HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ツイーターを足す
2016/07/19

家で、暇があれば毎日のように眺めている雑誌ステレオ・サウンドの別冊。
スピーカーの特集版。

そのスピーカーの記事の所で、歴史的名器エレクトロボイスの「パトリシアン」が載っていて、そこを読んでいると面白い事が書かれている。
高域部分のユニットが、ドライバーとコーンのを、二つ付けてあるのだ。
ここを何度も読んだ。何度も。
なぜツイーターを種類を変えて二つ付けるのか?
それも紙と金属と。
実に素人臭い発想ではないか?

これを友人に話したら、「昔ね、評論家の山中さんがね、ツイータに金属のと紙のを二つ付けた事は、普通は有り得ないが、凄いことだと」感心したという話をしてくれた。
開発担当者が音楽マニアで、耳で聴いて、聴いて、突き詰めた結果ではないかと。
確かに素人臭いが、気が遠くなるような凄いことだと。

たしかに、金属の音と、紙の音はちょっと異なる。互いの長所で補うという考え方は良いなあ。
じゃあ、ウチもドライバーにコーンのツイーターを付けて見ようと言う話になった。
それは一年も前の事だが。
それがようやく、友人がお気に入りのコーン紙のツイーターが出て来た、これは良いぞと、ようやくセットになったと、嬉しそうに持って来てくれた。

それで、高音部に並列につなげてみた。
それがなんと、意外や意外、なかなかの出来前。
高音はあまり上げ過ぎないようにし、僅かに鳴っている程度にする。
しかし、明るさも出るし、伸びが出て良い。
しばらく2時間も聴くと、音もなじんだかスピーカー全体に一体感も出てきた。
そうして聴いていると、低音部まで余裕を持って音が出るようになったのが不思議である。

しばらくこのままで行こう。

アメリカに仕入で行っていた
2016/07/18

出張から帰って来た仕入部長。
今回の目的地はアメリカ大陸。

それで、現地で知り合った日本人のコレクターと仲良くなり、家に招かれ、そこにずうっといさせてもらい食事も昼と夜も頂いていたらしい。
異国の地で、人情に触れた事がよほど嬉しかったようだ。
なんとも迷惑をお掛けしてしまったが、有り難い事である。

おまけに、帰りに店の親父が甘党だと話してしまったので、それではと、いっぱい甘いものを持たせてくれ、特に、大好物の「ピーナツ・バター」も下さった。
なんという優しい方だったのだろう。
感謝の念に堪えない。
かつての日本人の「ギブミー・チョコレート」の心境である。

去年ロサンゼルスで買って来た、エレファントとかいうメーカーのピーナツ・バターが終わってしまっていて、さて、どうしようかと思っていた所だったので、オジサン、ウフッ!
毎朝、パンにピーナツ・バターを山盛りだぜ。

都知事選挙
2016/07/17

今回の都知事選。
真っ先に小池百合子が立ったが、石原の機嫌を損ねたらしく、わざわざこれ見よがしに無視をし、岩手県知事の増田氏を自民公明推薦にした。
この自民党の女々しさに、私など腹が立って仕方がない。
自民党がこれほどの不人情かつ、ちまちました小さい人間の集団だと思わなかった。
増田氏の放送を聴いていると、親に立たせてもらった出来の悪いガキのような体である。おまけに彼は外国人参政権に賛同しているらしいね。

そこに立候補した宇都宮氏だが、参議院同様野合になった共産党は、己の意志もなく、宇都宮氏を無視、彼はやむを得ず引く事になった。これまた人情のかけらもない政党だ。
そこでサヨク連合の代表は鳥越氏。
76歳過ぎた、政治家でもない只のサヨクの評論家。
これでも良いのかな?
ネットのYAHOOニュース。
会見で好感度を上げた鳥越さん、というタイトルである。
その内容は 「参院選の結果が出て2日たった7月12日。各局ワイドショウが始まったちょうどその時間、鳥越俊太郎さんの都知事選出馬会見が始まった。 誰が都知事になるかは皆目見当がつかないが、この日の「会見」で鳥越さんの好感度が一段と上がった気がする。」と、マスコミはべたホメの内容。
そんなに好感度かと、友人が教えてくれた記者会見の模様が映った「YOUTUBE」を見ると、なんと。。。。
「私は昭和十五年の生まれで終戦が二十歳でした」だという。
ヘンじゃない?
これが好感度の秘密か?
なるほどなあ、サヨクの候補者ならだれでも好感度なのね。

都知事選が決まり、さっと一人で立ち上がった小池百合子は、ついに自民党からの推薦もない。
更に、小池百合子を応援したヤツは処罰の対象だと。
前々から小粒だと思っていた石原伸晃はじめ小粒の自民党に開いた口がふさがらない。
そんな中、毅然と政治生命を掛けた小池の女ぶりが光る。
彼女は、都知事になったら議会解散といい、また東京都の自民のドンを敵に廻した、なんという男らしい人なのだろうと、私は驚いた。
これこそ、男の中の男。??

今回だけは、都民の政治センスも人情も見たいものだ。

通販リストの更新
2016/07/14

通販リストの更新

リスト掲載予定のレコードが届いていないため、明日の更新は行いません。
明日には準備が整います。

従いまして、16日のアップは出来ると思います。
よろしくお願いいたします。


2016/07/12

昼、そば屋に行き店に入ろうと思いながら、ふと見ると、梨の実が育っていた。
まだプラムのような大きさながら、ふたつ。
鉢植えにもこうして実がなるんだなあ。

女将に訊いたら、袋を掛けようかと思案しているのだが、袋などかけてしまうと却って目立ってしまい、酔っ払いに取られてしまうかもしれないと、心配をしていた。
そうかもしれないなあ。

強制アップデート
2016/07/11

なんとウチのパソコン、ウインドウズが勝手に「10」になろうとして、アップデートが始まってしまった。
慌てて、電源切った。
こんな事が3回ほど。

おい、マイクロソフト! 勝手にアップグレードするな!
そもそも他人のパソコンに入り込んで勝手にアップグレードしてあげますって、プライバシーの侵害だ。
こんなヤクザに罰則はないのか?

いい加減にしろよ!

仕事
2016/07/10

当店の仕入部長が、買付に出かけたので、これから1週間また一人で店番。
出掛けた人も疲れるけど、残った人もまた疲れる。

もう一人づつでもいれば、ずいぶんと楽になりそうではある。
しかし、ウチのような小さな店はそれも出来ない。
大変だなあ。

でも、仕事というものは大変だと思えば大変だが、楽しいと思えばこれはまた生きがいにもなる。
心の持ちようでどうにでも変わる。
せっかくだから楽しくしよう。

須田国太郎の絵
2016/07/09

私が持っている絵の中で、何と言っていいか分からない絵が一枚ある。
それは写真の一枚なのだが、作者は「須田国太郎」という。
一応、日本の油絵の世界では巨匠であり、京都の国立近代美術館には多くの作品が所蔵されている。

私は2枚の絵を持っていて、一枚は油絵で「バラ」。
もう一枚は、この「カラス」と思われる絵である。

既に亡くなってしまった義父の話によると、旧国鉄の人事課長だった頃、1950年ころだと思うのだが「須田寛」という京都大学を卒業した青年を採用した。
それで、ある日、尋ねて来た方がいて、その方が須田寛の父親で「須田国太郎」という画家であった。
「私の息子を良くぞ採用してくれました、御礼に花でもと思いましたが、あいにくなので、代わりに絵を書いて参りました」と絵を差し出された。
花を買えないから絵を書いたと解釈もでき、大した値段でもなさそうでもあるし、公務員として良くはないが、わざわざ追い返すのも味気ないし、せっかくなので有り難く頂戴した。
持って帰り書斎の壁に飾った。
所がその後、須田国太郎はあれよあれよ、と言う間に売れ出した。
よって我が家においても、急に格を上げ、これは立派な作品だと家宝にし、飾る場所も応接間に格上げされた。

それから何十年、国鉄は民営化となり、息子さんの寛氏は、なんとJR東海の初代社長となられた。
さて、義父も亡くなり、私が会社を辞めるちょっと前の事、会社に義父の運転手だった奥村という男が訪ねて来た。
勝手知ったる会社とばかりに、つかつかといきなり私の机の所に来て、ちょっと話があると。
じゃ、外に出てという事になり、お茶を飲みながら聴いた話。

「お宅に須田国太郎の絵が有りますよね」
「バラのね」
彼は違うとばかりに首を横に振りながら、
「私の言いたい事は、バラの油絵ではありません」
「はあ?」
「はい、日本画のカラスのような下手くそな絵の方です」
「確かにあるが、なんで、あんたが知っているの?」
「実は、お父さまが、バラの絵を頂いてから、それでは悪いので、一枚はお金を払って買ってあげないといけないと言うので、当時個展に行きあのカラスの絵を買ったそうです。」
「親父にも良いところがあったんだね」
「はい、その後画伯は有名になり、東京のデパートでも展覧会がありました。確か小田急百貨店か高島屋だったと思いますが、私が運転してお供したのです。」
そう言えば奥村はどこにでも着いて行き、温泉にも泊まりに一緒に行っていた。
さて、本題。
「展覧会会場に着くと、画伯が寄って来て言うには、一度お買い上げ頂いたあの絵をお返しいただきたい、決して損はさせませんというのです。只とは申しません、ここにある、どんな絵と交換しても良いので、是非お願いしたいと言われました。
私はこれは良いお話だと思いましたが、何とお父様は、いやだと答えたのです。画伯も意外な返事に困り果てましたが、とにかく両方とも譲らず、話はこじれてしまったのです。そのまま不機嫌になって帰ってきたのです」
「.....」
「私が思いますが、あの時の話から考えますと、あれはどんな絵よりも高額だという事になりますよね。」
「うーん」
「ですから、大事にして下さい。」と他人の家の持物までなんでも知っている、昔の運転手の話にあっけに取られ、味があるが下手くそとも思える絵を想像している私を残して、帰って行ったのである。

その後、テレビの「なんでも鑑定団」を見る度に、私はいつもこの絵の事を思い出してしまうのであった。

坂本 九 “SUKIYAKI”
2016/07/08

坂本 九 “SUKIYAKI” HIS MASTERs VOICE CLP1674 (ENGLAND)

なんと歌謡曲のアルバムの入荷。
坂本九の大ヒット曲、「上を向いて歩こう」収録の英国で発売されたLP盤である。
このジャケットを見ている内に欲しくなって自分で買おうと思ったのだが、しかし、それではいけないと思い直し、店頭に飾る事にした。
何しろ、私が中学生の頃からラジオ、テレビで、いやというほど耳にし、また口ずさんだ曲であり、友達が少なかった孤独のわが青春の想い出と共に、懐かしくて涙が出て来そうになる。

おまけに「上を向いて歩こう」は日本の歌謡曲史上、たった一度だけの全米大ヒットなのである。
この曲は、1961年に日本で発売になり、翌々年63年、アメリカ本土上陸を果たし、あの芸に厳しいアメリカに置いてヒット、ヒットの大ヒット。
なんとビルボードのみならず、キャッシュボックスの双方にて第1位に輝いたのである。
ここほどの偉業はその後、まったく無い、いや今後も無いと言われている。

私が東京に出て来た頃、知合った女の子が、
「ねえねえ、坂本九の上を向いて歩こう、って知っているでしょ」
「うん」
「アメリカで発売になったレコードに坂木九って、本が木になっているの知ってる?」
貧乏で日本盤はおろか、アメリカ盤など見た事も無い私は、当然、そんな詳細は知る由もない。
自慢のLPを見せてもらいながら、「坂木」となっているのを確認させてもらった。
勝ち誇ったような、その子の顔は今でも忘れない。
でも、その子はその後 理由は知らないが自殺してしまった。
可哀想な事をしたものである。モトエ。

という訳で、なんとなく懐かしいアルバム。
しかし、このアルバムの「上を向いて歩こう」は素晴らしいポップスなのに、他の曲は全くの日本の歌謡曲・宴会の曲ばかり、不思議なものである。
その中にあって、この一曲の出来は一体どういう事だったのだろうと、今でもこのLPを聴く度に、考える。
出だしのヴィブラフォンがなにか浮き立つ所があって、おやっと思わせる。
品があって、軽ろやかで、ちょっと淋しげなのに、しかも、楽しさもあって、なにより新しさがある。
終わりの方の口笛が、もう一度メロディーをなぞると、懐かしさが胸にあふれ、曲と離れがたい思いにさせられる、そしてまた、歌を聴かせてくれるという上手い仕掛け。
もう一度針を戻してしまうのである。
口笛は当時の若者の気持ちの代弁のような気もする。
私も好きな女の子の家の前を通るたにび、なぜか口笛を吹いたものだ。
しかし、素晴らしい音の進行である。
我々日本の若者がアメリカの歌を聴いて、意味も分からないのに感動していたと同じ事が、アメリカの少年たちが意味も解らぬ日本語に感じる物があったのだ。なんという感動であろうか。
しかも、宣伝することなくラジオや口コミだけでアメリカの若者の間でヒットしたのである。
凄い曲である。

かつて、嫌々、今でもまだ、この曲がテレビなどで取り上げられると必ず永六輔の作詞の事ばかりが取り上げられ、彼が「涙がおちてしまうから、上を向いてね,,,,」などという話がいやという程聞かされた。
テレビ局の人間は永六輔がよほど好きなのだろう。

しかし、私はあえて言うと、作曲が良かったからこそ、この作品はヒットしたのである。
曲調はちょっとジャズの雰囲気もあり、アメリカンポップスの臭いがプンプンした、実に60年代のティーンエージャーが好みそうな良い曲である。
センスが良いとはこの事で、日本人としては誇らしい一枚である。
日本の歌謡音楽史上における最高の一曲でもあるという事である。

後日、
これを書いた、3日後、作詞をした永六輔が亡くなったというニュースがあった。
ニュースを見たお客様から電話があり、せっかくだからとお買い求めになられた。
私が3日前に書かなければ、こうはならなかった。
これも何かの縁だねえ。

友人のブログから
2016/07/07

レコード盤で再生するとなぜ気持ちの良い音になるか?
という長年の疑問を研究している友人が最近、ちょっと閃く事があったというので、自身のブログに書いた。
そのまま、ちょっと端折って紹介したい。

 「普段チェロやピアノを心底趣味として楽しんでいる友人が電話で話した事。
・すべての楽器は 基音+倍音 の再現で成り立っている
・これは声楽でも同じで ボデーを震わせ、基音+倍音 で成り立っている
・上等な楽器は上等な音楽家のふるまい(コントロール)で基音+倍音.の表現がより発揮される
・注意点は歪やノイズなどの倍音も同時に出る
というものであった。

先日私が、ライブで聴いたクリスタルボウル楽器はボウルの内側を軽くこすり倍音成分を
表出させるというものであった。ところが、強くこすると倍音は出ない。
これは、LPレコードの再生環境がこれに類似していないか?
レコードには理論上 カッテイングは上限10000Hz〜18000Hzだが 良質な再生装置でプレイした場合。
例えば1万Hzだと上は2万・4万・・下は 500Hz・250Hz・・・と再現しているはずである。
この無限の再現は テープでは無理だしCDやハイレゾなどデジタル機器でも当然不可能であり、レコードには可能なことなのであろう。

シンプルだが凄いことである。」
という話。

ブログの主は・「RENOVhioki」というハンドルネームである。
プレイヤーを作ったり、スピーカーを作ったりしている面白い人である。

私が彼と一緒にいて、彼は本当にオーディオが好きなんだなあ、と思うのは、例えば実験と称して、何度もケーブルを付け替えたり、ハンダ付を何度繰り返しても、嫌そうなそぶりが一度もない。「私がやります」と70歳になるのに、淡々とこなして行く、その姿。
また、こんな古いスピーカー知らないかと言うと、家にあったよと奥の倉庫から出てくるのである、これぞオーディオ道の仙人と思わずにはいられないのである。

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