HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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やきにく「六歌仙」
2017/05/30

新宿の近所の店シリーズになってしまった。

「六歌仙」は 当店から新宿駅西口に向かい1分、大ガードの信号を渡ったビルの6階で、新宿ナンバーワンの焼肉屋という評判がある。
たしかに肉は美味しく、油が多くてもしつこさを感じさせない、質の良いもので、更にちょっとお金を払えば松坂牛食べ放題2万円などというメニューもある。
私などが一番安いカルビとロースにビビンバなどを勿体なさそうに食べている横で、横柄な中国人たちがお代わり、お代わりと高級松坂牛をバンバン食べているのを見ると、日本は中国に負けたと認めざるを得ない瞬間でもある。
元々、ここは日本人の客で流行っていたのだが、リーマンショックの時に客が激減した。
ところがここの店はツキがあるのか、ちょうどその時、日本の美味しい焼肉屋として、アジアの旅行情報誌に掲載されたり、ネットに書込みがあったりで、突如中国からの観光客が舞い込んだ。
それが数年続き、そろそろ中国人が減ったと思った所、今度はタイの観光客が押し寄せるところとなり、そこに台湾の客が上乗せされ、その団体客の騒ぎが収まったあとは、その頃のリピーターが出来ていたという、まことに商売人には羨ましい話である。
しかし、一番の功労者は、一見ちょっと荒っぽいようで実は笑顔と、さりげない中にきめ細かな接客と、集客の販売戦略を練っている社長の能力である事は間違いない。本当に凄い社長だ。
私の情報収集力も凄いでしょ。

ご存知、焼肉は韓国料理ではない、韓国には骨付きカルビという焼き方があるがちょっと違う。
焼肉は日本生まれの日本育ち、ただ料理をやっている人達がちょっと向こう岸の人達という事であり漬物などもあちらの物に準拠している。
キムチなどは真っ赤な南のほうの物より、北のさっぱりした白菜漬の方が上品で美味しい。モトエ。
どうでもいい話、美味しい焼肉は日本で食べた方がはるかに上である。わざわざ韓国に行く必要はない。と言いたいだけなんだけど。

私もお金が出来た時にはこの店に行きたいが、残念なことにというか、ホッとするというか、最近はここに入れないのでお金を使わなくて有り難い。
なにしろ、エレベーターの前には、いつもアジア系はじめ外人さん達が順番待ちで溢れている。
これほど一軒の店がインタ−ナショナルになるとは思わなかった。

ところで、この店の従業員の更衣室が当ビルにあるため、時々エレベーターの中で社員と一緒になる。きけば皆 社長のことを尊敬し、慕っていて気持ちが出ていて良い感じである。
社長をひとつも尊敬をしていない、当店の仕入部長にも見習ってほしいものである。

てんぷら「天兼」
2017/05/28

新宿の近くの店。

てんぷら「天兼」は新宿西口・小田急ハルクの駅から西に向かって奥になるが、一等地でしかも一階である。
この大きなビルの中にあって、なぜか一階に喫茶店ピースから始まり、どら焼き時屋、茶道具屋など数軒、昔ながらの風情を残すショップが続く。
そのなぜか、という事を説明すると元々ここは映画館やら小さな店が軒を連ねていたのだが、小田急がデパートを作る計画が持ち上がり、土地の買収が始まった。しかし、数軒は今後もこの地で商売を継続したいという気持ちを譲らなかったため、それならばと小田急側が譲歩し一階の場所のまま残る営業権を得たのである。
天兼の店もその名残である。
その辺りのいきさつはと戦後のどさくさと土地の取った取られたの話は、以前に何度か書いているので省く。
いずれにせよ良い場所を手に入れた物である。

ここの店主は太った立派な体格で、この健康的な人が揚げてくれるならさぞや美味しかろうと期待させてしまうものがある。
正にその通り、このてんぷら屋は新宿で一番という地元の評判である。
たしかに、江戸前のてんぷらで胸やけせず、モタれず、胡麻油の香り良さ、ネタの良さ、さっぱりと最後まで気持ち良く食べられる店はそうそうない。
特にアナゴのさっぱり・パリッとしたものを食べられる店は少ない。
かなりの有名店もこうはいかない。
私などのように、ジジイになれば良く分かる。

彼はバイクやクルマが趣味なので、その辺りは私も他の客がいない時は趣味の話が出来るので、楽しみである。
大きな身体で乗るバイクとは相当大きくないとバランスが悪かろうと思っていたら、やっぱり大きなものらしいので安心した。
ところで最近、私と同い年で明るい性格の女将が引退してしまった、ちょっと淋しいが止むを得ない。
どこでも、若い人の時代になるのだ。

昨今の油や魚の値上げですこし価格も上がったが、時々は食べに行きたい店である。
私は昼しかいけないけれど、お金のある方はぜひ夜の部に行かれたい、高級感もいっそうもり上がるというもの。

RENATA MAURO “RENATA MAURO”
2017/05/27

RENATA MAURO “RENATA MAURO” DIRE RPM 33 FO 337 (Italy)

レナータ・マウロの名唱盤。
それもイタリアの超マイナーでフリー系のレーベルのDIREから発売されたもので、やっかいな事に日本に広まったのがセカンド・ジャケットなので、かつて私なども大いに迷ったものである。
オリジナルはこのジャケットの数字の「5」と書かれた、ハードカバーのダブル・ジャケットである。
ジャケを開くと、なんという事でしょう、彼女の美しい顔の大写し。
右手にグラスとタバコを持った写真のなんという洗練さ。
ガチガチのハードカバーで、大迫力のなんとも頼もしい。

タイトルは通常、名前のRENATA MAUROか、セカンドバージョンのBALLADにする。
しかし、オリジナルにはイタリア語の長いタイトルが書かれていて、どうもこれが本当らしい、しかし、長すぎてしかも意味が分からないし書けないので、まあ、なんでもいいのかな?
(ジャケット写真の下の方に書かれているもの)

彼女は、ジャズ・ボーカリスではなく、イタリアン・ポップスの大物で60年代、かのサンレモ音楽祭やテレビなどでも活躍した人である。
それが、活動を証明するLPの代表はこれ一枚、それもジャズだけという、なんとも不思議な巡り合わせである。

歌伴は幾多のイタリアン・ジャズのLPで名前を見た大物ピアニストのレナート・セラーニ。
表現力はピカイチ。
それにほんの時々、ストリングスが入るという仕組み。
ムードを盛り上げる事に関してはイタリア人でもあり、完璧である。

さて、その歌。
英語で歌ったその声はやや低く、アルトなんだけど、それがなんとも言えないジャズの雰囲気とお姉さま的な大物感を醸し出す。
歌はバラード調でそれが妙な迫力がある。
ジャケットの内側の大きな写真を見ながら聴くと堪らない。
人気盤である事が理解できる大傑作である。

こういうのはジャケットを見ていると、内容など聴かなくても欲しくなってしまう。

JOE HAIDER “CAFE DES PYRENNEES”
2017/05/26

JOE HAIDER “CAFE DES PYRENNEES” KICK H/A 1012 (GERMANY)

ジョー・ハイダーのピアノ・トリオ作品。
この作品はピアノトリオ・ブームの時には非常に人気が高かった。やがてトリオ・ブームが去り、幾多の作品の評価が下がってしまった中にあって、なぜか不動の人気の作品なのである。
かといって、作品は普通のアコースティックのピアノ・トリオでも無い。
エレピは出て来るわ、今時、好かれない構成でもある。

それなのに何で人気が高いのか、一曲目からシカと聴こうではないか。
冒頭はアコースティックのピアノで、それがノリ良し、サウンド良し、メロディ良し。
しかもこのノリはマッコイ・タイナーの影響も感じられる、いや、マッコイ以上にマッコイらしいナイス・サウンド。
見事な作品である。

この方、こんなに立派な音楽家なのかとちょっと資料を調べると。
1971年に同様なトリオ作「カゼンヴィラ」を発売以来、年々調子を上げ、学校も作るなど、ヨ−ロッパ各地で足跡を残し、90年代にはJHM(Joe Heider Music)を立ち上げ、八面六臂の活躍。
大した芸術家であったのだ。

特にトリオ作は71年のカゼンビラ(KATZENVILLA)はドラムに欧州フリーを代表するピエール・ファーブルも参加して、やや堅い演奏で評論家の評価は高い。
しかし、一般的な人気はノリの良さ、バラエティに富んだ演奏、心地よさで考えると、こちらピレネーになるのは致し方の無い所である。

それにタイトル名の「ピレネー山カフェ」とは、中々のお洒落。
ジャケットの絵柄も、山の上に道が伸びると頂上付近に建物があり、その周りに雲があるという肌理細かい線画。
遠くに三日月が微かに浮かぶ。
手前はコーヒーカップが大きく描かれ、立ち上った湯気もまたふわっと大きく広がるという見事な作り。
そしてその場所とはカフェ・ピレネーで、誘うのは私ジョー・ハイダーであると。
いやはや、これは製作者の勝ちだわい。

内容・ジャケット芸術と珍しく揃った良いアルバムである。

かつての同僚が
2017/05/25

一昨日は変な一日だった。
それは、昼に尋ねてくれた80歳の友人と昼食に行っていたら、店から電話が掛かってきて、かつての会社の同僚で、現在ニューヨーク在住の人が来てますよ、と。
慌ててコーヒーを飲みかけに友人と別れ、店に戻ると10年ぶりに見る顔。
突然だが東京に来たので寄ってくれたのだという。
せっかくだからと小田急百貨店でコーヒーでもしようと出かけた。
話が盛り上がってところで、店からまた電話が掛かって来て、かつて会社の同僚だったという女性が来てますよ。と。
それなら同じOB同志、コーヒー屋に来てと言づけを頼んで待つとほどなく彼女がやって来た。
ニューヨークの彼は、昔海外旅行センターで航空券の発券業務で一緒だった。また彼女は海外旅行のホテルやバスなど飛行機以外の手配をするセクションで一緒だった。
二人は在職時期がややズレていたので、顔は知らなかったものの同じセンターだったのですぐに話が弾んだ。

しかし両方共10年ぶりの再会なのに、なにゆえ同じ日に集まるとは、縁とは不思議なものである。
またの再開を約束して別れた。

しかし思えば、私は後輩たちに何一つ会社の中で引っ張り上げてやる事もしなかった。
自分自身もいつも投げやりで、先輩の受けも良くなかった。
勿論、そんな事では後輩の面倒も見られる筈もない。
にも関わらず、私のような出来の悪い先輩と共に働き、夕方は食事にもよく付き合ってくれていた。
そう思い出すと逆に、彼等はどういう目で馬鹿な先輩と付き合ってくれていたのだろうかと今更ながら心配してしまう。
それなのに、近くに来たからと寄ってくれる事の有り難さ。
二人と別れた後、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

しかし、
開き直れば、先輩は必ずしも優秀でなくてもいいんだ。

うなぎ屋 「双葉」
2017/05/24

近所の店。

うなぎ屋 「双葉」
時々「力を付けにゃ」と思う時に行く、かといって別に力が付くわけでは無い。
ただ、昔から言われている事はうなぎを食べると目が良くなる、という話を信じている。
昔のお祖母ちゃんで、人の目を見ただけで「あんたうなぎを食べたでしょ」と分かるという事を自慢していた人がいた。うなぎを食べると目が輝くので、漢方薬の「ヤツメウナギ」というクスリもこういう事なのだそうだ。

さて、そのうなぎ屋の「双葉」。
小田急百貨店の12階と西口地下道の京王モールの中にもある。
小田急百貨店の方は数年前までは、入口が裏と表の両方あったが、混んで来ると、オバサンが勝手に一つに決めるようで、反対か入ろうものなら「そっちは出口でしょ!」と大声で怒鳴られる。
一度、嫌われたら最後、オーダーも通っていない事もあるほどで、私などそれでも時々は行くものの、徐々に京王モールの方に行くようになった。
その内に、店内改装があって店員もほとんど入れ替わり、温厚な人ばかりになった。
良かった良かった。

「双葉」に入りたい理由は食事の他に一つあって、「島岡達三」の大鉢がいくつも並べられていたからである。
それは見事な作品ばかりで、食事を待つ間、ちょっと立ち上がって眺める人も多くいた。
それが東北大震災では奇跡的に破壊が免れたものの、以来危ないという事で、残念ながら仕舞われてしまった。
まあ、仕方のない事である。

前置きが長かった、それで、うなぎ。
ここのうなぎは柔らかい、油ののりもほどほどで、生臭みもほとんどない、小骨は全く気にならない。
タレも掛け過ぎず、ご飯がグチャグチャになる事もない。実に大切な事である。
簡単な事だと思うかもしれないが、それだけの事が出来ていない店が沢山あるのだ。
また、例えに出すものではないが、飯倉の巨匠の店のうなぎのは実にさっぱりしていて、飽食の時には良いのだが、身体が欲している時は、物足りなさが心に残る。
店も色々、使い分ければ良い。

この前、夜遅く友人と小田急の店に行ったところ、帰りに「またいらして下さい」と言われたので、また行きたい。
10日ほど前に、京王モールの店に行ったら。美人のお姉さんが「お髭が良く似合いますね」と言ってくれたから、また行かなくちゃ。

そば屋の「たかの」
2017/05/23

新宿の近所の店の事(続き)

そば屋の「たかの」
ウチの近くなので昼・夜とよく行く。
当店から大久保方向に向かい徒歩1分、コーヒーのタリーズを過ぎ、有名なラーメン屋「中本」があるビルの狭い路地を左に入れば、すぐ闇夜に小さな青い光を照らす看板がある、そこである。

蕎麦は新潟の「へぎそば」である、従って安い蕎麦と思われるとちょっと心外である。
当然昼は蕎麦屋で近所のサラリーマンが来る。夕方5時から割烹になり、小鉢の野菜料理がいくつも並び、それで一杯やり最後に蕎麦を頂いて帰ると言う流れである。
実は、この店の客層は意外にも高く、一部上場企業の社長などが、本当の己に返るために、しばしば来る。
それは女将が作ったであろう小鉢の野菜の煮物こそが この店の決め手なのである。
世の中の庶民には分かるかな?
口の奢った金持ちは、子供の頃食べた、母親が作った家庭料理などが時々どうしても食べたくなるのを。
それも買って来た煮物では無く、旬のものの取れ立ての母親の味。
ああ!何と言おうか。
それを女将はちゃんと分かっていて、良い物を取り寄せ、手間を惜しむことなく作る。
有名な板さんの豪華な食事はもう沢山という人が世の中にはいるのだ。
本当に世の中は千差万別。

そうそう魚の数は少ないが、自家製の一夜干しのアマダイやカマスの焼き物も中々美味。
これが食べたくて来る人もいる。

地味な店の構えなので、一元さんはほぼない。
女将も大将も既に70歳、客がいなければ10時に閉めると言いながら、いつも11時過ぎに看板を消し、暖簾を仕舞うのだが、常連さんが「おーい、いるかい」と勝手に入ってくるのもこの店の特徴である。
二人の人柄が、40年も店が続く一番の要因でもある。

私は酒も飲まないのに行くので迷惑を掛けているのだろうと反省しつつ、また行く。
こういう店の事は書かない物だな、本当は。

コーヒー 但馬屋
2017/05/22

近所の店の事。

ウチがここの場所を店と決めた頃、周囲には喫茶店・カフェと呼べる店がまだかなりあった。
裏にはカウンターだけの「コッツォ」という古風で落ち着いた雰囲気の店があった。
それが、ソツがなく実に客あしらいの上手いマスターが、お金に色気を出し悪魔の誘いに乗ってしまいりネットワークビジネスに手を出して以来、店は人の手に渡たり、それも35万円の高い家賃も足枷になり、誉れ高い名店の名前も東京の時間の流れの中に消えた。

もう一軒ウチを出て路地を右に入った小さなラブホテルの一階が実は知る人ぞ知るカフェであった。
こってりとした苦いコーヒーは一度飲めば病み付きで、しかもやや年増だが美人のお姉さんの自家製というケーキが又美味しく、大人の苦いコーヒーの新宿一番の噂。
そこがなぜか改装で、愛のホテル業に専念したかったのか、これまた、人に広めたかった完璧なコーヒーの腕前と共に、都会の人の心から消えた。

と、前置きが長いのが悪い癖だが、私が行くところと言えば、ルノアールか小田急百貨店の「但馬屋」になった。
その但馬屋は東口・西口地下道のペットショップ横と言えばすぐに分かる場所に本店が。それに小田急百貨店の7階に一軒。またヨドバシカメラの隣の半地下にもあったがヨドバシがビルを買取った噂が立った瞬間ここも消えた。
いつも比較的空いていて穴場的な店で良かったのだが。

前置きが長いが、それでだ、えーっと。
地下道のペットショップの横の店は、店主も女性のマスターもどちらかと言うと不愛想。きっと客と話すなと教育をいるのであろうと思われるのだが、そこに行くと小田急の方はニコニコと愛想が良い。
またいつも空いている喫煙ルームがあり、ビルからの駅前の人の動きもまた借景という見事な眺めに美味しいコーヒーで、心の中がパラダイス。
喫煙セクションの方が、眺めが良いとはなんという事でしょう!
今となっては、行くところはもうここしかない。

そうそう、小田急とは小田原急行電鉄の略だが、昔の歌謡曲、それも東京音頭じゃない、銀座の柳じゃなくて、そうだ東京行進曲。
昔恋しい銀座の柳。仇な年増を誰が知ろ。ジャズで踊ってリキュルで更けて。明けりゃダンサーの涙雨。
という中に、いっそ「小田急で 逃げましょか」というセリフがあったが、電鉄側が失礼だとケチを付けた。
ところがその事件で、一層この歌が流行ってしまい、それらばと電鉄側もちゃっかり便乗したという。
この話は、オーディオ評論家の篠田さんに聞いた、記憶がある。

今日は一体何の話だったか?

樓外樓飯店
2017/05/21

新宿の近所の店 - 樓外樓飯店
難しい樓と言うの字をつかうらしい、でもキーボードで打つと楼という字になるので、これでお許しを願う。

中華料理の楼外楼飯店(ロウガイロウ)は当店からもっとも近い高級上海料理屋である。
場所は新宿駅西口、小田急ハルクの8階、要はビックカメラ西口店の上である。
高級な中華の店は料理人を本国に頼る事がおおいせいか、人が替わると味も変わる、確かにここも味が急に変わった事もあった。
しかしそれにも関わらず、安定した味を今なお保っている所が名店の底力というのか、まことに立派である。

私はラーメンを食べたくなると ここに行く。
それは新宿のラーメン店のほとんどが豚骨・横浜系というのだろうか、コッテリ味のやや臭みのあるスープなので、年齢と共に胃が受け付けなくなった。
それでさっぱりした醤油味の中華そばを食べるにはこういう中華料理屋に行くのが賢い選択なのだ。
昔からの中華料理屋の醤油味のチャーシュー麺が食べられるのが嬉しい。

と言っても、本来高級な店なのに食べに行くのが昼ごはんばかりで、私など申し訳ない気持ちでいるのだが、広めのテーブに案内され、いつでも皆さん笑顔の挨拶で暖かく迎えてくれる。
ありがたい事である。
私はこの場所で仕事を始めて以来、ずっと通っているのだが、その間顔見知りになったマネージャーが二人もいなくなった、二人とも年齢とはいえ、ちょっと淋しい。
これからは こっちがいなくなるのが早いか、あちらがいなくなるのが早いか、長生き比べのような様相である。
まあ、せいぜい営業の邪魔にならないように通いたいと思っている。

たまには、フカひれの姿煮だの、北京ダックだの、食べたいなあー。

BE−WAVE
2017/05/20

新宿の近所の店シリーズになってしまった。
BE−WAVEは最近出来たレストラン兼クラブ(DJクラブ)。

やはり場所は歌舞伎町。
歌舞伎町のメインストリートを入り「ナルシス」の一本手前の通りを右に曲がって数軒先にある。
客引きが相変わらず五月蠅いが、そこは返事などしないようにきっぱりと無視して歩きたい。
かつての歌舞伎町の名物 名曲喫茶「王城」の看板と建物だけは健在なので、その手前にある。

行ってみたらなんと、かつてのジャズ喫茶「ビレッジ・ゲイト」では無いか?
いやいやこれは嬉しい事もあったものだ、とひとりで感激。
70年代後半には既に社会への扉を閉ざした「ビレッジ・ゲイト」は店内が黒く塗ってあって、ジャズは黒という分かりやすい内装であった。せっかく美人なのに気の強いお姉さんがレジと時々皿回しをしていたが、そんな雰囲気も今はもうないのは当たり前である。が、今は白い壁でほっとする雰囲気でもある。
この店に行くと、私だけが「時移り事去る」事がつくづく身にしみる。

実はウチの仕入部長が月に一度、仲間とDJをやっているので、私も時々、ご飯を食べがてらで掛けて行くのだ。
店は昔のビレッジ・ゲイトと同様、地下と一階でやっている。
上はレストランで音は小さ目、地下がDJ系である。
ただ毎日ジャズ系の音楽では無いので、ジャズ・クラブの雰囲気を楽しみたい方は、確認してから行かれると良い。
かつてビレッジ・ゲイトの時は、一つ置いて隣の「つるかめ食堂」でチャーハンやニラレバ炒め等を食べてから行ったものだが、そういう心配をする必要はなく店内で食事が出来るのがいいなあ。
そう言えば、つるかめ食堂がイマだに存在している事自体が脅威的な話で、そっちの方が、話題になりそうなのだが、そこまで私も手を広げたくない。

さて、BE−WAVEは食事の味も悪くなく、値段も安価なのがありがたい。
DJも数人来ていて、初めての人でも趣味の話なので、すぐに打ち解けてしまうのも嬉しい。
私もなるべく、その日には行こうと思っている。
第三水曜日の夜という事らしい。

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