HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
新宿のコロナ | - 2022/09/06
- 病院の待合室で患者同士の会話をちらっと聴いた話。
ここ数日間、コロナの患者はグッと減っているらしい。 しかし、なぜか歌舞伎町ではインフルエンザの患者が急増しているらしい。 外国人が増えて来ているのが理由らしい。
らしい、です。 と言う事は、日本中で同じことになるのではなかろうか?
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本「針がとぶ」 | - 2022/09/05
- 先日、伺った下高井戸のコーヒー屋さん「2−3」で、ちょうど店内で売られていた本を購入した。
吉田篤弘の「月とコーヒー」。
我が家の駅近くのパン屋PAULに行ってカフェオレを頂きながら読んだ。 それで、この作家のを、もう一冊買おうとネットで探していたら、「針がとぶ」という本を見つけてしまった。 これは、これは!レコード屋としては放っておけない「言葉」であって、我々レコード・ショッパーの最も嫌なクレームでもある。どうしても本を買わなくてはならない、という義務感にかられた。
それで読むと、はい、出てまいった。 「レコードと言うのは亡くなった叔母さんの遺品でビートルズのホワイト・アルバムであってBラスの最後の部分、針が飛ぶのである」と。 内容を少しだけ適当に書き出す。 「何度か聴いたが、必ずそこで針が飛んだ。 一瞬の事で、その一瞬はわたしに玄関の電球が切れたときの事を思い出させた。あの暗転と、夕刊のインクの匂いと。だから電球を交換したように、またもう一度と思って、繰り返し針をおろす。B面の最後。針がとぶ。 そこに、わたしの聴くことのできない音楽があった」
と、針飛びの瞬間にも音楽の内面まで聴き取り、そこに亡き人の心を聴くのである。 我々、レコード屋もまたマニアの方々も、忌み嫌う、針飛びがここまで小説にして下さり、音から何かを聴き取ろうとする、何ともありがたい作家さんであろうか。
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漫画「夏子の酒」 | - 2022/09/03
- 夕食で、出羽桜「亀の尾」を飲んだ。私は下戸なので酒の話はしない事にしている、酒も飲めないのに酒を語るなと思うのである。兎に角、呑べえ達に失礼だから。
しかし亀の尾、の話になると酒の話だけでは収まらない。
この亀の尾は、山形の木川屋という知り合いの酒屋から送ってもらった。 食事をしながら、美味しいね、美味しいね、といいながら家内は私の3・4倍は飲んだ。いつもの事である。 飲みながら「亀の尾」のラベルから、テレビドラマの「夏子の酒」の話になり、和久井映見の夏子に泣けたねえ、などと話になった。 私は、CSでの再放送は気合を入れて全部見た。
当時1994・5年の事、私はまだレコード屋になっておらず会社勤めをしていた。会社の親父達にもかなり人気だったと見えて、いつもは誘い合って飲みに行くのに、放映日にはそそくさと目立たぬように帰り支度をする様子が、今でも可笑しく思い出される。 私たちのナカニシ部長も「今日はドラマを見るから、ごめん」と誘いを断っていた。
その夏子の酒が、元は漫画だったと言うと、家内は「え、見たことない!買え!」というので、私は早速、中古全集を購入したのであった。
ドラマも泣けたけど、漫画はなあ、漫画はもっと、もおっと、泣けるんだよ。 人は流れに流されるのに、一人で頑張る人を応援したくなるんだね。
最近の若者に人気があるらしい酒、獺祭なぞ飲めるか!
話は変わって。 亀の尾が、農薬に弱いという所が、とてもすきなんだよね。
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レコード・プレイヤー | - 2022/09/02
- 私のプレイヤーは3台ある、だが、どれもどこか不良であり、或るいはどこか気に入らない部分がある。
例えば、プレイヤーのスイッチの動きが悪いもの、アームの不具合、キャビネットと機械が治まりが悪いなど、ちょっとづつ不満があった。
それを知り合いの修理屋さんに話したら、じゃあ、やってみようというので、治して下さった。
それで、帰ってきたSME3009のアーム、いや、アームでは無くてトーンアームと言わないとね。 後ろの「重り」の部分、いや、ラテラル・バランサーと言わないとね。まあいいや。
その重りの部分が垂れ下がっていたのが、気になって仕方がなかったのだ。 SMEのアームは後ろの部分が、重りの重量に対してパイプ部分の強度が足りない事はマニアの間では知られている。 ちょっとの運搬でも垂れてしまうのである。 特に車での運搬は気を付けないといけない。
私はSMEが2本あるのだが、2本とも垂れてしまっていた。 それを治していただき、ベアリングの交換や、アーム内のケーブルの交換もしていただいた。
帰ってきたトーレンスとアームをセットした。 しみじみと見れば、トーレンス124はこじんまりしているので、箱も大きくならない。出来上がりがコンパクトでホーム・ユースという感じが出て本当に素敵である。目でも楽しみながら久しぶりに聴いた。
キース・ジャレットのケルン・コンサートを聴いたあと、これを聴かにゃなるまい!と取り出したのは、ここしばらく聴いていなかった、エルジー・ビアンキ(Elsie Bianchi)のスイーテスト・サウンド(The Sweetest Sound)。 ピシッとした良い音色であった。 冒頭のTeach Me Tonightなどは、シンバルの音と言い、ピアノの音と、それと彼女の声が見事。 惚れ惚れしてしまった。
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映画の中のオーディオ | - 2022/09/01
- 今日のCS日本映画チャンネルでやっていた映画「庭の椿」。
金持ちの女性の老後の話で侘しい物語である。
ところで、映画は個人的には今一つであった。 韓国の俳優の表情・仕草がセリフとちょっとちぐはぐであったし、言い方が気持ち悪かった。 日本人だけで作れなかったか?
と、それはどうでも良い。 初めから見ていなくて、パチパチとやっていたら、映画をやっていて、まだ最初の方であったらしい。 そこで、正にちょうどピッタリ! 往年の良質のオーディオが出てきたから。 プレイヤーはトーレンスの124、カートリッジはオルトフォンであった。 スピーカーはエレクトロ・ヴォイスのジョージアン、だと思った。 一瞬しか見れなかったので自信はないが、たぶん間違いないと思う。 そこで、流れて来るのが、アメリカのコーラス・グループのブラザーズ・フォーの「トライ・トウ・リメンバー」。
ここの部分だけで、主人公の老婆が、正に戦後の良い時代を生きた事が伝わるのであった。
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ゴミの分別 | - 2022/08/30
- 横浜市は、プラゴミを生ゴミと分けることになっている。
一度、テレビで清掃局のプラゴミ処理のシーンを見た。持ち帰ったプラは、純粋なプラか汚れが付着してリサイクル不能なプラかを、係員が種分けしているのをやっていた。 横浜の話かどうかは忘れた。 しかし、きっと何処も似たり寄ったりであろう。
それで、プラゴミを、私は綺麗に洗って出すようにしている。 そうしていて気が付いた、プラマークが付いているゴミをそれなりに合致した条件で出そうとすると、結構、洗浄しなければならない。 気が付くと、私は食器用洗剤でスポンジで一生懸命に洗っていた。
ちょっと待てよ、幾ら水道代がかかったのだろう? 悔しくなった。
分別なんかしねえで、生ごみで良くねえ? でも失業対策なら まあ良いか?
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フュージョンのレコード | - 2022/08/29
- 暇なので、普段聴かないレコードをちょこちょこ聴いていて、アール・クルー(Earl Klugh)のブルーノート盤も聴いた。
それで、思わずあまりの音の良さにびっくりしてしまった。 もちろん、売れないジャズと違って、フュージョン・アルバムは売れ行きの数が違うのは明白、レーベルとしても大いにお金をかけたであろう事は理解できる。 それにして録音は誰だっけ?と見れば、そうだ思い出した「ラリー・ローゼン(Larry Rosen)」という70年代後半のフュージョンの世界で幾多の名盤を作り出した人だった。当時はちょっと有名になっていたのだった。 私など、もうほとんどフュージョン等聴かないので、全く忘れていた。 音はワイドレンジでしかも骨はある、煌びやかで澄んだ綺麗な音色である。
そう言えば、色々思い出すのだが、マルチトラック・レコーディングというのはこの頃から始まったのではなかったか。今となっては当たり前だが、ダイレクト・カッティングなどが始まって高音質、高音質と、騒いでいる内に、あっという間にマルチ・トラックが主流になっていったのではなかったか? この高音質が必須条件あればこそのフュージョンではなかったか? 何しろ、その音は爽やかさが感じられてこそで、それこそ初夏の涼しげな潮風が二人の身体を包み込むような風景が思われる音楽だもの、細部まで気を利かせた音作りが絶対だったのだな。
しかし、好景気に向かっていた時代は、音楽も華麗になって行ったのだなあ。
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本の読み方 | - 2022/08/26
- 本はよく読む。
ただ、必死に読んで早く片付けるかのような気持ちで読んでいたものだが、最近は、一遍に読み終わらないように、というのか、途中でやめる。 そこで、もう一冊の読みかけの本を読む。 そうやって読みかけの本が、常に3冊ほどある。 それが何だか気持ちが良い。
本に向かうと、ノンフィクションであろうと小説であろうと、すっと本の世界に入る。 ページを閉じれば、また現実の世界に戻る。 おまけに、読んでいると、胸の内が暖かい。
きっと、そうやって三冊ほどの本を入れ替えているのが、心の暖かさを保つ工夫になっているのが、自分で上出来な気分の良さなのだ、と思う。
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昨日のコーヒーつながりで | - 2022/08/24
- コーヒーの美味しさと何かと、いろいろ試して考えた。
かつて、あちこちの名店と言われる店にも通った。
原宿の天皇陛下の駅近くのアンセーヌダングル、店の名前は忘れたが井の頭公園の中のカフェ、銀座のランブル、と三大コーヒー専門店と言われる話も聞き、通った。 どれもしっかり濃いめに入れたコーヒーで、確かに見事な美味しさだった。
さて、それを自宅でやろうとすると、どれもうまくいかなかった。 その豆を買って帰っても、美味しさには違う。 色々頑張ってやっている内に、徐々にいい加減になってきた。 ミルは2千円くらいの安いのになったし、ネルは使わなくなり紙になった、兎に角 面倒でない、取り扱いが楽な淹れ方になった。
私にとって、さっぱりして、苦みが残らないのが最良になった。 家内などコーヒーを飲むとトイレが近くなるというので、アメリカン・コーヒーやデ・カフェでも好ましくなった。
歳なんだわさ。 いや、それが一番美味しく気軽に飲めるのが良い。 これからはパーコレーターにでもしようと思っている。
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街の喫茶店 | - 2022/08/23
- 思うに、私はコーヒー好きなのであろうか?
良く考えると、コーヒーは好きだが、その物よりも実はもっと喫茶店が好きなのではないかと思い至るのである。 それでもコーヒーが飲めないようでは、話は始まらない。
かつて伊集佳代子さんの「シャバダー、シャバダー........」で始まるネスカフェのTVCMで、インスタント・コーヒー・ブームが起こり、田舎に住んでいた高校生の私も友人の手前、見栄を張って飲んだインスタント・コーヒーの苦さ、その苦さを克服してこそ大人への第一歩、そう信じて私のコーヒー好きは無理矢理に修行の如く始まった。 コーラが14歳、コーヒーは17歳。 あたかもジャズ好きになった第一歩もまったく同じ行動であった。しかし、学問にはその修行と言うか、我慢しても勉強するという域に達する事が無かったのは今さらながら、実に残念な気がする、モトエ。
私の若かりし頃、街に喫茶店がたくさんあった。 従って人に遭えば「ちょっとお茶でも」と、何かと喫茶店に行った。 学生同士でも、彼女とも、いや彼女でなくても異性との会話はほとんど喫茶店に限られていたし、就職した後でも会社での昼食は1時間の間に必ず千円以内で、昼食と喫茶店がセットになっていた。 飲みに行った後は〆で喫茶店に行った。 特に土曜日、半ドンのあと、同僚たちと数人で喫茶店でしゃべっていたのは今更ながら楽しい思い出となった。 以来、人生の50年以上、喫茶店に行かない日はないような気がするのである。
家にいる時も、3時になれば、もちろん家内とコーヒーも飲みましょうという事になるが、家内がちょっと仕事やら音楽の稽古でも始めれば、これ幸いと急いで着替え、ちょいと駅近くのカフェに出かける。そこで30分から1時間ほど本を読むのが何とも幸せなのである。 ただ、この青葉台辺りはみなチェーン店になってしまい、個人の喫茶店というものがない。 スタバのコーヒーなど、飲むものかと思っている。 個人のカフェなどが無い街は、大人のための街ではない。
喫茶店よ永遠なれ!
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