HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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マリちゃん   (2)
2017/06/28

朝アルバイトだと出掛けて行ったものの、深夜疲れ切った顔をして帰ってくると流石にこっちも面白くない。
それで最初の内はよく喧嘩になった。
しかし、マリちゃんは一向に浮気を改める訳でもなく、今思えばセックス中毒だったのだろう。
その内にどうでもよくなって、疲れて帰ったマリちゃんに、あり有わせで夜食を作り食べさせたりしていた。
彼女はその時になるとスイッチが入ってしまい、後の事は考えなくなるらしかった。
有る時、私の友人が訪ねて来て、「直ぐにうちの人が帰るから」と部屋に入れてしまいちょっと話をしているだけで、もうヤリたくなってしまう、という程であった。
あっという間に、我々はただの同居人になってしまった。

仕事と言っても出来る事はウイトレスくらい、その上長続きはしない。
一時は私が時々行っていたジャズ喫茶でも働く事になったのだが、なんとそこのバイト仲間ともすぐに出来てしまう、訝しげな雰囲気は周囲にすぐに伝わる、何だかんだとバイト仲間の評判も落とし、居心地が悪くなり辞めた。
更にちょっと学校で習った事の話などになると、全く分からないらしく、不機嫌になり、話題と言えば芸能ニュースだけ。
一体どうなっているのかと思ってはいた。

その内に、妊娠し誰の子か分からないと困っていたのだが、バイト仲間などもカンパしてくれ病院で下してきた。
それを機に出て行ってくれと言ったのだが、ここにいたいといい、またそのまま居着いた。

またその内に、ふっと居なくなり、10日ほどでROPEのお洒落な洋服を着て帰って来て、良い男に気に入られ買ってもらったと喜んでいた。
また将来、男と店を持てると言い出したので、良かった良かったと思っていたら、また妊娠したと騒ぎだし、今度はその男に金を出させて下した。
それで、どういう事か分からないが男とは切れた。
結局男は遊びだったのだろうという事になったが、マリちゃんは一向に気にする様子もなく、相変わらずの生活で私の部屋にいた。

マリちゃんは自分の行動に反して私が買物で女店員と話しただけで、嫉妬し怒るのが不思議であった。
来てから2年近くにもなろうとしていたし、関係も無いわけで、出て行って欲しいとお願いするも、もう少し、もう少しと住んでいた。
だが、有る時どこかで探して来たか、銀座周辺のナイトクラブでアパートを借りる支度金を出してくれると言うので、ようやく、荷物などほとんどないが彼女が引越して行く事になった。

私は、性関係はなくとも別に良かったというか、人間の内面は悪くないしそのままでも良いかなあ、と思い始めてはいたが、なぜか、その時はサッサと明るく別れる話になったのは、不思議であったがきっと神様が決めた別れの時期だったのだろうと思った。

マリちゃん   (3)
2017/06/28

引っ越しの前日せめて一緒に食事でもという事になったが、そこで彼女の話が始まった。
「以前、週刊誌にあたしの友達が乗っていた話、あれはあたしだったんだよ」
それは、男性週刊誌に十代の女のセックス事情という特集で、見るからに少女が、眼帯をして写っていたのだが、それこそ芸能人やプロデューサーと呼ばれる人達や、複数やらSMやら何でもありのセックスがいかに乱れているかと言う話をとうとうと喋っていたわけで、既にマリちゃんは十代にしてセックスの達人だったのだ。
なにしろ小学生の頃から水商売の母親が連れ込んだ男とのセックスを隠れて見るのが楽しみだった言うし、中学生の頃には、毎日近所の不良が集まっては、やる事はセックスしかなかったという事であった。
その週刊誌をマリちゃんは宝物のように持っていた。

更に驚く話が。
「あたしは今18才なの」
「えっ!」私と会った時に確か高校を卒業したばかりで18才だと言っていたはずで、それでも、大人びていてどう見ても18才には見えなかったのだが、美しい顔に時々見せるブリジット・バルドーばりの「あどけなさ」は本当のあどけなさだと知った。

何も言えなくなった私に更に、追い打ちが。
「あたしの名前は井上マリではない」と。
「えっ!」
「仲良しの子の名前で、本当は李と言う名前なの、家に分かったらいけないので隠したの、ゴメンね」
本当に悲しくなった。
彼女は私が本を読んでいると、時々私のノートをひっぱりだして来て、詩を書いていた。
それが「私は井上マリ、18才」と書き始めるのが常であった。
それはきっと忘れないためのメモだったのだ。

私は性の欲求も強い方でもなく、彼女からは最も遠い人間だったのだが、思えば性の達人がよくぞ私の所にいたものだと、なにやら大いに感動した。
私は、何も知らないまま2年間 マリちゃんと一緒にいた。
マリちゃんは自分を隠し通して、2年間いた。

その後2年ほど経って、この広い東京で偶然、彼女に2回会った。
立話程度であったが、ちょっと歩きながら話した。
それによると、私の背中に時々湿疹が出来て塗り薬を付けてもらっていたのだが、それが彼女には「とても嫌だった」という話であった。

勿論 マリちゃんはもっときれいになっていた。

                    (誰か映画にでもしてくれ!)

湿気が
2017/06/27

湿気が多い梅雨の季節。
何よりも除湿をしよう。

エアコンの除湿機能を24時間付けておくとよい。
温度が若干あがるものの、風呂場などに除湿機も置くとよい。
除湿機は「水取り象さん」など問題にはならないほど、これほど空気中に水があったのかと衝撃に思うほど、朝晩大量に取れる。

本、レコード、オーディオ機器、もちろん洋服・靴など沢山お持ちの方には、強くオススメしたい。
もちろん家の中のカビは癌の元にもなる。

カビを取るのは大変だけど、生えるのは簡単にできてしまう。

LUCY ANN POLK “with DAVE PELL OCTET”
2017/06/26

LUCY ANN POLK “with DAVE PELL OCTET” TREND TL 1008 (USA) 10inch

10インチ盤の女性ヴォーカル・アルバムはレアな物が多く、なかなか見つけにくいものである。
その中でもトップクラスに珍しい一枚である。
以前、このアルバムの事を書いたはずだと調べたら、4年前に南アフリカ・プレス盤の事を書いたのだった。
あの時はイギリスで見つけたLONDONレーベルなのでイギリス盤だと思っていたらそれが南アフリカ盤だったので、余計、びっくりした。
それ以来一度も見た事はないし、まして本家のこのアルバムだってオリジナル盤は2回しか売った事がないのだから珍品である。
白人女性ヴォーカルの中でも5本の指に入る欲しい一枚である。

ジャケットが変っている。
紫の闇の中に、浮かび上がったのは後姿の美女。
女はみな美女だから。
それもイラストで、フランス人形のようと言うのか、舞踏会の女のようである。
ドレスの輪郭を黄色でステッチしてあるで、紫色とのコントラストが微かに鮮やか。
髪は微かに輪郭だけ黒く、紫の中に溶け込んでいる。
表に顔が無ければ裏ジャケに顔が出て来るのかと、思わずひっくり返してしまうのだが、そんな期待も裏切られる。
しかし、実際彼女は中々の美人なのだ、それなのになぜ故に顔を隠したのだろうか。
顔は無いのだが、なんとも妖艶というのか、不思議なジャケットである。

歌はサラッと感のある絶妙なサウンドで見事なジャズヴォーカル。
一度聴けば欲しくなる。
彼女は50年代前半かなり人気でLes Brown、Tommy Dorsey、Dave Pell等当時の人気バンドで活躍し、その後ソロでもやっていたようで、54年に当アルバム、57年にLucky Lucy Ann (Mode)をリリースしたのだが、
なぜかネットによると60年を持って引退したとある。その後亡くなる2011年までいっさい歌わなかったと言うが、そういうものか。
こんな良い歌手なので、まさかと思う所である。

シナトラ研究家の三具さんに訊く所によると、晩年に歌っている映像があったらしいというから、録音が無かったという事で、時々は歌っていたという事か?
坊主百までお経忘れず?そんなことわざあったかな?
ちがうな、
「雀百まで踊り忘れず」だった。

CHET BAKER “SINGS”
2017/06/25

CHET BAKER “SINGS” PACIFIC JAZZ PJLP-11 (USA)
10inch

チェットの最もチェットらしい素敵な10インチ。
当時のアイドルの中に入っても、引けを取らないナイスボーカルである。

チェットを語る人は多いので、今更私が何度も同じような事は言うまい。
私が感じている事は一つ、チェットとは演奏者よりも、聴衆に特徴があるのである。
そもそもチェットが人気になった50年代、アルバムを買った人たちは、普段ジャズを聴かないような人々、女、同性愛者に絶大な支持があった。

現在もチェットを好きな人達には、ある特徴があって、お洒落な人、自己主張の強い人、ちょっと変人、なによりも優しい人、そして通、と言った感じであろうか。あまり言うと店のお客様から怒られそうだ。
興味深い事にそれが他のミュージシャンとは、大いに異なる点である。

私がチェットの作品の扱いというものはこうなのだと思った小さな出来事がある。
以前、近くで廃盤屋をやっていたOさんという年配がいて、彼が当店の壁に飾ってあるチェットの後期のアルバムを指さしてこう言った。「こんなヒドイものなど聴けないだろう!えー!」とコケにしてくれた。
むっとしたが、レコード屋のオヤジにしてこの発言。
大いに驚いた。
確かに、昔の羽振りの良かった人達にとっては、後期のチェットはゴミ扱い。

しかし、世の中が進み、社会から落ちこぼれたり、世知辛さに疲れ切った人達には、これほど心を暖ためてくれる音楽も他にない。
私もチェットを好きになったのは、50歳を過ぎてから会社から落ちこぼれたり、年を取ったりしてみたら、何となく社会から外れて行く人の気持ちが分かる様になった。
まあ、行ってみれば自分も傷ついたら、チェットの音楽が好きになった、という事である。

チェットは音楽を語るより、聴く側を語った方が面白い。
チェットのアルバムは確かに、歌なども歯が抜けているのがひしひしと伝わってくる、それでも、チェットを愛しているのは、そういう人だけが理解できる暗号のような信号か?何かがあって、それを理解する人々がいるのだ。
故にチェットの音楽は存在する、解る人に解る。
結論、チェットの音楽は「チェットを語らず、聴く人を語れ」

ところでこのアルバム、12インチ盤も良いが、最初に出た10インチ盤は曲の感じもまとまっていて良い、写真も良い。
良いよなあ、こういうジャズって。
解るかなぁ?



DUANE TATRO “JAZZ FOR MODERNS”
2017/06/24

DUANE TATRO “JAZZ FOR MODERNS” CONTEMPORARY C3514 (USA)

ジャケットの凄いアルバムが入荷。
クルマのジャケットである。
意外にレアなので、クルマ・ジャケのマニアは要注意。

このクルマ、見ればカブトムシのようなデザインで、写真に写っているのが実は後ろ側である。
飛行機のようなデザインと言った方が正しい。
当時、クルマのデザインは飛行機のような翼を持っていたりして、盛んにスピード感を煽った。
しかし、今見ても、いや今だからこそ余計に素敵なのである。

さて、このクルマ、1953年のショーの為に製作されまるで飛行機そのもののデザインであった。
その後56年に2台目が作られ、従来よりファミリーも利用できるようにして、ジャケットの写真のこれがどうもそれにあたるようだ。
全長約6m,幅3mと相当な大きさである。しかし、出力は200馬力であったらしい。
ある意味 高速道路を快適に旅行できる未来カーとしてショーで人気だった事が伺える。
しかし、発売には至らなかった。

しかし、アメリカの当時の車と言うのは、本当にソソられる。
車体に羽根を生やすなど、今から思えば無駄の多い作りだが、そこがまた良いのだ。
正に 流線型=スピード感というデザインがピッタリである。

いやはや、クルマ・ジャケのナンバーワンという事で。

GRANHAM COLLIER “SONGS FOR MY FATHER”
2017/06/24

GRANHAM COLLIER “SONGS FOR MY FATHER” FONTANA 6309 006 (UK)

新入荷のアルバム、かつて好きでよく聴いたイギリスの傑作。
グラハム・コリアは67年にDEEP DARK BLUE CENTRE (DERAM DML/SML 1005)でレコードデビューを果たす。
この作品はそれなりに評価を受け、彼の実力が認められた作品となった。
そのDERAM(デラム・レーベル)は60年代の実際何年から始まったから知らないが、67年はMIKE WESTBROOKがロックとジャズが混ざった新しい音楽として注目を浴び、その後70年までの短期間の内にJOHN SURMANやMICHAEL GIBBSが次々と作品を発表し、レーベル名と共に、マニアの話題をさらった感があった。なぜならアメリカでのジャズがコルトレーンの死と共に、パッとしなくなった事と、ヨーロッパにおけるロックやフリー・フォームの運動が活発化した事が揚げられる。アメリカジャズ危うしである。
この頃のイギリスの音楽はビートルズやストーンズなど世界のロックの中心でもあったせいか、その影響はまずミュージシャンの大量出現となったのである。
当然、ジャズにも人材は流れ込む事になる。
早い話が、ジャズがロックに食われる勢いで、言ってみれば新主流派と言えば言えるジャズメンが五万といた感じである。MICHAEL GARRICK、NORMA WINSTONE、IAN CARR、NEIL ARDLEYなど幾らでも出てくる。
更にフリージャズ運動においては、Evan Parker / Derek Bailey がINCUSから - The Topographyを発表し、その他TONY OXLEY JOHN STEVENSなどイギリス・フリージャズは世界の頂点にも立ったのである。

なぜか、潮流というものは一度に集中して起こる事象、止めても止まらないのである。
話は長かったが、その中の、イギリス・ジャズを代表する名作である事はいうまでもない。

彼の作品はこのあたりの作品群にトドメをさす。なぜならその後はちょっと小難しいと言うか、上品と言うか、現代音楽よりになった感があり、やっぱり白人はとどのつまりはクラシック界に「私はこんなに立派になりました」と見せたいのかよ、と思ってしまうのは私だけか。
それは置いといて。

この作品のタイトル、SONGS FOR MY FATHERとなっていれば、あのホレス・シルバーのアルバムと関係あるのかと、一生懸命に聴き直したが、取り立て関係がある訳では無い。よくよく観察すれば、ホレスシルバーはソングであるが、こちらはソングスなので、まあ、違うのである。

音楽は全体が、新主流的である。
ある意味コルトレーンのようでもあり、ある意味ウエインショーターがいた頃のハービーハンコックのブルーノートでの作品のようでもある。
しかも、力強さは決してアメリカ勢に負けていない所も面白い。
もっと聴いて行けば、その後のギル・エヴァンスのビリーハーパーのようでもある。
正に名曲、Priestessの前身といった、ギルとも音楽性が行ったり来たりした感じもあり、非常に時代が進んでいた様子も伺える。
新しいジャズの動きの代表として、また、前衛と言いながら心地よさを失わない作品として、聴くほどに興奮してしまう作品である。

雀の卵
2017/06/23

朝、仕事に行こうと外に出た所で、地面にヘンな物が落ちていた。
拾いあげれば何やら、雀の卵の殻のよう。

雛が孵ったので、卵が不要になって落ちて来たのか、それとも他の鳥が盗んで食べてしまったのか。
小さな卵の殻は、色が付いていてまだら模様なので雀だと思う。

そう言えば雀は今が繁殖時期でもある。
最近は雀の数も減ってしまって、街を歩く楽しみも半減した。

都会が凹凸のないのっぺりとしたビルばかりになり、雨もしのげなければ、巣をつくる場所もなければ餌もないから、がなあ。
野良猫も同様である。


今朝の新宿
2017/06/22

梅雨だが、今日は天気が良かったので、ってここのところ雨の日の方が少ない。
まあ、というわけで歌舞伎町まで歩いて行く。
いつも猫、サキちゃんが最近見当たらない。
梅雨になったせいか、それとも暑くなってしまったせいなのか、ここ一週間は見ていない。
それどころか、他にもここを縄張りにしている猫一匹出てこない。
元気ならよいのだが。

心優しいオジサンは心配してしまう。
世の中のジジイ達はまず意地悪だから、野良猫を退治しろと言う人はいても、私のように可愛がる人はいないよう。??モトエ。

はなしは変わって。
ところでこの間、猫を飼っている知り合いと話していたら「ウチの猫は朝、おはようと鳴く」いや、しゃべるという。
他の友人もその話になると「ウチの猫ははっきりおはようとしゃべる」と言っていた。確信している。
確かに猫は「おはよう」と言っている抑揚である。
飼っている人達のほとんどが「ウチの猫はおはよう」と話していると言うはずである。

だって、猫は「おはよう」と言っているんだもの。
結構、飼い主の言葉を理解しているし。
多分猫は、飼い主の言葉の範疇で言っていると思われる。
元来猫は鳴かない。その証拠に野生種、例えば西表山猫も鳴かない。
猫は人間と暮らすようになって言葉を学習したのだ。人間から。
男の子が家の中で、「飯」「金」の二つしか話さなくても生活に支障はないように、猫も生きるに十分な言語を身につけたと思われる。

他人にはただのニャーだが、私にはニャーだ。
あれ?

NHKの
2017/06/21

朝のNHKテレビ・朝一 を見ていたら、視聴者のFAXの紹介があった。
それによると、「私の家では中学生の娘が父親の下着を一緒に干すのを嫌がるので、父親と娘の下着の間にタオルを干して下着同志が直接触れないようにしている」と。
スタジオ大笑い。

昔あったテレビのCM。
おとうさんの洗濯物と一緒に洗わないでという「父親いじめ」のCMが国民に浸透した結果である。
洗剤の会社は罪な事をしたよなあ!

NHKも笑っている場合じゃねーよ。
父親と娘、汚いのはどっちだ?
若い女のパンティの汚さなど、親父のパンツに比べて問題じゃないぞ。
親父のなんか可愛いものだ。
いい加減にせんか!
親父は汚い物と決めつけ、臭い消しの商品や、洗剤を作っている企業の罪は重い。犯罪で、間違いない!

これは犯罪だよな。
何とかハラスメント以上だよ。

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