HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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宅急便の料金
2017/10/01

10月より、宅急便の料金が上がりました。

ヤマトも困難があり、値上げになったようです。
ホームページには掲載いたしました。

よろしくお願いいたします。

希望の党
2017/09/29

ついに小池新党が姿を現した。
なんと民進党も飲み込んでしまう事になった。
新進党はかつての勢いはないものの、まだ第2党として決して小さな党ではない、それが、なぜか雪崩を打って小池さんのほうになびいてしまったのは実に不思議かつ、もはや民進党の断末魔を見る。
小池さんにしてみれば政党助成金を持参してもらえればありがたい話である。

そもそも、我々多く国民は自民党が良いとは思っていない。
だからと言って左翼共産主義の共産党など世界統一共産主義社会を建設するためにあるわけで、これは問題外。
北朝鮮の工作員の集まりのような社会党も問題外。
民進党だって一時は左翼マスコミの後押しで第一党になったものの、実はかつての左翼集合体、韓国のため、中国のための党であったことがネットなどで公になり、まさに反日集団が日本国家のために出来ることなど何もなく。
国を動かす指導者としての資質が無かった事がはっきりしてしまった。

そうなると、消去法ながら自民党しか残ってなかったのが、現状である。

本来、我々の多くが求めていたものは、左翼でなく右翼でなく、資本主義の中で「偏ることなく」、民主主義による淡々とした愛国心を持ち得る、衆愚政治でなく冷静さを持って判断できる、利権政治でなく、大企業だけが美味しい思いをすることなく、税金は高からず、という理念を持った政党である。

残念ながら、それが無い、ないならば自民党しかないのである。
たぶんそれで、解散したのであろうが、、小池さん次第で勝負は意外に混とんとしてきた。

しかし、ここで中韓の出先機関のような議員を入れてしまっては、希望の党の希望も見えないなあ。
でも、えらい事になった。


大きなお世話
2017/09/28

私の一日一善も、やって4気持ちの良いことばかりではない。

駐車場で私の前の順番で車を出していた年を取った女がいた。
それで、車を出した時に、面倒だろうと駐車場操作キーを抜いてあげて、持って行ってあげたら、「人の物を触らないで」とヒステリックに叫んだ。
この野郎と思ったものの、「顔のブスは心もブス」と世間のいう通り、異常の人間にあまりかかわらないほうが良いと、すみなせんと引き下がっておいた。
しかし、後味の悪さが、後を引いてしまった。

小さな親切大きな迷惑はやっぱりあるんだなあ。

グアムに東急ホテルがあった
2017/09/27

家の本棚の整理でまた面白いものが見つかった。
なんと「グアム東急ホテル」のオープン時の写真。もはや誰も知らないが、かつてグアム島に「東急ホテル」があった。
1969年にホテルがオープンした時に、一行が訪れた時の写真で、これも今は無きパン・アメリカン航空にとっても期待のほどが伺える写真である。
しかも、五島昇の環太平洋計画の戦略の一つとして期待のホテルであった。
また他社に先駆けてのグアム島進出でもあり、相当気合が入っていた、いや、厳密にいえば藤田ホテルが68年に開業、そして東急ホテル、翌年に第一ホテルとなったはずである。
しかし、その立地はグアム島で最も素敵なビーチと言われた場所であったのである。
低層の鉄筋コンクリートのこじんまりした建物で、屋根に南の島の雰囲気をとヤシの葉で屋根を葺いた。
しかし、これが失敗の元であった。グアムは年中台風がくる、それも尋常でない。
そのためヤシの葉の屋根は吹っ飛んでしまう。その代わりにすぐに修理をすればよいのであるが、なんだかんだと言って、東急社内の途中に入った人間がはぐらかし、社長の耳に入らない。
屋根はそのまま捨て置かれる。
お客から見れば非常に情けないホテルに見える。
という事もあり、そのうちにヒルトンホテルが立派なものを拵えてしまった。
あっという間の転落である。
その後は、ベトナム戦争の難民収容所に使われたりしていたが、やがて売られていった。
場所が良かっただけに惜しかった。
72年、ヨッコイショウイチの横井正一さんが発見された時など、現地人がまず東急に連れて行こうと、言う事に話がまとまったというから東急の知名度は相当な物であっただけに実にもったいないことをしたものである。

実に惜しかった、ホテルである。

燃費の向上
2017/09/26


最近は燃費を気にして左側を走る。

そうすると他人の走りが気になる。
今日も、少しでも早いレーンを走ろうと、右に左に車線変更する品のない運転をしていた車。
結局は、信号で私の前にいた。
また次の信号でも私の前。
そんなものだったんだね。
私も恥ずかしくなってしまったよ。

深く反省。

お陰で最近は、GT3も7,7キロに上がった。
これは過去のアベレージによって決まる数字だから、相当頑張っていることになる。
いいねえ。

薬屋のおばさん
2017/09/25

しばらく前の事、思い出したことがあった。
私は逆流性食道炎があるので、治療で職安通りの名医の所に通っている。
そこで処方していただいた薬は、そこから比較的近くの薬局で出して貰うことにしている。
そこでももちろん、病院の先生にも、ジェネリックでない正規の薬をいただきたいと話をしてある。
薬局のおばさんは親切だし、気を使ってくれるし、ありがたいといつも信頼していた。

さて、ほかの病院にかかったので、新宿御苑の近くの薬局に行った。
ここの薬局の薬剤師のおばさんは、ちょっとつっけんどだし、私としては気に入っていない。
一度、ジェネリックがいやなら病院の先生に申し出てその旨処方箋に書いてもらえと、そうでなくではすべてはジェネリックになる、それが厚労省の指導だときつく言われ、嫌いなおばさんになってしまった。
おクスリ手帳はお持ちですかと聞かれたから、差し出すとしばらく見ていた薬剤師さんが、「お宅様はジェネリックは嫌だと先生に申し上げて居られますよね。でも、前回のいただいた薬局ではジェネリックが出てますが...?」
「いやそれは間違いでしょ」と答えると、
「間違いなくジェネリックです」
「えっ」
という事は、信頼していた薬局が勝手にジェネリックを出しているという事になる。

しかし、意地悪そうな人がちゃんと人の好みを把握してくれ、それに応えようとしている。
優しそうなおばさんは、ハイハイと言いながら実は患者の心を無視していたと。
オジサン、だれも信用できなくなってしまったがね。
人は色々。


以前の話なので、一度書いたかもしれないが、書いたかどうだか忘れてしまった。重複してもいいや。
忘れっぽいなあ。

MODERN JAZZ QUARTET “LONELY WOMAN”
2017/09/24

MODERN JAZZ QUARTET “LONELY WOMAN” ATLANTIC 1381 (USA)

オーネット・コールマンが始めた音楽は、前衛故に多くの評論家から猛反発があった。
しかし、それを打ち崩した人たちがいたのであるが、それはガンサー・シュラー、バーンスタイン、そして本日の主役であるジョン・ルイスである。
さて、アメリカを代表する音楽家、学識者だと思われていたジョン・ルイスが賞賛することになると、今度は、読者からダメな評論家を探す指標になってしまったというから、評論家も大変である。
今も昔も変わらぬ所であろうか。
オーネットはTomorrow Is The Question(1959年)の時にはベーシストを求めてMJQのベーシストのパーシー・ヒースを頼もうと思っていたらしい。
それで西海岸に出かけていき、MJQと一緒に演奏したと。
その時が、ジョン・ルイスがオーネットとの音楽に初めて接した時であるという。
ルイスは感銘を受け、オーネットたちもルイスに対して尊敬の念を持ったという。
ヒースも実際、その気にもなったし作曲などもした。かなりオーネットと音楽的にも合わせられることが出来た幅広い音楽性も持っていたようだ。恐るべきMJQのメンバー。
コールマンもロンリー・ウーマンを録音するあたりにはメンバーにも悩み、あれが良いだのこっちが良いと、四苦八苦していたのが、ベースにチャーリー・ヘイデン、トランペットにドン・チェリーとまさに千載一遇のチャンスもあった。
そして、ロンリー・ウーマンは「ジャズ来るべきもの」(1959)に録音され大きな反響を呼んだ。
その録音の場にジョン・ルイスがいたとかいなかったとかいう話があるが、それの真偽のほどは他の方に譲る。

いずれにせよ、ジョン・ルイスは再び非常に感銘を受けた。
その結果がこのアルバムなのである。
さて、従来のフアンは大いに驚き、日本においても、ほとんど売れなかったと記憶がある。
評論家もあまり取り上げることがなかったように思う。
したがって、現在、廃盤としては高額ではないのだが、それにしては珍しく、入手困難な一枚でもある。
MJQをジャズ入門者のための音楽と位置付けるならば、MJQらしくはないといえば、そう言える作品である。

ジョン・ルイスのロンリー・ウーマンの演奏は、まさしくフリー・ジャズを己の中で解釈し、やや現代音楽風ではあるが、大した芸術作品としたところのすごさは筆舌に尽くしがたいものがある。

当店の常連のS氏が、「いや、このジョン・ルイスの音楽は本当に凄くて、聴いていてうれしくなってしまう」と言う通りの音楽なのである。

ジャケットは、孤独な女性の雰囲気なのかどうかは判断しにくい。
白人の美女の顔がどういう時に孤独感が出るのか、私は知らない。
しかし、憂いが漂っていることは間違いない。
なかなかのジャケットである。

戦時中のスポーツ用語の話
2017/09/22

家内の父方のファミリーでかつて法務大臣もやっていた事がある「唐沢俊樹」という人の簡単な伝記が出てきた。
読んでいたら面白いことがあった − 少し長い話だがご勘弁を。

2・26事件の後、大日本体育協会の副会長を押し付けられて、理事長の末広巌太郎と役員をやった。
さてシナ事変の後、柔剣道、弓道、銃剣術などは我が世の春。外来のスポーツは立つ瀬がなかった。
物動計画を握っているのが軍で、好ましからざるスポーツと睨まれたら用具資材の割り当てもない。野球など皮革類がもらずグローブ・ミットは元よりボールも作れない。バットもユニホームも履物すべてが窮屈になる。
テニスだって同様ゴムの割当てがない。
それで、二人でしょっちゅう陸軍省に行き資材入手の折衝を重ねた。
大東亜戦争に入ってからは野球、テニス、ゴルフはもとより陸上競技に至るまで戦力増強に関係のない運動競技すべての資材配給を停止する事態なった。
それで軍の「田中隆吉」兵務局長の所へ押しかけその不当を詰め寄ったり、時に下手に出たり交渉したが、頑として受け付けない。
2人は相談をして「局長は、柔剣道は国技だがスポーツは外来競技だからよくないと言われるが、それなら軍で使っている飛行機や大砲は、みな外来の物ではないか」と皮肉ると局長はちょっと返事に窮し「なるほど飛行機も大砲も元々外来に違いない、しかし、軍は使用に当たってその用語を全部日本語に直している。ただの一語だって英語などない」と反論してきた。
シメタと思い、二人はすかさず「ああそうでしたか、局長の言われるのはスポーツそのものが外来で悪いから資材をくれぬという事かと誤解しておりましたが、スポーツが悪いのではなく、英語を使うからまずいという事でしたか、としたら体協としても十分考えるから資材だけはご考慮に預かりたい」と食い下がり、とうとう局長も渋々ながら要請を受け入れてくれた。
そこですぐ、スポーツ団体代表者を集め、局長とのやり取りを説明し「この際、名を捨て実を取る以外に道はない。忍び難きを忍んでスポーツの実体を殺さず、その精神を生かすよう努力すべきではないか」と持ちかけたところ、予期した通り会議はハチの巣をつついたような大騒ぎ。
一部には私や末広博士の説得に素直に応じ「やむを得ない」と観念するものあったが、一部は強硬に反対し、どだい無茶な話じゃないか運動用語はもとより外来語であることに異論はないが、すでに立派に日本人にとけこんでいる今更これを純粋な日本語に訂正してみたところ「角を矯(た)めて牛を殺す」結果になるだけだ、と相手にならない。「甲論乙駁(こうろんおつばく)」に時を費やし, 帰一点に到達しない。
これ以上議論を重ねてもますます紛糾するばかりだと思い、「この程度で協議を打ち切ろう。出過ぎた提案をした事を恐縮に感じている。外来語廃止のことは思いとどまる旨、軍の方へ回答するわけだが、それによって明日から必要資材入手の道は完全に閉ざされる事は承知してもらいたい」と念を押した。
すると、今まで用語改正に反対し熱弁を振るっていた人々も蕭然としてしまった。
とどのつまり、この際軍のいう事は従うほかあるまいという事で話がきまり「各種の運動規則だけを改めて外来語を取り除いてくれたら実際には外来語を使用してもその責任は私どもが背負って諸君には決して迷惑を掛けない努力する」と言い納得してもらった。
外来語は少なくとも規則の上ではやってのけた。
それで、ベースボールを野球と訳したところ、ゴルフこそ野球がふさわしいと言い出した。
ではゴルフが野球ならと、ベースボールを直訳すると塁球になるが、それでは気分が出ないと反対が多い。
しからばゴルフは草球、と呼ぶことにしよう。野球は、アウトは「のけ」セーフは「よし」ストライクは「一本」などとのちに笑いのタネを残した。

大日本体協は干渉圧迫を被っていたのだが、大日本武徳会は完全に寵児で日本古来の武士道につながるものとして府県支部長は現職の警察部長が兼ねて隆々たるものだった。乗馬、射撃、銃剣は軍のお声がかりで泣く泣く武徳会に取られてしまった。ところがそれが功を奏したのか終戦を迎えて武徳会はその役員はすべてパージを食ってしまっが、体協の方は純粋スポーツ部門だけになっていたので、パージが素通りし、団体も解散を免れた。

給食の話で...
2017/09/21

なぜかは知らぬが、給食の話になってしまって終わった昨日の日記。

これに仲良しが反応して、メールを送ってくださった。
教育のことなど文が長かったし、私は教育には疎いので、教育のことはちょっと置いといて、給食の話をそのまま、掲載してしまおう。いいかな?

「学校(公立)ですが、アメリカ人が持ってくる昼食は、キャロットだけとかポテトチップスとかかなり雑なようです。
そして、面白いことに?、おやつ持参OK。
アメリカのほかの地域はわかりませんが、それを 聞いた時はビックリでした。
下の娘は当初はおやつが楽しみで学校へ行ったいたようなものでした。」

解説すると、お孫さんが父親の転勤に伴いニューヨーク近郊に住んでいて、現地の学校に通っているという事である。

いや、面白いなあ。
私も子供に戻ってこんな学校に行きたいなあ。
何を持っていっても別に恥ずかしくない。
今日はこれしかなかったんだから、または、子供が食べたいと言っているんだから、これで良いじゃないかと。

これぞ、横浜の主婦たちの狙い通りだったのかもしれないなあ、と思ったりもした。
「おやつ」OK、というのもイカスなあ。横浜市はこれもパクれよ!

そうしたら、ちょうど昨夜家に帰ってTVを付けたら、大磯の学校の給食が不潔で不味いと子供たちから顰蹙を買っていると言っていた。
一方、母親たちはなし崩し的に町が決めて給食になってしまって残念だと怒っている様子である。なんだか胡散臭い話だね、癒着・利権でなければ良いなあ.....。

給食はもともと、貧乏な子供の為の食事の提供であった。
私の子供時代の給食はまさにそれだった。弁当が持ってこれない子供がいたからでもあり、普通の私のような子供たちにとっても、牛乳瓶は出るは、食べたことのないメニューで、温かな食事がでて、持参していた弁当よりはるかに良い食事だったのだから。
だけれども、もはや学校単位で予算も付いて独自に料理を作っているわけでもない。
多分病院食のようなイメージしかない。
最早、貧しい子供のメンツを立てるために、全員が犠牲になる必要はない。
購買部を置いて、特別なコインで買えるとか、違った形の与え方があると思うのだ。

でもウチには子供がいないから、大したことは言えないなあ。

昨日の続きで
2017/09/20

「古い」という事。
日本人ほど新しいもの好きな国民も珍しい。
携帯電話も日本が先進国であったし、CDの浸透も日本が一番早かった。
しかし、アップルのスマホに関しては、遅れた感が拭えないが、それは置いといて。

その古いと言う事を嫌うのはなぜか、古いと言う事で人を馬鹿にするのはなぜか。
人を馬鹿にするときになぜ、古いという言葉を出すのか。

一番面白かったのは、テレビのビートたけしと阿川佐和子の司会の番組で、中学生の給食の話が出た。
いまだに弁当に固執する横浜市の主婦は頭がおかしいと言い出しそれは「古い」と言い放った教育関係のおばさんがいて、とても驚いた。

だって、私たち横浜で親をやっていた人間は、自分の子供の食事くらい、たとえピーナツバターのサンドイッチであっても自分で作ろうという、強い信念があったからである。
他人に我が子の食事を任せてなるものかという、それはアメリカの主婦たちの考えと近いものがあって、独立という観点からも考えられたことだから。
それを「不味くて冷たい給食」のどこが新しくて良い事だと、いったいどこから考えるのかと。

それを「古い」と一蹴したおばさんは、毎日あの給食を食べられるのか聞きたいなあ。と思ったのである。

いや、本当は違う意味で古い・新しいという話にするつもりだったが、方向が間違ったらしい。
まあ、いいや、今日はここまで。


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