HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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MILLI VERNON “INTRODUCING” STORYVILLE
2015/10/26

MILLI VERNON “INTRODUCING” STORYVILLE STLP910 (USA)

このアルバムは大変に珍しい。
レーベルがストリービルという1952年から始まったボストンのローカルのクラブ兼レーベル。
ボストン故にか、発売枚数も少なく、今となってはどれも幻の名盤である。
その中にあって、ミリー・バーノンのアルバムはトップクラスのレア度。
きっと当時はあまり売れなかったのだろう。

それが、いつだったか、作家の向田邦子の愛聴盤がこれだという話が出て、ミリー・バーノンも知らないジャズのマニアも競って探したのである。
考えれば、ジャズの通でもない作家の好みなど、どうでもよいのだがそれが看過できない事があって、それは我々のほぼ知らない歌手だったからである。
俺たちの知らない歌手を然も通ぶって選択するとは何たる侮辱か。
そう言えばいつぞや、石原裕次郎が好きな歌手と訊かれて、TINE LOUISE(ティナ・ルイス)だと答えたので、これもまたジャズ・マニアの我々には縁のない歌手だったので、大騒ぎになった。
まあ、そんなものである。
確かに聴けば、どちらも魅力たっぷりで一度耳にすればマニアならだれでも欲しくなってしまう。
それも、どちらも超の付くレア盤だったのである。

さて、ミリー・バーノンのジャズ・ボーカル作品はこれ一つ。
近年は未発表CDも出たらしいが、当時の発売となるとこれが燦然と輝く一枚である。
オリジナル盤がいいやね。

ジャケットはスタジオでの録音中の風景。
それなのに、右側の前景のベースのネックにそって赤い色を上から下に流したところも不思議で、更に本人の左側の壁の時計を赤いドットを落としたような感じにしたのも不思議である。
きっとこれがモダンだったのかもしれない。
だが、全体から見ると中々の幻の名盤らしさが滲み出て、見た者の印象に残る。

歌はストレートな表現で、温かみのある声が素敵。
一枚は持っていたいアルバムである。
かと言って安くはないが。

今日は忙しい
2015/10/24

今日は通販リストのデータ原稿の締切でもあり、店の仕事もあり、おまけに一人でもあり、もう忙しくて忙しくて仕方が無い。
朝から晩まで働き通し。

そういう時に限って、あれもやってないかった、これもやってなかったと色々と頭をよぎる。
時間が無い時や切羽詰った時にそういう状況になる事を、何と言うのだっけ。
心理学かなんかで出て来る単語。
忘れたから、なんでもいいけど、しかし、忙しい。
トイレ掃除もする暇が無い。
明日も、みんなトイレを使わないでくれると有難いけど、そうは行かない。
まあ、明日にすれば良い。

LEE WILEY “DUOLOGUE”
2015/10/23

LEE WILEY “DUOLOGUE” STORYVILLE 911 (USA)

個人的に大好きでかつ、私がオーディオに目覚めたアルバムでもある。
オーディオに目覚めたというか、女性ボーカルを鳴らすと言う事に目覚めたというのが正しい。
それまではこのアルバムを聞いていて、ああ、良い歌だなと思うだけで、別にそれ以上の感激はなかった。
しかし、友人がクラングフィルムの22cmのフルレンジを持って来てから、女性ボーカルを聴くと言う趣味は、オーディオの中でもジャズを聴く事とはまた異なる装置、アプローチがあり、面白さがあってそれが解った時に、ボーカルを初めて聴いた気になったのである。
一時、10インチのボーカルだの、SPの歌物だのと、面白くてそんな物ばかり聴いていた。
かつてフリー・ジャズにハマっていた事も忘れる楽しさだった。
その中で、最も感動したのは、当たり前かもしれないが、このリー・ワイリーとビリイ・ホリデイだった。
このアルバムは今でも、事ある毎に聴く。

そうしている内に、リ−・ワイリーとビリイ・ホリデイとは、共通点がある事に気が付いて、片や白人で人気も頂点に上り詰めて当時のアメリカ社会の代表的歌手。
一方のビリイ・ホリデイはジャズの頂点の歌手だが黒人で社会の辛酸をなめた苦労の人で、二人はまったく一緒ではない。
だが、この二人には女王の孤独というのか、苦しさと言うか、そういう共通の哀愁を感じてしまって、殊にこのアルバムとレディ・サテン(LADY SATIN)をなんども聴いた。
リー・ワイリーを聴くとビリイ・ホリデイを聴きたくなって、反対にビリイ・ホリデイを聴いているとリ−・ワイリーが聴きたくなる。
そうやって気の向くままに、もう何十回と聞いたが、今もって感心している。

で、今回のアルバム。
リー・ワイリーの風情のある歌と、エリス・ラーキンスのピアノ・ソロを交互に配置したあたかもライブを聴いているかのような仕組み。
リー・ワイリーの歌のバックはピアノがジミー・ジョーンズでトランペットがルビー・ブラフとこれまた風情の人。
彼女の歌は風情が勝っていて、歌は風情が7割だと思っている人にはちょうど良い。
文句の無ない、素敵な構成なのである。
一度、日本盤も出たが、日本盤ですら中々出てこない。

しかし、またビリー・ホリデイもしかりであるが、リー・ワイリーという人の歌を聴いていると、世の中の人間は誰もが声を出し、誰もが歌っているのに、そんな当たり前の発声という行為の中で、聴いた人の心が揺さぶられるような、声の持ち主が存在するという不思議。
そういう人がいるのだという不思議さを感じるのである。

それも彼女は最初DECCAだったかで、変な声だと言う理由でレコーディングを断られたのだった。

人間の才能というものは無限で不思議だね。

レコードプレイヤー SP−10
2015/10/22

店のレコード・プレイヤーが故障したようだ。
回転の時にサー・サーっと雑音が入る。
テクニクス プレイヤー SP−10 MKU
往年の名器である。
店では、使い勝手がよく、壊れにくく、更に78回転もあるので、重宝している。
音は凄く良いとはいわないが、ほどほどで、プロ使用としては大変に良い機械である。

サーっという音が小さいながら気になるので、テクニクスすなわちパナソニックの修理センターに電話をして取りに来てもらった。
聞くところによると、引き取って修理をしようとしても、部品もなく会社としては修理のしようがないそうだ。
でもまあ、悪い所が解るだけでもありがたいので、持ち帰っていただいた。
いったいどうなる事やら。
今後の展開が楽しみである。

ステップ
2015/10/21

知合いが来て、話をしていたら、「以前はチェット・ベイカーの歌は好きでなくてとても聴く気にならなかったが、年齢を重ねて、最近は結構気に入っている」と。
それを聞いて、年齢を重ねるという事はそういうものだ、としみじみ思った。

人間は、年齢を重ねる度に、学習することがある。
仕事を通して学ぶこともある。
本で学ぶこともある。
見て学ぶこともある。
聞いて学ぶこともある。
そして、それらを咀嚼し、吸収し、己の心の中に蓄積され、やがて出会うものに対処して行くときに、経験値が許容範囲を広げて行き、それが好みに代わる事もある。
それはステップを上がって行くと言う事である。
立派な地位にいる人や知識人とよばれる人達だけが、ステップを上がった訳では無い。
みんなそれなりに上がったのだ。
生きると言う事は、そういう事。

昔、解らなかった世の中の仕組みや政治家の考えが、経験を重ねて来て歳を取ってからより理解できるようになった。
しかし、その時には自分はもはや力が無くどうしようもない、という話を、私と同じような年齢の人たちから聞く。
でも、それでいいのだと思う。
解っただけでいいじゃないか。

LULU “LOVE LOVES TO LOVE”
2015/10/20

LULU “LOVE LOVES TO LOVE” COLUMBIA SCX6201 (UK)

英国コロムビア盤のサントラ・ポップスのアルバムである。
LULU(ルル)は当時、シャウトの利いた歌手として、イギリス人ながらアメリカのポップス・チャートにも顔を出した頑張り屋だった。いかにも白人の女の子が張切った感じのパンチのある唄い方が私は好きだった。
このアルバムには、私の大好きな曲である「To Sir with love」が冒頭に収められている。たまらない!
それでなくても、時々、YOU TUBE等で見てしまう。

この歌の事は前にも書いたと思うが、ずっと過去のデータになってしまって探しても解らなかったので、もう一度書こう。私の記憶がある内に。

この歌は、イギリスの60年代の映画「To Sir with love 邦題:いつも心に太陽を」の挿入歌で、歌手のルル本人も出演し、あどけない10代の女子高生を演じている。
勿論、主演はアメリカの俳優、シドニー・ポワチェ。
私の友人によるとポワチェの一番の傑作映画は「夜の大捜査線」だという。
他に「野のゆり」等もヒットし、60年代彼は大変な人気で、特に日本で凄かったのだ。
黒人と言え上品さを前面にして、まだ黒人の地位の低い頃であるから、その人気の凄さは圧巻であった。
その彼が先生役で、ロンドンの下町の中学に赴任し、場所柄、結構荒れていそうな校内のごたごた話が続くというシチュエーションになっていて、ちょっと小生意気な生徒たちが最後は少し大人になって卒業して行くという学園物。良いんだこれがまた。
気楽に見られる中々面白い映画なのだ。
そうそう、映画の面白い順番は、1に学園もの、2に法廷ものと決まっているから、当然面白いに決まっている。
映画の中で、当時のイギリスの先生方も若者の言葉に付いて行けないらしく、子供達のアップテンポで韻を踏む会話に、先生がチンプンカンプンだったりするのが可笑しい。きっとどこの国でもいつの時代でもそうなのだろう。

その中の歌が良い。
Those schoolgirl days of telling tales and biting nails are gone
(噂話をしたり 爪を噛んでいた 女学生の時は過ぎ去り)
But in my mind I know they will still live on and on
(あの時の一つ一つが思い出で、今なお私の心に生き続ける)
But how do you thank someone who has taken you from crayons to perfume?
(クレヨンを持たせてくれ、やがて口紅を持たせてくれた人たちに、どう感謝したら良いのだろうか)
It isn't easy but I'll try
(簡単ではないが、やろうと思う)

詩の中で、「クレヨンから香水に持ち替えさせてくれた...」という箇所におじさん痺れたんだわ。
1967年の唄だけど、聴いているとホロリとしてしまう、痺れるわ。


春画展
2015/10/19

ここのところ、なぜか急に「春画展」の話題が出て来た。
細川元首相の関係の永青文庫で浮世絵の春画を集め見せていると。
聞けば、女性客が圧倒的に多くいて、若い女性などしげしげと見詰めているという。

日本も変わって来て、春画を白日の下に堂々と女の子が見る時代になったのだ。

そういえば、10年も前になるか、オランダの知合いのおじいちゃんが「ミスター池田、あなたはYOU PORNというのを知っているか?」
Noと答えると、それはいかんと、是非にネットで見なさいとキツイ忠告だったので、日本で見られないといけないとホテルでさっそく、はやる心を押えてネットを開いてて見ると、あらま、PORNというだけあって大股開きのオンパレード。
その内にXVIDEOというサイトはもっと良いと言う話になって、お金も要らず、只であれが見放題。
気が付けば何時間も経ってしまうという、性の事ならなんでもそろう、前代未聞の大安売り。

思えば若い頃など、なんとかあそこが写っている写真を見たくて、友達と大騒ぎをしたり、恥を忍んで本を買いにいったりしていたのが今更ながら思い出す。
なんと可愛らしかったことであろうか、しかし、ああ馬鹿らしい。
今こそ、この世の天国かと思われる。
人によってはクリックし過ぎて腱鞘炎になったりもする。
老い若きも、いや、おんな子供も一斉にクリック一つであの映像が画面いっぱいに映し出される世の中になったのだ。
この間、当店にやって来た東京都だかの「青少年有害図書」の検査をしているというオバサン3人組が偉そうに廻って来て、有害図書があるでしょ!と決めつけた様子で入って来たが、そんな場合ではない。
有害図書はないが、パラダイスのサイトはいくらでもある。
法律も含め、いったいこのギャップはなんだろう。

そんな時に春画展など、今時のお姉さんに取って、なんでもない一枚の過去の大人しい絵でしかない。
しかし、そういうお姉さん方は結婚したらどういうお嫁さんになるのだろうかと、想像すると大変に怖いが、私など、もう、そういう心配は不要なので、安心した。

結局、性にも風情が無くなったのだ。

酒場でミートソース
2015/10/18

先日、地下鉄丸ノ内線の新宿御苑の駅の近くを歩いていると、ちょうど昼ごろだったが、長い行列が出来ていたので、こんな場所に人様が並ぶような立派な店があったかと思いしみじみ眺めると、どうも居酒屋のよう?

まさか居酒屋に人が並ぶのだろうかと、不思議に思って観察すると、看板にミートソースが自慢らしき事が書かれていた。

良しそれならばとその夜、閉店間際なら入れるだろうと11時近くに寄ってみた。
店員さんの話によると、土曜日の朝の人気番組「おやおや、又寄り道ですか?」の「ぶらり、途中下車の旅」に出たとの事。
その直後だったので、長蛇の列だったとの事であった。

で、件のミートソース。
ここも、人が並ぶような店によくありがちな、食べる順番にしきたりがあった。
それはまず混ぜない事だと。そして2・3口食べてから、すこしだけ混ぜ合わせ、全体が減って来たら、替え玉をするなりし、最後にトマトスープを注文してくれと。
たしかに、麺は店主がイタリアで修業したという通り、チーズと混ぜ込んであって、なかなか美味しい。
麺だけでも食べられてしまいそう。
ただ、ここは居酒屋というだけあって割り箸でたべる事になっている。

思ったのだが、割り箸で食べるとどうも、うどんになってしまう。
フォークを出してくれたら、もっとイタリアンの味になると思うのだが.....

場所は、御苑の駅から、新宿通りを新宿方向に向かい、都民銀行のちょっと先の右側にある。
「東京MEET酒場」という名前。

MIKE CUOZZO “with the COSTA-BURKE TRIO”
2015/10/17

MIKE CUOZZO “with the COSTA-BURKE TRIO” JUBILEE 1027 (USA)

今回のアルバムの入荷は久しぶりだ、しかもオリジナルの青いラベルである。
当然、音質も良い。
今までも時々入荷はあったが、どうしてもセカンドのラベルで、ショップの親父としては忸怩たる思いであった。
JUBILEE(ジュビリー・レーベル)の青いラベルが入ると嬉しいものだ。

MIKE CUOZZO(マイク・コゾー)というテナーサックスのワンホーンは、淡々としていかにも白人のサウンドでレスターヤングのようであり、またスタンゲッツのようでもあり、もうちょっと太くて、なかなか耳触りが良く、心地良く聴くことが出来る。
こんなに良いなら他にも作品が沢山ありそうなのだが、この通好みのジャズプレイヤーは作品数が特に少なく、ディスコグラフィーを見ても、たった2項目で終わってしまう。
1955年のMike Cuozzo - Mighty Mike (Savoy MG 12051)そして、1956年の当アルバムが主な所で、
なんとも勿体ないミュージシャンである。
メンバーは、両方ともEddie Costa とVinnie Burke と組んでいたようで、仲間であったらしい。
しかし、こちらの作品の方は、Eddie Costaがピアノに終始しているので、コゾーのワンホーンが引き立っていて、気持ちが良い。
Costaのピアノも知性的で上品さのある良いプレイである。
Burkeのベースの音もしっかり録音されていて、良い音が聴ける。
作品としては文句のない上出来なのである。

1925年生まれのこのテナー・プレイヤーは、それならば早く亡くなってしまっていたのかと調べて見たら、なんと、早々と引退して建設業に参入し、それなりの成功を収めたとなっていた。
まあ、ジャズでは食えないと悟りビジネス界に飛び込んだ所は、人生としては評価できるものの、ジャズ界としては大変惜しいとも言える。
まあ、これも人生あれも人生というところか。

一度聴くと、欲しくなってしまうアルバムである。
いずれにせよ、テナー・ワンホーンはなにより魅力がある事はいうまでもない。

おまけに私としては、かつて当店の裏にあった美味しい珈琲屋、それが「COZZO」という似た名前だったので、コーヒーを飲みに行くたびに、CUOZZOを思い出していたわけで、それがよけいに思い入れがある。
懐かしいなあ。



BRIGITTE FONTAINE “COMME A LA RADIO”
2015/10/16

BRIGITTE FONTAINE “COMME A LA RADIO” SARAVAH SH 10006 (FRANCE)

このアルバムを聴く度に、私は購入した当時に戻る。
気に入ってよく聴いた。
もちろんブリジット・フォンテーンの歌も良かったが、私は大好きなART ENSEMBLE OF CHICAGOがこんな世界的なヒット作品に入っている事が、とても誇らしかった。
ここでは主役のブリジット・フォンテーンの事はちょっと置いておく、フランスのアンダーグラウンドのシャンソン歌手で、余りにも有名で、他にも作品は膨大にある。
であるがジャズ関連として心地良さがあり余りに出来が良すぎて、だが私にはこの一枚しか知らないので、書きようがない。
今まで、幾多の先輩方が絶賛しているので、そちらを参照されたい。

それで、ついシカゴ関連に入る。
AEOCは兎に角、渡仏後あちらで吹き込んだ作品が好評だったので、米国本土に逆輸入され、フランスで有名になったなら凄いに違いないと、逆に煽られる形で本国で高評価になり、あっという間にフリージャズのエースになった。
こんな話を何度も、何処でも書いているので、自分でも何だか分からないのであるが、兎に角、彼等は68年頃はBYGに作品を発表。
さらに69年の吹込みは圧巻で、People In Sorrow(Pathe)、そしてこれ、Comme a LA radio、さらにLes Stances A Sophie(これは70年か)と歴史に残る作品3連発、
これが短期間で次々と発表できる能力の高さは、今風にいうとヤバイという事になる。
それも、しかももっとヤバイ事に、作品はどれも非常に個性的であり、どれを聞いても、一体どれが最も彼等らしいのか見当がつかないのだ。
夫夫が代表作といいながら、どれも音楽性が違う。
こんな面白い人達がいたのである

このアルバムが日本で急に注目を浴び、売れたのは実は70年後半である。
有る時、会社の一年後輩の生意気なヤツが寄って来て、「池田さんに教えて上げる、ブリジット・フォンテーンという人の、ラジオのように、というレコードがカッコいいので、流行っているんだよ」と。
あの時の自慢げに寄って来た顔が忘れられない。
むっとして、そんなのはずっと前に買って、僕の愛聴盤だと言ったら、不愉快そうに帰っていった。
私のあまり好きでないヤツだったから面白くなかっただけの話である。
モトエ。

この作品といい、People In Sorrowと言い、主役であっても無くても淡々とした音の運びが、何故故これほど落ち着き払っていて、静寂感をここまで突き詰めた音楽家はいなかったのではないかと思うのである。
あたかも日本の「侘び寂び」の精神が、それらしく表現していないにも関わらず、なぜか醸し出されているのが不思議なのである。
こういうのを個性という。
また芸という。

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