HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
店の評判 | - 2024/03/09
- ここのところ、外国人観光客が多くなった。
外人さんはみな自分の希望や、言いたい事をはっきり言ってくれるので、一緒に探したり、レコードを紹介したりできる。
そうして、皆「あなたの店は日本でも非常に高い評価で、だから一度来て見たかった」と言ってくれる。 ヘー、うちは外人さんに評判いいんだなあ。 それにしても、なんで国内の評判は悪いんだ? ねぇ! なんでさ?
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ハンバーガー屋さん | - 2024/03/07
- 近くのバーガーキング。
久しぶりに行って驚いた。
まず、カウンターのレジが一台とお姉さんが一人。 あとはカード決済用のレジが2台並んでいるので、ほとんどの人は注文も支払いもカード決済。 私のようなジジイがベーコンの入ったヤツとかグダグダ質問している内に、みんな操作の早い事。
それと、店員さんは皆外人だった。 外国で注文しているような感じ。 ちょっとエキゾチックで嬉しかった??
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通販リスト更新 | - 2024/03/05
- 本日、三月五日(火)にホームページの新入荷リストを更新致しました。
よろしくお願い致します。
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我が家の一大事。 | - 2024/03/03
- 我が家のダニ騒動。
半年ほど前の事、突然胸の辺りに激しい痒みが走った。 見れば、赤い発疹が3つほど、帯状疱疹かと思い皮膚科を受診するとこれはダニなどの虫に食われた跡だとの事。
我が家はベットにはダニマットを入れているし、普段から掃除はしているし、洗濯もしている、ダニが発生するはずはない。 ちょうど着ていたものが安売り店で購入した部屋着。 と言っても確証は無いのだが、どうも、多分、それしか心当たりがない。 取りあえず、その部屋着を捨てたものの既に遅し、翌日からは虫に食われた跡はお腹の辺りなどにも広がる。 数日後にはついに家内のお腹辺りにもその痕跡が現れるに至っては、これは家中の問題と言う事になった。
家の中全体を燻蒸するかと言う事になったのだが、我が家にはオーディオ機器がある。仲良しのオーディオ関係者に相談すると、やりたいけど実施した事は無く、誰かの結果を聴きたいという。 無暗に燻蒸などすれば接触不良など起こしかねず、私も実験台にはなりたくない。
家内の調査の結果、ネットでのみ購入可能なダニ専用洗剤とダニ用スプレーの併用で行く事になった。 そうして、まず痒みを引き起こした下着類は捨て、買い替え、小まめに洗濯などしたり、スプレーをして干したりを繰り返したのだが、結局、4・5カ月以上掛かり、ようやくダニは消滅したと見える。 その後、何かの拍子に身体が痒くなったり、神経過敏になったりしながら、暫く尾を引いたものの、ようやく落ち着いた。 とんでもないダニ騒動であった。
そう言えばパリのシャルルドゴール空港で南京虫が大発生したニュースがあったが、その後、簡単に鎮静化せず、ついにパリ市内の一般家庭にも被害は広がったらしい。 ダニなどの小虫の発生は実に厄介。 もう、二度とごめんこうむる。
我が家のダニ被害は、私が感情的になり、誰かを犯人にしないと気が済まないので、そうしただけであり汚染源が「部屋着」と勝手に断定したものであって、原因については、正直はっきりとしていない。 冷静になってみれば店の責任も断定するものではない。
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BRIGITTE PETRY ELECTRECORDS EDD-1112 | - 2024/02/29
- BRIGITTE PETRY “BRIGITTE PETRY” ELECTRECORDS EDD-1112
10INCH LP (ROMANIA)
このレコードは久しぶりに聴いた。
東欧故かこの歌手もまた、あまり知られていない一人である。 これがルーマニアのレコードなのでルーマニアの生まれかと思うとこれが東ドイツ出身で、65年の時だけルーマニアに行き、現地で吹込んだらしい。 彼女は1943年生まれなのだが71年に亡くなっている。28歳の人生とは、東欧だけにちょっと臭いなと思い、ヨーロッパの知合いに調べてもらったら、71年4月、ドルトムント付近の高速道路を彼女自身が運転していた乗用車がコンクリートのパイロンに激突し死亡した事になっている。 しかし、当時の勘の良い国民の耳はもちろん、口に戸は立てられないもので市民の間では、彼女は政府関係者との関係も深かったので、間違いなく消されたという噂が広がったということである。 才能もさることながら美人となれば当然政治的にも相当関わっていたらしい。
彼女の声は聴けば納得する良い声で、若い時から数々のコンクールでも入賞し、おまけに類まれな美人であった。映画に出るわ、東欧諸国の演奏旅行多数と、そんな彼女の唯一のジャズ・アルバムがこれである。 高級ホテルのベランダであろうかメンバーの中心に立って、上から景色を眺めている22歳の写真である。彼女に取って良い時代であった。 現地のジャズメンとの共演で、スタンダードナンバーをスラスラと歌って見せる。柔らかに出るソフトな感じの声が良く、スキャットなどは本当に、そそられるセクシーさもある素敵な声である。 さらにビブラートがエキゾチックでちょっと他にない歌手の味わいである。
そういえば、知らなかったけれど、彼女は70年の大阪万博にも来日したらしい。 もし、万博で彼女の歌を聴いた人がいたら、是非情報をお寄せ頂きたい。
彼女の事はもっと調べたら、きっと沢山変な話が出てきそう。 いや、政治的な話はもういいや。恐ろしくて。
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石原裕次郎 Nostalgia | - 2024/02/28
- 石原裕次郎 ジャズ・ボーカル作品「NOSTALGIA」(Continental CO-1)
裕次郎のジャズ・ボーカルという珍品だが、何しろ音質は抜群で、それだけでなくバックの面子が凄い。 中々 風情があって私のようなジジイには最高の歌である。
彼が「付き合ってくれているバンドなんですけど、凄いだなこれが」と紹介する。 シェリー・マン、ジェローム・リチャードソン、バディー・コレット、ベニー・カーター、等々更にオリバー・ネルソンは友人と紹介する。いやいや、本当に凄い! 発音も悪くない。
映画「カサブランカは1942年、イングリッド・バーグマンももう60歳なんですね」と言っている。
As time goes byのところで、「私が古い歌ばかり選ぶんで、若い人たちは知らないと言っていると、大御所のベニー・カーターが伝えながらやっている」と。
この時の録音は1974年の話である イングリッド・バーグマンもこの時は60歳、アズ・タイム・ゴーズ・バイという曲も知らないミュージシャンもいると言っているから、過ぎ去る時の早さは悲しいほどの凄まじさ。 今このレコードを聴いて、改めて思い出せば、既に小樽の裕次郎記念館も無く、カラオケでも銀座の恋の物語、を歌う人の70パーセントが60才以上と、世の中の移り変わりを知る。 哀れかな。
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映画OST「危険な曲がり角」EP | - 2024/02/27
- Stan Getz, Coleman Hawkins, Dizzy Gillespie…. “Les Tricheurs”
Barclay 74 024 (EP) France
1959年。映画が一番面白かった頃の映画「危険な曲がり角」のオリジナル・サウンドトラック。 しかもEPオンリーという貴重さ。それにしても珍しい。 こんな錚々たるメンツならLPにしても良かったのにと勝手に思ったが、今更何を言わんか。
録音は1958年5月1日、パリで行ったとある、よくぞこれだけのジャズメンが集まったものだ。 多分、ジャケットにノーマン・グランツの名前が見えるし、ちょうどJATPの演奏旅行の途中であろうと思われる。
メンバーを書き出すと、Stan Getz, Coleman Hawkins, Dizzy Gillespie, Roy Eldridge, Oscar Peterson,Herb Ellis, Gus Johnsson, Ray Brown.と一流揃い。 演奏は勿論文句ない出来。
曲は4曲入り。 A1. Les Tricheurs ゲッツ、ピーターソンがフィーチャーされている。 A2. Clo’s blues ホーキンスをフィーチャー B1. Phil’s tune ロイ・エルドリッジをフィーチャー B2. Mic’s jump ガレスピーをフィーチャー
という具合に、テーマごとに雰囲気を変えて有って、興味深い。 映画は当時の青春の蹉跌。 ヌーベルバーグの時代はフランスではジャズが映画に使われ、非常に高い効果を上げた。 ジャズのフアンとしてはとても嬉しい事である。 無駄話だが、ジャズの本家のアメリカではジャズを使って高評価を受けた映画が見当たらない。 きっとアメリカの映画関係者はジャズを軽く見ていたんだろうなあ。
フランスの映画におけるジャズの作品を今更ながら見て行くと、猛烈な勢いだったことがわかる。 当時のフランス人は本当にジャズが好きだったんだなあ。
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通販リストの更新 | - 2024/02/26
- 本日、通販リストの更新いたしました。
よろしくお願い致します。
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CHARLIE HADEN “CLOSENESS” | - 2024/02/24
- CHARLIE HADEN “CLOSENESS” HORIZON SP710 (USA)
録音は大体76年の4月に行われている。それは、収録の4曲をそれぞれ、Ornette Coleman, Keith Jarrett, Alice Coltrane, そしてPaul Motianとデュエット形式で、一曲づつ相手も違えば録音日も異なるのである。 この作品は彼の音楽性のすべてが注入され、美意識から政治思想まですべてが表現された力作であり、大傑作であると私は断言する。
この作品は71年の例の赤旗をたなびかせたジャケットの左翼思想丸出しのLiberation Music Orchestra (Impulse)の続編として、彼は構想を練っていたようだが、かつてのメンバーのスケジュールや居住地等で最早それは不可能で、デュエットでどうかという話になった。それで当時、もっとも彼が音楽的にも信頼を寄せている4人に絞り作品は作られていった。彼の音楽美と言う点における最も卓越した4人、かつ信頼している4人が選ばれたのである。
作品は最後まで聴き入る事が出来る。というか両面聴かないといけない作品である。 だがしかし 最後のポール・モチアンとの一曲は、バックに銃声が鳴っており、訳ありげな歌だのあり、人の叫び声ありで、わざわざ遠くに聴こえるような音にしてあるものの、その心は激しく、余りにも切ない。 それで、英文のライナーを読んでいると、なんだか71年のポルトガルで彼の不当な逮捕劇があった事などが書かれていて、これは読んだもの正誤の自信がないので翻訳書など探すと、児山紀芳氏のライナーに記載があった。思えば児山さんて結構真面目だったんだね。 日本語と併せて読むと、71年ニューポートジャズフェスティバルの欧州ツアーの一環としてポルトガルでの国際ジャズ祭に出演する為に、妻の病気など無理を押してやむを得ず赴いた。 さて、当時ポルトガルも欧州列強同様多くの植民地を世界中に持っていたのだが、戦後徐々に各国が手放なす中にあってポルトガルは頑強だった。すでに手放してしまった各国が良い子ぶって非難轟轟の中、アンゴラ、モザンビーク、ポルトガル領ギニアなど植民支配を続け、ついにこれらの国で猛烈な独立運動が起きる。しかし、当時の政府は民族独立運動を武器で徹底的に抑込む。悪い国だ。これを考えると日本など、中韓から恨まれる所など一つもない。モトエ。 演奏を始めようとした時、ヘイデンは観衆に向かって「この音楽をMPLAなどアフリかの黒人民族解放戦線に捧げる」とスピーチ、後ろにいたデューイ・レッドマンも、エド・ブラックウエルも同調し、拳を突き上げたとある。 それが秘密警察の目に留まり、翌日出国時にかれは拘束されてしまう。 しかし、そこからがアメリカ国家の凄い所で、ちゃんと名前も書かれていて、アメリカ大使館文化広報局局長ジェームス・コーンリーがポルトガルに抗議し、かろうじて釈放されアメリカ大使館で一夜を明かしたあと、出国できたのである。 ところが、軍事政府のポルトガルは報道管制をしき、表沙汰になる事はなかった。
という71年の経験を経て、この作品を作ろうとしている76年になっても、まだ独立運動は続いていた。 彼はここに第一作目のリベレイション・ミュージックでの主張を込め、またアンゴラ解放戦線とポルガル軍との戦闘の模様を入れたのである。 当時、最も美しい音楽と共に、流れて来る「音」は、植民地からの独立の命を懸けた戦い、自由を獲得する戦いこその尊さであり、これぞ「美」の真髄であると彼は言いたいのである。 これぞ自由であり、真の民主主義は勝ち取るもの。 訳もなく反戦・反戦などと平和な国でたわごとをいっている若者に聴かせたいものだ。うん。
先日、来店した外人が甚く感心され、この日本盤の方を購入して行かれた。
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QUINCY JONES “HOME AGAIN” | - 2024/02/24
- QUINCY JONES “HOME AGAIN" METRONOME MLP 15010 (SWEDEN)
今回はステレオ盤
クインシーと言えば、ジャズメン等という肩書はとうの昔に捨て去り、あのメジャーのマーキュリーの副社長に上り詰め、更にポップスの世界で大活躍、マイケル・ジャケソン等大スターと仕事をし、世界のクインシ−になってしまった。
さて、このアルバムの録音された、あの頃に戻ろう。1958年、満を持してスエーデンに渡ったクインシーは、音楽活動に没頭。数々の演奏、録音と多忙を極め、そして当アルバムの発表。 ジャケ写はストックホルム・コンサート・ホールの正面玄関での写真である。
このアルバムは特に優れた作品であると、私は保障する。 メンツは全員スエーデン陣であり、楽団はHarry Arnoldから借りた事になるが、Ake Persson, Arne Domnerus, Bengt Halbergなど同国のトップクラスが勢揃い。 通常、ビッグバンド・アルバムは聴けば元気いっぱいに、音がこれでもかと流れて来る。所がこの作品、キラビやかと思えば、いたって大人しく、ガツンと来たかと思えば、ソフトな小編成かと思わせる音色、これぞ緩急自在の音楽で、作者が非常に精神的にも充実していたのであろうと推測できる。 この中のA−2「Midnight sun never set」はアルトサックスのドムネラスの音色で、ビックバンド嫌いの方々でも、一度聴いたら忘れられない上品さ。夏のスエーデンならではのタイトルで、白夜に人々が楽しみ、そして去る夏を惜しむ風景が偲ばれる。 B−3「Meet Benny Bailey」などは、ベニー・ベイリー好きな方々なら感動なくして聴く事は出来まい。 なにしろ、この作品がリリースされ演奏会が開かれた時に、この曲のタイトルは一体なんだと現地の記者に聞かれた時、彼は我々の気持ちなど全く理解してないと怒って記者会見の席を立ったという話もあるほどの、思い入れだったらしい。即ち、ベニー・ベイリーを失ったのはアメリカに取って損失だという意味で、当時のアメリカの楽団のリーダー達から渡欧を惜しむ声が高かったのだ。下らない質問などするなと。
スエーデンに渡り、音楽家として尊敬もされ、クインシー本人も一時は永住を覚悟した事もあるので、スェーデンに滞在した事は彼の音楽人生に取って非常に有意義であった。 という当時に想いを馳せながら、このアルバムを聴くと、あの時代への郷愁が沸々と湧き上がる。素晴しき50年代のモダン・ジャズの時代よ。 ため息が出てしまうような音楽もあるのだ。
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