HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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庭の草
2024/07/07

庭の草が茫々としているのに、あなたは草取りもしないのか、と家内に叱られる。

しかし、私は脊髄圧迫骨折をした。
なお骨粗鬆症という病も抱えておる、そうそう腰を曲げて草取りなど出来るはずもない。
自分でも忸怩たる思いである。

思い切って、人工芝にでもするかと考えたりもするのだが、いやいや、人工芝は所詮プラスチックで出来ている物質。

これが雨などで川に流れ、馬に流れ、マイクロ・プラスチックとなり結果として人体にも蓄積されれば、ガン、その他の原因となる。
いや、それなら草茫々も良し! 我が家の夏。

古いレコード
2024/07/06

10インチやSPなど1955年前後より以前に製造されたレコードは、RIAAカーブになっていない。
有名な所では、デッカ、コロンビアなど各社あるが、これらにおいてカーブは極秘事項であった。
1950年代になり、ビニール素材のレコードの出現は一つの革命となった。
33回転となった事も、ノイズが著しく軽減される理由でもあった・

そこでDECCAやcolumbiaなどのカーブの他に、二つの今も尚マニアが知っているところのカーブが産まれた。ひとつは「NAB」といわれる指標で、これは全米放送事業者協会 (Nathional Association Broadcasters)から派生したカーブで、結構な広まりになったようだが、これは振動が大きく、安物のカートリッジ等では上手くトレース出来ない事もあったようで、ユーザーに不評の為に、オーディオ業界から提言があったようで、これが「AES」オーディオ エンジニアリング協会(Audio Engineering Society) というカーブである。
これで相当良くなったようであるが、そこに最大手のRCAが突如、参入を決め込むのである。RCAは45回転盤になっためでもあるのだが、ちょうどその頃、ユーザー(マニア)からカーブの公表が叫ばれるようになっていたのである。
1952年、さすがのRCA、ユーザーの不満を理由に解決策を、みんなで決めたという事にして、New Orthophonicカーブを示したので、RIAA(米国レコード協会 ) がこのカーブ(RIAA)を採用したのである。まあデキレースなのだが。ちょうど時期が来たのであろう1955年頃には、ほとんどのアメリカのレコード会社がRIAAカーブを標準としたのである。
まあ、その方が販売上、都合も良かったのであろう。

という事があらましなので有るが、12インチ盤以前(55年頃以前)のものは、カーブが異なっているので、出来ればフォノ・イコラーザーなる機器があった方が、良い音で聴く事が出来る。
因みにブルーノートの10インチ盤はRVGの刻印の無い物はRIAAではない。

というマニアの為の古い話。


通販リスト
2024/07/05

本日、通販リストの更新いたしました。

ラジオ、「ザ・スタンダード」
2024/07/04

最近、クルマの中でラジオを聴く事が多い、夜には日本放送のザ・スタンダードを掛けている。
朝方、目が覚めてしまった時は、ラジコで ザ・スタンダードを聴く。

何が気に入っているかと言うと、語りが少ないから。
他の番組はジャズと言っても、どうでも良い話を延々と聞かされるので、疲れてしまう。

音楽だけでいいよ。タイトル名と演奏者名とちょっとの台詞。

そういえば、日本放送では無くて ラジオ日本 というのか?
週末 競馬中継ばかりやっているギャンブル・ラジオ局。


朝の散歩で
2024/07/03

朝、散歩していると、マンションの1階の部屋の窓に、これ見よがしにパンティが干してある。
Tバックのそのまんまの形。
いや、久しぶりに見た。

思い出したのは新宿にいた7・8年前の事。路地に面した部屋に時々Tバックを2・3枚干してあって、面白いなあと思っていた。ある時、ふと見上げたら外人のお姉さんと目が合った。
日本人では、こんな干し方はしないので、なるほどと納得したのであるが、そのお姉さんは「ハーイ」と声をかけて来た。
私が「ハロー」
お姉さん日本語で「仲良くなれそうなのに、残念ね、明日国に帰ってしまいます」
私が「お疲れ様でした。気を付けてね」。
「ありがとう」

という会話をしたのであった。
なんでもない話。

神様の話
2024/07/02

5月のはじめ頃、家内と一緒に風邪を引き、それから一緒に喘息になった。近くにできた呼吸器科に行ったら、喘息と言われ二人とも同じような薬を処方されて、家内は一週間後に全快、私は苦しさが取れない、結局、私だけ肺気腫と診断された。
そのまま、息苦しさが取れないので、ヒーリングをしている従弟に電話をしたところ、最近は東京にも行かなくなったし、遠くなので来てもらう事も良くないという。
従弟が、「付いては、お前の守り神の天照大御神様にお願いしたのだが、ここの所、神様は多忙なので一週間待て。夜、お前が寝ている間に行って治して下さるそうだから、そのまま自宅に籠って静かに待つように、との仰せである」
という事であった。

さて、静かに待った訳では無いが、5日ほど経った深夜、夢を見た。
誰かが、私の眉間のあたりから生物のような根っこと言うのか、魚の内臓のような繋がった物というのか、ズルズル・グイっと引き出されたのである。
ついでに、私の左眉の中から、もう少し小さな根っこもズルズルを引き出されたのである。
しばらくして朝、目が覚めて見たら、胸の呼吸はすっきりして何事もなかったよう。
また、不思議な事に左眉に疣(イボ)があって、それがチクチクしたり痒かったりして、皮膚癌では無いかと悩んでいた物が取れていて、綺麗にツルッと塞がっているではないか。

驚いたのである。
信じない人もあろうかと思うが、以上が私の身に起きた不思議な現象であった。

都知事選
2024/07/01

あのですね。
蓮舫さん、国籍はどうなっていますか?

ずっと以前より、二重国籍とか、いやいや三重国籍などと追及されながら、のらりくらりとかわして来て、どうどうと国政に居座り、今尚、都知事に立候補とはこれいかに。

日本は2位じゃいけないんですかと、中国の後塵で良いではないかとおっしゃっていた方が都知事でいいのかなあ。
選ぶのは都民ですけど........




愛子天皇
2024/06/30

愛子様を天皇にふさわしいと感じている人は国民の90%に上るという。

これはもう、国民の総意と言って良い。
皇室典範を改正して、女性天皇を認めたらよろしい。

議員たちの右翼の人達は何がなんでも男にこだわり、理屈をつけては男にしたいらしい。
左翼はもともと天皇制反対なので、どうでもよい、というスタンス。

とどのつまりは、議員の中で愛子様を「押し」にする人たちがいないという事になる。
国民の圧倒的な支持は一体どうなる。

私は愛子様が良いと思う。
さもなくば、もう天皇制廃止でいいんじゃないか、と考えてしまう。
いや、私だけではない、元々戦後教育や民主主義教育の中で、教師たちが左翼が多くいたので、天皇制に良い印象を持たない人たちは沢山いる。その反対意見を食い止めているのが愛子様の女系天皇にすることが、唯一国民の気持ちを収める方法であるのである。
天皇が国民の象徴であるのに、一家のリーダーが女でダメとはこれ如何に?悪女で悪いか?

国民が納得しないのは、唯一その点なのである。
これに失敗すると、天皇制反対派は猛烈な勢いで増加するにちがいない。

排水管つまり
2024/06/29

最近、ビルなどで排水管つまりの症例が増加しているらしい。
それで、その理由として「コストコ」のトイレットペーパーの使用が原因であって、下水業者がコストコのペーパーを使わないように言っている、という話を何回か聞いた。
うーん、これは日本のトレットペーパーの会社のコストコ追い出しの策略かと、私などすぐに考える。

確かに、コストコのペーパーは確かに、少し固めである。
だからといって、詰まる原因とは考えにくい。

それよりも、私も当ビルの理事会の役員をしているので、そういう議題は良く上がる。
まず、近年の節水ブームが最大の原因なのである。
近年の節電、節水、が家計節約の大きな課題でもある、それで、トイレ関連業者が便乗して、節水トイレを作り出した。

しかし、あえて言いたい、水は多めに流して頂きたい。
沢山の水を流せば水圧が掛かる。水圧が掛かれば詰まる事はない。
という簡単な理由である。
特に、やや古いビルではそうして頂きたいのである。

DON RENDELL “DUSK FIRE”
2024/06/28

DON RENDELL “DUSK FIRE” COLUMBIA SX 6064 (UK)

これは珍しい。
Ian Carr(イアン・カー)と双頭コンボで作り上げた、ピアノにMichael Garrick(マイケル・ガーリック)が参加し、
欧州ジャズの最高傑作と呼ばれている。
夕日のジャケット写真も素敵で、傑作アルバムの一つの要因にもなっている。
というものの、彼のアルバムはどれも一級品で長い間、よくも英国の頂点に留まっていられたものだと感心してしまう。
彼の音楽の経歴だけでも興味深く、ビリーホリデーの欧州ツアーで共演した。スタン・ケントン楽団でも演奏し、ウッディ・ハーマン楽団でも演奏した。
作品は1955年には、Meet Don Rendell (Tempo)、64年にはイアン・カーと共にShades of Blue (Columbia)、
66年に当Dusk Fireを、68年にPhase III、69年にはChange Is、等々、この後も傑作をこれでもかと発表していくのである。
その才能を本国ではイギリスのマイルスと言われたほどの賛美であった。
その後は、レンデル・カー・クインテットは解散し、なんとプログレッシブに進んでしまい「ニュークリアス」を結成し、今度はロック・ファンの英雄的存在に成って行く。
その進化のスピードはあの変化の多かった、60―70年代に於て群を抜いていて、しかも、どの作品も今尚、評価が高く駄作の無い事も、不思議なほどの才能である。

その彼の、音楽人生の中央に位置し、燦然と輝く作品がこのダスク・ファイアーなのである。
ライナーの中で、イアン・カーはその録音について、「我々はほとんど一発目の演奏で満足し、時に2回演奏しましたが、それも最初の録音を取りました」と述べている。すなわち彼らが既成概念と即興演奏の絶妙なバランスを獲得しており、テクニックでも音楽理念においてもジャズの概念にいささかも狂いを生じていないという見事な演奏家が揃っていたと言う事でもある。
60年代、アメリカのジャズも試行錯誤していた時に、イギリスの彼らは、インテリジェンスの高い既に先を見据えていたと言う凄い作品になったのである。

世界にはこういう凄い人達もいたんだね。

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