HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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STAN GETZ “CAPTAIN MARVEL”
2015/08/02

STAN GETZ “CAPTAIN MARVEL” COLUMBIA KC32706 (USA)

個人的に好きな作品である。
明るくて新しくて、前途洋洋な人生を感じさせる気持ちの良い作品である。
真夏の暑い日曜日の昼に、冷たいシャンペンを飲んだような、気持ち良さがある。

このアルバムは、ゲッツの人生の中でも、ジャズ界をあっと言わせたアルバムである。
1972年、ゲッツ45歳。
思えば67年のヒット作品、「スイートレイン(Sweet Rain、Verve V 8693)」以来、パッとした作品を残していない。
この辺りで、もう一つ世間をあっと言わせたいと思ったかもしれない。
奇しくも、スイートレインの時のメンバーであったチックコリアは、71年にECMからIMPROVISATIONを発売し、一挙にジャズシーンの前面に躍り出た。
明けて72年2月、チックたちはECMに後世に残る名作、「RETURN TO FOREVER」を吹き込む。
3月、遂にゲッツは、チックのメンバーにドラマーのTONY WILLIAMSを加えたメンバーを選び、録音する事にした。
エレクトリック・サウンド・プレイヤー達とのセッション、この作品である。

当時、どのくらい売れたかは解らないが、音楽家としてのゲッツの凄い所はここにある。
彼はズート・シムス等との大きな違いがここにある。
それはズートが職人芸だとすれば、ゲッツは音楽家。
それは、この作品にもっともよく表れていて、当時もっとも勢いのあるジャズメン達を集める事、そして彼らの音楽の上に自分の音楽を載せ、作品を世に問う。
マイルスもそうだったように、ゲッツもまたコンポーザーとしての音楽家ならではの生き方がある。
マイルスは自分自身もエレクトリックになったが、ゲッツ自身はアコースティックのテナーで演るんだと。
もうひとつの「RETURN TO FOREVER」と言われようが、しかし、ゲッツのサックスは見事に溶け込み、チックたちだけでは決してない、新しいサウンドを作り上げたのである。

思えば、63年の時にはJOAO GILBERTOたちとボサノバを取り込んで、世界中のジャズフアンを虜にした。
ヤク中だの何だのと言われようと、常にジャズの世界に君臨してきた彼の、音楽人生の真骨頂なのではないかと思うのである。

このアルバムを聴くと、時代の流れを見据えた彼の、決して衰えない音楽性をつくづくと眺めてしまう。

ジャケットの表にはキャプテン・マーベルのTシャツを着た、子供時代の写真があって、裏にはスパーマンたらんとしている45歳の彼の姿がある。
タイトル通り、正にスーパーヒーローだったのである。

斬新、いや違うな、「ナウイ」と言われながら、あれからすでに40数年、個人的に感慨深い物があるなぁ。

本「浮かれ三亀松」
2015/08/01

先日、友人が貸してくれた、浪曲師広沢虎造の一代記を面白いと言いながら返した所、そんなに面白れぇなら、こっちの本も読めと貸してくれた。
「浮かれ三亀松」吉川潮著 
著者は広沢虎造の本を書いた人。

話は、都都逸で昭和の粋な芸人だった、柳家三亀松の一代記。
面白かったけれど、広澤虎造は浪曲で私も馴染みはあったので非常に興味深かったのだが、こちらの三亀松の話は都都逸だの「さのさ」だのは、江戸の粋。
本は面白いが、芸者遊びや粋な都都逸はちょいとおいらには縁がねえ。

ただ、その後の藤山寛美や勝新太郎の金使いの粗さは、この人を模倣した人生感だと知って、芸人とはそういうものかと恐れ入った。

一つ思ったのは、広澤虎造の本でも思ったのだが、日本人は、かつての芸も含めて、文化をことごとく否定して、消し去って行く世界に珍しい国民だと思った。





報道
2015/07/31

たった一週間であるがアメリカから帰って来てテレビを付けたら、まだ安保法制の話をやっていた。
徴兵制復活だとか、騒いでいた。

ところで、反対するのは大いに結構だが、今回の法案の全文でなくても、変更点だけでも、しっかりと読んでいる人が何人いるのだろうか。

どうもテレビの報道を真に受けて騒いでいるだけにしか思えない。
どれほどの変更点か把握している人がいないから、テレビにインタビューなどにもちゃんと答えていない。

今回の法案は、実は大した変更がないのだが、これでいきなり徴兵制だと騒ぐ人の気が知れない。何処にも書いてないのだが、いきなり徴兵制だと、どうやって飛躍しているのか、さっぱりわからない。

ただ、政府の説明の仕方がおかしかったのだろう。
肝心な事は、刻々と変わる国際情勢に対して、機敏な対応が求められている事を、大きな問題だとして法の整備の必要性を訴えるべきであった。
だが、川向うの国に不利な事は絶対に許さない反日の人達には、何を言っても無駄である事は間違いない。

憲法学者が日本の方向性を決める人達でも無く、リーダーでもない。
また民主主義を決定する人でもない。
只の勉強している人なのだ。

一般人を学者で簡単に説得出来ると踏んだ政府の愚かさもあるが、学者を持ち上げたマスコミもオカシイ。
そう言えば、何か事件がある度に、どこかの教授などを連れて来て、正悪の判断をさせ報道し、「私は自分の局の意見を一切発していません、中立です」的なマスコミの無責任さは、狡さ以外何も伝わってこない。

しかし、日本人の虚弱さにオジサンなんだか心配になってしまった。


帰国
2015/07/30

シンガポール航空で帰る。
空港のチェックインの際、客が時々揉めている光景に出くわす事があるが、今回も何やら揉めている。
中国系のご婦人らしき方が、大きな旅行カバンを3個並べている。
15分ほども大騒ぎが続いている。
どうも、3個が全て20キロを超えていて、一つは良いけれど、もう二つはエクセス・バゲッジの料金を払うという事には同意をしているようだ。

何が不満で大騒ぎをしているかと思えば、一つは25キロ、残りは20キロくらい。
航空会社は20キロの荷物預かり、残りの25キロと20キロの合計45キロにエクセスバゲッジチャージを掛けようとしているらしい。
所が本人は、25キロのをサービスで預かってくれても良いのではないかと、エクセスは40キロ分にしてくれと、騒いでいるのだった。
ずうずうしいと言うか逞しい。

こういうの光景は、日本人がやっているのを見たことがない。
しかし、彼等がこういう状況にあるのをよく見かける。
何だかなーと思うのだが、しかし、こういう強引とも思える交渉力がある事も確かで、これから大人しい日本人は、きっと世界から置いて行かれるかもしれないと思ってしまうのである。

日本人は聞分けが良すぎるんだな。

競技観戦
2015/07/29

ロサンゼルスの街は、兎に角クルマを持っていないと、どうにもならない。
競技場が、UCLA、USC、各競技場と結構離れているし、交通機関は無いし、参加者のファミリーでもないのでシャトルバスにも載る事が出来ないし、単なる観光客扱いの我々は、如何ともしがたく、地下鉄やら乗り馴れない交通機関に閉口して、遂にタクシーを呼ぶことになる。
すると、またどのタクシーもインチキ臭くて、高額な料金を吹っ掛ける。
メーターの料金は引っ切り無しに上昇を続ける。
ヨーロッパもそうだが、海外の国のタクシーのインチキさは何とかならないものか。

バスケットボールを見に行ったのだが、身長差のあまりの違いに、唖然として帰って来た。
バスケットは身長のハンデを付けるか、階級制にしないとイカン。



スペースシャトル「エンデバー」
2015/07/27

競技場の近くに、スペース・シャトルのエンデバー号が展示してあると言うのを聞いて、急いで見に行った。
本物だけに大迫力。
ロサンゼルスの空軍基地から、ロサンゼルス・オリンピックを開催したコロセアム競技場の隣にある科学技術館の格納庫まで、市内をローダーで運んでくる時の様子を7分間の映像で見せる。
道路幅ぎりぎりの街の中を引っ張って行く様子が面白くて見入ってしまう。

本物のエンデバー号は思ったよりすーっと大きく、大気圏突入で黒いタイルに出来た、白い縞模様の痕跡を感慨深く眺めた。
知合いの青瓷の陶芸家島田幸一先生が以前、日本でもとタイルの制作にいそしんでいただけに、宇宙タイルの製造の概念に詳しい私としては、感慨ひとしおだった。
しかし今は、スペースシャトル計画は費用的な問題で中止になってしまい、宇宙開発がロシアに譲ってしまった感があるのが悔しい。

カッコは断然こちらの方が上なんだけど。


(写真はエンデバーの本物エンジン)

レコード屋めぐり
2015/07/26

今日は、ロサンゼルスの街のレコード屋を巡る。
以前行った事のある店などをピックアップしておいたので、順に廻るのは良いけれど何しろただ、だだっ広いロスの街。
地下鉄網もまだそれほど完成するには至っていないし、ワン・ブロックも大きくてとても歩いては行けない。
必ず車が必要なのだが、国際免許を取って来ていなかったので、ツアーデスクに相談すると、一日8時間で運転手つきの車を手配してくれると言う。ちょっと割高だが、お願いして廻ってもらう。
せっせと廻ったのだが、8時間でも時間が足りないくらいだった。

ところで、外国に時々プライスを付けていないレコード屋がある。
そういう店に入った瞬間失敗したと思うのだが、せっかく来たからとせっせと見る事になる。
しかし、カウンターに持って行って値段を付けてもらうと、非常に高額な事が多い。
もちろん日本よりも高い。
それで、何時間も掛けて疲れた結果が、ああやっぱり見るんじゃなかったと後悔することになる。
時間がもったいない。
店なのだから値札くらいつけておけばよい物を、一体どういう事か。
そういう店に限って親父は横柄だ。

しかし、最近は現地のどこの店でもレコードの値段が高くなった。
時代の流れを感じる。

途中のご飯は、jack in the boxというハンバーガー屋。
ミディアム・サイズのコーラの紙コップの大きい事。
これを運転手は今までは2・3杯はお代わりをしていたと言う、おかげで糖尿病になってしまったと嘆いていた。
今はダイエットコーラを2杯だけにしていると言う所が笑える。

何しろ一杯で1リットル位は入るから。

2年ぶりの海外旅行。
2015/07/25

最近は長旅に身体が持たないので、出張を控えていたと言うか、若手に任せている。
しかし、今回は仕事ではない。
知合いがスペシャル・オリンピックスという知的障害者のスポーツ大会をサポートしているので、一緒に来いという事で同行したのだ。
ついでにレコード屋も廻れるし。
やって来たロサンゼルス。
久しぶりに来たら、エライ変わりようで、地下鉄が走っていてびっくり。
オリンピック・スタジアムでの開会式に大統領本人が来ないのがちょっと淋しいが、代わりにミシェル・オバマ夫人が登場して盛り上がる。
ステービー・ワンダーも歌を歌った。
選手入場はスポーツ・イベントの最大の見どころ、日本選手団の入場にこちらも胸が熱くなり、一生懸命に拍手して大いに盛り上がった。
アメリカ人の、自国選手団が入場するやサッと一斉に立ち上がり、競技場が割れんばかりの大きな歓声と拍手をするところの応援の、静と動の切り替わりの凄さにも驚いた。
しかし、大きなイベントの時に歌うアメリカの国歌の荘厳さは言葉に表せない程凄いし、歌手の歌の上手さに感心させられる。
それに比べ日本の国歌は歌が難しいし、声量のある歌手が少ないので、今度のオリンピックで一体誰が歌うのか、オジサン心配になってしまった。
うーん。

今日はアメリカへ
2015/07/24

今から、アメリカに行くのだが、なんだか副鼻腔炎の具合いが良くない。
数日間から病院に行っているのだが、好転しない。
何だかなあ。

ところで副鼻腔炎とストレスが一番いけないらしい。
そうは言われても仕方ない。

あるオーディオの事
2015/07/23

私のステレオを聴きに来た北海道の方が、マランツ#7と#8の音を気に入り、同じようなものが無いかという話になった。
それで、ふと思い立って、知り合いのある持ち主に声をかけてみたら、お譲りしても良いですよと、いう事になり、トントンと嫁入り話がまとまった。

思い起こせば、3年ほども前になろうか。
うちの店に月に一度、通って来てくれていたお客様がいた。
残り少ない人生、気に入った物を買うんだと、良い廃盤を買ってくれていた。
買い物の後、せっかく遠くから来てくれていたので、二人で近くのコーヒー屋に行き、色々な話をした。
その時に、自分はマランツの7と8を持っていて、気に入っていると。
訊けば、番号は結構初期の部類に入るものであった。
私に売ってよと言うと、自分が死んだらあげるよと笑っていたが、他にも友人が狙っているから、どうなるかなあ、という話であった。

ある月、彼が店に現れない。
これはおかしいと思い携帯に電話をすると、使われていませんというメッセージ。
もしやと思い、知り合いのレコード屋に電話をすると「知らないね」という。
変だと思っているうちに、急に騒がしくなって、どうも彼が亡くなったという。
それも地元のショップに友人たちと複雑な人間関係が絡んで、レコードは案の定、知り合いのそのレコード屋に流れた。
亡くなった事を知っていながら横取りされるの恐れ、教えてくれなかったらしい。
生前の本人の話では、カビだらけで売りももにならないよと笑っていたレコードである。そこまで必死に守らなくても良いのにとおかしかった。
オーディオセットはこれまた、私の知り合いの方が、故人の知り合いだという数人に囲まれて、グダグダとお説教がまいの中、あまり楽しくなかったという雰囲気の中で、これも何かの縁、せっかくだからとまとめて譲り受けた。
その#7と#8を持ち帰り、使う前にオーバーホールをしたいと思っていたら、偶然近所に良い人がいた。
日本のオーディオ電気関係の設計などをして大学でも教えている、権威のような方で、快く修理を引き受けてくれ、特に抵抗などは本人が昔のままに作ってくれるという手の込よう、ボディはもちろんの事、さらに中の線の部分も一本一本綺麗に掃除をしてくれ、見事かつアンティック感漂う、製品に生まれ変わった。

私としては、かつての持ち主との親しさや話の内容から、彼の#7と#8には執着があった。
私が使う事はなくても、なんとかうまく生かして使ってみたいと思っていたので、それを譲っても良いと言ってくれたのが、なんとも嬉しかった。

それを受け取りに行き、今度は嫁入り前に、私の知り合いの修理屋さんでオーバーホールをしてもらおうと電話をすると、なんと札幌に引っ越したという。
それはありがたいと、札幌に送った。
修理屋さんからは、見事な修理で一体誰がやったかと聞きたいということであった。斯く斯く然々で感心された。
アンプはおなじ道内なので直接届けてもらった。
私はちょっとしか聴いていないが、確かに良いアンプだった。

スピーカーは私の知り合いが持っていたD130の初期モデルがあったので、それを中心に、高音が強すぎないように組んだ。
16Ωのものである。
D130と思えない上品さがある。
今日、電話が来て、よく鳴っていると報告があった。

私は3年前に亡くなった持ち主に、あなたのアンプは良い人の所を歩き、最良の状態を保ち、みんなに大切してもらい、今、最終の行き場所に落ち着いた事を心の中で報告した。
持ち主だって最後までコレクターだったから、これであの世で心が落ち着く事であろう。
なんだかホッとした。

オーディオやレコードは結局は人から人へ渡って行く、しかし、渡り方は大切だと思う、良い物であればあるほど。

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