HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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2016/11/15

昨日に続き、きょうは年配の仲良しが、福島の実家から送ってきたからお裾分けだと、柿を袋に入れて届けてくれた。
大きさも一見富有柿のような大きなものだが、へその周囲が膨らんでいる見た事のない柿である。
甘ガキだというのだが、福島県の柿に甘柿がないはずだとで調べてみたら、どうも「見知らず柿」という種類で、渋抜きをするものらしい。

なんだ、柔らかい柿なのか、と試しにいただいてみると、あらま!
非常に甘く、しかもサクサクした歯ごたえもあり、しっかりしてなかなかの美味しさ。
水水しさがあって、立派な柿。

柿が好きだから大体はわかっているつもりだったが、知らない柿もあるものだ。
知らない柿だから、「見知らず柿」か?

2016/11/14

友人が家の庭で生った、今年最後のものだと3つばかり持って来てくれた。
見れば富有柿。
手入れをしたわけではなさそうで、やや富有柿にしては小ぶりだが、美味しくいただいた。
11月だからもう柿の季節も終わりか。
友人も年齢を取ってきたせいか、風流になり季節のことを盛んに話をするようになった。

秋も行くなあ。

DEREK BAILEY “SOLO GUITAR” INCUS
2016/11/13

DEREK BAILEY “SOLO GUITAR” INCUS INCUS TWO (UK)

以前、ずっと前に書いた事があるが、探すことが出来ないほど昔の記事になってしまったので、もう一度、思い起こしながら書く事にする。
なにを書いたかちょっとは覚えている。

1971年のソロで、彼らしく、クールかつ緊張感漂う、最も特徴が良く出た作品で、アナーキーなレコードである。
ジャケットのアナーキーな振舞いに期待が裏切られる事は無く、舞台で壊されたであろうギターが積み重なったショッキングな写真が戦利品としてこれ見よがしに示されている。
その写真を観させられた一人の男が、立ち上がって去ってゆく2枚の写真が中央にどんと掲載されているのも、またマニアには愉快な事限りないのである。
音楽のアナキストの面目躍如である。
フリージャズの歴史的金字塔、いまやフリージャズ・クラシックとなってしまった名盤として燦然と輝く力作である。

さて、今回の入荷した物は、紺のラベルである。
このアルバムの初期は、水色のラベルと紺のラベルが存在し、どちらがオリジナルだと自信のあるコレクターは大騒ぎである。
水色の方がDECCAでプレスした様子が伺えるが、紺ラベルはPYEのような気がする。
水色は風格があり古さを醸し出していて、見た感じはこちらにしたいが、何しろ、エバン・パーカー本人が紺色と言ったと言うので、これまた混乱する。
そもそも音楽家はどれが最初のプレスか等、当時 殆ど興味を示していないもので、むしろ契約にのみ注意を注いでいたはずである。あのBARRE PHILLIPSでさえ、JOURNAL VIOLONEのOPUS 1とは契約を結んだが、MUSIC MANNとの事は知らないと言っているのである。
そのあたりは音楽家には興味のない点かもしれないので、参考にする程度で良いかも知れない。
但し、無視をするのもいかが、という事である。

いずれにせよ珍しいので、どちらも持っていれば良い事である。
しかも、ジャケットも2種類あって、コーティングが有るものと、無いものの2種類ある。
はてさて!
いずれにせよ、大変な珍盤である。
どちらかで白黒をつけるのもどうかな?というところである。

DAVID SANBORN “HEART TO HEART”
2016/11/09

DAVID SANBORN “HEART TO HEART” WARNER (USA)

フュージョン人気と相俟って大人気のデヴィット・サンボーン、すっかりジャズ・ファンからは遠い人になった感がある。
それで、この人のレコードが店に入荷しても、2・3の作品を除き、最後は100円コーナーに納まるくらいである。
私も、まあ、そんなものかなあと思ってもいる。

しかし、そんな彼の作品のなかで、この一曲は別格といえる一曲があって、それを書きたいが為このアルバムが入荷してくるのを待っていたのである。
むさくるしい濃い顔の男のジャケットである。
捨てる神あれば、拾う神ありというがごとし。

このアルバムは基本的に、フュージョンである。
さて、それなのに、この一曲とはA面2曲目の「SHORT VISIT」。
全体フュージョンの中で、この一曲だけは只ならぬ雰囲気が漂う作品。
後ろのライナーを良く見ると、アレンジがギル・エバンス。おっ! 友情出演か?
やっぱりそうかと針を下ろすと、期待を裏切らないギル・サウンドが流れてくる。そして、全編にわたって見事なソロを展開するのは、この主人公のデヴィットザンボーンなのである。
音楽性高いギルのバンドを向こうに廻し、堂々たる演奏ぶり。
実に痛快なジャズを知りつくしたジャズメンを感じさせる、立派なソロである。

この曲はギルの十八番でもあり、別のLP 「Priestess」の中でも聴く事が出来る。
それぞれのアルバムにおいてノリの良さと楽しさはある。
しかし、当アルバムのこの一曲は、ギル・エバンスの作品の中に於いても、上位に来る力作なのである。

ギル好きには今更の釈迦に説法かもしれないが、知らない人は覚えてね。

JOHN LEWIS-BILL PERKINS “GRAND ENCOUNTER”
2016/11/08

JOHN LEWIS-BILL PERKINS “GRAND ENCOUNTER” PACIFIC JAZZ PJ1217 (USA)

私の好きな一枚。
ジャケットの中央部分のタイトルが「GRAND ENCOUNTER」となっている。
しかし、下方には「2°EAST 3°WEST」となっており、裏ジャケのタイトルも、また盤のラベルのタイトルもそのようになっているので、どちらが正式なのか、私も今でも毎回入力する時には「?」という気持ちになる。

「2°EAST−3°WEST」というのは、B−1で演奏されている曲でもあり、作曲がJOHN LEWIS本人である。日本語にすると「東経2度西経3度」という事である。
という事はイギリス周辺の二つの経線に挟まれた国の事を差しているのだろうか?或いは彼のルーツでもあるかもしれないアフリかのある国を指しているのかと考えてしまったが、良く分からなかった
だが通常言われている通り、東海岸から2人、西海岸から3人の「大邂逅」という事だという。
英語のネットの情報でも同様であった。それにしても意味深なタイトルである。
しかし、面白い題名をつけるものである。

ジャケットのデザインは美人の白人の女の子が草むらに寝転んで、本を読んでいたところである。
来ていたワンピースも素敵な色合いである。アメリカの金持ちの家の御嬢さんという所か。
GRAND ENCOUNTERというタイトルと女の子の関連は私には良く分からないが、ほのぼのとした感じが伝わってくる、良いジャケットである。

音楽は一言で言うと、「ジャズの柑橘系」とも言える、爽やかな香りが立つ素敵なサウンド。
爽やかなサウンドの作品は数あれど、ここまで上品さを兼ね備えた作品が他にあろうか。
BILL PERKINSのテナーも爽やかな音色で芝生の上をそよそよと吹いてくる風の心地よさとでも言おうか、近くの植えてある木々のそよぎも聴こえて来そうである。
更にこの作品で感心させられるのは、JOHN LEWISのピアノの上品さ。
トリオ演奏でも、例えようのない美しさを示し、淡々と、しかも決して崩れる事のない姿勢が感じられる。
更に、JIM HALLのギターの頃良い風合い。

正に名人芸のジャズがここにある。
私は「柑橘系ジャズ」の見本だといいたい。



ねずみ
2016/11/07

今朝、歌舞伎町横のゴールデン街の遊歩道を歩いていると、いつもの猫がじっと動かない、私がそばに行っても動こうとしない。
そうしたら何の事はなくて、近くにリスか?いや鼠。
それなのに、じっと見つめているだけ。
一向に襲う気配も無い。
鼠のほうもなんだかのんびりと餌を漁っている様子。
野良猫なのだからもっと貪欲かと思いきや、人様に餌を貰って生きている故か意外におっとりしたものである。

私もすばやくは操作出来ないスマホを取出し、写真に収めた。
私が撮れる位だから、よほどの鈍間である。

写真はネズミ、決してリスではない。
でも、なんだか可愛い。
猫もそう思っていたのだろうか?


(ねずみ)        (当ねこ、だが昨日の撮影)

粟まんじゅう、栗まんじゅう。
2016/11/06

今日は朝早く出社して、オーダーやメールに対応して、11時になったところで、昼の弁当を買いに伊勢丹に行った。
それで、いつもの好物の「神田 志の田寿司」のお稲荷さんを購入。
そこでブラブラしていたら、鮮やかな手つきで、サッサ、サッサと黄色の穀類を集めて万頭を作っているオジサンの手際に見とれて感心していたら、試食を薦められた。
粟(あわ)万頭だという。
私は試食をしたら買わなくては悪い気になって、つい買ってしまう。
デパートの店員さんの良い餌食である、
それで、つい万頭を購入。
私は、どんな仕事でもこういう職人さんの手際のよい仕事を見るのが大好きなの。
混んでいたのに、オジサンがわざわざ仕事の手を休めてカウンターまで出て来て、御礼を言われてしまった。

店は「小池菓子舗」というまんじゅう屋で、福島県の柳津町という只見の辺りらしい。
ネットで調べたら、猫の版画で人気の作家 斎藤清の関係の町だと、美術館もある。
今度、行きたいなあ。

粟(あわ)の素朴な味わいをそのままに、あんこも甘すぎずシンプルなもので、それだけにいくつでも食べられそう。
一緒の買った栗が入ったまんじゅうも、素朴な茶色の万頭で、作っている人の良心を思わせる良い出来。
いや、どちらも美味しい万頭であった。

うまい!美味すぎる! 
  (あれ?これは十万石のキャッチか)


まんじゅう屋さん
http://koike-manjyu.com/index.html

CANNONBALL ADDERLEY “PLAYS BOSA NOVA”
2016/11/04

CANNONBALL ADDERLEY “PLAYS BOSA NOVA” EIVERSIDE DDL99990 (HOLLAND)

暫らくぶりの入荷である。
10年前なら、よくオランダのレコード屋でも見つけたし、結構入荷はした。
それが、今はほとんど見つかる事がなくなった。
思えば60年ちかくも昔のレコードだもの。

このアルバムは、オリジナルは米国のRIVERSIDE(RM455)リオの海岸と岩の写真のジャケットである。
それがオランダで発売する事になり、独自のデザインにした。
それが、なんという事でしょう、女の子3人組みがプラカードを肩に掛けタセクシーな雰囲気。
左の子が「CAN」ちゃん。
真ん中の子が「NON」ちゃん。
右の子が「BALL」ちゃん。
あたし達、「3人合わせてCANONNBALLで〜す」と言うような感じかな?
と言っても良く見ると、長袖のシャツの袖が写っていたりして意外に普通。ただ素敵な長い足はしっかり見せてくれているのが、なんとも嬉しい。
ちょっとだけセクシーな所が、オジサンの大好きなジャケットである。
米国盤より、断然こっちの方が良い。
そうそう、ついでに、この頃オランダで彼のレコードをEP3枚にした物もあり、その写真も彼女達でこちらも負けずにセクシーである。

音楽?
なんだっけ、当時のブラジルの代表的ジャズ・グループの「BOSSA RIO SEXTET」をバックに録音したものだが、このバンドはセルジオ・メンデスが仕切っていたようだ。
録音はリオかと思ったのだが、ニューヨーク録音だった。

それにしても、音楽はなかなかバリッとして、颯爽たるものがある。
名盤である。

CHET BAKER “IN NEW YORK”
2016/11/03

CHET BAKER “IN NEW YORK” RIVERSIDE 12-281 (USA)

良い音楽のアルバム入荷。
音楽を聴き、ジャケットをチェックし、値段を付けながら、こういうのが良い音楽と言えば良いのかなあ、と暫しお茶を入れて一服。

このアルバムはリバーサイドと契約したはかりの頃の58年の録音で、この年の録音で聴く事ができる演奏はどれも溌剌として出来が良い。若さも明るさも出ている。希望に満ち溢れた様子が伝わってくる。
人生の良い時である。
ここでも、3曲はワンホ−ン・カルテットで存分に素敵なトランペットの音色を聴かせ、またそこにジョニーグリフィンを加えたクインテットで、より一層なハードバップ色を強めた演奏をしている。
実に聴き応えある演奏で、これが観客へのサービスが満点なのである。
更にいえば、ピアノのAL HAIG(アル・ヘイグ)、が参加したのもまた特記すべき点である。なぜならアルヘイグはこの時期すでにほとんど仕事をしていなくて、57年には録音の記録がなく、58年はこれのみ、その後65年のMINT盤ひとつ、その後は74年のスポットライト・レーベルまで待たねばならない。
その意味でも、ここでヘイグの頑張っている姿は貴重なのである。
まあ、それもニューヨークのジャズのひとつのシーンでもあるわけだ。

2曲目のPOLKA DOTS AND MOONBEAMSを聴きながら。
チェットの音色はいいなあと、心が和んだ。
何しろ、普通なんだね。

人間、普通が一番。
だけど、普通が一番難しいんだな。

吉祥寺で見かけた
2016/11/02

コーヒー屋で、店員さんから吉祥寺の方にお住まいではありませんか?
と言われた。時々、店で見かけたという。
だが私はここの所吉祥寺には殆ど行かないので、私ではないと答えたものの、ふと考えると、20代の頃に住んでいた自分がもう一人、ひょっとするとそのまま住んでいたのかもしれないと思ったりする。

吉祥寺は気に入っていた街で、村上春樹の昔の本の中に出てくる生活を連想させるような生活だった。
って、村上春樹の本は誰が読んでも、自分がモデルだと思うんだな。モトエ。

それで、当時の彼女とか、悪い兄貴とか、遊び仲間などと別れたくなかったからそのまま、もう一人の自分が居着いてしまったのかもしれない。
浮気者の彼女、バイトに明け暮れ、遊びに明け暮れ、ジャズを聴いて、本ばかり読んでいた吉祥寺の暮らし。
正に貧乏だったが、あらゆるものに飢えていた、あの頃。
それでも幸せだった。
そのままもう一人の自分が居着いてしまっているのかもしれない。

何だか、出来の悪いアメリカ映画のような話になってしまった。
だが、私は喫茶店好きだから、分身も時々出没しているのだろうか。

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