HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

前ページTOPページ次ページHOMEページ

横浜市のゴミ
2017/12/18

横浜に移って今もなんとなく憂鬱になることが、ゴミの分別。
かつて、ゴミ分別のリーダーと自負していた東京都の主婦層から、横浜はなんでも燃やしてしまう後進国と馬鹿にされていた時期もあったが、なぜかその後は逆転し、東京都が非常に緩やかになって実に生活しやすくなった。
しかし、馬鹿にされていた横浜が奮起したのかどうか知らないが、今や猛烈に面倒な街になった。
オマケに清掃員が中を開けて見るという暴挙にも出た。

その中にあって、もっとも分かりにくいのが「プラ」の扱い。
プラとはプラスチックの事かと思うので、プラスチックならなんでも一緒に捨てて良いのかと思いきや、どうも違うらしい。
それで、回覧板のゴミの概念を見ると、なんとちゃんと書かれていて「プラ」とは協賛金を払っている業者が「プラ」マークを付けられるもので、その商品群を指すものであって、それ以外は「プラ」ではないと。
プラスチックであっても「プラ」ではないこれいかに!
という話で異なる種類であるらしい。
不思議な概念である。
ただし、発砲スチロールなどはプラで出せとなっている。
うーん。

また、プラに貼った値札のタグを離さにゃと思い、せっせと剥がしていたら、家内に、その値札はプラよと言われよく見たらプラマークが印刷されている。

オジサンもう何がなんだか分からない。

SLIDE HAMPTON “THE FABULOUS”
2017/12/17

SLIDE HAMPTON “THE FABULOUS” EMI/PATHE C062-10156 (FRANCE)

このアルバムは二つとない出来映えである。
メンツを見ると、当人、ヨアヒム・キューン、ペデルセン、フィリー・ジョー。
この中から誰が抜けてもこうはならなかった素晴らしい人選である。
出来るべくして出来上がった傑作である。
今日のジャズの聴き方、そのどれにも違う事なく迎えられるはずで、クラブジャズ、レアグルーブ、前衛好き、ハードッバップ好きなど、だれが聴いても感心するはずである。

いつも言うのだが、彼はアメリカにいた頃も悪くなく、しっかりと聴けばなるほどと頷く好演奏であるが、どちらかといえば、一歩引いた印象も無い訳では無い。
と言っても、芸の経歴は輝かしいのだから、リーダー的な人達からは認められていたのだ。
それがだ、ここからが大切なところなのだが、1968年Woody Herman楽団で渡欧した事がきっかけで、そのまま残り、77年まで滞在する。
この時期こそ彼の音楽人生を大きく変えたと言って良い。
渡欧中の作品群を改めて見てみよう。
69年 当作品 the fabulous。
71年 Umea Big Band In Montreux。
71年 B & S 。
72年 Life Music (Carosello Italy)
72年 Jazz a Confronto no. 18 (Horo Italy)
74年 Slide Hampton Big Band  (Supraphon Czecho)
その他、MPS等にも多くの演奏を残しているが、何しろ欧州滞在の出発点のこの大成功が大きかった。
その勢いは続き、スエーデンでは非常に評価は高かったようで彼も意気が上がった。
UMEA BIG BANDを聞けば納得できる、実に信じがたいアレンジと演奏の連続で、聴いていて血沸き肉躍る演奏である。
ニューヨークで培ったジャズ・スピリッツと欧州の音楽家達の卓越したテクニックが出会った時、彼には己の音楽の表現の枠が広がった事にさぞワクワクした事であろう。
彼の音楽アレンジ能力がここに開花した。

これらの一群の作品に共通しているのは、スイング感、サウンドの凝り方は当然として、なによりスピード感というか新しいノリの良さが、前衛的な音楽までも飲み込んで、グングンと進む様は聴けば聴くほど圧巻である。
その下を支えるフィリー・ジョーのアーシーなドラミングが又絶妙。

正に伝説=FABULOUSで、例えれば、王者の凱旋を見るが如き勢いは、揺るぎない芸術性を保ち続けている。
長い間ジャズを聴いた幸せ感を感じるところである。

この時期のフランスのPATHE(パテ)レーベルは不思議にソソられる作品ばかりである。


ネットで偶然に出てきた
2017/12/16

ネットで偶然に出てきた音楽関係者らしい方の書き込み。
安芸光男さんという方でその内容。

内容はこんな感じ。
私たちはまずなにより、「日本は──」とことばにして言うだけで、いくぶん心地の悪い、落ち着かない感覚におそわれる。これはきわめて不自然なことなのだが、しかし実際そうなのである。このことは先の戦争の忌まわしい記憶からばかりでなく、......。
という内容。


さて。
私たちはという所にひっかかる。
なぜかというと、「私たちは」この方が言うほど、日本に誇りが無い訳でもなく、反日でもないから。
この場合は「私は」という言い方に変えていただきたい。或いは「私とその周囲の人は」に。
この方はきっと反日の方なのだろうと思うのだが、しかし、私たちという言い方で、日本を愛する日本人が存在しないかのような表現を平気ですることに驚いた。

大変だね、反日の方は。
でもまあ、人それぞれだなあ。

当店のオーディオ
2017/12/14

時々、ご来店のお客様でオーディオマニアなのか店のオーディオに対し興味深くお話をされる方がいらっしゃる。

他店の事は知らないが、当店においてはオーディオというものは、その設置理由は便宜上の理由がすべてであり、音に関しては、それほどの物ではない。

と言う事は参考にもならず、どうのこうの言う事でもない。
ご自宅の装置と比較されても、いかがかと思う所である。

どうか参考になさらないようにお願いしたい。

BENGT HALLBERG “BENGT HALLBERG”
2017/12/13

BENGT HALLBERG “BENGT HALLBERG” PHILIPS P08201L (HOLLAND)

先日、管球王国の取材でレコードを持参し、スタンゲッツのメトロノームのあの名曲。
「Dear old Stockholm」を聴いた。
51年の演奏に感激した。
それで、その時ピアノで参加したのが、ベングト・ハルベルク(Bengt Hallberg)である。まだ10代ながら見事に弾き切った演奏であった。

さて話は変わり、
本日、入荷したこちらのアルバムを聴きながら、またジャケットを眺めながら、こんな良いアルバムもあるものだとしみじみと思うのであった。

人柄が伝わるような、優しい音の風が降ってくるような演奏。
コロコロと緩やかな斜面をこちらに向かって転がってくるような、受け止める側も笑顔になってしまうような演奏。
こういう演奏はなかなかあるものではない。

それで、以前にも書いたかもしれないが、いつの事か忘れてしまったので、繰り返しかもしれないがちょっとだけ書きたい気分になった。
ジャケット写真の事である。
クラブなのであろうか、演奏会のある昼間に彼が早く来て練習をしていると、その時ホールを掃除していたオバサンが思わず手を止めて、モップに顎を載せて聴き入ってしまうという風景。
おばさんの顔はボカシて写っていない、しかしなぜか、おばさんにスポットが当たっている。

いつもホールを掃除しているおばさんだからこそ腕前がわかると言いたいのだ。
しかも、遠くから見るとおばさんは微笑んでこちらを向いている、しかし、近づくと全く顔は見えない、見事な描き方で、まるで印象派の絵画作品のような、そう、あくまで主役はハルベルグだと強調している。
これぞ見事な欧州芸術の神髄と言いたいジャケ写である。

こんな作品を聴いていると、人生の素晴らしさに出会った嬉しさが沸々と湧いて来て、私の人生これで十分ですと言いたい気持ちなのである。

病院へ
2017/12/12

私の持病のひとつに副鼻腔炎がある。
改善がないからと近所の耳鼻科から「昭和医大藤が丘病院」を紹介された。
CT撮ったりMR撮ったりした結果、どうも腫瘍の可能性が否定できず、近々に検査入院となった。

ところが気が進まずそれは理由があり、私ではなく義父の話。
義父は昭和30年代東急電鉄の専務の頃、田園都市線と沿線における田園都市開発本部長をしていた。
周辺の地主に折衝を重ね、土地の買収、道路、町つくり計画などしていた。
その際、規模に応じた中枢となる病院の必要性も考慮し招致をする事になった。
東急には大岡山に東急病院があるが、別院でも最早賄い切れないと、その系列の病院など当たったが、杏林、順天堂等どこも「うん」と言わない。田舎だと馬鹿にしていた。
それで同じ沿線の「旗の台」にある昭和医大にお願いに行くと、はっきりしない。
ぐずぐずするばかりで用を得ない、かと言っていつまでも待てない。
仕方がないので、かくなる上はと土地の無償提供を持ち掛けたが、まだぐずぐずしている。
では整地もして差し上げましょうと最終案を出し、ようやく話はまとまった。
その後もあれやこれや大変だったと。
しかし折衝そのものが高圧的であり交渉に慣れた義父でさえそれは屈辱的な仕打ちであった。
義父にとってタフな地主などよりも、この仕事において教育者・医者が最も嫌な思い出になった。
当時の東急の担当者の間では「人生に何があっても昭和医大だけには世話になるまい」というのが合言葉になった。
家でも何かの時にその話がでた。
それで、私などもここに行ったことは一度もない。

なぜか急にその時の話がちらつき始めた。
でもなあ、それは私の事ではないからなあ。

アンディー・ウォーホールの本で
2017/12/11

家の本の整理などは依然整理中ながら遅々として進まず、家族に申し訳ないのであるが、今朝も捨てようかなと、ふと手に取ったアンディー・ウォーホールの本を見ていたら、こんな事が書かれていた。


靴を描けと言われたらそうするし、それを書き直せと言われたら書き直す。
書き直したり、もっと上手にやれと言われたり、言われた事は何でもやる。
そんなあらゆる「修正」の末に、商業ドローイングは感情をもつようになる・・・・・・。
商業アートの制作プロセスは機械的だが、その制作態度には、それに対する感情が備わっていたんだ。と。


さすがである。


              (本、1956−86 時代の鏡)

骨折した猫は.......
2017/12/10

骨折した猫は、さらに元気になり外の散歩にも行くし、食欲も増した。
しかし、非常に我がままで、気に入らない餌などプイっと向うを向いてしまう。

一度、ニャーニャーと呼んでいるので行くと、猫トイレの中に仁王立ちというのか、文句があるらしい。
あそうかと砂を掃除すると、もう一度入りなおして用を足した。
それ以来、トイレの砂が少ないと文句を言ったり、汚いと文句を言ったりで大変である。
行くと用を足さないでトイレの前で待っている。

それで私は言われた通りに、トイレの砂を掃除し、また言われる通りに砂を入れ、用を足してもらう。

しかし、猫に呼び付けられてトイレ掃除をするとは思わなかった。
こんな事は人生で初めての経験である。

昨日の続きで
2017/12/09

昨日書いたJAN JOHANSSON "JAZZ PA SVENSKA"のレコードの事でいつも感じることがある。

この作品の内容はスエーデンの民謡をジャズ風に演奏したものである。
聴いていると、大変厳かな気持ちになる。
私はクリスチャンのような気持になるのである。

それで、ついでに思い起こす本がある。
好きな作家で「上林暁(カンバヤシ・アカツキ)」という、ちょっと前の作家。

その上林の作品の中の一節。
うろ覚えなので、本を探したが見つからなかったので間違っていたらご勘弁を。
こんな内容。

にたまたま教会で聞いたお話や讃美歌を聞きながら、「私は信者ではないが、彼らよりもずっうと敬虔な信者で有りたいと願った」

というような表現の個所であった。
これは私たちみんなそうではないだろうか?
このヤン・ヨハンソンのこのアルバムはこんな気持ちになる一枚である。


JAN JOHANSSON "JAZZ PA SVENSKA"
2017/12/08

12月になったので、クリスマス・ムードも徐々に出てきた。
クリスマスと言えば、当店推薦盤がこれ。

JAN JOHANSSON "JAZZ PA SVENSKA" MEGAFON MFLP -S4

ヤン・ヨハンソンとゲオルグ・リーデルの演奏である。
厳かなサウンドがすてきで心洗われる。

いつもは年間の買い付けに5枚ほどキープしておいて、12月に売るのだが、今年はたったの一枚だけ。
入手困難になった。




前ページTOPページ次ページHOMEページ

 Copyright 2025 HAL'S All right reserved. Initial up at 2001