3・11の日がやって来る | - 2017/03/10
- もうすぐあの東北地震の3・11の日がやって来る。
ちょうど今、近所のそば屋の女将が貸してくれた本を読んでいる。 吉村昭「三陸海岸 大津波」 文春文庫 吉村昭が何度も何度も足を運び、粘り強い取材を通して書き上げた、明治29年から昭和8年の地震津波と昭和35年のチリ津波に関する、ノンフィクションである。 そこに書かれた事件は、明治29年の津波で26,000人を失い、昭和8年に2,995人を失い、昭和35年チリ津波で105人を失った事が書かれている。 その中で興味を引かれた事が。 住居の移転の話があり、高所への移転計画は常にあったものの、年月がたち津波の記憶が薄れるにつれ逆戻りする傾向があったとある。 それが人間というものの宿命なのであろうか。
「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人達は色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人は滅多にないと思う」と当時の現地の人の意見であった。 確かにそれなりに努力もし数字的には被害者の数も減少していた。 しかし、自然の脅威はそんな言葉をあざ笑うかのように、平成23年、死者18,000人の津波被害があったのである。
一つの例がある。田老町のこと。 明治29年1,859名、昭和8年911名、それぞれ最大の被害を受けた地域である。 昭和8年の後、防潮堤の建設が始められ、昭和29年からも継続され全長2.5キロメートル、高さ10メートルあまりの堤防が作られ、チリ津波の際は死者無しという立派な成果で、X防潮堤!、万里の長城にも例えられた。 それが今回の津波で波は防潮堤を超え死者200名という惨事になった。 自然の脅威の怖さは計り知れず。 過去の歴史が無かったならばいざ知らず、あるのにも関わらず、対策をしていても、それなのに何故? という疑問は消えない。
また当時、民進党の蓮舫もいつ来るかもしれない津波対策など税金の無駄、スーパー堤防など無駄、それより社会保障が一番という政策で国民の人気になり政権を取った事も記憶にあたらしい。当時のサヨク系県知事なども大体そうであった。 例えば、石巻市の大川小学校の80名以上の死者を出した対応のまずさも、その延長にあったのかと思わざるを得ないのだ。
現代は科学万能な時代、どんな事にも科学的根拠に基づき対処しておけば、安全だと考えていたとしても何もオカシクは無かった。 しかし人間の知恵など ある意味大した事がない。 つくづく人間とは、真の意味で学ばないものなのである。
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