HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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グルコサミン
2017/03/14

最近のショッピング詐欺。

自宅に電話が掛かってくる。
「○○商事です。本日ご注文のグルコサミンを送ります」
「はあ?」
「はあ、じゃないですよ、注文されましたね」
「いいえ」
「注文受けたんですから、送りますよ、着払いですからね」
「はあ?」
という電話の内容で、だれか家族が注文したのだろうと推測し、荷物を受け取ってしまう、小さな詐欺事件。

多分、これが日本中できっと膨大の数に上がっているはずである。

昼間家にいてテレビを見ていると、グルコサミン、セサミンと何度も何度もコマーシャルが流され、これらを購入しないと、自分だけが取り残されてしまうと思ってしまう程のCMの量である。
この過剰宣伝が一番の問題である。

インフルエンザ
2017/03/13

なんとインフルエンザB型。
昨日、休日診療で診てもらった病院でもらったらしい。
中学生くらいの子供が咳して歩いていて、薬局に行ったらまたいて、B型などと話しているのが聞こえてしまったから。
やべえー、と思っていたら間違いなかった。

実に残念である。

しかし、B型インフルエンザは実にわかりにくい。
なにしろ症状が軽く、熱も大してでない、だるさもちょっとだるいかなという程度である。
体の強い人は、これはただの風邪だと思って病院にもいかないはずで、それが蔓延する原因であろう。

社長は風邪をひかないと言っていたのが、ちょっと恥ずかしい。
という事でしばらく休む。

女川原子力発電所と福島原子力発電所
2017/03/11

福島原発崩壊の事を書こうかなあと思ってた時に、友人から電話があった。
溝口(川崎市・田園都市線)に『フィオーレの森』という洒落た良い場所があるからと連れて行ってもらったと。

「洒落た建物と美味しいレストランがあってね、こんな山の上にどうしてこんな物を作ったのだろうと、思っていたら、原宿の『ブラームスの小路』ってあるでしょ。あれを設計した人も同じ人なんだよ。それで、フィオーレの森は泉があってね、この泉は水系において重要だからという事で、ここを購入しマンションを建てた。それがようやく軌道に乗って来て、入居者も目白押しだそうだ。」
「ふーん」
「それでね、その人は女川原発の設計の時に中に入ってね、歴史的な津波の記録を調べ上げて、13メートルの防波堤で良いと言っていたのを、14.8メートルと進言し東北電力の副社長が、それならばと何が何でも14.8メートルだと頑張った結果なんだよと。」
「なに?原発?」
「副社長の平井さんという人の勇気ある行動だけがクローズアップされているけれど、そういう話があるんだよ。それでね、原発の地下にトルマリンの大きな塊を埋めたのもその人の考えなんだよ」
「トルマリン?パワーストーンの?」
「そうそう、そのせいかどうかは分からないが、福島より強い地震を受け、なおかつ高い津波を受けた女川原発は残り、福島は崩壊した」
「なるほどね?」という訳で思わぬ原発関連の話だった。

確かに、調べてみると女川はなぜか14,8メートルの防波堤にした。しかし、福島は10メートルのままだった。
金をケチった事と、貞観地震・津波を意味が無いと無視、馬鹿にした事などが挙げられるが、それだけではない。
地震により冷却システムが破壊された際に、素早く海水注入とベント(蒸気圧減圧)を行っていれば、今回のような事態は免れた。
即ち民主党=現民進党政権の無策・無能と東京電力の安全より金というケチ臭い経営者により大失態による、人災なのである。天災ではなく「為政者に対する天罰」なのである。
今朝もニュースで、原子炉内部の核物質と金属が混ざり合った映像が映し出されたが、一体どうやって取り出すと言うのだろうか?
チェルノブイリの原発事故の事を書いた本「こうして原発被害は広がった」の巻末に当時共産党議員の吉井英勝の解説がある、専門家だけに実に分かりやすく解説してあり、そこにこう書かれている。かつて50年以上も前に東海村で原発事故が起きた場合の被害の想定費用を算出した事があって、その被害額は200兆円だと。
とすれば、復旧が遅れれば、まさにその通りになる可能性はきわめて高く、国家予算の倍となる。
日本死ねって事になる。

あの日、テレビの解説として出演していた推進派の面々の、キャスター安藤裕子の質問にメルトダウンはしていない、安全である、貞観地震はデータがなくて問題にはならない、と力説hしていた話は今も忘れられない。
ああいう御用学者を信じてはならない。

といって、我が国の産業等の現状において原発はストップ出来る状況にはない。
また中止したとしても廃棄物はすでに溜まりに溜まっている。
今更、真っさらに出来ない、必要悪になっているのだ。
反対するだけでは何の解決にもならず、地元への交付金目当てに誘致するものでもない。
どうしよう?

3・11の日がやって来る
2017/03/10

もうすぐあの東北地震の3・11の日がやって来る。

ちょうど今、近所のそば屋の女将が貸してくれた本を読んでいる。
吉村昭「三陸海岸 大津波」 文春文庫
吉村昭が何度も何度も足を運び、粘り強い取材を通して書き上げた、明治29年から昭和8年の地震津波と昭和35年のチリ津波に関する、ノンフィクションである。
そこに書かれた事件は、明治29年の津波で26,000人を失い、昭和8年に2,995人を失い、昭和35年チリ津波で105人を失った事が書かれている。
その中で興味を引かれた事が。
住居の移転の話があり、高所への移転計画は常にあったものの、年月がたち津波の記憶が薄れるにつれ逆戻りする傾向があったとある。
それが人間というものの宿命なのであろうか。

「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人達は色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人は滅多にないと思う」と当時の現地の人の意見であった。
確かにそれなりに努力もし数字的には被害者の数も減少していた。
しかし、自然の脅威はそんな言葉をあざ笑うかのように、平成23年、死者18,000人の津波被害があったのである。

一つの例がある。田老町のこと。
明治29年1,859名、昭和8年911名、それぞれ最大の被害を受けた地域である。
昭和8年の後、防潮堤の建設が始められ、昭和29年からも継続され全長2.5キロメートル、高さ10メートルあまりの堤防が作られ、チリ津波の際は死者無しという立派な成果で、X防潮堤!、万里の長城にも例えられた。
それが今回の津波で波は防潮堤を超え死者200名という惨事になった。
自然の脅威の怖さは計り知れず。
過去の歴史が無かったならばいざ知らず、あるのにも関わらず、対策をしていても、それなのに何故? という疑問は消えない。

また当時、民進党の蓮舫もいつ来るかもしれない津波対策など税金の無駄、スーパー堤防など無駄、それより社会保障が一番という政策で国民の人気になり政権を取った事も記憶にあたらしい。当時のサヨク系県知事なども大体そうであった。
例えば、石巻市の大川小学校の80名以上の死者を出した対応のまずさも、その延長にあったのかと思わざるを得ないのだ。

現代は科学万能な時代、どんな事にも科学的根拠に基づき対処しておけば、安全だと考えていたとしても何もオカシクは無かった。
しかし人間の知恵など ある意味大した事がない。
つくづく人間とは、真の意味で学ばないものなのである。

朝のドラマでVANのこと
2017/03/09

NHKの朝のドラマに最近エースという男性ファッション・メーカーが登場してくるのだけれど、どう見てもあれはVANジャケット。

確かに昭和40年代前半における、VANのマークが付いたジャンパー、エンブレムが付いた紺のジャケットは日本中の若者のブランドであった。
今となってはダサイ姿の典型であるが、なぜか当時はカッコ良くみえた。
それまでの若者のファッションといえば、黒のズボンに白いワイシャツの腕まくり。
それがあっという間に、チェックのシャツやポロシャツに取って代わったのである。

従ってその宣伝も華々しく、例えば週刊誌の宣伝はまずVAN。思えば平凡パンチとVANは一対だったような気もする。
ノートなどグッズにもVANのマーク。
靴から帽子まで皆VANのマーク。
何かイベントでもあればまずVANのマーク。
銀座にみゆき族などが出現したのも、VANのファッションセンスがあったからこそである。
もっともそれはアメリカの当時の貧乏学生のファッションを真似したものであったが、日本の若者には知る由もない。
それが日本中に展開されると、過ぎたるは及ばざるが如し、東京の若者から順に嫌気がさし、私なども昭和43年頃にはVANから卒業するのだが、地方では圧倒的なブランド力だった。

だが、やがてアメリカの本物はこれだと、J. プレス、ポールスチュアート、ブルックスブラザース、など次々と上陸。
靴もリーガルなどは物真似だという話が飛び交い、本物はこれだとBASSのローファーも紹介されると、VANの威信も総崩れ。

強気の全国展開がアダとなったか、また飽きられる時期が来たのか、あっという間に倒産。
石津謙介の栄光もここまで。

みんな一斉に同じファッションをする時代もまた終焉を迎えたのである。
この世には 栄枯盛衰はかならずやってくる。
ただ春の夜の夢のごとし.....。

テレビの
2017/03/08

今朝はテレビの撮影の場所貸しで、早く出社。
私もちょっとしゃべってはいるものの、場合によってはカットされると言われたので、出る事はないのであろう。
ちょっとがっかり、ある意味安心。

しかし、テレビの撮影の一行の仕事は本当にきつそうだ。
一緒に居合わせたお客さんが「彼等はこれからどこかで昼でも食べるのかなあ?」
と羨ましそうに言う。
「いや、弁当だよ、時間がないから」
と言ってあげたら驚いていた。

テレビ関係の仕事はきついんだ。



今朝の新宿
2017/03/07

今日は意外に寒い日である。
どんよりした空は低く、また冬の天気に戻ったかのようである。
いつもの猫君は姿を見せず、ちょっとがっかりしているとそこに、代わりに堂々たる体格のブチの白猫が 残った餌を食べにやって来た。
私の目の前で長い時間をかけ悠々と餌を食べ、そして水も飲んで、どことなく去って行った。
太って身体も大きく、顔つきもふてぶしくて力強さがやけに目立った猫君だった。
中々の貫禄である。


ところで、
昔は魔法瓶と言っていたが今もそう言うのかどうか知らないが、取りあえず、ポットと言うのであろうか。
そのポットは大概はどこかのギブアウエイである。
ある人が言っていた、ちゃんと自分のお金で購入したポットは、入れたコーヒーなどは夕方になっても熱いと。
貰ったものは午後になれば既に冷えて来ると。
確かに私のは、ただ今午後1時なのだが温(ヌルイ)い。

明日にでも買いに行こうと思う。



今朝の新宿 (JBLオリンパス売ります)
2017/03/06

今朝は曇りの日、やっと暖かくなって来たと思ったらこっと寒い。
厚着をして出かける。

猫君はぐっすり寝入っていた。
写真を撮ったパシャという音で、そのままの姿勢で一度はこちらを見たものの、その後一切微動だにせず。
頭を床に付けて寝ていた。



スピーカーの話
先日、譲っても良いという話があり関西にJBLオリンパスを聴きに行った。
型番はD50S8。
LE15A、375、075の3ウエイ。
オーナーは音楽の関係者で、音には大変うるさい方であっただけに、とても良い音で鳴っていた。
こういう物はどれもが同じように良い音で鳴るものではない。
感心してしまった。
昔どうしても欲しかったが、高すぎて諦めたスピーカーだけに、自分の部屋に置いたところを想像してしまうと、矢も楯もたまらなくなる。
お客様より自分が欲しくなってしまう。



(何人もの方々から問合せを頂いていますが、売れてしまいました。あしからず)

今朝の新宿
2017/03/05

今日は日曜日なので整骨院は休み。
それで猫君のいる辺りに廻ってみよう。

猫君は例の場所でゆったりくつろいでいた。
他の猫が室外機の下をうろ付いていても、悠然として気にしていない様子。
お腹も一杯で、外も温かくなった事がうれしそう。
このまま眠りに付きそうな様子である。
今日は特別に可愛さが出ていた。顔のあたりに太陽の光が当たっているのも良かった。
きっと、猫なりに良い事でもあったのであろうか?



最近の血液検査の結果、糖尿病の一歩手前と先生に言われた。
まず脂肪を取らないようにと言われた。
心を入れ替え、甘いもの、脂肪分、を控える事にした。
私もピンピンコロリで逝きたいから。

DON RANDI “WHERE DO WE GO FROM HERE?”
2017/03/04

DON RANDI “WHERE DO WE GO FROM HERE?” VERVE V-8469 (USA)

彼のレコードの中では、ずば抜けて傑作である。
ノリが良くて、メロディーが良くて、雰囲気が堪らない....。
もう一つ大事な点は、メルルイスのドラミングの見事さも聴きどころである。

まずジャケットを眺めると、廃墟と枯木をバックに、サングラスをかけた本人が写っている。
なんとも殺伐とした雰囲気のジャケット写真。
しかし、その廃墟の感じが、いかにも現代風の芸術的というかクールというか、洒落たイメージになるのが、不思議。
それは2曲目の「Waltzing Matilda」によって成り立つ。
きっと1959年の映画「渚にて」のシーンをイメージしたものであろうか?
映画「渚にて」は第三次世界大戦が勃発し核爆弾が次々と爆発し北半球が壊滅し、やがてオーストラリアにも波及し、登場人物たちも死に向かって行くという話なのだが、その主題歌も実はワルティング・マチルダである。
そもそもワルチング・マチルダはオーストラリアの第二の国歌であり、本当の国歌にしようという運動もあったほどの国民唱歌。歌はムードある歌詞ではないのだが。

タイトルにおいて彼は、いったいどこに行くのか?と我々に問うている。
心して聴きたい。

始めは処女のように、しっとり感を漂わせてメロディー流れる。この人ポップスの曲を演ると上手い。
Mel Lewisもじわっとブラッシュワーク。これがなんとも言えない渋さで良い感じ、落着いてしかもスイング感を失なう事がなく、高揚してくると遂にシンバル登場、ノリノリ感もアップして来る。
演奏は徐々にスピード感が増し、仕舞は脱兎のごとし。
だが、物事には必ず終わりがあるという如く、やがてしっとりエンディング。
ピアノ・トリオの見本である。
実に良いこの演奏。

聴いていて、一曲目からここまで気持ちが入った演奏があろうかと、しかも明るく振舞っているのに、ちょっと悲しげな雰囲気で、切ない気持ちになる。
私の古い友人は、かつてのこの盤を持っていたのだが、もうレコードは聴かないと売ってしまった。
所が 年齢が過ぎて来てから、なんだかやっぱり聴きたくなったと、時々探しに来る。
聴きたいんだよなあ、と。
分かるよ、オレもだ。



歌詞の参考に、私の愛聴のトム・ウェイツの歌を貼って置く。
Small Changeから
https://www.youtube.com/watch?v=hW2vyytxCGM

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