HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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マスク
2022/05/27

政府見解でも、マスクについては外出時は不要となった。
室内でも離れていたり、話をしていなければ、不要となった。
しかし実態は、従来通りでみんな、本当にみんな外を歩く人もマスクをしている。
時々行く散歩でも、誰もすれ違う事も無い川っ淵の小道でもたった一人でマスクをして歩いている。
これから日本は、全員がマスクをしているのだろうか?

考えるとちょっと怖い。

散歩で
2022/05/18

散歩でしばらく歩く。
風はあるが、気持ちの良い天気である。

 雲速し 横浜線行く 風の空
 

仕事で出かけた下館
2022/05/17

仕事で出かけた下館。今は地名が変わってしまって筑西市というらしい。
着いてみれば、あちこちに美術館の立て看板があって「板谷波山」の展覧会の案内。
板谷波山は今までの陶芸家の中で日本一と言われる陶芸家。
それは行かねばならぬ、と帰りに寄ってみたら、なんと近隣の二か所の美術館と生家とで組んでいるらしい。私は3か所参ったのである。
大いに疲れた。

板谷波山は明治からの近代陶芸において、国内のみならず、洋の美をも工芸に取り入れようと、徹底的に追及した芸術家である。
大した作品でもないのに芸術家ぶっている陶芸家たちとは一線を画す。
世界に誇れる人である。

形、色、絵、彫、すべて群を抜いて完璧である。
ひたすら感心して見て回ったのである。
私は美術館の鑑賞はさっさと見て回り、あっという間に終わってしまうのだが、今回は時間が掛かった。
それが全く時間を考えることが無いほど、熱中してしまった。

興奮島倉千代子。

五月の季節
2022/05/16

なんだか、晴れたと思えば雨になり、晴れれば暑い、困った季節である。
散歩も行きたくないやら、行きたいやら、自分でも分からぬ。

色々な花が咲いて、春は華やかであるが、次々と散ってゆく、散りゆく姿は残酷さも無いわけではない。
そこまで残酷と言っては失礼か。


 君知るや 重たき赤き 石楠花を

 夕暮れに 舞い上がる花の 名残かな



久々の散歩
2022/05/13

今年始めた散歩も、3月に風邪を引いてから何となく億劫になってしまい。
しばらく行かなくなってしまった。
三日坊主というのだろう。
今朝は、家内に「すこしでも歩きないよ」と言われて、渋々出かけたのである。

川っぷちの辺りもすっかり季節は変わっていて、緑が濃くなってきている。
畑の作物も育っている。
ジャガイモの花も、食物のイメージとは違ってなかなかの綺麗さである。

少し行くと、桑の木にたわわに実が着いていた。
写真に撮っていると、犬を連れたおばさんがやって来て「これ、何ですか」と訊かれたので「桑の実です」と答えたら「これが桑の実ですか」と感心していた。
そばを歩きながら「もう少ししたら熟してきますから食べられますよ」
「そのうちに食べてみます」
犬が面倒くさそうに、早く行こうと急かしているので、そこで別れた。

また、散歩を始めようかな

横浜ついでに 不二家
2022/05/09

伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」の向かい側には菓子屋の不二家がある。
結構、多くの客が入ってゆく。

なんでも、大正時代から続く不二家の一号店だという。
地元でかなり愛されているんだなあ。

横浜ジャズの跡  No.2
2022/05/08

そのまま帰るのも勿体ないので、伊勢佐木町通りと並行した一本裏の道を散歩する、ここは昔地元では「親不孝通り」と呼ばれた通りで今も風俗、飲み屋街になっている。昼間だから歩けたのかな?
外国語もあちこちから聞こえて来る、いや、なかなかの飲み屋街の強力な風情である。

それから本題に戻る。ちょっと車に乗って元町に向かう。
元町など街のスケールも小さく、駐車場も少ないので、休日には行くものでないと言われるのであるが、我々は元町の狭い道を横切って、ちょっと坂に上る、そこにあったのは「クリフサイド」という店である。
駐車場があったので、勝手に止めて中に入ると、営業している様子は見えないが、ちょうど人がいたので尋ねると、今は貸しスタジオになっているようで、すでに営業はしていないのであった。
だが廊下など到る所にかつての写真がかざってあり、写真が欲しくなってしまうなあ。

ここは木造のダンスホ−ルとして戦後の1946年に開業し、一時は200人のダンサーを抱え、多くのジャズマンが出入りした、東京にも負けない立派な音楽とダンスの聖地であった。
帰ろうと、ふと入り口辺りを眺めていると、南里文雄の写真が椅子に立てかけてあり、その前にはトランペットがそっと置かれていた。
彼がよほど大切にされた人なのだという事が伝わってくる。
ここのフロアは「トランペット・フロア」と呼ばれ、それは南里に因んだネーミングだという。
控え室には南里の専門の部屋があったという噂も聴いた。
絶頂期には各界の大物、石原裕次郎も見かけたという話もある。
このまま、立派な木造建築が保つ事が出来るのか、心配してしまった。
言ってみれば、ジャズ喫茶のちぐさ どころの話ではない、戦後からのジャズとダンスの楽しいエンターテイメントの歴史館なのである。
どうか残ってくれと願った。

胸を熱くしながら帰路に着いた。

横浜ジャズの跡  No.1
2022/05/07

連休の休みの間、どこかに行こうと決心し、地元の友人と二人で出かけた。
横浜のジャズ史跡巡りで、まず、伊勢佐木町商店街、伊勢佐木町ブルースが脳裏をかすめるのである。
伊勢佐木町はかつて横浜一の繁華街、いや今でもそれは変わっていないと思われるが、今は昔の感は免れない、しかし腐っても鯛、道路に染みついた迫力は失われておらず、歩いていると歴史からくる町の持つ情緒がひしひしと伝わって来るのである。
実はちょっと前に、友人が予備探索に行って呉れていて、あのジャズ・クラブ「モカンボ」の場所を見つけていてくれたのである。
それで、それらしきビルにすんなりと辿り着いた。
ビルの右側に地下への入り口があって、ここを降りるとモカンボがあったはずである。
確証が持てないのでビルの一階にある宝石屋さんの女性に確認すると「ウチはここで60年以上前から営業しているので、よく知っていますよ、間違いありません」という。何でも、モカンボの後はキャバレーになったりして色々と変遷して来たらしい。
現在は高級輸入化粧品など扱っている店になっているようだ。ちょっと入りたかったが買いもしない男が二人も入ったら拙かろうと遠慮してしまった。
例のレコードになった幻のモカンボ・セッションは、1954年7月27−8日の間録音されたものである。
守安祥太郎、秋吉敏子、クレイジーキャッツの面々、渡辺貞夫、当時進駐軍で来ていたハンプトンホースも来ていたようだ。当時の話によると控室にはヒロポンも用意されていたという話もある。
そんな、ことを思い出しながらしばし感慨に耽った。
日本のモダン・ジャズの夜明けが始まった歴史的な現場に来れた事を感謝した。

その少し先の角に、かつてジャズ喫茶と呼ばれた「アシベ」があったというビルの前にたった。
ここはジャズもロカビリーもカントリーもいっしょくたにジャズと呼んでいた日本の音楽史の証拠でもある。

それから、少し歩くと、青江美奈の石碑がある。ピアノをモチーフにした碑で、刻まれた歌詞は勿論、伊勢佐木町ブルースである。ボタンを押すと1分間だけ歌が流れる仕掛け、私はしっかり聴かせていただいた。
青江美奈は伊勢佐木町に少なからず縁があって、伊勢佐木町の入り口に近い所にあったクラブ「ナイト・アンド・デイ」でも良くジャズを歌っていたとの事であった。
このヒット曲がなかったら、ジャズの歌手であったかもしれない。

(続く)

FRANK ROSOLINO “KENTON PRESENTS JAZZ"
2022/05/06

FRANK ROSOLINO “KENTON PRESENTS JAZZ, FRANK ROSOLINO” CAPITOL H6507 (USA)
10インチ・アルバム

トロンボーンが主役のアルバムで飽きずに最後まで聴く事が出来る盤は一体いくつあるのか? そうそう、ないのであるが、そんな中にあって、これは立派な力作なのである。
トロンボーンのような音の茫洋とした低音楽器はどうしたって地味なのである。

このケントン・プレゼント・シリーズはかつて人気盤揃いで、BILL HOLMAN, BOBO COOPER, CLAUDE WILLIAMSON等、ウエスト・コースト・ジャズの王道として、音楽内容の水準の高さにもマニアの尊敬が集まったものであるが、なぜかは知らぬか、最近ちょっと人気はニューヨーク地区に譲る所があり、若干押され気味な感は否めない。ジジイは寂しいぞ。

ところで、ジャケットを見ると、トロンボーンを横座りのまま、天に突き上げているのは、いかにもラテンの国から来た男で、俺はビックだと大いに威張った姿は、日本の芸能マスコミに見つかると叩かれそうだな。
その通りジャズ・トロンボーンの大物でイタリア系のアメリカ人である。
ラテン系と言っても、ウエスト・コースト系ではラテン調の曲がないのかい?と聴かれれば、そこはそれ、ラテンの血というやつで、ちゃんと用意があるのだ。
B面1曲目の「ベサメ・ムーチョ」 実はこのアルバムの主役であり、真骨頂であるのである。
ベサメ・ムーチョと言っても、ムード系ではなく、まさにクラブ・ジャズのど真中。
コロナ感染も真っ最中に今更クラブジャズもないが、いやいや捨てた物ではない、ブームが去った今こそ入手のチャンス。
チキチキの8ビートから始まり、4ビートになりちょっと落ち着いてから、8ビートになって終わるという絵に描いたようなぴったりの調子である。
もう10年の前か... あの頃、イタリアの有名DJのニコラ・コンテさんが来店して、何かないかと言うので、これを棚から取り出して見せると、探していたレコードだと、大喜びであった。
そばにいたDJ達も、このアルバムがこんなにカッコ良かったのかと驚いていた。
あれから、10年ついこの間のような思い出話である。
他の曲はどうか? ハイハイ、A面から上品さと上手さが織りなすウエスト・コーストの好演奏が悪いはずはなく、何処を聴いても楽しめる。
その中で、ちょっとB−1は特に趣向が変わって良いと、オジサンは言いたいのである。

そうそう、メンバーはマックス・ベネットやチャーリー・マリアーノといった西軍の代表メンバーであり、特にマリアーノのプレイは溌剌として気持ち良く聴く事ができる。
最近はあまり、見かける事が無くなった通好みのアルバムである。

DUKE ELLINGTON “THE POPULAR ELLINGTON”
2022/05/05

DUKE ELLINGTON “THE POPULAR ELLINGTON” RCA VICTOR LSP-3576 (USA)

今回はステレオ盤のオリジナルである。
黒ラベルになんと初期のDynagroove付、深溝あり。
この時代になるとステレオ盤も急速に音質が向上し、しかも聴き易くなっていて、落ち着いて鑑賞にたえる音になった。50年代から続くこの時代も凄い変革があって、モノラルレコードからステレオレコードに代わり各社競って、高音質を目指していた、しかもマニアだけが喜ぶのでなく、普遍性のある音質で誰もが認める音であるから苦労は大変であったろう。
オーディオの話はオイトイテ。

アルバムの副題に「これがエリントンのエッセンス」と有るのだから、ここには1966年、アメリカ音楽の歴史・アメリカのジャズの集大成でもあり、彼が行きついた音楽の自信作なのだ。
本人はもちろん、RCAビクターにおいても当作品は余程の自信作だったに違いない。
面白い事に5月9,10,11日の録音であるが、なんとこのすぐ後、14日に東京の厚生年金会館で演奏を行ったという、日本の客にも絶頂の時を知る 実にグット・タイミングの演奏であったのだ。

ジャケットは、楽団員を後ろの雛壇に控え横にピアノを置き、ちょっと踊りのポーズを取った。
思えばかつて「スマイリー小原」もこういう感じで踊りながら楽団「スカイライナーズ」の指揮を取って、テレビの歌謡番組の聴衆に受けたと同時に、世のバカ真面目な親父達にはふざけた野郎だと憤りを買ったのだ。
そういう話ではなくて。モトエ

興奮を抑えつつアルバムを聴こう、冒頭、お馴染みの「Take the A train」を!
イントロのピアノが長い。コレが延々と引っ張る、観客はワクワクしながら待つ、いつかいつかと待つ。
エリントンのA列車の中で、最もイントロが長いのではないか。
これでもかと待たせた挙句に、ドカンとテーマに入った瞬間に観衆の心も爆発。
ジャケットの本人ではないが、踊りだしたい気分。
誰もが、ステレオの前に行って、ボリュウムのメモリを、1つまた2つと大きくする。
これぞ、環境が許す限り大きくして聴きたいアルバムである。
曲は軽快に進行し、マッシブなサウンドでエリントンのエリントンたる一曲を聴いただけで、もうお腹一杯、ここで再度リピートしても良いのだが、今日は日記を書く上で、次の曲「I got it bad」に進むと、いきなり我らがホッジスの大きくフィーチャーされた曲で、とろけるようなクリーミーな音色に痺れてしまう。
「Mood indigo」も美しいハーモニー! ジミー・ハミルトンのクラリネットも素敵。
聴けば、どの曲もちゃんと誰かがフィーチャーされて、それに応え最高のサウンドを聴かせるメンバーがいる。
この作品は、かつてはエリントンの入門的一枚だった。
しかし、果たして入門者だけのためのジャズであったか?
いやいや決して、そんな事ではなくて、このアルバムはジャズを聴いて、聴いて、聴きまくった人達が、アメリカにおいて起こった音楽がどういうものだったかと、もう一度初心者の心に戻り真摯に聴き進んだ時こそ、この作品の良さや、エリントンが言いたかったジャズ、そして黒人が築いたジャズがやっと解るのだと、最近思うようになった。

エリントンのレコード音楽は見事なまでの構成と凝ったアレンジと他の追随を許さぬ断トツの優雅さがある。
彼の音楽は個々であり、かつ集団であり、正にこの後発展を遂げるフリージャズの見本にすら成り得るのである。
この凄さは一体どこから来るのか。
内外の多くの評論家が色々絶賛するけれど、みんな合っていそうで、みんな違っていそうな、しかも、それも含めてエリントンの音楽であって、この神秘、この時代の先取り感の凄さは一体何だったか、と考えると眠れなくなってしまう。

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