと入手。
油汚れなどがあったので、クリーニングとメンテナンスが終わり、ようやく使用可能となった。

横に、DENMARKS RADIO と記載があり、製造番号も刻印されている。
なかなか見た目もよろしい。
頭部に70という数字が見えるが、これは年号ではなく、70μ半径を表しており、SPレコード用と言うことだが、勿論、LP用の25μに交換されている。

デンマークス・ラジオとなっている通り、デンマークス・ラジオ局に収められたものである。
デンマークス・ラジオ公共放送だが、1959年からその名称になったので、このカートリッジも59年からの製造であるという事は分かる。
但し、長い間、かなりの数が作られていたようだ。
しかし、物が出て来ないのは、放送局故に使用後破棄されたものが多々あったのであろうか。そうでなくとも、CD時代になった時に新品でもタダ同然に売られていた事が普通にあったのであるから、数が無いのも仕方のない事である。

肝心の音質のこと。
そもそもオルトフォンのような高級機はクラシック音楽再生のためのものであり、ずばり言えば、ジャズに適しているとは言い難い。
それでも私などがオルトフォンを使っているのは、音楽の表現力という点において優れているからで、昔の製品は、そのロマン主義の絵を見るごとき上品さは他社に比較し一日の長があり、素晴らしいものがある。

従って、ジャズを聴こうとするとリズムの音の強さにちょっと劣る、その部分を.....
その意味においてオルトフォンの中でこの放送局用カートリッジは優れている。
思えば、このラジオ局でも58年頃には、ジャズも放送で流す様になっていた。ジャズ・ポップス時代である。
放送では従来のカートリッジでは面白くなかったのであろう、その為に開発されたカートリッジがこれ放送局用なのだ。

しかし流石、本国デンマーク、自国の放送局のために作ってしまうとは。スゴ過ぎるぜ。



プリンの事
2018/10/22

夕方、疲れて甘いものが食べたくなって、1階にあるセブンイレブンに行きプリンを購入。

森永のプリン。
それで、食べていて、ふと目が留まってしまった。
プリンには焼き色が付いている。
しかし、入れ物がプラスチック。
という事は如何なる手法により焼き色を付けるのか?
他の金属の入れ物で作り焼いてから、最後にポンとプラの入れ物に移すのか?いやいや、まさかそんなコストのかかる事をするはずがない。

はて、さて。
オジサン考えてしまったのよ。

困ったとき...、ジイジと言えどそこはそれ現代人だもの、すぐにネットに手が伸びるのよ。
出た出た、ちゃんと出てきて、特許を取っていたんだね。
恐るべき森永製菓、安倍首相の奥さんの出身だけじゃないのね、こんなところでちゃんと特許を取って、他社が真似出来ない製法を編み出すとは。

オジサン感心しちゃった。
写真が汚いけど、食べてしまってから気が付いたので、勘弁。

菅野沖彦
2018/10/20

今月の13日に菅野沖彦が亡くなられた。

思えば、日本におけるオーディオ評論家の第一世代が終焉を迎えたと言う事でもある。
アメリカで1930年にSPレコードが売られ50年と同時にLPレコードに変わったあたりから、オーディオ機器が次々と発売されるに至り、当然日本においてもその洗礼を受けたわけで、ステレオが出現したあたり60年代かから、日本は経済力に支えられ世界トップのオーディオ大国となった。

日本における評論家は、池田圭さんから始まり、何人もの評論家たちの活躍により、そのブームを牽引してきた。
また、レコード全盛〜CD時代と、良い時代であった。
雑誌ステレオ・サウンドにおいて、菅野さんのお宅訪問は、なんだかんだ言いながら、楽しく読ませていただいた。
レコード時代の雑誌ステレオ・サウンドは、ちゃんと読めば各人の主張がしっかりあり、読んでいて興奮して来て、実に読みごたえがあった。

しかし、オーディオとは個々の感覚の趣味から来るもの故、弟子がいたとしてもそのまま立派な評論家とならないもので、また、新しい評論家もちょっと小粒感が拭えない所もない訳ではないが、私は今後に大いに期待する。
現在の高級オーディオ機器が高額になり過ぎ、もはや大衆性は失われてしまって、金持ちだけの楽しみになった。
そういう意味において、評論は大変な仕事である、しかし、それでも尚、面白い所でもある。

まあ、一つ時代が終わったという事は、評論家だけでなく、我々の世代のオーディオ好きも、そろそろというところか。

軍事郵便
2018/10/18

家の片付けをしていたら、棚の中から出て来た、こんな手紙。
戦時中、家内の父親がフィリピンから家族に出した手紙。

内容は戦時中ゆえに大したことも書けず、元気でいる事を願ったものだが、それはともかく、軍事郵便とハンコを押し、検閲済となっている物々しさ。
いや、こういう戦争はいやだな。


黒い猫
2018/10/17

朝食でよく人の椅子を取ってしまう黒い猫。

さ、誰がお皿のご飯を食べてしまったのでしょう。
目を細めて、さあ、知らないね。



JACKIE McLEAN/JOHN JENKINS “ALTO MADNESS”
2018/10/16

JACKIE McLEAN/JOHN JENKINS “ALTO MADNESS” PRESTIGE 7114 (USA)

なんというレア盤であろうか!
私がコレクターであった頃、なぜかついに入手が叶わなかった逸品である。
なぜならば傷だらけなものが多く、良好な状態のオリジナル盤には、ほとんどお目にかからなかったからである。
確かに店を始めてからも、あまり入手した事はない。

このアルバムのジャケットを見ていると、アルト・サックスが二本、向かい合わせに書かれている。
まるで墨の勢いのままに書いたようである。それが左右対称にしてあり、実に西洋美術の美を感じさせ、そこにALTO MADNESSと二段にちょっと斜めにして書いたところが、見事なデザイン力である。
色合いも紫で塗ってある。紫とは高貴な色であり、また相反する下品さも含む色である、それらを含めMADNESSすなわち狂気とは良くぞ言った。
紫の色合いが一枚一枚微妙に違う事が多く、その辺りが実に興味深いものがあるのだが、いづれのジャケットもコーティングと調和して、深さが滲み出ていて、見れば見るほど欲しくなってしまう。

なるほどアルト・マドネスと良くぞタイトルにしたものだと感心するのである。

さて、音楽はマクリーンとジェンキンスというパ−カ−の弟子たちによる共演。
裏のライナーにはパーカー・メソッドの乱舞だと。
誠にもって、その通りの演奏が繰り広げられる。
パ−カ−の後のジャズはちょっと聴き易い方向に行ってしまったけど、俺たち二人でパ−カ−の音楽を思いっきり演奏しようじゃないかという気構えが伝わる。
聴けば、本当のハードバップ・マニアでなければ感動しない、良い時代のジャズが繰り広げられるのである。
私はマクリーンが好きだけど、その中にあって特に好きな一枚である。
これを聴いていると、幸せな気持ちになる。

完璧なハード・バップが聴ける作品である。

金子 兜太
2018/10/13

下の階のコンビニーに行ったら、私と同じようなジイジが、買い物をしていた。
その頭にちょこんと乗った帽子のつばに「アベ政治をゆるさない」と書かれたバッヂが。
気合が入った方なのだろう、エライ!

それで、そういえば数日前に金子 兜太のどうでもいい話を書いたせいか 何故か日記の素材としてスイッチが入ってしまった。パチン!。
数年前に民主党の国会議員が規則に反して国会の場に持ち込んで顰蹙を買ったのだが、そのポスター「アベ政治を許さない」は、もうあっちこっちに貼られ、テレビにも出され、これほど有名になったポスターもない。
このポスターを書いた人が俳人の金子兜太である。
その話をテレビで見た時は、アベの何を許さないのか?明確に表せない標語を書いてしまった金子兜太がこれ程のサヨクかと驚いたものだ。
なんでも、澤地久枝の依頼により、それならばと書いたという。
面白いオヤジだ。

あの俳句だけの親父がね、って、この人は凄い頭脳の持ち主なんだ。
俳人というより哲学者、思想家といっても良いひとであるのだが、そういう人が、こういう雰囲気だけのポスターを作ってしまったのがね......
人生いろいろだな。
これもまた、ありかね。

J R MONTEROSE “ THE MESSAGE”
2018/10/12

J R MONTEROSE “ THE MESSAGE” JARO JAM 5004 (USA)

ジャケット写真を見ていると、彼のこめかみの辺りの滲んだ汗が光って、それがオリジナルのコーティング・ジャケットの艶と相俟って、更に、彼の角刈り頭で何とも言えない風格になった。
かつてアメリカから届いたオリジナル盤を眺めながら、何度も何度も感動したものである。

しかし、JARO(Jaro International)とはまた厄介なレーベルである。
なんでも英国「TOP RANK」の傍系で1959年から1960年の間だけ、レーベル活動したようだが、全部で8枚しかリリースはなく、大体はエキゾチックな音楽を売り物にしたのでろうか。
しかし、ジャズに関してはKENNY DORHAMのこれまたレア物が一枚あり、これらジャズの2枚はなんといっても幻の名盤の中でも、更に「超」の付く幻であるのは不思議である。

また、彼のアルバムはどれも幻の名盤のトップ・クラスの作品ばかりで、56年のJ R Monterose(BlueNote 1536), 64年のIn Action(Studio 4)そしてこの作品の3枚とも風格のある作品で、再発盤、日本盤やCDはいっぱい出てくるが、オリジナルとなると どれも大変な入手困難なものである。

さてJRさんであるが、本名、Frank Anthony Peter Vincent Monterose Jrという、長すぎる名前を端折ってというか端折りすぎて、J R Monteroseとした。なんだかJとRを離すかくっつけるか妙に気になって書きにくい、ヘンなネーミングである。音楽もなかなかの立派な人達と仕事をした割には、その後本道の人とはなっていないようで、どうもへそ曲がりであったか、または、それほど運が巡って来なかったのか、と考えられるのだが、どうも作品の出し方などを考えると、これは本人の性格が音楽人生をそうさせたのかと思える。
したがって、米国のみならず、ヨーロッパでもクラブなどでちょこちょこ仕事をしていた。
クラブなどの狭い場所での演奏が好きだったのではないか。

当アルバムの大きな特徴であるが、まず大名演奏が2曲あるのだが、これが並外れて凄いこと。
A面の Violets For Your Furs
B面の I Remember Clifford
見事な情緒のバラード・プレイで、スミレの方は、コルトレーンの方かこちらか、人気が二分されたほどであった。
クリフォードの方は、トランペットでなくサックスでのプレイとして人気になったものである。
その他の曲は、コルトレーンやロリンズの影響下にあることがはっきりとしており、曲により音質までコルトレーンに近かったり、ロリンズに近かったりするところがあっったり、ロリンズに影響されたコルトレーンに似ていたりして、中々面白い。
それにちょっと本人の面白いニュアンスのサウンドなんだよなあ。

何年たっても、どうしても欲しい一枚だな。

ハルズ散歩の続きというか...
2018/10/09

昨日のハルズ散歩の続きというか町田の話で.
旧国鉄(JR)の原町田駅辺りを歩いていた時、友人がに急に「ここ、ここ、ここに昔米軍機が墜落したんだよ」って。
「えっ、町田にも墜落したのか?」。
なぜなら、我が家の比較的近所も相当数の米軍機が墜落しているのだが、昭和52年の江田の母親と3歳・1歳の坊やの三人が亡くなった墜落は、涙を誘う悲しい話で、地元だけに関係者が知り合いに居たりして、今なお、時々会話に出てくる。
何しろ坊やふたりは墜落翌日に大火傷により亡くなったのだが、母親には治療の妨げになると、死が知らされる事無く、我が子に会いたい一心で苦しい治療に堪えにも拘らず結局4年後に母親もあの世に旅立ったという悲しい結末であった。
たしかドラマにもなったんだよな。
モトエ。

町田の墜落は知らなかった。友人の話で悲惨さは聞いたのだが、さて日記に書こうとすると詳細が必要なので町田のホームページで探して話を加減した。
ゴメン。
昭和39年、横浜線旧原町田駅から300メートルの商店街に米軍機クルセイダーが故障によりきりもみ状態で墜落。
ちょうど桜の花も咲こうとする日曜日、客で混雑していた商店街に大地も裂けよとばかりに米軍機が墜落。一瞬の内に4棟が吹き飛び、機体の破片・土砂が半径50メートルの範囲で襲い20数軒の家屋を全半壊、死者4名、重軽傷者32名という惨事になったという。友人は高校を卒業したばかりなのか良く覚えていた。

街のど真ん中に墜落するのも凄いなあ。

それで、さて横浜においてどの程度の米軍機事故があったかという事に興味が湧いて来てしまい、今度は神奈川県のホームページから引用する。昭和27年から平成19年までのデータながら全214件。
墜落62件、不時着54件。被害の大きな事故は37件。
数が多いなあ沖縄だけじゃないだろう。
横浜だって負けてないぞ!
沖縄は被害者、被害者と騒ぐけど、俺たちは騒いでないもんね。

威張ってどうする。ハイ

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