HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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活動写真で...
2016/03/17

残り少ない人生、昔の名作をもう一度読んでおこうと思い、時々古本屋の前を通りかかった時には本を購入する事にしている。
それで、読み始めた永井荷風の「墨東奇譚」にこんなことが書いてあった。
書き写そう。
「明治30年頃であろう。神田錦町にあった貸席錦輝館で、サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。活動写真という言葉のできたのは恐らくはその時分からであろう。」
なるほど明治30年に東京に活動写真すなわち映画館らしきものが貸席として営業を始めていたという事になる。
以後技術はどんどん進み、東京の人々が映画に夢中になっていた事が書かれている。
確かに、世界的にみても映画が金を取ってそれらしく形になったのもこの頃であるから、当時の東京の時代の進み方も尋常でなかった事になる。

しかし、当時の東京と地方の落差の大きさは信じがたいものがあった。
なぜなら私が生まれた長野の田舎で、子供の時分に祖母に訊いた話では、汽車が走るようになったのは明治の終わりだったと言うのだ。
それまでは江戸時代と全く変わりが無く、家の前を人々が往来していたという。
実家が中山道の街道沿いで旅籠を営んでいたので、明治になっても移動手段など生活もまた、ほとんど江戸時代のままだった事が伺える。まして、汽車が走った後も、汽車賃が高すぎるからと、しばらく街道を歩いて旅をする人が沢山いたという。大正になってもほぼそのままだったのである。
いや、戦後すぐまで地方は江戸時代だっといっても間違いではない。
人々は着物を着て、貧乏ぐらしの明け暮れであった事を考えると、都会では人々が豊かだったかどうかは不明ではあるにしても活動写真が出来るし、街並みも近代化が進みどんどん綺麗になって行った。
一体この落差はなんだったのか。

今、TVで盛んに言うところの「格差社会」などいうセリフが寒々しい。

しかし、子供の時には、シツコイと怒られても年寄の話を訊いておくものだ。
お蔭で、私は生まれていない時代の事もなぜか経験したかのように記憶にあるのだ。

スーパー成城石井
2016/03/16

京都のお客様からお土産で、「丹波黒しぼり豆」を頂く。
甘くなくて美味しい。
数を決めてから食べないと夕食が入らなくなってしまう恐れがあるほど、止まらない。
京都はどこの会社であろうかと袋の裏を見ると、成城石井となっていて、オジサンびっくり。
関西方面に成城石井がある事も知らなかったが、京都の豆を作っている事も驚いた。

成城石井は私の好きなスーパーマーケットであった。
何しろ東京の名店と言えば、紀伊国屋、明治屋、そして成城石井という東京の三大スーパーという事だったのであるが、それがバブルの頃、私が住んでいた青葉台に2号店オープン。
青葉台の住民は燃えた、なぜなら渋谷から30分も遠くにある青葉台もついに高級スーパーが出展する事になり、この街のステータスが上がったかと。
わたしもよく通った口である。
青葉台のマダム達も石井で買い物するのがステータスだと、毎日行きたい店になったのだが、当時、イトウヨーカ堂なら3,000円、東急百貨店なら7,000円、石井なら10,000円という予算を組まないといけないとこぼしていたのだ。
主力商品のワイン・洋酒・缶詰・オイル等々の輸入食品は考えて見れば当然として、石井特製のソーセージは当時既に大ヒット商品となったのだが、青葉台のマダム方に受けたのが魚の質の良さ。カツオなど百貨店で500円の時、石井は1,500円のが置いてありその美味しい事。
しかし、それより良かったのは実は牛肉で、当時は石井のみでしか買えない「前沢牛」というのがあり、米沢牛の半分の価格でそれより美味しいという評判になり、安価で高級品のような、これも青葉台マダムの間の人気商品であったのだ。
当時、石井には常務とよばれるオバサンがいて、この人がちょこちょこと売り場に来ては気さくに客に声を掛けたりして人気者。
客が京都のなんとかいう漬物が欲しいと言えば、その足で京都まで漬物を買いに行き、ちょっとでも仕入れて並べると言う根性が入った人。店員のオバサンもまた親切な接客で、買い物がエンターテイメントになっていた。
それを意気に感じて客もまた応援する気持ちで石井に通うと言う最高の関係が出来上がったのである。
常務というオバサンと、店員のオバサンと客のオバサンの三つ巴により成り立ったのだな。

しかし、石井の気が狂ったかのような急激な店舗展開に始まり、2000年に入ってからの牛角による買収で、前沢牛狙いかという噂も立った。
その後ローソンの買収劇となり、石井のイメージも最早これまでという感じになった。我々レコードマニア的発想で言うならば、ここまでがオリジナル・プレスで、この後はセカンド・プレスとでも言おうか。
不景気で格差社会で徐々にお金に糸目を付けないマダム達も減少し、青葉台も落ち着いた街になった。
私もたまに、後楽園にある成城石井などに行ってみるが、ワインばかりを並べ宣伝している。
世の中は変わるんだねえ。

FRANK WESS “OPUS DE BLUES”
2016/03/14

FRANK WESS “OPUS DE BLUES” SAVOY SST-13009

今回のはキングレコード (K18P9347)から発売された、日本盤である。
ジャケット・デザインが焼跡派といえる荒いタッチの街の絵で、浮世絵ではないが、近景を大きく取りトランペットやらサックスを持った手などが、デフォルメされている。
中々の社会性を強調されたナイス・ジャケットである。
崩れた壁の間から、ブルージーな雰囲気が伝わってくる。
音楽もなかなかどうして、未発売で終わるようなものではない。

ここらへんは音楽産業の辛いところで、良いから売れるという物ではなかったという所か。
それを後から発掘する事もまた、レコード・コレクターの楽しみでもある。

ところで、このアルバムは、かつてSAVOYで録音され、番号が12142と振られたのだが、発売に至らなかったものだと。
それが84年になってSAVOYの新シリーズの中で、I HEAR YA TOLKING として発売され、日本では OPUS DE BLUES
としてリリースしたものである。
アメリカのジャケットが如何にも、といった力の入っていないジャケットなので、断然日本側の勝ちという様相である。
これに関しては、日本盤で良さそうでもある。

なかなかエエよ。

デパートのお気に入りの...
2016/03/13

新宿小田急百貨店の食料品売り場に行き、いつものおにぎり屋と和菓子屋さんでお昼を買おうとしたところ、なんと両方とも店が消えている。
売り場が変わったのかと思い、きょろきょろしたが無い。
オカシイのが私の贔屓の2店だけが消滅している点にもある。
今まで、おにぎり屋さんも結構賑わっていて、ごはんに目刺しが頭から突っ込んである「おにぎり」も面白いらしくテレビでも紹介されていたくらいだ。
和菓子屋も今時珍しく安価であり、結構ジジババが好んで並んでいたのだ。

他の売り場の店は依然として残っているのに、私の好きな店だけが消滅という事は、小田急は私にもう来るなと言うことだろうか、としばし考える。

思えば、昔から、私が気に入っている店は、必ず消えるという運命にあるような気がする。
子供が小さかった頃、「パパの好きな店って、直ぐに潰れるね」と言われた事が時々あった。
妻にも言われた事がある。
知合いに紹介した店も、そうなるようで、時々指摘された。

そうそう、そういえばお気に入りだったロースト・ビーフのハーフダイムという、北海道に本拠地がある店も、1と月前に麻布から消えたなあ。
リーズナブルの良い店だったけどなあ。

そうなると、私は巷の評価の低い店ばかりを好んでいたのかと、尋常な人間では無かったのだろうか、と自信が無くなった。

忘れないうちに
2016/03/12

忘れないうちに書いておこう。

一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー」。
あそこはジャズ・オ−ディオマニアなら一度は行かなければならない店である。
といいながら、私は一度しか行ったことがないが。

行ったのは、何年も前のことでもあるが、店内に入って驚いたこと。
スピーカーの前に向かって席に座る。
そして何か落ち着かない、よく周囲を見渡すと、その天井の著しく低い事。
これでは鳴らないんじゃないかと思うのだが、それにもかかわらず、このスピード感はなんだと。
音の好き不好きは人それぞれ、勝手に言えばいい。
しかし、他で経験したことのないスピード感のある音。
これは、どこかで音をひっぱっていなければ、こうはならない。

それで、帰りがけに、この時とばかりに室内をきょろきょろと見渡して、私はふと気がついた、ここはバックロード・ホーンの中なのではないかと。
建物が大きな箱になっていて、そのなかにスピーカーを基点とするバックロード・ホーンにしてある。
ただ、ここは音が後ろに向かって出てくるような感じではある。

故にスピーカーの付近の天井の低さがあるのだと。
細い筒の中は流れのスピードが速いはずだから。

こういう考えで室内と作って来た人の発想は尋常ではない。
もはやオーディオ・マニアではない。

という話。
何年も書こうと思いながら、パソコンに向かうと忘れてしまうんだな。

音が違う
2016/03/11

オーディオ仲間から電話が来た。

譲ったスピーカーを運び込、その家で試聴になった。
それでビートルズやら、なにやら聴いていて気がついたと。
それは、良い音楽のレコードは装置が良くなった事が如実に音に出るが、つまらない音楽は、まったく変化がなかったという。
そういうものかと理解したという。
仲間もオーディオに人生を捧げたような人なので、時々、えっ?と思うような事をいう。

聴くこちら側の耳の開け方が違うのかもしれないか、それともレコードを制作する会社の力が入っていないせいなのかどうか、良くは分からないが、そういうものかもしれない、と私もなんとなく理解る気がする。
それがオーディオの大切なところかもしれない。

保育園落ちた...
2016/03/10

保育園落ちた、日本死ね。

テレビを見ていると、国会の場でも、こんな事を取り上げている。
民主党議員もここぞとばかりに政府自民党を攻撃。
テレビでも、もっぱら政府が悪いという論調になっている。
オジサンは驚いてしまった。
まず、誰が書いたかもわからないネットの書き込みに信頼性がないことは社会の常識。
それをいきなり国会の場に取り上げた人の正義感を疑う。
また、マスコミも。

でもな、「日本死ね」という言葉は使わないとおもうのだ。
一人の子供が保育園に入れなかったから、日本が死ななければいけないという論調に、違和感があるなあ。
全文もテレビで紹介されていたのだが、その日本語の汚いこと。
言葉使いの汚いオジサンも、思わずこれは「ひどい」とうなってしまったひどさ。

問題にする前に、日本語を問題にして欲しかったな。
そういえば私の経験でいうと、サヨクの女はなぜか言葉が悪いものだった事を思い出してしまった。
まずは日本語を直してからやろうね。

スピーカーのこと
2016/03/09

雑誌、ステレオ・サウンドの別冊「歴代名スピーカー」にこんな事がかかれていた。

映画館はあくまでも人の声の再生がメイン。だから中域を基点に高低両音域へレスポンスを広げていく。
それに対しコーナーホーン型システムが決定づけたホームオーディオの基点は低音である。基音帯域をまずしっかり固め、その上に倍音を載せていく。これが音楽再生のセオリーであって、音づくりの基本的な考え方。

これは1950年代の話であるが、なにかとても重要な事のような気がする。
もちろん中域ありきでも良いわけだが、音楽を鑑賞するという事の基本はそういう事なのかなと最近特に思う。

JOE SULLIVAN “MR.PIANO MAN”
2016/03/08

JOE SULLIVAN “MR.PIANO MAN” DOWN HOME ECORDS MG D-2 (USA)

昨日に続き、良いジャケ写繋がりで....

ちょっと珍しいアルバム。
レーベル名はDOWN HOMEというのだが、VERVE系のトラディッショナル用のレーベルで数枚発売されているようで、このアルバムも後に、やはりというかVERVE(1002)として発売された。

ジョー・サリバンは1906年生まれのピアニスト。
スイング・スタイルの位置にいようか、古いスタイルであるが達者なピアニストである。
その彼のピアノ・ソロ作である。
達者なだけにピアノマンとは大絶賛のネーミングである。

これは、なによりジャケットが素晴らしい。
デビット・ストーン・マーティンのデザイン画であるが、額の汗を腕で拭っているのか、考え事をしているのか、右手は近景にクローズアップされ、髪の毛の渦巻きも大胆である。
シャツの柄だけ赤く色づけし、これまた渦巻きである。
この絵の特徴は、とにかく大胆な構図であることであり、大迫力である。
彼の絵の中でトップ・クラスの出来である事は間違いない。
説明するより写真を見て頂いた方が、説得力がある。

しかし、何度見ても、凄い絵だなあ。

LU WATTERS YERBA BUENA JAZZ BAND
2016/03/07

LU WATTERS YERBA BUENA JAZZ BAND “SAN FRANCISCO STYLE vol.1 〜3”
GOOD TIME JAZZ L-12001, 12002, 12003 (USA)

今回の入荷は、デキシーの作品それも3枚一遍に。
軽く見逃そうとしたのだが、ジャケットの写真に目に入ってしまった。
なんと素敵な写真であろうか。
LU WATTERS はデキシーランド・ジャズの復興に寄与した人で、西海岸などでも人気が上がった。
西海岸において盛んにデキシーのジャズ・フェスもあったようで、その内に彼らの音楽は、特殊だという事でサンフランシスコ・スタイルと呼ばれたという。

3枚組の作品らしく、2枚目のラベルはSIDE3・4となっていて、3枚目はSIDE5・6である。
それで、しみじみジャケットを眺めているとサンフランシスコの街の絵ハガキのようなショットなのだが、もちろん、ジャケットにしてみんなに見てもらわなければならからそれで良い。
しかし、この街が躍動しているような見事なケーブルカー、坂道が真っ直ぐに続く上空からみた街並み、そして誰が見ても納得するゴールデンブリッジと3枚の写真。
これぞサンフランシスコと言える堂々たる写真のジャケットである。
写真を撮った人は、FRED LYONという、サンフランシスコのポートレイト写真を言われる、カメラマンである。
この街を題材にした写真が五万とある。
となれば、外すはずがないわな。
3枚揃えて壁に飾りたい。

ところで、このGOODTIMEというレーベル、よく見ると住所がコンテンプラリー・レーベルと同じ、という事は別レーベルにしたわけだ。
裏ジャケの造りも、色つきの四角の枠になっているところなど、まさにコンテンポラリーである。

面白いアルバムだ。

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