HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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昨日の続きで 音の事
2022/02/08

その、何と言うか 音の話。

先日からの「石川さゆり」の音について、常連と話をしていた所、こんな話が。
「彼女の声は、テレビ・モードの時はかなりドスが効いた感じがするので、皆さんはそういう物だと思っていらっしゃるようですが、レコードやCDで聴くと、意外に細い声ですよ」と。

私は思わず「先に言ってよ!」という心境であった。
それなのに、そうとは知らず「困った困った,こまどり姉妹」状態で、どんどん低域を厚くしてしまったのね。

そんな歌手の声に翻弄されるとは「おえりゃせんの」。


ジジイはもう一度、真面目に音を調整しようと誓ったのである。



オーディオの事
2022/02/07

マッキントシュの昔の真空管アンプ、MC240。
テレビの初期の時代に作られたであろう松下電器の真空管を付けて、しばらく聴いていた。
しかし、ちょっと大人しいと言うのか、真面目過ぎるというのか、まあ、言ってはいけないのだが日本の音。
飽きて来てしまったのである。
私はアメリカ志向なんだわ。

それで、箱の中をひっくり返して探し出したら、古い真空管が2セット(ペア)であった。
アメリカRCAの物、ムラードの物、12BH7と12AU7。
松下は12AX7が2本、そのまま使用することにした。
初段はRCAである。(これらは全て古い物である)

それで結果、低音がぐっと出た。
出て、凄く迫力が増した、のは良いけれど、シャンソンの「パリの空の下セーヌは流れる」を聴いたら、ジュリエット・グレコの声がちょっと男っぽくなってしまった。
この人はドスが効いていて良いけどね、だけどドスが効き過ぎてしまって、姉御のような.....

すべての音源をカバーする装置など無いと言う事だね。
どうしたら良いもんかのお?
もう面倒になってしまった。

散歩の途中に
2022/02/06

毎日散歩していると、色々な事に出会う。
バス通りに面した蕎麦屋のシャッターにこんな張り紙が。

昭和43年からの営業だったと書かれている。
うちの家内が青葉台に住み始めたのは昭和42年だというから、言って見ればほぼ最初の入植者である。
入植者の言い方が良いか悪いか分からないが、本当に何もない山や田畑を切り開いて作り出した街である。サンフランシスコ49ersではないが、青葉台の40年者たちである。

町内でも多分 我が家が最も古い住民である。
なぜなら当時の住民でも、我々より親の世代は殆ど亡くなってしまい、住家も人の手に渡り建替えられてしまっている。
私も75歳なのだから、我々の世代がその当時を知っている唯一の世代になってしまう。モトエ。

昭和43年と言う事はほぼ街の歴史と共に歩んできた地域の人々の歴史でもある。
それでも、いつかは止める時が来るんだなあ。

通りがかりの人達であろうか、写真では良く見えないが、ねぎらいの言葉が書き足されているのが微笑ましい。

お疲れ様でした。

朝の散歩で
2022/02/04

こんなチラシが

マンボウ、いいね

節分
2022/02/03

節分なので、夜 家の周りに豆をまく。


   静かなる 隣家に声たつ 鬼やらい

日曜日の朝
2022/01/31

日曜日の朝のTBSの「喝!」

張本がいないとなんだか面白くないね。

今後、多分、見る事は無さそうだ。

美人
2022/01/30

いつもの歯医者さんへ行ったので、近くにあるコーヒー豆屋さんに寄った。
ママさんの顔を見て、「ママさんこうして見ると、大変な美人だね、マスクしているけど」。
と言うと「何言ってんのよ、マスク外すなって意味なの!」とちょっと怒った素振りをした。
続けて「でもね、あたしは思うんですが、マスクしているせいなのか目のあたりしか見ていないんだけど、世の中の女はこれほど美人が多いのかと感心してしまうのよ」という事である。
かく言う私も最近コロナ感染以来、街ですれ違う女性を見ていると、なんという美人の多さよと感じているのである。
ついついマスクを外してくれないものかと、つい期待してしまう。

こうして考えると、目と言うものが顔の美しさの重要なポイントだと思われていたのだが、どうもそうではない。
実は口と鼻の辺りは、もっと美しさを決める重要な要素なのだと、思い至ったのである。

ただ思っただけで、どうのこうのと言うつもりはない。

コンビニで
2022/01/28

コンビニのバックヤードで見てしまった。
忘れ物の傘が、私でも二抱えもあろうか、膨大な量であった。
多分、これから廃棄処分を待っているのであろう。

コンビニの前にはいつも傘がある。
多分、忘れ物、あるいは忘れた事にして置いて行ってしまった捨てられたもの。
これらは、どうなるのかと考えた事はあるが、こうして見ると大したゴミである。

それがどこかに集められた際には、一体どれほどの量なのであろうか。
処分する側の費用が想像できない。
大変、厄介物である。

2022/01/27

家に帰ったら家内がしょぼしょぼしている。
どうしたのかと聞くと「今日ね部屋の掃除機を掛けていたらね、ブルちゃんが出てこなかったの」。
そうか、彼女はまだブルが死んだ事から立ち直っていない。
ちょっとの事が思い出と重なり、悲しみが込み上げて来るのか、と可哀想になってしまった。

そういえば、友人の88歳のおじいちゃんは、猫が死んでそろそろ1年近くもなろうとしているのに、家にいると、ふと猫が歩いているような気持ちになり、辺りを見回すと言っていた。

なんと悲しい事であろうか。

優しい心が悲しい思いをするとは。

メリークリスマス
2022/01/26

昨年、知り合いから届いたクリスマス・カードをぼんやり見ていて、ふと気が付いた。
メリー・クリスマスと書かれていない。

それからしばらく経って。
常連さんが来られて、今読んでいる本が面白いとパラパラと捲って見せてくれた本が「ポリコレの正体」。
パリコレかと思ったがそうではない。
その中に、アメリカではメリー・クリスマスと言えなくなっているという。

それで、ニューヨークの友人に問い合わせてみた。
そうしたら、「それは大分前からですよ、1990年ころから始まっていて、年末の挨拶はMerry Christmas から Happy Holiday に変わっています。宗教上の違いがあるのにキリスト教の習慣だけで使用するのは一方的だと思われているからではないでしょうか。」という事であった。
キリスト教信者が少数の日本では、無宗教の人たちがメリー・クリスマスで浮かれていたのに、クリスマスの習慣も止めないと行けなくなりそうだなあ。
じゃ、「あけましておめでとう」の挨拶もなしになったり「お盆の習慣」のなくなるのかなあ。

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