HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
宇梶晶二 | - 2015/10/05
- 宇梶晶二 ”SOUND OF VISION” 自費出版 番号:不明
こんな珍しいアルバムの入荷。 宇梶さんは世田谷区松原にある 喜怒哀楽ホールを拠点にフリージャズ活動を続けているジャズメンである。 その彼の自費出版で1986年の作品。 ジャケットの販売連絡先に自宅の住所が書かれてある。
その後の2000年に演奏された"VISION"というCDを聴くと、こちらはバリトンを持っているので、比較は出来ないが、音楽として伝わってくるのは、この方はフリージャズをやっていてもジャズで、己のブルースを持っていて、やっぱりジャズが好きなんだなあ、と感じさせてくれる所が良い。 それってアメリカのジャズメンのようで、世の移り変わりにコロコロと変わってい行く日本人の中にあって珍しい人だなあ、と思いながら聴いてしまう。
宇梶さんはフリージャズ界のズート・シムスか?
というわけで、 お薦めの一枚である。
今日は風邪っぽいので、この辺で日記はオシマイにしよ。
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最近のニュースで | - 2015/10/04
- 最近のニュースで、思った。
川島なお美という女優が亡くなったと、ずっとテレビで騒いでいた。 それを見ていて知合いに思わず、あれほど嫌な女という人を見たことが無いと話したら、「いやね、そこがエライのよ」という返事だった。 思えば、嫌な感じの女優やタレントと言う人達は山ほどいる。 例えば、こりん星だのカボチャの馬車だのとノタまわっていた「小倉優子」だったかな、最も世の中でイヤなヤツだったのに、本人が耐えきれなくて普通の姉ちゃんに戻ってしまった。 そう言う物らしく、みな普通の人になろうとするのだが、川島なお美だけは、嫌な女を通した所がエライ、という事か。 確かに「ぶれない」という所か。 なるほどなあ、人間には大事なところだ。
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ちょっと風邪気味 | - 2015/10/02
- ちょっと風邪気味でいけない。
休まないと。
周囲の人から只、のほほんと座っているだけの仕事なんだから、楽で良いなあと言われるけれど、休まないでいるのはちょっとキツイ。 休まないと
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CLIFFORD JORDAN “IN THE WORLD” | - 2015/10/01
- CLIFFORD JORDAN “IN THE WORLD” STRATA-EAST SES1972-1 (USA)
このアルバムは私の、ジャズのレコード・マニアとしての中でも多分、相当に好きなアルバムである。 フリー・ジャズを聴き始めの頃でもあったので、Don Cherry(ドン・チェリー)のトランペットの存在の凄さに驚くと共に、ジャズという音楽はこうして進行し展開され、作品として作り上げられて行くのかと言う事を、垣間見た一枚でもある。 非常に感動した一枚である。
その少し後、私は知合いに誘われて、ホット・クラブというジャズの日本の評論家達が集っている会合に行かせて貰うようになった。 当時は油井正一が会長でもあり、その新譜紹介なる時間も楽しみで、その会に名を連ねている数ある評論家の中に於いても、いかにジャズが好きでかつ楽しくて仕方がないと言う様子の話が面白くて通っていたのだ。 油井さんこそが自分の足で稼いでかつ金を使い、彼こそが日本で唯一の評論家だった、と思った瞬間でもある。
その会において有る時。 時々、いやしょっちゅう渋谷のジャズ喫茶メアリー・ジェーンに来ては人の事を、じろじろ見ては横でケチを付ける、私の大の苦手の人がいて、なんでもパーカーの本を書いたとか言っていたが名前は知らない。 その人が立って、まずこのアルバムのA−1すなわち「Vienna」という曲を紹介し、次にBenny Golson(ベニ−・ゴルソン)のRiversideのアルバム「The Modern Touch(12-156)」の「Out of the past」をわざわざ掛けて紹介し、これらは全く同じ曲なのに、当然後からの作品は「盗作」であり、評価の値しない作品だと、相当怒りを込めて、ののしったのである。 それらが同じ曲であるくらいは誰も周知の通りであり、今更と思っていたのだが、生真面目な彼は余程許せなかったのであろう。
これを盗作とするか、題名を知らなかったために適当なタイトルを付けたかは、ファンの判断に任せるとして。 これを絵画のように原画を剽窃し、それを更に自分のイメージでどのように膨らませ仕上げて行くかが見ものであるケースと同じかと思っていたので、実に生真面目な話になり、果ては犯罪作品として紹介されるという奇妙な違和感を覚えた。 では、その彼の話の通りに、Viennaの方が、評価に値しないかと言うと、これがまた、それどころか全く正反対で、作曲者のゴルソン本人も意に反して真っ青になりそうな、これ以上出来ないような立派な演奏になっていて、ここまでの演奏を一体誰が出来たのかというと、誰もが黙ってしまうに違いないほどの上出来なのである。 このアルバムを聴く度に、あの時に生真面目な彼の話を思い出し、いい加減に忘れたいと思うのであるが、聴く度に思い出してしまうなあ。
ところで本題。 このアルバムの中で最も重要な点は、ドン・チェリーが参加している点で、しかも4ビートの作品の中にあって、堂々と自己主張をし、しかもそれが思った以上の効果があり、作品に深みとしかも哀愁まで与えたという事なのである。 フリー系の人が哀愁を出した、珍しい作品になったのである。 フリージャズの嫌いな人でも感動してしまうのだ。 いや、最高の4ビートである。
当然、もっと聴きたくなり、耳を凝らすと、この雰囲気の曲はたった一曲しかないのである。 何故か知らないが、このメンバーでの演奏は69年のこれ1つだけだったと思われ、72年になって同レーベルを作るにあたって、もったいないので、ここに収録された物と思われる。 しかし、一曲あれば大・名盤。 いや、この曲の為にこのアルバムは存在し、観客も誰も文句をいわないのだ。 いやいや、当時の記憶によると、この一枚の作品によりSTRATA―EASTは注目を浴び、ブラック・ミュージックとしても道が出来たのである。 思えば、凄い作品である。 ジャケットの表は、モノクロ反転の絵なので分かり難いが、パーティーのようなテーブルの上に雑多な食べ物や飲み物が残されている。人々の宴のあとか? 裏には、クリフ・ジョーダンの言葉でこう書かれている。 There is music in the world. Made by people in the world. Who come from places in the world. This records made in the world. Along with my friends in the world. Is the music of my world. Welcome この音楽は私の世界である、と。 なるほどなあ。
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ポニー | - 2015/09/30
- 今日はまた夕方から暇だ。
それで店の棚にある古いジャズ雑誌をパラパラと見ていたら、古いジャズ喫茶の事がいっぱい書かれている。 出ている。新宿のジャズ喫茶は数が多く、木馬、ママ、ディグ、ビザール、ビレッジゲ−ト、ポニーと続いていて、そのポニーで急に思い出した。
ポニーは歌舞伎町のコマ劇の少し手前にありビルを左に曲がり、さらに左に曲がって地下の階段を下りて行くと店になっていた。 私はそこのウエイトレスが美人の子が多いので、楽しみに通ったのだった。 お姉さんに話しかけても誰も相手などしてくれないのだが、あるお姉さんとちょっと親しくなって口をきいてくれるようになったのだが、ある日、私は今日が最後なのというのを良い事にデイトに誘った。 すると「じゃあ明日休みだけど、地元に来てくれるなら、ちょっとだけなら時間はある」ということで、天にも昇る気持ちで翌日、当然学校をサボって出かけた。 確か京王線の郊外の辺りだったと思うのだが、はっきり思い出さない。 駅前で待っていると、30分以上も遅れてやって来て「家の者がうるさくて外出するのも大変だった」と。 30分くらいで帰らなくちゃいけないと言う。 それで、せっかく来たわけだし、私もわざわざここまで来てバイバイじゃ物足らないし、ちょっとだけ歩きながら話でもと、いう事になり公園のような道を二人で歩きながら話をした。 すると「あたしは美容師をしていて、ちょっと行き詰って仕事を一時止めている、それで息抜きにと思ってああやってアルバイトをしている。でももうすぐ店を探して仕事に復帰してバリバリやって、美容師として成功するつもりなのだ」という仕事一途。 私の学校の話などをちょっと訊いてくれたと言っても、毎日のようにジャズ喫茶に通ってくるようではイカンともしがたい少年だという事がわかっているらしい。 それで、じゃあねと言いながら、チュッとキズをしてくれ「あなたも頑張りなさいよ、男なんだから」と去って行った。子ども扱いされてちょっとがっかりした。 翌日から彼女は店にはいなかった。
やがてポニーも消え、彼女は本当に美容師の仕事に頑張っているのだろうと、ボンヤリ思う事もあった。 その後20年近くも経った頃、四谷のあたりを歩いていると、立派な美容院が出来ていて、その名前がその時のお姉さんと同じ名前の「モトハシ・マサコ」。 思わずあの時のお姉さんはこんなに立派になってしまったのだろうかと思ったり、いやいや偶然同じ名前だったのだろうと思ったりした。 時々、新宿通りを通る度に看板を見ては、あの時の、気負ったというか彼女の切羽詰った様子を思い出してしまうのだ、忘れたいのに。
それからなんとなく、私もフラフラしてばかりではいけないと考えるようになり、料理のアルバイトを始めるきっかけにもなった、小さな出来事だった。
今は昔で、付き合った女の名前もロクに思い出さないのに、40年以上も過去のしかも、デイトとは名ばかりの、たった30分で大人が子供にするようなキスが一回の相手なのに、なぜか名前も覚えていると言う、ヘンな話。
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中勘助 「銀の匙」 | - 2015/09/29
- ちょっと前に、新宿のサブナードの臨時の古本市で、中勘助の「銀の匙」を見つけて、嬉しくなって買って来てしまった。
一冊、復刻版とやらを持っていたのだが、20年も前に友人に貸して以来戻って来ていないので、見つけ次第もう一つは買って置こうと思っていたのだ。 それで、ここ2・3・日は面白くてそればかり読んでいた。
最初に読んだのが20代の終わり頃だった。 家で何かの話の時、義父に一番好きな小説は何かと聞いた所、「私はね中勘助の銀の匙が一番好きでね、今の人にが面白いかどうか解らないがね」というと本棚から持って来てこれだよ、と渡されたので、それをありがたく頂いた事にして、読んだのだ。 正直にいうと何とも昔臭くて、純心すぎて、こんなものかと思った。 それの後40歳になった時に読み返したら、とても気入って、こういう本が好きになるという事は、私も息災人で無くなった証拠だという事にして、以来私のマイ・フェイバリットになった。 それで、今回私もいよいよ、いい歳になったので、心落着いて読めるだろうと思ったのだ。 昔の仮名遣いなのだが、古い人間の私には苦にならない。
ところで話は飛んで、読んでいて面白い所に気が付いた。 「すばらしい蛾がどこからか飛んできて、褐色の厚ぼったい翅をふるはせながら気ちがひの様に花から花へ飛びまはるのが気味が悪かった」
その素晴しいと言う意味は、素晴らしいというのだが、どうも今の意味と異なっているようだと思い調べたら、素晴らしいと言う意味は、元来「とんでもない」という意味だった事が分かった。 正反対の意味だったのだ。
なるほど、昔の名作は読むべし名盤は聴くべし。
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カード会社から | - 2015/09/28
- 昨日、カード会社から店に電話が掛かって来て、「おたくの陽介さんのカードがアメリカで使用されようとしています。本人は現在どちらにおりますか?」と。
おどろいて、「本人は現在ヨーロッパにおりますので、アメリカでカードが切られる事など絶対に有りません」と答えた。 カード会社の方も、ここ数日間ヨーロッパでカードが使用されている事を把握しており、コンピュータがオカシイと判断したようなので、使用不可にいたしましたという。 お蔭で犯罪に引っ掛からなくて良かったとほっと安心して、もしかして通販かなにかで購入したのかと本人に電話で尋ねると、そんなはずはないという。 驚いた事に、番号やパスワードもスキミングされてしまったらしい。 しかし、ちょうどヨーロッパに旅行中だったので発覚したのだが、ウチのように世界中を旅行していると、アメリカで不正使用されてもコンピュータもエラーとはしないわけで、こちらも文句は言えない。 今回はラッキーで良かったと思うと同時に、ゾーっとした。
カード会社も再発行しましょうと言ってくれ、至急で一週間ほどで作ってくれると言う。 ああ、驚いた。 しかし、カード会社も中々の実力だね。
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フォルクス・ワーゲン | - 2015/09/27
- ニュースでやっているフォルクス・ワーゲン自動車の数値不正事件。
いやはや、よくもやったという感じである。 今回ばかりは、流石のワーゲンも大打撃で、他企業もドイツの自動車産業全体に大きな影響がありそうだ。 ドイツはやばいぞ。
しかし、これは車のマニアとして非常に興味深い物がある。 私が言いたいことは、エンジン自動車 対 電気自動車 という図式か?
今、盛んにCMをやっている日産自動車の電気自動車・自動運転。 トヨタはハイブリットで電気モーターを利用。 ホンダも追随している。 こういう自動車王国日本の電気モーターありきの国の産業。
しかし俺たちはエンジンだと、それも燃料が安くて燃費も良く、しかもクリーンなエンジンを開発しているとエンジンに拘り、ドイツはディーゼルでクリーン・ディーゼル・エンジンを主張し売っている。
これは日本対ドイツの販売合戦でもある。 それでドイツよ、ざまあ見ろという場合でもない。 なぜなら、自動車産業の中におけるエンジンの製造は、基幹であるばかりでなく、燃料エンジンがあればこその自動車産業であった。 そのエンジンは部品の数1万点にもおよび、その製造に携わっている企業・人数だけでも膨大な数の人々がいる。それが、電気モーターなるという事は、大量の人が職を失い、しかも電気メーカーが簡単に参入できるという、恐ろしい事態なのである。 それでも電気、電気と連呼している日産は一体どういう気持ちなのか、まあ社長は外人だから日産の一つや二つなくなってもどうでもない。 しかしトヨタの場合は賢いというのか、電気といってもしっかりガソリン・エンジンを搭載してエンジンを切らさないようにしているのは立派である。
また、ディーゼルはかつて石原都知事が空気を汚すディーゼルは禁止とし、日本におけるディーゼル・エンジンの火が消えてしまった。 しかし、ドイツや欧州ではここぞディーゼルとクリーンなエンジンを次々と開発し、遂に自動車メーカーの技術の競争といわれるル・マン24時間レースにおいてディーゼルで優勝し、ここにドイツありと世界に示したのだ。 その中で、ガソリン・エンジンに対して、どうしても窒素酸化物と煙という有害物質から逃れれない故、触媒などで解決しているのだが、それがコストが高くなる原因でもあり、開発がアメリカの掲げる数値に届かなかった結果の、事態となったものらしい。
簡単にポイっとエンジンを捨て去ろうとしている日本に対して、あくまでエンジンに拘ったドイツ人の技術者たち。 電気にすれば発電量は増加しなければならず、そうなると原発の必要性は増す事になろう。 私のようなクルマ好きとしては、ドイツの姿勢を応援したくなるのである。 何と言っても、やっぱりクルマはエンジンだから。
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振込関連詐欺 | - 2015/09/26
- 最近聞いた話。
実は、振込関連詐欺は騒がれ出した頃より、今の方がずっと件数が多いのだそうだ。 今までは、金融機関も窓口でオカシイト思うと、尋ねていたが、最近はジジババに逆切れされるので、もう放っておいた方がいいかという状況でもあるらしい。
これは日本だけの事件だ。 一度アメリカの知合いに尋ねた所、アメリカではまず本人に確認し、悪ければ警察も入れてそのように処置を取るし、問題が無いければ、またそのような処置をすると。 これは家庭の重大問題であると、したがって内々に処理をする事など有り得ないと。 絶対に金で解決出来るはずが無い。 一度金を払えば、又脅されるのがオチである、という話をしてくれた。
これは一体何だろうと思うと、どうも日本の家庭にあると思われる。 親父達は家庭から逃げ、母親も女としての自分の事で精一杯。 子供は塾任せ。 そこまでしても、大きな社会の中で見れば、大して勉強が出来る訳でもない。 だが結局、10時や11時過ぎに夕食を取る小学生。
家族が夕食のテーブル即ち「家庭の愛」で、母が作った食事をとりながら、毎日の話がある、 こういう姿は単にほのぼのとした光景ではなく、家庭が原点であるというある意味宗教そのものだと思うのだが、こういう姿形が日本から消えた。
そうやって育てている内に、家庭と言うのは結局お金だけが「絆」だという結論になる。 いざという時に、お金を払ってくれる親 もしくはジジ・ババこそが理想的な人だと言う事になる。 故に、振込め詐欺に金で解決しようとして、ついここぞ自分の出番だと勘違いして張り切ってしまい、引っ掛かってしまうジジ・ババが五万といるのだ。
いかに家庭として地に足が付いて居なかったかという証拠である。 また正義も金で買えると、「金社会」を作ってきた責任が今、のしかっかっているのである。 従って、払いたい人は多いに払えば良いのである。
しかし、こんな国でいいのか?
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食べ物文化 | - 2015/09/25
- 最近、つくづく思う。
オレ達から上の世代は、日本をトンデモナイ方向に持って来てしまったのかもしれないと。 日本は変わった、日本は終わったと思う事が沢山あって、その理由のどれから上げて行ったらよいか分からない程日本は変わった。 何と言っても食生活。
これから、のらりくらりとしながら結局はTPTが締結される事になると思われる。 食べ物はアメリカに依存する事になる。 人間、食べることが生きる目的の大半であるから、食物を押えられたら終わりである。 その後は、アメリカによる日本支配は決定的なものになるだろう。 日本の農業は衰退するのだが、それでもアメリカから金を受け取った政治家や評論家たちは、合理化だと平然としているに違いない。 ところがヨーロッパを見れば、フランスなど実は大変な農業国であり、他の欧州諸国も立派な自給自足の農業国なのである。 その上で、工業がある。 自国の農業生産率の落ちた国の未来は無い。
実は以前にもこんな問題があったのだが、それは二百海里問題。 70年代末にあった国際間の争いで、魚の消費世界一の日本はさあ困った。 しかし、時の政府はこう言った。取らなければ買えばいいじゃないかと。 これは現在のTPT問題と同じである。 自国で取れなければ買えば言えばいいじゃないか。議員や官僚のつぶやきが聞こえて来そうである。 普段はよいが、不漁や冷害の際には買いたくても買えない。 更に膨大な金がとられる、更に交換条件で政治的な損害を被る事になる。
せっかくの食文化を持っていた日本こそ、もはや未来はない。 マクドナルドが日本中に蔓延り、その他外食産業という食事を工場で作ってしまう事が常識になり、何から何までチェーン店が当たり前。 台所が汚れるからと魚を焼く事もなく、また食事は家で作らなくなり、子供たちが急須のお茶も知らない社会。 調味料はすべて工場で作られたもので、出汁も家庭で取る事もない。 アメリカが進駐して以来、米を否定し外国の食文化を有りがたがった。 今もワインだチーズだと大騒ぎで朝の、満員電車に乗ればチーズ臭くてカナワンという時代。 その一方で、グルメぶって、牛肉はA5だの、魚はどこそこの一流品だの、酒はどれで無なければならないとか、自分で料理はできないけど、一億総グルメ。 グルメぶっても自分では何も作れない。 家庭の味を伝えられない、こんなだらしのない家庭は世界には無い!
あそうか、家庭とは継続では無かったのか、日本では。 一時の人の集まりか。 それもいいかあ。
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