HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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The Long And Winding Road
2015/05/01

ようやく、私の周囲の人たちのポール・マッカートニーのコンサート・ブームも終焉。
落ち着きを取り戻した。
いや、こんなに知り合いの多くが興奮しているとは思わなかった。

今日来られた方は、この前の月曜日の東京ドームに行かれたのだけれど、その時の一番心に残った曲が、「The Long And Winding Road」だったと。
そうしたら、ウチの従業員も、感極まって話に割って入って来て、自分もこの曲が一番だったと。
それで盛り上がって再び、コンサートの話になってしまった。

そこで、ちょうど店に入荷したばかりのアルバム「LET IT BE」を掛ける。
またまた、盛り上がってしまうが。

その方の言うには「僕の結婚式のキャンドル・サービスの時のBGMがこの曲だったんです」。
「えー」っと一同驚く。

せっかくだからとオリジナル盤で綺麗ならと、一枚購入して帰られた。
うーん、結婚式にこの曲が流れたのか、羨ましい。




2015/04/30

親戚のおばさんがやって来て話すには。

最近お友達が猫を購入した。
何十万円もする高級な血統書付。

ところが、その友人という方は、動物愛護の精神に満ち溢れている方だと。
それで、なぜ購入したのかと聴くと。
もちろん、捨て猫や野良猫を救えるならと、処分を待っている猫を頂こうと、そういう運動の場所に出かけた。
ところが、猫の里親になる「資格審査」で落ちた。

それで、そういうことかと、気が付いて、ならば購入すれば良いのかといい結論に達したと。

捨て猫の命は、貰い手が現われなければ数日間の命。
急を要している命なわけだ。
故に、もらってくれる人であれば、極論を言えば、殺人者でもなければ、誰でも良いのではないか。
その資格という物を私も大いに興味を持った。

すると65歳を過ぎたような人のひとり暮らしの人はまず駄目だと。
もちろん成人男性など働いている人の一人暮らしなど問題外らしい。
するといつも家に誰かがいて、犬猫と飼い主共々の長生きを保障して、豊かで立派な人など、一体日本中に何人いるのかと、その友人たちの間で、大笑いになったそうだ。

もし飼い主が年寄であと5年で死んでも、今殺されていく猫の命のはかなさに比較して、少なくとも5年くらいはは生きられる訳で、その後の事は、又その後で解決すれば良いと思うのだが、いきなり立派な方かどうか審査があってはたまらない。
親戚のおばさんも大いに納得。

私も野良猫を心配している人の一人だが。
そんな組織と関わるのはまっぴらだ。
こういう事は近所だけで、ひっそりとやっているのが良い。

命の売買は好きではないが、そういう方法しかないのも事実
私が思うに、何でも、弱者救済の「運動」や「組織」にしてしまう人達は要注意である。

今日は昭和天皇誕生日
2015/04/29

今朝は、店の前の道、小滝橋通りは物々しい警戒。
機動隊車両が8台、パトカー、その他警察車両がずらっ。

一体どうしたものかと思って待っていると、やがて、やってきたのは、天皇反対のデモ。

天皇は戦争責任を負え!
天皇はいらない!
天皇廃止!

などと大騒ぎのデモ隊が通過。
正体は反日デモ。

世界に珍しい、自分の国を否定する人々の群れ。

そこに右翼が乱入するかと予測した警察による警備だったようだ。
しかし、右翼によるその反対デモは現れず、結局警察は、反日デモ隊を守るに留まった。
国家権力が反日の人々を守っている姿という物は、見物している、我々日本人からすると異様である。

しかし、最近の反日デモや憲法9条デモや安倍首相退陣デモの参加者は外人が目立つ。
これは一体どういう事か?
最近のデモの参加者などを見ていると、日本を馬鹿にした様子が伺えてどうも面白くない。

かつての安保闘争ですら、日本そのものを否定している姿はなかった。
なにしろ日本共産党は国民皆兵を詠っていたのだから。
平和憲法と言い出してから、胡散臭くなって、何かがおかしな方向に向かったような気がする。

そうなると最近のこういうデモの運動費のお金を一体誰が出しているのかと考えると、どうもこれは外国も関係しているような気がしてならない。

なんだかなあ。

ケンカ....
2015/04/28

急に思い出した、あれは、横浜に遊びに行ったのは二十歳の、ちょうど今頃の時期だった。

私は子供の頃から臆病で病弱で、いつもビクビクしていた。
東京に出て来てコックのアルバイトしている時に、レストランの近所の鈴木とかいう魚屋のアンちゃんと仲良くなった。
その彼がキックボクシングの練習をしていて、仕事の休みに遊びに行くと私にパンチやキックの打ち方やかわし方を教えてくれていた。
要するにお前は弱いから、そんなんじゃ駄目だと。
しばらく一緒に練習らしき事をしたり、実践形式でグローブで殴られたり蹴りを入れられたりしていた。
拳は傷めるし、痣は出来るし。

 ちょうど今頃のG/W時期、ガールフレンドの車で遊びに行った横浜で、すれ違った不良グループを、彼女が指差して笑ったとかで、目を付けられてしまった。
危険を感じ、彼女に「お前は走って逃げろ、ついでに、近くの売店に行き、警察を呼んでもらえ」と頼んだ。
案の定、ハマの不良達がやって来た。私はビルの壁を背にして立ち、目の前に10人程がずらっといる。
心は震えまくり、やや下を向いて黙っていた。
「どこから来たんだよ」と言われても返事も出来ない。
しばらく沈黙が続いたあと、ふと正面にいるヤツから右のフックが飛んできた、その時無意識に左腕でガードをしていた。
そいつは、困ったらしく、コブシを私の腕にしばらく押し付けていた。
自分でも驚いたが、その後ろの仲間が、「あいつ、○○先輩のパンチかわしたよ。今まで○○先輩のパンチが当たらないの見たことない」と言っているのを聞いた瞬間、私の中で行けるかも知れないという思いが沸き起こってきた。
とにかく殴り返すことは止めて、かわす事に集中しようと考えた。
練習で習った、相手の目の動きでパンチを予測しろと言われた事も思い出す。
次のパンチも見えたので、腕を上げて軽くブロック。

「どけっ」と、いらだったリーダー格が前に出たと思った瞬間、いきなり膝蹴りが飛んで来た。
その瞬間ひざを上げてその蹴りもブロックしていた。
実戦で膝蹴りをブロックするとは思わなかった。
反対側の足でまた膝蹴りが来たが、それもブロックした。
思わぬ成果に自分でも驚く。

また、後ろの方から小声で「あいつキックやってるよ、やめようよ」。
だれかが小さく「黙ってろ」という声が聞こえた。
しばらく、私の顔を睨んでいたが、こちらは、周りの不良達の動きも見ないといけないので、キョロキョロ。
リーダーは私の寸前に顔を付けて来て、頭突きでもされたらどうしようと焦る。
接近戦は勘弁だ。
思わず「今日は勘弁してよ」とリーダーだけにしか聞こえないように小声で言った。
するとリーダーはニヤッと笑って「ひとのシマにきて荒らすんじゃねーよ」と言って、ゆっくり私の額に手を当てて、小突いた。
仕方ないので私は「痛てっ」と声を出してニヤッと笑った。
リーダーは、さも面倒くさそうに、私から離れ、子分たちを促して引き上げていった。

時間にして何分だったかは分からないが、限りなく長い時間であった。
終わったあと、その場に倒れそうな程疲れが出た。
煙草を吸おうと思ったが、手が伸びなかった事を覚えている。
やがて彼女がそばにやって来た。
「警察呼んだか?」
「ううん、売店のおばさんが大した事無いんじゃないのって言うから呼ばなかった」
その彼女とは即、別れた。
あの出来事は、今でも忘れないし、相手の配置やリーダーの目つき、パンチのスピードやケリも思い出す。
あの時殴られていたら、私はずっと弱虫だったかもしれない。
しかし、それ以来、つき物が落ちたように恐いものがなくなった、人生の転機であった。

魚屋の友達には報告したが、そんな事は当たり前だとボソッと言った。
でも、オレ様のお蔭だろうと顔に書いてあった。
その後もよく店で売れ残った鮪の刺身など高級魚の晩御飯を食べさせてもらった。
私が就職するまで、いや、就職した後もしばらくは晩御飯のお世話になっていた。

ジャズ喫茶「デミアン」
2015/04/27

ジャズ喫茶では無いかもしれないが、ジャズ喫茶「デミアン」。
お客様に薦められて行ったコーヒー屋。
一応ジャズが掛かっていて、名曲喫茶風のジャズ喫茶で良いかな。

得意料理は「ホットケーキ」。
トッピングがあってフルーツの煮たものが乗っている。
私が行った時は、林檎の煮たもの。
シロップは少なすぎず、多すぎず、少し酸味の効いたリンゴのトッピングとマッチして美味しい。
パンケーキ好きは、行く価値あり。

ところで、この店の場所は山手線池袋駅の西口の奥の街、要町。
車では山手通りを中野から池袋方向に進んで、高速「高松」の入口の直ぐ手前。
山手通りに面した位置は非常に分かりやすく、簡単である。
しかし、店に入るのは簡単ではない。
なぜなら一種の躊躇する店。

かつて中野にあった、喫茶店「クラシック」の壊れかかった家を覚えている方なら、想像が付くであろう。
しかし「小さな勇気、大きな喜び」とまではいかなくとも、美味しいホットケーキに頬が緩む。
ジャズを聴きながら優しい語夫婦の会話も心が和む。
朝は8時から営業しているので、朝食のホットケーキは食べて損はない。

あくまで。自己責任で。

イチゴ
2015/04/26

先日、近くのスーパーに寄ってイチゴを買って帰った。
遅かったし疲れていたので、もう何でもよかったので適当に買った。
帰って開けてみたら、イチゴはもう色が変わってぶよぶよしている、適当に傷んだ部分を切り取ったら、半分ほどになっていた。
翌日、今度は違うスーパーに寄って、買い物をして帰った。
そうしたら、今度は腐ったイチゴが2個、もう危ないのが2個、他のを食べても古い味がした。
腹が立ったが良く見なかった自分が悪い。
そう思いながら、パンを見たらやけに薄い。確か6枚切りという表示があったはずだと思って袋の表側を見たら「6枚」シールが張ってあった。
それなのに中身は8枚切り。
何だかなあ。

翌朝、行ったコーヒー屋でその憤りを話していたら、いつも 会う年配の人に「朝から、その程度で怒れるなんて、幸せな奴だ」と言われた。
ガクッ!

RITA REYS “THE COOL VOICE OF RITA REYS NO.2”
2015/04/25

RITA REYS “THE COOL VOICE OF RITA REYS NO.2” PHILIPS P 08010L (NETHERLAND)

久しぶりに入荷した名盤。
こういうのを目にすると、私も本当に嬉しい。

ところで、このアルバムの何が良いかって?
歌は良いに決まっている。今更私が書く事は何もない。
だとしたら残るはジャケットしかないなあ、うん、そう、写真が素晴らしい。
モノクロ写真の淡いトーンの見事さ。
マイクの前に立った彼女の美貌、そして、この気品に満ちた顔立はどうだ。
これ以上のスターの写真があろうかと思われる写真の中の写真。
見事な仕事である。

思うのだが、彼女も歌手。
歌手と言う人達はどちらかと言えばぽっちゃりした顔のタイプが多い。
その、まともに撮ったらポッチャリした顔立ちになってしまう所を、斜め後ろからマイクに向かって撮った。
そしてそこからは、少しほっそりした、鋭い、しかも気品に満ちたポートレートの見事さ。
ヘレン・メリルの写真もそうで、日本でのアルバムの写真はあまり感心しないと思うのだ。
それがイタリアで写したものは、本当にセクシーに撮れている。
当時のヨーロッパのセンスは言いねえ。

見ていると、私も欲しくなってしまう。

時々、お客様に話しているけれど、かつては当店にこのアルバムのVOL.1と2はかなりの数が入荷していた。
勿論オランダのあるルートがあったからである。
一度書いたかな?まあいいや。

アムステルダム滞在中のある日、実は話があると、オジサンが言って来た。
その話とは
「今まではお前に一所懸命にリタのレコードを送っていた。しかし、私ももうルートが尽きた」というものであった。
彼は、リタ・ライスの後援会の取りまとめなどをしていた人だが、日本の再発盤やCDを渡して、或いはお金の力で、ファンのおじいちゃん方から、上手くレコードを取り上げて、いや違うモトエ、交換して、それに彼も利益が出るように工夫して、私に渡っていたのだ。
こういうレコードなど特にクール・ボイスは、そんじょそこらにあるものでは無い。
それが講演会のメンバーだからこそ沢山持っていて、それもコンディションの良い物を持っていた。
それで高額で買いたい人がいるからと説得したりしていたのだ。
「今までそうやって入手していたのだが、私の知っている人のレコードはほとんどお前の手に渡った。これ以上の探す手立ては最早無い。これで終わりだ」という話であった。
そうか廃盤も何時かは尽きるものなのかと何となく思ったのである。

そういう貴重なレコードだが、また入手出来るであろうと軽く考えていたのだが、物事はそんなにうまく運ぶ事は無くて、今回の入手まで5年掛かったのである。
状態の良いレア盤などという物は、そんなに出会う事はないという事を改めて知ったのである。
まあ、一般の人には関係のない、コレクターにのみ理解出来る話である。
まだ歴史の浅い当店でさえ、そういう苦労があるのである。

しかしだ、こうして日記を書きながら聴いていると、本当に良いね。

「ポールマッカートニー」のコンサート
2015/04/24

なんとかっていう二人組のお笑い風に。
「悲しい時...
ポールの姿が巨大スクリーンに映って喜んでいたら、
本人の姿が米粒ほどだった時... 」

というわけで、行って参った「ポールマッカートニー」のコンサート。
3時間ぶっ続けの休みなし。労働基準監督局が怒りそうな働きぶり。

いや、何が良かったって、アンコールでポールが一人で歌った「YESTERDAY」。
イエスタデイは、私にとって20世紀最高の一曲。
それにポールがビートルズの昔に戻って歌ってくれる歌でもある。
私の青春が蘇える。

思えば、先輩が7,000円で売るぞと言われたもの、お金がなく涙をのんだ1966年の来日コンサート。
それをテレビで見た時の悔しい思い。
あの頃は貧乏で2000円のチケット代が払えなかった。
そんな私の貧乏青春時代の、ビートルズの歌はイエスタデイにトドメをさす。


一生懸命に当時を思い出すと、当初ビートルズはミーハーな高校生はじめ10代の女の子たちが憧れるバンドであった。
その頃公開された彼等の映画が東京中のあっちこっちの映画館で上映された。
普段は薄汚い親父ばかりが集まる、H映画を上映している映画館も、その日は突如女の子達に占拠されるのだ。
私も、彼女だったかただの友達だか分からないような女の子達に誘われて映画を見に行った。
結局20回も行っただろうか。いやもっと行ったな。
彼女たちを僕の事をビートルズ好きだと思っていたのかな、僕はジャズ派だったのに。
ヤーヤーヤー! とHELPの二本立てとか、そこにマジカル・ミステりー・ツアーの短編とか混ざっていたりして。
映画館ではビートルズブックを数冊胸に抱えた女の子達がステージに上がってしまい、泣いている姿や、手をかざして宗教のような様子など、観客の笑いを買っていたりして、それは中々の壮絶なファンの行動が垣間見える光景であった。
ビートルズブックを胸にしっかり抱えて歩く姿や、映画館でポールと叫んだりすることが一種の儀式化としており、それは毎回見ている内に、ああまたかという状況になった。
その内に、女の子の間でも、あれは馬鹿なんじゃないかという空気が流れ始めて、そういう行動様式も徐々に少なくなっていくと同時に、ビートルズ本人達の音楽が急激に芸術化が進み、男子の大学生などがファンになだれ込み、聞きかじりの理屈をゴタゴタを並べはじめると、キャーキャー派の女の子達の居場所が一挙に無くなったのである。
可哀想に。

そういう中でもイエスタデイは名曲であり続けた。
若者も成長し働き出したり、結婚したり、子育てをしたりする中で、当時のファンみんなの心の中にいつもこの曲があったのではないか。

少なくとも僕の中にはあった。
過去とは捨て去るもの、故に捨て去った過去には言いようのない思いがある。
二度と戻る事の無い日々の出来事、特に青春の日々は、この曲と共にずっと心に秘めて来た。
その想いを一瞬、掻き出して、昨日までの日々の数々を僕だけにしか見えないテーブルの上に広げて見せてくれる、押しボタンのような働きをしてくれる曲なのである。

ポールが一人でこの歌を歌った時、ああ、僕はこのたった3分間だけの為にここに来たんだと、思ったら何だか切なくなっってしまった。
その間、僕の心も昔のまんまだったよ。

ちょっと興奮していて、今日の日記は、ちゃんと書けたかな?

ズボンで...
2015/04/23

へんな話だけど。
トイレに行くといつも思う。
値段の高いズボンと安いズボンの違い。
良いズボンはチンチンを出しやすい。
安いのは、チンチンが出にくい。
高い方はファスナーもちゃんと下まで降りるが、安いのは、もうちょっと下がって欲しいと思う所で、止まってしまう。

それで、いつも何でだろうと思っていたのだが、トイレから出ると忘れてしまう。
水を流した瞬間、全部忘れてしまう。

オレは、こんな事を書いていて良いのかな?

BEN WEBSTER “THE ART TATUM・BEN WEBSTER QUARTET”
2015/04/22

BEN WEBSTER “THE ART TATUM・BEN WEBSTER QUARTET” VERVE MGV-8220 (USA)

こんなアルバムが入荷。
BEN WEBSTERとART TATUMの共演盤。
ジャケットを見ると、数字の4になっているのだ。
赤い十字になっている奥を注意深く見ると斜めに黒く塗ってあって、それで、ああそれで数字の4で、カルテットなのかと思う仕組み。
前景の右側に大きすぎるBEN WEBSTERがサックスを咥えようとしている写真である。
本人かどうかはっきり当てることができない写真であるが、大物だと感じてくれと。
その顎の下、奥にテイタムがいる。
顔をみると何となく不自由な目の持ち主であることが分かる。
いづれにせよ、彼のピアノからは目の見えない人 特有の奥深いサウンドが感じられる。
それは、彼の大きな才能の一つでもある。
勿論、人並み外れたテクニックの持ち主だという話は当然として。

ところで、テイタムのレコードは後期の作品、それもソロでないものが断トツに良い。
それまでソロばかりやっていた超絶技巧の演奏で、一体彼は他の人と併せるという事ができないのか、それとも我がままなのかと、考えこんでしまうのであるが、ここに記した55年と56年の作品群はどれも素晴らしく、彼が独りよがりの人間では無かったという証拠でもある。ああよかった。
まあ、ソロ作品はマニアに譲る事にする。こう芸術家には素人が入り込む隙間などない。

Art Tatum, Roy Eldridge Clef MGC 679 55年
Art Tatum / Benny Carter Clef MG C-643 55年
The Art Tatum - Buddy De Franco Clef MGC-715 56年2月
そして満を持して56年の9月にこの作品。
私は56年になってからのBUDDY DeFRANCOとの作品とこの作品が特に好きだ。
テイタムは、まるでTEDDY WILSONから受け継いだかのように、冒頭からゆっくりと入って来て、あとはWEBSTERの顔を見ながら、いや、見えないのだから、そうはならなかったかもしれないが、私は実際にWEBSTERに顔を向けながら見えているかのようにコンタクトしながら演奏した姿を想像してしまう。
そう思いたいのだ。
だって、ジャケットの写真を見ると、テイタムの口元が緩んで、横を見ている。
ピタリと息が合って、あたかも十年来の友情に支えられるかのように演奏は進む。
見事に完結した一枚の作品である。
それが何という事か、次の製作に取り掛かる事も許されず、テイタムはあの世に召される。
僅か2か月後のことである。
そんな悲しい運命があろうか。

私は、この演奏を聴く度に、聴き終わるたびに、このアルバムと同等の、もう一枚の名手二人による「PRES AND TEDDY」を聴きたくなってしまう。
あっちは、これ以上に二人の距離が近い。
だが、どちらも大の付く、ハードバップでないジャズの大、大、大名盤である。

不思議な事に、あっちを聴き終わった時には、逆にこっちが聴きたくなる。
それなので、これら「テイタム・ウエブスター」と「プレス・アンド・テディ」は、二枚揃えて持っていないと、私の心の中では落ち着かない。
二枚は、オイラの心といつまでも一緒だい!

泣けるわ。ホント。
人生はつらいの。

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